第四章「怒発」(9)
火花が散った。
クゥに槍を弾かれたユマの竜機は、驚いたように後退したあと、すぐさま両の足底に車輪を形作り、力強く地面を踏み込んだ。
滑るように地面を走ってきた竜機が、一瞬でクゥのそれと激突する。
接近戦におけるクゥはシャナアークスほど力強くはない。だが、闘争というものは相手の弱点を突くことに全力を傾ける場であり、やや離れての戦法を得意とするクゥも懐に飛び込んできた相手の対処法を嫌が応にも身につけざるを得なかった。
クゥの特徴は、横への動きを最低限に抑えているところだ。何より竜機は胴を旋回させれば広範囲が攻撃対象となる。横にずれる動きを読まれれば、それは死を意味する。
それに、クゥの最大の武器は、強力極まりない空術――弩発だ。竜機の顎部から放たれる魔力の塊は、その威力ゆえに正面にしか飛ばせない。相手の攻撃を後方に避け、弩発を撃つという単純な作業が、長らくクゥの必勝の戦法だった。トーラと戦った時も、自分の距離では常に相手を見ていた。槍の届く距離ならば、どんなに無茶な体勢からでも火尖を繰り出してくるシャナアークスとは、やはり違う。
くだらないことかもしれないが、闘技場の観客が好んで口にしそうな話題に触れてみると、もしクゥとシャナアークスが竜機で闘ったのなら、やはりシャナアークスが勝つだろう。クゥの技量では接近戦でシャナアークスの火尖を防ぐことはできず、また火精を用いて縦横無尽に闘場を駆け回るシャナアークスに弩発を当てるのは至難の業だからだ。
ユマは奇跡的にシャナアークスに勝利したが、それも詐欺まがいのキダを用いた奇策があってこそのもので、奇策の例に漏れず、初見の相手にしか通じない戦法だ。他に戦法らしいものといえば、ユマのそれは機動力を駆使して相手を撹乱するという一点に凝縮されており――というかそれしかないのだが――槍さばきに至っては、当然、そこいらの三流闘士にも及ばない。劣化したシャナアークスと呼べば、本人は嫌がるだろうが。
だから、ユマは密着した状態を維持できない。キダが欠けた以上、シャナアークス戦でとった奇策は使えない。
それでも近づかなければ永遠に勝てない。歩く砲台ともいえるクゥの射線に入ったが最後、瞬時に竜機ごと破砕される。
互いの槍が届かず、弩発も撃てないような距離を、ユマは常に維持しなければならない。
クゥも、術士としての自分の寿命が近づいている今、無駄玉を撃つわけには行かない。それが、ユマが見せた中途半端な隙を突くことに対する決断力を鈍らせた。彼の竜機の動きが今までで初めて見るものだったこともある。
単純な機動力でも、やはりクゥが勝っている。だが、ユマの竜機は、滑走するという動きの関係上、蛇の頭がくねるように曲線的な動きをする。呼吸さえ合えば、一瞬で相手の背面に回れるというのが、ユマの持つ唯一の強みだった。
ユマの持ちかけた接近戦を、クゥは受けて立った。
正面から蛇行して近づいたりする愚をおかさず、ユマは性格の割には慎重に立ち回り、左にそれると見せかけていきなりクゥに突貫した。
ユマが突き出した槍を、クゥはからめとるようにして槍の先で円を描き、側面に弾いた。しなった槍が操縦席のユマを襲う。
シャナアークスに対して行ったのと同じように、ユマは竜機を大きく屈ませた。槍の先が髪先を掠めた時、巨大な羽虫が耳の傍を飛ぶような音がして、鼓膜が外側に引っ張られた。
竜機の勢いが落ちたユマを、クゥが見逃すはずがない。
彼女は自分の右脇を通過し、後方をとろうと旋回を始めたユマに対して、左向きから振り向くように槍撃を放った。
「ああっ!」
食い入るように試合に見入っていたアカアとクララヤーナは、互いに離れた席で、同時に声を上げた。アカアの隣に座るローファン伯は、どっしりと席に着いたまま、黙って試合を眺めていた。この点、シェンビィ公も似たようなものだった。彼らとは光王を挟んで逆側の席では、フェペス家当主が落ち着きなく膝を揺すっていた。
クゥの放った一撃は、ユマのこめかみをわずかに掠めた。これがシャナアークスの火尖であったなら、ユマの顔面は今頃消し炭になっていただろう。
辛うじて平衡を保ったユマは、突撃の勢いを横に逸らして、二撃目に転じようとしたクゥから逃げるように後退した。
「よし!」
次いで声を上げたのは、フェペス家当主だった。クゥを応援する他の観客も、同じだった。この場でユマに肩入れしているのは、わずかにローファン伯爵家の与党と、一発逆転を狙ってユマに賭けた一部の酔狂な観客だけだった。
クゥも心中で同じような言葉が浮かんだ。自分が振り向いた矢先、真正面に体勢を崩したままのユマがいたからだ。弩発の射線――そこにもろに入ってしまったユマを、しかしクゥは撃てなかった。
射線の先、ユマの後方の観客席には、光王の席があった。先日の試合とは違い、このような王覧試合になれば一流の術士が光王を守っているから、たとえこのまま弩発を放ったとしても、砕け散ったユマの竜機が観客を直撃することはあるまい。だが、闘士の礼にもとるこの行為は、クゥの美意識からずれたところにあった。
ユマは自分が死地にいることに多分に気づいていたが、すぐにクゥが弩発を撃たない理由も理解した。
「へぇ、撃たないんだ……」
誰にも聞こえぬような小さな声で、ユマは呟いた。彼は旋回しつつ、クゥに近づいて弩発の射程外に身を置いた。
「ちっ、運のいい奴!」
クララヤーナが悔しそうに舌打ったということは、ユマを応援するアカアは安堵の息をついたことになる。
だが、次の瞬間、アカアの表情が驚愕へと変わった。
弩発の射線から急速離脱し、安全地帯に逃げたはずのユマが、クゥと打ち合うわけでもなく、闘技場の反対側に移動し、再び弩発の的になる壁際に位置取ったのだ。
これには観客ばかりか当のクゥ本人も驚き、思わず声を上げた。
「わたしを愚弄するつもりか!?」
撃って来いといわんばかりに竜機を停止させたユマに向かってクゥが叫んだ。だが、ユマはさらにクゥを促すように沈黙を続けた。
クゥは、先日ユマが自分に対して言ったことを思い出した。彼はクゥとトーラの試合に不公平があったと言っていた。トーラは自分の有利な距離にいたにもかかわらず、闘花冠を落としたクゥのために試合を一時中断した。クゥはそれに報いることなく弩発でトーラを倒した。
礼のある試合をするために絶好の機会を放棄したクゥに何も報いず、ユマがこのまま試合を続ければ、先の発言は欺瞞となる。
会場の誰もがそれを理解していなかったが、クゥにだけはわかった。そして、どういうわけか心中から笑いがこみ上げてきた。
この男は格好をつけているつもりらしいが、観客を煽動して先ほどのヌルとの試合を覆した時点で、姑息という他ないではないか。クゥは自らの未熟がそれを招いたことを十分に承知しているが、それでも心のどこかで納得できない部分もある。
そして、その身とフェペス家の命運が肩にかかっているクゥは、手加減などするはずもない。ユマがいかに見せかけだけのフェアプレーに走ろうとも、自分と闘技そのものを愚弄したという事実は消えない。
「砕け散れ!」
クゥの肩のあたりに風精が急速に集まり、一秒と経たずに竜機の先端に送られてゆく。ユマはその間、クゥと彼女の乗る竜機を食い入るように見ていた。
この時、刺客を撃退したシャナアークスが闘技場に顔を出した。彼女はこの光景を見るや思わず叫んだ。
「阿呆が……避けろ!」
竜機の口から凄まじい勢いで光の塊が放たれた。
先日のトーラ戦と同じように、竜機が粉砕される凄まじい音が鳴った。会場の観客達は思わず耳を塞いだ。
光王のすぐ近くにいたシェンビィ公の眼前に、砕けた竜機の破片が飛んできた。
「おおぅ――!」
シェンビィ公が思わず身をかがめると、彼の破片は急に勢いを失い、眼下に落ちた。光王を守護していた宮廷術士隊が杖を掲げて目に見えない壁のようなものを空気中に作り出していた。
突然のことに身を乗り出したファルケ・ファルケオロは、破片が光王に当たらなかったことを確認すると、何事もなかったかのように席に戻った。
「くく、老人が慌てふためいているな……」
彼女の隣に席していたガオリ侯がぽつりと呟くと、ファルケ・ファルケオロもシェンビィ公の狼狽振りが面白かったのか、わずかに口の端を曲げた。だが、席に着いたときにはすぐに普段の無表情に戻っていた。