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貴く翔べ  作者: 風雷
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第四章「怒発」(17)

 ユマは、何も喋らない。


「東国の貴き人ユマよ。光王は汝の罪を許し、王都の自由市民となることをも許されました。汝は汝の名を明かし、精霊王に誓いなさい」


 心の底の方から何かが浮かび上がるような、重くも軽くもない不思議な声である。普段のユマならば、天女のようなファルケ・ファルケオロの声に聞き入り、彼女のなすがままになっただろうが、今ばかりは勝手が違った。


(ここの連中には人が死にかけているのが見えないのか?)


 止血は完了したが、クゥの竜機でわき腹をえぐられている。出血のわりには傷が浅いらしいが、それでもユマの故郷なら即救急治療室行きだろう。

 ユマはファルケ・ファルケオロが差し出す羊皮紙にゆっくりと手を近づたが、受け取らなかった。彼は文面を指差しただけで、その後は何やら目で問いかけている。


(読み上げろということ?)


 異邦人ならば、オロの言葉で書かれた文書を見ても意味を理解できないのは当然だろう。だとしても、光王がこんな薄汚れた男を騙そうとするはずもなく、ファルケ・ファルケオロは詐欺を警戒する駆け出しの商人のようなユマの狭量に嫌悪を感じた。クララヤーナといい、シャナアークスといい、ユマという男は、あるいは初対面の女に嫌われる天才かも知れない。


「竜の羽の落つる都にて、汝の財産と、その身体が汝のものであることをここに証明する。汝は戦あらば矛を持って立ち、秋が来ればその税を納めよ。精霊王に愛されし者よ。ここに汝の名を記せ。されば、いかな大罪も、この日をもって全て許されることだろう」


 早急に書かせただけあって、やや直球だが、それだけにユマにもわかりやすい。光王が彼に与えたのは、オロ王国の市民権と、先日のシェンビィ公家臣暗殺事件に対する免罪符である。

 ファルケ・ファルケオロは読み上げた後、ユマに血判を勧めた。彼女はわざわざ小さなナイフまでつけてくれたが、とうの昔に傷を負っているユマにしてみれば嫌がらせにしか見えない。

 羊皮紙を手に取ったユマは、まるでその価値を確かめるように読めもしない文面に目を通し、自分を見ている会場の観客達を見回した。田舎出の浮浪者に与えるには過ぎた特権なのだろうことは、周囲の反応からは十分に見て取れる。アカアと目が合うと、彼女は親指をつきたてて、「早く()して!」といった風に仕草した。

 ユマは、しばらくそのままでいた。何を迷うことがあるのか、ファルケ・ファルケオロにも、増してや光王にもわかるはずがなかった。


――ユマ! ユマ!


 つい先ほどまでクゥの応援をしていた者たちが、いつの間にか声をそろえて自分の名を呼ぶ。


(何て奴らだ……)


 ユマは、嫌悪した。もともと観衆などに知性を期待する方がおかしいのだろうが、それでも数分前まで自分達の期待を一身に受けて闘っていたクゥのことを忘れたような態度は、やはり嫌悪に値した。

 目の端で捉えていたクゥの竜機から、金属のぶつかる音が聞こえた。

 陽が落ち、風が吹いてきた。竜機の破片が落ちた音だった。

 まるでそれが意外であったかのように、ユマは竜機を見やった。その中で、クゥが泥にまみれるようにして気を失っている。

 風が、吹いた。すると、蒼玉のような色をした髪を飾っていた赤い闘花冠(リボン)が解けて飛ばされた。風は大きく舞い上がり、やがて溶けるようにして上空に消えた。

 直後に、ユマの脳裏を熱で焼くようにひとつの感情が湧き起こった。


(何だろうな。気にくわねぇよ……)


 目の前の羊皮紙は、アカアに拾ってもらった直後のユマが熱望して止まないものだった。多少の経緯があったとはいえ、今のユマにとっても垂涎(すいぜん)に値するものであることには違いない。これを受け入れれば、もはや冤罪にもかかわらずシェンビィ公につけ狙われる心配もなくなり、何より王都で安穏と生きてゆける。この羊皮紙には記述がないが、今どこかにいるキダも奴隷の身分から解放されることだろう。

 だが、眼前にあるクゥの姿が、どういうわけかユマの心を激しく揺さぶる。目が醒めれば奴隷の身分となる彼女が憐れなのは確かだが、それ以上に、一族の怨念と言う暗さはあっても、まっすぐに感情をぶつけてきたクゥに対して、今の自分が欺瞞を行っているのではないかという後ろめたさがあった。

 罪を犯していないにもかかわらず、免罪符を得る空虚が、羊皮紙を手に取ったユマの胸の内で、風が吹く度に笛の音にも似て響く壊れ戸のように、惨めに鳴った。

 外から見たユマは、その間呆然としていたが、突然、手に持っていた羊皮紙を放り投げた。羊皮紙は闘花冠とは違って風に流されることなく、はらりと地に落ちた。


「あっ!な……何と……ぶ……ぶれぃ……」


 光王が驚いて声を上げると、ユマは、あろうことか手に持った剣をかざし、その切っ先を光王に向けた。


「無礼者!」


 ファルケ・ファルケオロが怒声を上げたのも当然だろう。光王の好意を足蹴にした者を許す理由はない。


(さて、また捕まるか……)


 と、心中で笑ったのだから、今のユマに狂気があると思ったファルケ・ファルケオロは正しいのかもしれない。

 ファルケ・ファルケオロが杖をかざすと、ユマは巨大な拳で殴られたように吹き飛び、壁に叩きつけられた。やり過ぎではない。光王に剣を向けるだけで、死に値するから、ファルケ・ファルケオロがあの場で躊躇したりすれば、逆にユマを制止しなかった彼女が罪に問われることになる。

 あれだけの傷を負っていて、自分の一撃を受けたのだから、もう再起不能だろう踏んでいたユマが、音を立てて瓦礫の中から立ち上がったとき、ファルケ・ファルケオロは怖気立った。

 ユマは、かっと空を向いて、叫んだ。


「大事なのか? こんなものが。人の命を食いつぶすほどに! えぇ!? ユマよ! このクソ野郎!!」


 ファルケ・ファルケオロは信じられぬものを見たように、直立したまま動かなかった。

 すると、クゥの乗っている竜機がわずかに動いた。

 視界の片隅にある竜機の砲口が、淡く光るのを見たとき、ユマが怪我人とは思えない速さで走り寄り、


「間抜け!」


 といって、ファルケ・ファルケオロを突き飛ばした。

 光が駆け抜けた。

 世界が真っ赤に染まるほどの鮮血が飛び散り、次いでユマの右腕が飛んだ。ファルケ・ファルケオロは頭が混乱し、心臓の鼓動と耳の中で煩くなる呼吸音以外聞こえなくなっていた。ユマが自分を助けるために突き飛ばしたのだと気づいた時は、既に眼前に男はいなかった。

 竜機を見やると、ユマはクゥの前にいた。

 彼は気絶したままのクゥの胸倉をつかむと、竜機から引きずり降ろした。その間、失った右腕から血が滝のように流れ出ていた。


「聞け。盲者(もうじゃ)ども! 聞け!」


 会場の目という目が、大量の出血もものともせず大声を上げる奇人(・・)ひとりに釘付けになった。


「この女は、持っていない(・・・・・・)! お前たちはありもしない物のために、一体何人殺してきた!? これ以上、この胸糞悪い遊戯(ゲーム)を続ける気なら、一人残らず荊の地獄に叩き落とすぞ!」


 そう言ったユマは、もはや誰にもかまわず、闘場の一角にある勝利門へと歩を進めた。勝者が通るにしては闘士をかたどった銅像にはさまれただけの門というほどのものでもないが、巨大な竜機も通れるよう、都合をつけたのだろう。無骨なだけに、あるいはそこを通るユマは道化そのものである。

 一歩進むごとに、腐った果実を踏みつけたような音が失くした腕から鳴った。その度に真っ赤な液体が噴水のように噴出した。足取りが重いのは当然で、ショック死しないのがむしろ不思議なくらいだった。


(死ね。俺よ、死ね! ここで歩かないのなら、ぶっ倒れて死んでしまえ!)


 自らを呪うように、あるいは激痛に顔をゆがめるようにして、どうにか勝利門を通り過ぎたユマは、そのまま前のめりに倒れた。



 同時刻、リヴォンの郊外の古びれた屋敷の前に、一乗の馬車が止まった。

 黒いマントを羽織った男がせわしげに扉を開くと、埃臭い空気がわずかに外界に漏れた。


「糞っ! ユマの奴め……」


 そう吐き捨てた男は、しかし閉じた扉の前から動かなかった。屋敷の奥に何者かの気配を感じたからだ。


「どうやら、仕損じたらしいな。ホルオースさん」


 正面に伸びる螺旋階段に座る影が喋った。


「その謡い方、キダか。何故貴様がここにいる?」


 黒マントの男――ホルオースは、階上のキダに向かって問うた。


「わからないのか、ホルオース。ここはガオリ侯がお前のために用意したというのに……」

「何のことだ?」

「とぼけなくていい。ガオリ侯に通じるふりをして、ローファン伯からティエレンを奪い取るつもりだったんだろう?」


 ホルオースは再び扉に手をかけた。


「焦るなよ、じじい。俺はお前を殺すためにここにいるわけじゃあない。ま、そいつは別だけど……」


 キダがあらぬ方を向いたので、ホルオースは思わずそちらに視線を移した。

 いつの間に現れたのか、銀髪の少年が眼前にいた。


「な……」

「逃げても、無駄……」


 身じろぎするより遥かに速く、少年はホルオースの胸を短剣で貫いていた。


「貴様……ガオリ……侯の……小姓……」

「うん、エイミーだよ。さよなら、おじさん」


 膝が折れると、ホルオースは人形のように倒れこんだ。


「……まだ……死な……」


 辛うじて意識を保っていたホルオースに足をつかまれたエイミーは、しかし動じることもせずに屈みこみ、短剣を男の背に突き立てた。


「うーん、しぶといなぁ……」


 何度も同じ動作を繰り返した。


「おい、もういいだろう。死んでるよ」


 階上のキダがやや強い声で言うと、エイミーは驚いたように振り返った。


「え……だって、まだ動いてるよ?」

「そりゃあ、それだけ力いっぱい刺せば死体でも動くさ」


 エイミーは再びホルオースを見やった。流れ出た血が、自分の靴を濡らしていた。


「あ、本当だ」


 立ち上がったエイミーは、キダを見てにっこりと笑顔を見せた。


(全く、何て気持ち悪い餓鬼だ……)


 キダが心中でそう思うと、エイミーが首をかしげて言った。


「気持ち悪い?」

「いや、間違ってたよ。お前はただの糞餓鬼だ」


 ありったけの悪意を込めてそう言ったのだが、エイミーには通じなかった。

 少年は、非力な自分に気づかないかのように、ホルオースの死体を引いて屋敷の奥に移した。キダはそれを黙って見ていたが、到底、手を貸してやる気分にはならなかった。




四章「怒発」了

五章「貴人チルーク・ティエル」へ続く


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