第五章「貴人チルーク・ティエル」(2)
『かつて、この国は五つに分かれておりました。五つの国はそれぞれ仲が悪く、争いが絶えませんでした。
そのままで数百年が経った頃、一人の女性が、竜殺しの英雄の子孫が住み着く街に現れます。彼女は他の人々とは異なる唄を謡い、異なる髪の色をしていました。どこから来たのか、誰も知りませんでした。
女性は、リヴォンの一角で水をたたえる聖なる泉で禊ぎ、神託を受けました。彼女は精霊王の力を得たのです。
精霊王の使いとなった女性は、自ら光と名乗り、他の四つの国に君臨していた邪悪な王を討ちました。大地に数百年以来の平和が取り戻されたのです。世界中の知恵なき人々が彼女の元に集まり、光王と呼びました。それ以来、光王が禊いだ泉を、精霊王の力の別称である光精の泉と呼ぶようになりました。
やがて、人々は泉に集い、精霊王の力を得ようとしました。
光女王は、彼らを見てこう仰いました。
「屍よ、屍。光の泉に屍ばかり。盲者たらずとも、盲が集う。屍に目を塞がれる愚か者たち」
光女王は大いに嘆き、光精の泉を誰にもわからないところに隠してしまいました。
やがて、万能なる光女王にも死が訪れます。
光女王は、自分の死後、精霊王に力を返すように、子らに言いつけます。
しかし子らは、光女王亡き後も、無知なる者達を導かねばなりません。そして、精霊王を欺くために、力を三つの宝石に封じました。
生命の光と、澄んだ水と、神智をそれぞれの宝石に分けました。
屍者のパール、泥中のアクアマリン、そして、盲のエメラルド。
不名誉な名をつけられた宝石を精霊王は嫌い、再び取り戻そうとはしませんでした。
こうして、オロの人々は平和に暮らすことができるようになりました』
王都に向かう旅中で、アカアがユマに聞かせたオロ王国の建国神話である。
何故、王家の宝である三つの宝石のひとつを、新興貴族であるフェペス家が所有していたのかは誰にもわからない。百五十年ほど前にフェペス家が大いに権勢を誇った時期があったらしいから、この神話もその影響を受けたのかもしれない。ちなみに、屍者のパールはシェンビィ公爵家に、泥中のアクアマリンはトグス公爵家の家宝である。両者ともフェペス家と違って王家から分かれた血筋であるから、さほどに違和感はない。
術研究の権威である精霊台では、建国神話をきわめて冷静にとらえる学派があり、彼らによれば、いずれの家宝も光精の泉から生まれたとはいい難く、建国からしばらく経った後に有力貴族の持っていた精霊結晶が伝説に組み込まれたとされる。
神話の時代が終わった頃、精霊結晶に不名誉な名を与える風習はオロの文化に根付いてしまい、今でも中流貴族あたりが、あまり密度の高くない精霊結晶に「病魔のアメジスト」などといった名をつけて一子相伝している。奇習とよぶほどではないが、ユマのような異邦人には理解し難い。ちなみに隣国の王族の子孫であるファルケオロ公爵家はこの型を踏襲していない。
クゥも、ユマもただの冗談にしか思えない名を関した宝のために、血反吐を吐いてのたうちまわった。シェンビィ公やガオリ侯が、それを指でつまんで確かめるくらいの気分で、フェペス家やローファン伯爵家をけしかけたのだとしたら、彼ら以上の悪党は王都にはいまい。
ユマは勝利したからよかったものの、敗北したフェペス家は、欲望という名の怪物に轢き逃げされたに等しい。
ユマは、クゥを救いたかった。
彼女が弩発を放つ時、ユマにはクゥの内外で宝石のように輝く光を見た。最初ユマは、それがフェペス家の家宝「盲のエメラルド」だと思っていた。
だが実際は違った。
剣を交えて初めてわかったことだが、それはクゥ自身が、長い時間をかけて丹念に練り上げてきたものだった。クゥから漏れ落ちる光の屑――精霊に触れた時、薄暗く湿った山道で、突然陽光に照らされた清流を見たような気分になった。
見つけたと思った清流の水を汲もうと手を伸ばした時、上流から凄まじい勢いでどす黒い液体が流れてきた。
ティエリア・ザリという名を冠するそれは、フェペス家の怨念のようにも思えたが、あるいはこれもまたクゥなのではないかと気づいた。クゥがクゥ自身に食い尽くされてしまう。奇妙な感覚だが、そう感じたのだ。
気づけば、黒く染まった水を掬いとっていた。
(荊はここにあった)
クゥの代わりにそれを背負ってやることが、ユマは自分の使命ではないかと思い始めた。
シェンビィ公やローファン伯の目を眩ませるほどの宝である「盲のエメラルド」が実際にはどのようなものかは、ユマには皆目見当もつかない。だからこそ、多数の貴族の心をひきつけるその中心にある宝が、実際には幻想であるという結論が、ユマには出せたのである。そこに存在しないものをクゥに求め、陰謀の網を巡らせる彼らこそ、盲であるというべきだろう。
ユマは抗うことを選んだ。しかもその方法は、クゥと対決するという矛盾だった。
だから、剣を捨てた。
それでどうにかなるという保障はどこにもなかった。ただ、荊のように禍々しい呪いに当てられたと感じた時、自分はそれを背負うべきだと直感した。ユマには、幻覚の中で泣いていた少女がクゥにも見えたし、リンにも見えた。彼女達は、自分ひとりでは背負いきれない重荷を、理不尽にも背負わされている。それでも人が生きてゆく様を、惨めと呼ぶべきなのかどうか。それほどの重みを感じて生きたことなど一度もなかった自分が、どこか惨めなのは確かだった。
光王から免罪符と自由市民の称号を与えられると知ったとき、さらに惨めさが増した。
何もかも手放したつもりが、逆に自分がそれを手繰り寄せてしまったことに、嫌悪を感じたのだ。この際、光王の気まぐれなど考慮するような思考は、ユマにはなかった。
ユマは、悶絶した。
目が醒めると、無いはずの右腕に激痛が走った。
(糞っ! 痛ぇ!)
と思ったとき、思わず残った左手で右腕をまさぐった。腕があったことに、ユマは驚いたが、驚愕ではなかった。この国の医術も、見かけよりは頼もしいな――という間の抜けた感想を持った。
「何だ。ついてやがる……」
自分でも何故だかわからないが、苦い笑いがこみ上げてきた。ついで、明るさの中に自分がいると知り、ここがローファン伯爵邸の一室であることに気づいた。
ふと、銀燭の前に影が立ちふさがった。
「驚いた。本当に言いましたね……」
白い法衣に見覚えがある。
――ファルケ!
という歓声と共に、ユマの脳裏に碧い瞳と、金色の髪が像として蘇った。
「君は確か……」
「ファルケオロ公爵の孫娘、ファルケ・ファルケオロです。まずは御礼を言わせてください。あの時、貴方がわたくしを突き飛ばさなければ、わたくしは弩発によって粉砕していたでしょう」
「ファルケ……ああ、あの巨乳か」
そういえば、シャナアークスがファルケオロ公爵の孫娘と懇意であるようなことを言っていたが、それ以上に、今は痺れて動かない右手が、彼女を突き飛ばした時の感覚を鮮明におぼえていた。あれほど緊迫した状況でも案外、人間は物覚えが良いものだとユマ自身、真面目に驚いた。
「きょ……今、何と仰いました?」
聞き間違い――源精が意思を伝えるのにどうして聞き間違いという現象が起こるのかはユマにも興味深い事象だが――かと思ったファルケは、何度もまばたきしながらユマに問うたが、もとより会話の構成など考えない男だから、無意味だった。ファルケもキダのようにユマとの気の毒な会話を強いられた。
「腕……君がつけてくれたのか? それに、わき腹もあまり痛まないな」
「……治らなくても良かったように聞こえますね。光王に剣を向けた者の傷を治すなど、普通はありえないことなのですが、陛下自身がそれを望まれました。感謝されるいわれはありませんが、傷を治した相手にその様な顔をされたのは初めてです」
ファルケは、どこか突っぱねたように言った。ユマは、嫌われたのかな――という風に解釈したが、すぐにどうでも良くなった。口に出して言えることではないが、クゥといい、リンといい、この国の美女は、下手に相手にすると酷い目に遭う。
「まるで俺が何を言うか知っているみたいだったけど?」
「シャナアが……あ、シャナアークス殿が腕の治療は必要ないと言っておりました。意識があればきっと拒まれるだろうから――と」
あの女らしい――とユマは嘆息した。
「治したのは、腕だけか?」
ユマは奇妙なことを言った。ファルケは最初は何を言っているのかわからないようだったが、やがて理解したらしく、
「闘技場でのものと、シェンビィ公に拘束された時のものと思しき傷は、大抵治療しました。ただ、貴方の舌は……」
「もう良いよ。余計なことをしていないなら、十分だ。ありがとう」
数回会話しただけで、体がどっと疲れた。
「良いのですか? 私ならば、その印をつけた者を特定できます」
舌が痺れてきた。これ以上会話を発展させれば、ユマは以前のようにまともに口すらきけなくなる。
「必要ない。もう、この話は終わりだ。ファルケさん、君には感謝する」
数語を交わしただけだが、この女はシャナアークスが言うように優秀な術士であることを、ユマは理解した。何より、彼女の纏う精霊が常人とは完全に異なっていた。時折、黄金のような光を放つそれは、ユマがこれまで見たいずれの術士よりも整然としていて、金塊を手に持ったような重みがあった。
「ユマ殿。ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「舌の話と、試合のこと以外なら、何でも……」
ファルケの目が笑った。それが何を意味するのかは、ユマにはわからないが。
「貴方が持っておられるそれは、一体何なのです?」
自分が何かを手にしているようなつもりはないユマは、目で質問の意味を問うた。
「貴方の周りの精霊が、普通ではありません。私にはシェンビィの公女ほどにはよく見えませんが、まるで何かに惹かれる様に、精霊が貴方に集まっていきます。しかもそれは術士が用いるような、火精、雷精といった類のものではなく、会話以外にはまるで役に立たない源精です。私にはそれが不思議で仕方ありません」
ファルケの表情に見覚えがあった。エイミーの術に関してユマが言及した時のシャナアークスに似ていた。
「その精霊とやらは、君が持っているものと似ているのかな?」
「……あっ!」
と声を上げたファルケは、思わず背後を見た。周囲に人がいないか警戒したのである。それだけで、ユマは自分が意味も無く口にしたことが、意外にも真実を穿っていることに気づいた。
「神通力の謎が解けたかな……」
ファルケは信じられないものを見たように、唇を震わせていたが、やがて心当たりがあったのか、頷いた。
「どこでそれを手に入れたのです?」
「知らんよ。向こうから勝手にやってきた。もう疲れたから、ここら辺にしてくれるかな?」
ユマはもう、ファルケと話すつもりは無いらしく、目を閉じた。
ファルケ・ファルケオロと入れ替わるように、アカアが入室し、重症のユマに抱きついた。
邸内に絶叫が響いた。




