表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貴く翔べ  作者: 風雷
58/115

第五章「貴人チルーク・ティエル」(4)

 郊外に出たところで、草原の香り立つ晴れやかな景色が広がった。

 フェペス家当主は川辺で馬車を止めた。ずっと向こうの方で、女達が洗濯をしているのが見えた。


「良い天気です。試合の日もこんな空でした」


 馬車を下りたフェペス家当主は大きく背を伸ばし、川の方に向かって歩き出した。従者がそれに連なろうとすると、にわかに手を上げ、彼らを退かせた。

 彼の意図を察したのか、ユマも同じようにリュウとホウを馬車に置き捨て、フェペス家当主と肩を並べた。


「良い御者ですね。馬が楽しんでおりました」


 フェペス家当主はよほど機嫌がよろしいのか、まだ十代に過ぎない少年であるホウを褒めた。彼を見込んだ――と、本人は思っている――ユマとしては嬉しくないといえば嘘になる。


「彼は素直に走ります。田舎の道に比べたら王都の道は退屈なようです」

「田舎には田舎の、都会には都会の走り方があります。田舎と同じように走れば、都会では人を()きます。いえ、それを踏まえてもあの少年の御は見事でした」


 フェペス家当主は、ちらりと後方を見やった。リュウは退屈そうに近くにある岩に腰を下ろしているが、ホウはブラシを手に持ち、念入りに馬の毛並みを整えている。


「ホルオースは、消えました」


 フェペス家当主はユマの方を振り返ると、唐突に言った。


「どういうことですか?」

「言葉通りです。あれは我が家のために何やら知恵を働かせていたようですが、上手くいかなかったのでしょう」


 第三者を気取った話し振りが、ユマの癇に障ったのは当然だ。


「知っていて放置していたと?」

「そういうことになります。貴方が災難に見舞われたのも、あれが関係しているのでしょう?」


 ユマは、この問いに答えることは出来ない。リンを媒体にしてかけられた口封じの呪いは、未だに彼の身体を蝕んでいる。


「さあ、どうでしょう」


 ユマはこう答えるしかない。意図的にローファン伯の情報を他に漏らせば、呪いによって舌が痺れ、最後には呼吸もままならなくなり窒息するだろう。


「つくづく、不思議な人です」

「よく言われます」


 風が低くうなると、草の葉が膝元に舞い上がった。


「ローファン伯はこれ以上貴方を手元に置かないでしょう。シェンビィ公はまだ諦めていないようですが……」

「利用価値が無くなったと?」

「ええ、ただガオリ侯は貴方に興味を持っているようですから、あるいは彼から何か話を持ちかけられるかも知れません」

「仮にそうだとして、私の身の振りがフェペス卿と何の関係があるんですか?」


 フェペス家当主は、川辺で洗濯に勤しむ女たちをじっとみたまま、しばらく黙っていたが、やがて身を翻し、ユマの目を見た。


「クゥのことです。簡潔に言うと、貴方にクゥを引き取って欲しいのです」


 ユマが正義感たくましい青年であったならば、フェペス家当主の申し出の意味をすぐに理解し、今までの彼を見誤っていたことを恥じただろう。普通にとらえれば、彼がクゥの身を案じている証拠に他ならないからだ。

 だが、今のユマは違った。彼の頭に去来したものは、ローファン伯に勝者の権利を主張してクゥをユマ直属の奴隷にすることは、実に困難を伴うという煩わしさだった。自分自身、情けないことだが、ローファン伯に保護されている身分に過ぎない。極端な話、ローファン伯が望めば、いつ放逐されてもおかしくはない。光王に市民権を与えられはしたものの――ユマは自らそれを投げ捨てたが――ローファン伯から扶持(ふち)を得ることとは無縁である。

 それに、この数日間で自分の脳内での敵味方が目まぐるしく入れ替わったユマにとっては、フェペス家当主さえも十分に疑う対象だった。ユマがクゥを所有するようになれば、フェペス家当主はローファン伯を通じずにユマと交渉するだけでクゥを取り戻せる。シェンビィ公、ローファン伯、フェペス家当主という三者によってただの宝石のように扱われたクゥを、奴隷から開放することには抵抗を感じない。だというのに、フェペス家当主の提案を呑む気になれない。


(それは、虫が良すぎるんじゃないか?)


 ローファン伯やクゥの落魄を知る人々が、彼女が小ずるい方法で貴族に返り咲くことを手をこまねいて見ているだろうか。ユマは、クゥが死ぬほど憎いわけではない。だが、賭けに負けて巻き上げられた金を、第三者から恵んでもらうことで補おうというのは、浅慮を通り越して幼稚ですらある。


「クゥの処分は、ローファン伯が決めます。私には関係ありませんよ」


 言いながら、ユマは思わず目を逸らした。フェペス家当主がどういう表情をするか見たくなかったからだが、フェペス家当主は特に落胆するでもなく、急に話題を変えた。


「……ところでご存知ですか。数日後にローファン伯の嫡子が王都に着きますよ」

「……それは知りませんでした。そういえば息子がひとりいるようなことを聞いてます」


 とぼけた訳ではない。実際、ローファン伯の嫡子が王都入りすることは、ユマには知らされていなかった。ユマはアカアの時を思い合わせて、ヌルが不在の理由は嫡子を迎えに行くことだと断定した。


「では、彼がどのような男かはご存知ですか?」


 フェペス家当主が意味ありげな口調で言うので、ユマは先のクゥの話から一転したのではないことを嗅ぎ取った。

 ユマが首を振ると、フェペス家当主はわずかに驚いたが、彼がローファン伯爵家の情報を与えられていない理由に見当がついたのか、話を続けた。


「数年前のことですが、ローファンの地で農家の男が同村の娘を娶りました。辺境では新婚夫婦の初夜を隣家の人々が覗くという風習があります。蛮族を撃退して帰還する途中のローファン伯の嫡子――名をロイオーセンと言うのですが、彼がたまたまその村の近くを通りかかったのです。ちょうど、婚儀が終わり、初夜が行われるはずだったのですが、婚家に群がる人々を見て、事情を知ったロイオーセンは何を思ったのか、捕縛した蛮族達を脅して村を襲わせました。その後、配下を連れて婚家に押し入り、新郎の死体の傍らで、何かの色に染まるはずだった花を刈り取りました。用が済んだあと、ロイオーセンは村に火をつけ、そこで初めて蛮族の来襲を知ったような素振りで、自らがけしかけた蛮族たちを村人ともども皆殺しにしました。これは噂に過ぎず、確証がある話ではありません。正式な記録では、単純に蛮族の襲撃に遭ったということになっています。ですが、ローファン伯に詳しい者なら誰でも知っていることです」


 フェペス家当主の話を聞き終わったユマは、絶句した。フェペス家の家宝欲しさにティエリア・ザリを奪ったローファン伯より性質(たち)が悪いのではないか。アカアの性格が大人しいので、ユマは嫡子がどのような男か、あまり興味を持っていなかったが、これほど凶暴だとは思わなかった。


――ただの噂話でしょう。


 とは、ユマは言えなかった。シャナアークスやファルケ・ファルケオロに問えばすぐにわかることを、この男は言っている。この場でローファン伯の嫡子についての誤った情報をユマに与えることに、何の意味もない。

 フェペス家当主が言外に置いたのは、ロイオーセンが自家の奴隷となったクゥをどう扱うかということだ。先の新婦と同じ運命をたどるのがあまりに明らかで、ユマは言葉を失ったのだ。


(そんな凶暴な男が嫡子なのか?)


 ユマは問うような視線をフェペス家当主に投げかけた。ユマの意図を察した彼は、ロイオーセンがローファン伯から廃嫡されない理由を付け足した。


「ロイオーセンは兵略に優れ、ローファンを何度も蛮族の襲来から守っています。軍事に優れるということは、信賞必罰に優れることと同義です。また、政務にも有能であり、ローファン伯が本拠を留守にしている間も、上手くローファンを治めています」

「本当に、同じ男の話ですか?」


 ユマは嘆息した。どちらもロイオーセンです――と、フェペス家当主の目が言っていたからだ。


「クゥのことをよろしく頼みます……」


 フェペス家当主はそれだけ言うと、ユマの答えを聞くまでもなく、足早に馬車へと戻った。ユマはフェペス家当主の馬車が発った後も、しばらくその場で呆然としていたが、やがてリュウが傍によると、すぐさま身を翻して馬車に乗った。


「寄り道するよ。リの街にあるオルベル邸に向かってくれ」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ