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貴く翔べ  作者: 風雷
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第五章「貴人チルーク・ティエル」(3)

 試合から三日経った日の昼、アカアがひょっこりと顔を見せた。

 ファルケ・ファルケオロの治療が効いたのか、ユマはようやく起き上がれるようになったばかりだった。


「先生、フェペス卿がいらっしゃいました」


 アカアがわざわざフェペス家当主の来訪を知らせに来た意味を、ユマはすぐに理解した。


(会えってことか……)


 元来顔見知りでもないが、クゥを奴隷身分に叩き落した張本人が、どういう顔をして彼女の兄と会えというのだろう。アカアは時折、身震いするような残酷なことを悪気も無く口にする。ユマはその度、この赤茶けた髪をした少女に対して大きな恩義を抱いている自分に不安を覚える。


「ローファン伯は?」

「父上はお会いになりません。是非とも先生に――とのことです」


(あの(あご)ジジイ。厄介ごとを押し付けやがった!)


 ローファン伯がフェペス家の者を面会謝絶にしていることは知っている。だからといってわざわざ自分に通したということは、ユマにとっては不快でしかない。思えば試合以降ヌルにも会っていない。どうやら何かの用事で留守にしているらしいが。


「仕方が無い。会うか……」


 数日ぶりに寝台から起き上がったユマは、大きく背伸びをしようとしたが、くっついたばかりの右腕が痛んだのか、途端に顔をゆがめた。

 ユマが会ったフェペス家当主は、周囲が訝るほどに晴れやかな表情をしていた。まるでクゥなど最初から存在しなかったように明るく振舞う彼を見て、ユマは胸糞が悪くなった。


「フェペス家の当主バトゥ・フェペスです。東国の戦士殿、先日は見事な試合でした」


 にこやかな顔で握手を求められた時、ユマはどう返してよいのかわからなかった。


「ローファン伯爵家の勝利に乾杯!」


 と、白昼の酒席で音頭をとった時は、ユマも思わず耳を疑った。周囲の給仕から笑いが漏れてもフェペス家当主は何処吹く風で、この人が狂人ではないかと疑いたくなった。

 アカアは、恐れ気もなくクゥの話題を出す。悪意が感じられないところが、逆にたちが悪い。


「本当に夢みたいですわ。あの闘花が我が家のものになるなんて……」

「はは、剣を振るだけが能の、ろくに皿洗いも出来ない役立たずですよ。アカア様の御召物を汚したりしないか心配です」


 ユマは、自分の目の前に置かれた杯を、フェペス家当主の顔面に投げつけたくなった。こんなに不愉快な男がこの世にいるものか。それに、平然とこの男に対しているアカアも正気とは思えない。


「いや、はや……それにしてもユマ殿は勇者ですなぁ」


 と、フェペス家当主が言った時、ユマは思わず拳を握り締めた。席を立とうと腰を浮かせた直後、給仕をしていたリンが走り寄った。


「ユマ様、御召物が乱れております」


 といって、ユマの着る白地のシャツを念入りに整えながら、リンはユマ以外には聞こえないような声で呟いた。


(儀礼です。真に受けてはいけません)


 ユマが座り直すのを確認すると、リンは「失礼いたしました」といって、背後に退いた。


(わかってるよ。だが、ものにも限度がある)


 クゥはフェペス家のために命を賭して闘ったというのに、この扱いは酷い。たとえローファン伯からどんな惨い仕打ちを受けようとも、フェペス家の者だけは彼女の味方だと思っていたユマは、この小貴族の家に心底失望した。

 フェペス家当主の態度が擬態であることはすぐにわかる。弱小のフェペス家は、今やクゥの独断から始まった一連の騒ぎの火消しに躍起なのだろう。フェペス家が負けたせいで顔に泥を塗られたシェンビィ公に対しては、靴を舐めるくらいのことはするだろう。

 ユマにとっての救いは、この場にクゥの姿が見当たらないことだった。この三日間、寝室に寝たきりになっていたから、ユマは奴隷に落ちたクゥを一度も見ていない。彼女のことを考えると、どうしようもなく暗い気持ちになる。血の気の多そうなローファン伯が、クゥの白く美しい肌が赤腫れするほどに玩弄(がんろう)する様を想像すると、結果として彼の陰謀の片棒を担いだユマは自己嫌悪で死にたくなる。


「どうです。外の空気でも吸いに行きませんか?」


 と、フェペス家当主が口を切ったとき、間を空けずに賛同したのは、一刻も早く汚物を口に詰め込まれるような食卓から遠ざかりたいからだった。


「リン、仕度なさい」


 アカアは手を叩いてリンにユマと同伴するように命じた。勿論、自分も行くつもりだ。


「いや、いい。リュウとホウはいるか?」


 ユマは、王都に来る道でアカアが買った奴隷の名を呼んだ。ホウは足を折っていたが、予後を診に来たファルケ・ファルケオロに無理を言って治療を頼んだお陰で、もう歩けるようになっている。ローファン伯爵家の医術士は、奴隷の傷を治さないわけではないが、アカアはどうやらリュウとホウのことを単なる使い捨てくらいにしか考えていなかったらしく、よく働くリュウは別として、もはやこれといって使い道のないホウのことなど心の隅からも消え失せていたらしい。


――医術は人を選びません。


 といって、快くホウの治療を引き受けたファルケを見て、ユマは何故か泣きたくなった。王国最高の名門貴族の御嬢様の方が、よほど慈悲深いではないか。

 ユマは、御者席にリュウとホウを乗せて、馬車に乗り込んだ。フェペス家当主も自家用の馬車で併走する。これ以上不愉快な会話に参加したくないユマは、アカアの同伴をやんわりと断った。


「ホウの(ぎょ)が上手いです」


 と、リュウが言うので、ホウに手綱を任せた。かつてアカアと同乗して王都を一周したが、その時と同じ道を走っているのかと疑うほどに、馬車は静かに走った。


「随分丁寧だな。あの青瓢箪(あおびょうたん)に離されないか?」

「大丈夫です。村ではこの倍の速度で走ってました」


 ホウがいつになく明るい声を上げた。いつもは陰気そうな少年だが、このような発見があると、途端に好意を覚える。本当にその人を知りたいのなら、その人が何かに打ち込んでいる様を見ればいい――と、ユマは感心した。他人と対している時、人は自分の外殻を取り繕うことに躍起になる。それに騙されて散々な目に遭ったことが、ユマという軽薄な男を少しは成長させた。


「あの石ころだらけの道をか?」

「はい、下手をすると飛びます」

「石が?」

「いえ、荷馬車が……」


 ユマは思わず笑った。田舎の悪路で鍛えたのならば、都会の石畳で舗装された道路など、それこそ滑るように走るに違いない。



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