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貴く翔べ  作者: 風雷
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第四章「怒発」(11)

 ユマは、自分を避けるようにしてへし折れる槍をじっと眺めながら、頭の中で煩く喋り続ける声に煩わされていた。


――さあ、滅ぼせ。


 何を――と、問うまでもない。ユマが今相対しているのは、闘技場に咲く花とあだ名される名手クゥ・フェペス以外にいない。


――さあ、汝の怒りを示せ。


「ふっ……何言ってんだか……」


 ユマが鼻で笑うと、まるでそれに腹を立てたように、脳内の声が強みを増した。


――何をしている。呪いの(いばら)を枯らせ。お前はそのためにここに来たのだろう?


 何やら意味のわからない内容に、流石のユマもむかっ腹が立ってきたが、おや――と、首を傾げた。


(声が変わったな。前より若い)


 ユマは、この世界に来て最初に出逢った怪奇、源精を思い出していた。いくつもの意識の集合体のように見えるそれは、それぞれが一個の人格を持っているわけでもなく、ただ呆然と宿主を探して荒野をさまよっていた。

 自分に憑いているのも、源精の類なのではと思っていたのだが、今はどこか違う。もしかすると会話が成立するのではないか――という淡い期待さえかけてしまいたくなる。


(お前は何なんだよ。勝手に人の頭の中に居座りやがって……)


 さも迷惑そうに(実際そうだろう)、心中で愚痴ると、その声は初めてユマの問いに答えた。


――儂は荊。荊は(かばね)。屍は(なんじ)。汝は怒り。怒りは泉。泉は光。光は神智。神智は儂。


 先ほどまで煩く喚いていた声が、急に抑揚を落として頓智(とんち)めいた意味不明な言葉を並べだした。


(何だよそれ。もう少しわかりやすく説明できないのか?)


 と、その時――ユマの視界に信じられぬ光景が広がった。

 突然、自分が嵐の中の甲板に立っている様な錯覚をおぼえた。揺れたのが己の視界ではなく、先ほどまで平衡を保っていたはずの地面であることに気づいた時、周囲は異様な何かで埋め尽くされていた。

 黒いうねり。

 コールタールのような不快な物質が注ぎ込まれたように、周囲は粘性を持つ黒い液体で満たされている。そして、ユマはこれに見覚えがあった。


(光精の泉……)


 クゥがへし折れた槍先を驚きと共に見つめていた頃、ユマは同じような驚きでもって、光精の泉を見やった。

 平素は濁った水を張っているだけの泉からは、どす黒い液体がとめどなく溢れ出ている。

 クゥも、他の観客も場内が水浸しになるほどの異変に気づかない。

 ユマの見やる先、光精の泉から、ねっとりとした何かが形を成し始めた。


(人だ……)


 そう思ったとき、ユマは自分自身が黒い液体に囲まれていることを知った。それはまるで意思を持っているかのように、波立ち、ユマを包み込んだ。



 いつの間にか、いや突然といった方が正しいのだろうが、ユマは暗がりの中にいた。

 声が聞こえる。


――荊が……


 か細い女の声だ。何処となくクゥに似ている。


――荊が痛い。


 もう一人、今度は幼い少女の声だ。クララヤーナよりは少し大人しめの声だった。

 声のする方に行こうとすると、突然、足首に刺すような痛みが走った。

 足元を見れば、そこには闘技場の砂ではなく、得体の知れぬ物体がユマの肉に食い込んでいた。


「う、うわっ! 何だ、これ?」


 そこにあったのは黒塗りされた鉄線だった。鋭い棘を持ったそれは、複雑に絡み合い、まるで荊の園のようにユマの眼下に広がっていた。


――荊が……


 ユマは思わず声のする後ろを振り向いた。

 女は確かにいた。荊に抱かれるような姿で、横たわっていた。

 裂けた皮膚から黒く変色した血が流れ出ていて、臭いなど感じないのに、それはおぞましいほどの腐臭をユマに予感させた。


――荊が……ああ……荊が……


 壊れた機械のように、女はそれしか言わない。


「お前は……」


 ユマの中で閃光のようにひとつの言葉が浮かんだ。


「ティエリア・ザリか?」


 ローファン伯爵家での最大の禁句。それは、この女のことではないのか。先に頭の中の声が言った荊とは、この女のことではないのだろうか。


――痛い。荊が……


 女と目が合った。

 嘔吐感を伴うほどの憎悪。ティエリア・ザリから放たれるその感情は、しかし同時に虚無感にも似た穏やかな波長をも伴っていて、まるで二律背反のようであり、ユマに言い知れぬ嫌悪と、虚脱感を与えた。


「お前は、何が言いたい?」


 先の声が言った「滅ぼせ」とは、実はこのティエリア・ザリの怨念が声となったのではないのか――とユマは想像したが、しかし今眼前に展開する怪奇が持つのは意識とは程遠い妄執だった。

 怨念は、身じろぎしては「荊が痛い」と悲鳴に似た声をあげ、ユマに何かを訴えかける。


「死んでいるんだろ、お前は。俺に何をしろっていうんだよ……」


 頭が割れそうな苦しみの中で、ユマが発狂しそうになるのを必死に堪えていると、ティエリア・ザリの怨念はふと、一点を指差した。

 ユマがその先を見やると、青い髪をした少女が頭を抱えて座り込んでいた。


――荊が、荊が……


 少女も、荊の中にあった。だが、彼女の周りだけ何故か上から光が射していて、荊は彼女に近づけないようだった。

 自分でも説明がつかないが、ユマは荊に足をからめとられたまま、少女の傍に寄った。一歩進むごとに激痛が走り、裂けた(もも)から血が噴出してゆく。

 気がつけば、その少女の前にいた。


「荊が……怖いのか?」


 少女は驚いたようにユマの顔を仰ぎ見た。

 少しの間そうしていたが、やがて大きく頷いた。


「そうか……」


 ユマは少女のわきの下に手を入れると、驚く少女をよそにそのまま抱き上げた。少女は落ちまいとしたのか、それとも恐怖で身をすくませたのか、ユマの肩をがっちりとつかんだ。

 上空から射す光がまぶしくなった。


「これで満足かよ?」


 ユマは、逆光でよく見えなくなってしまった後ろを振り向いて言った。先の怨念はどこかへ消えてしまったのか、あたりは静寂で満たされた。

 光が強くなるにつれ、ユマは自分の影が後ろに長く伸びてゆくのを見た。そしてその影に群がるように、先ほどまで怨念を締め上げていた荊が群がり、やがてユマの肩を包み込んだ。

 ユマは、それらの怪異が抱き上げた少女に触れぬように、しっかりと抱きしめた。

 背なの皮を破って、何かが肉に食い込んだ。次いで、体全体がずしりと重くなった。


(背負ったな……)


 少女一人を慰めた結果がこれか――と、ユマはわりにあわない取引をしたような気分になった。

 凄まじい光量に目がくらみそうになった時、ユマは元の闘技場にいる自分に気づいた。



 クゥは、初めてユマの怪奇な力に触れた。先にユマが繰り出した火尖は、クゥの想像を超えていたが、それでもまだ人の業だった。だが、竜機が全力で繰り出した槍がへし折れるなど、彼女にとって初めての体験だった。竜機戦ならまだあることだが、この場合の相手は、生身の人間だった。


(東方の術……)


 クゥがそうとらえ、ユマを警戒したのも無理はない。ただ、目の前の男はよほど余裕があるのか、呆けたようにこちらを見たまま、ふらふらと歩き出した。


「馬鹿にしているのか、ユマ!」


 残ったもう一方の槍で、クゥはユマを突いた。

 今度は槍がへし折れることは無かった。槍先は無慈悲にもユマのわき腹を抉り取った。わずかだが肉片が飛び散った。だが、胸が悪くなるような感触がクゥの手元に伝わる前に、凄まじい衝撃が槍先に起こった。槍は普通では考えられないような形でひしゃげ、次いでクゥの目は、ぼろきれのように吹き飛んでゆくユマをとらえた。ひしゃげた槍がしなり、ユマを弾き飛ばしたのだ。

 歓声が上がった。いや、もはや一方的ななぶり殺しの体をなし始めた以上、それにはアカアなどのユマの勝利を祈る者たちの嘆声も混じっていた。


「もう良いのです。先生、もうおやめください!」


 観客席から身を乗り出したアカアが悲鳴にも似た声を上げる。

 入場口を覆う木の柵に叩きつけられ、木片にまみれたユマを遠くから見ていたクララヤーナも、心中でアカアと同じような言葉を吐いた。


(もう、終わりじゃないの。さっさと降参すれば、死なずに済むかもしれないのに……)


 クララヤーナは、肩の震えを押し殺すように、両腕を抱いた。

 先ほどから、ユマとクゥを囲りの魔力の量が尋常ではない。それは、クララヤーナに幻覚にも似た像を映したが、よく見てみると、魔力のほとんどはユマではなくクゥの乗る竜機に流れ込んでいた。このままでは竜機が破裂するのではないかと思うほどに、異常な量の魔力がクゥに集まっている。


「クゥ、危ないわ。クゥ! 何だかわからないけど、それに触れちゃ駄目よ!」


 クララヤーナの叫びなど、クゥに届くはずもなかった。

 一方のクゥは、先のヌルとの試合から、妙な高揚感に支配されている自分に気づいていた。

 どういうわけか、無限に力がわきあがってくるような感覚がする。

 生身で弩発を放てたこと自体が、今の自分を取り巻く精霊が、以前とは比べ物にならない強力なものであることを意味していた。先のクララヤーナの予言など、今の彼女の前では空言に等しい。



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