第四章「怒発」(1)
■三章までの主な登場人物
・ユマ
本編の主人公。突然、異世界に迷い込むも、ローファン伯爵の娘アカアによって保護される。女闘士クゥの奴隷となったキダを救うために、竜機戦を受けるが、陰謀に巻き込まれ、シェンビィ公によって拷問を受ける。
・キダ
ユマの悪友。ユマと同じく、オロ王国に飛ばされるが、不運に見舞われ奴隷の身分に落とされる。自らの自由を勝ち取るために、ユマとともにクゥとの闘技に臨む。
・アカア・ヤム・ローファン
ローファン伯爵の娘。礼儀正しく、穏やかな性格だが、時々、貴族特有の酷薄な一面を見せる。
・リン
ユマにつけられたローファン伯爵家の使用人。
・クゥ・フェペス
闘花とあだ名される女闘士。ヤム家(ローファン伯爵家)に強い怨恨を持つ。
・シャナアークス・オルベル
ユマとキダに竜機の操作を教えるため、王宮から派遣された王宮名誉闘士。火術に秀でているが、ユマ、キダとの決闘に敗れる。
・ヌル
アカアの護衛。ユマを目の敵にしている。
・ローファン伯
ヤム家の当主でアカアの父。近年、勢力を拡張しているガオリ侯に接近している。何者かの暗殺を企んでいるようだが……
・シェンビィ公
三大貴族の一、シェンビィ公爵家の当主でフェペス家のかたを持つ。ユマに家臣を暗殺されたと誤解し、拷問にかける。
・ホルオース
フェペス家に仕える壮年の男。敵対しているはずのローファン伯と密談したことを、ユマに疑われる。
・ガオリ侯
シェンビィ公と対立する新興貴族。ローファン伯と交誼がある。
・エイミー
白髪赤眼の美少年で新興貴族のガオリ侯に仕える。金貨数枚という高価な箒を買うために市場に出るが、額が足りずにユマに金を借り受ける。
・クララヤーナ・シェンビィ
クゥの従姉妹でシェンビィ公の養女。精霊台における術法研究の天才。
・謎の声
ある日、ユマの脳内で言葉を発するようになった謎の声。闘争を忌むような台詞が多い。
これは夢の続きだ――と、ユマは思った。同時に、中々夢から醒めない自分を訝った。
にわかに降りはじめた雨の中で、二人の男がユマの眼下に平伏している。ユマは車上にいて、二人を見下ろしている。
一人はユマの父であり、もう一人の若い男の顔はよく見えない。
――息子を失いまして……
と、雨宿りのための小屋を貸した対価を受け取った父は、ユマに謝意をあらわした。
風が吹いた。ユマは思い出したように頭上の冠を触ろうとしたが、そこには何も乗っておらず、ふと、思い出したように眼下の若い男の手元を見た。
男は深い赤色をした布を両手ですくう様に持っている。
(闘花冠だ……)
胸が締め付けられるような感じがした。不安を覚えたユマは、リュウの名を呼んだがあたりには誰もいない。
再び眼下の男に視線を戻すと、男の手には闘花冠ではなく、細長い剣があった。
男は顔を上げずに恭しい仕草でユマに剣をささげた。
一瞬躊躇したユマだったが、剣を手に取った。
「お前は……誰だ?」
ユマは眼下の男に問うた。だが、男は答えない。
何度か繰り返したところで無駄だと悟ったユマは、視線を横にうつした。すると父が物寂しげに立ち上がり、顔を伏せたまま身を翻した。
――これから、どうするんだ?
そう問おうとしたユマの顔面が激しい勢いにうたれた。驟雨となった。
眼下でもぞもぞと動く何かがあった。ユマはそれを見たくないと思ったが、吸い寄せられるようにして視線をうつした。
瞬間、雷光が走った。
気づけば、眼下にいた男が立ち上がり、こちらを見ている。
(やはり、俺だ)
ユマと同じ顔をした男は剣を持っている。
彼は突然剣を横に寝かせて飛びかかってきた。
「死ね!」
自らの醜い断末魔を聞いたとき、全身が鋭い痛みに襲われた。
「うあっ!」
起き上がろうとしたユマは、全身を針で刺されたような感覚に思わず声を上げた。
「おお、目が醒めたか……」
首を動かさずに目だけを声のした方に向けた。少し離れた場所でシャナアークスが椅子に座っている。どうやら自分は寝台に寝かされているらしい。
シャナアークスは読みかけの本をぱたりと閉じると、おもむろにユマに近づいた。
「安心しろ。ここは私の家だ」
ユマは自分の思考の鈍さに違和感を覚えるとともに、シャナアークスが意外にも可愛げのある衣装で身を装っていることに気づき、しばらくの間それに見入っていた。
「どうかしたか?」
「いや、そういえば、俺は鎧姿のシャナアークスしか見たことがなかったな……」
アカアと違って黄色をベースにしたゆったりとした衣装だ。名誉闘士というだけあって、シャナークスの肌は日に焼けて赤黒く、体もやや筋肉質だ。だがそれでも良家の生まれだけあって、着るものが変わるだけで知的でふくよかな印象を受ける。
(この人はどこか変わったかな?)
それが服のせいなのか、ユマにはわからない。
「はは、名誉闘士の肩書きは昨日王宮に返上してきたから、もう鎧をつけることはあるまい」
シャナアークスは首をかしげるユマに向かって、これまでの非礼への詫びと王宮名誉闘士を辞めた経緯を語った。
(ああ、こういう女だったのか。キダはよく観てるよなぁ)
ユマは嘆息した。シャナアークスにはお世辞にも良い印象を持っていなかった。だが、初めて会った時から相性のよさを覚えたリンにまんまと騙されたのだから、ユマは改めて自分の両目が節穴であることを思い知った。この分だと、ユマが好感を抱いたクゥも実は大した女ではないのかもしれない。
「酷くやられたな。医術士が悲鳴を上げていたぞ」
シャナアークスは笑った。アカアが微笑むと一面の花畑から春光が香りたつようだが、シャナアークスのそれは豪快の一語に尽きる。だがこの時だけは竜胆が小さく首をかしげるように、どこか切なさを残したまま心に響くものがあった。アカアやクゥには美貌で劣るものの、よく見ればシャナアークスもきりりと整った顔立ちをしている。
(あの時、俺は鎧を見ていたが、キダは笑顔までも見ていたんだなぁ)
ユマはまた、己を嗤いたくなった。
「何だ。さっきから……」
ユマにからかわれていると思ったシャナアークスは、腕を組んでどっしりと背もたれに体重を預けた。
「いや、シャナアークス。助けてくれたのが貴方で助かった。まずはその礼を言いたい」
ユマにそういわれたシャナアークスはまんざらでもない顔つきになった。
「まあ、お前がクゥを叩き伏せるのが楽しみでな」
シャナアークスは頬をかきながら言った。だが、すぐに表情を引き締めた。
「……というより、私はシェンビィ公に会いに行っただけだ。何故かシェンビィ公が道を一人で歩いていて、それが突然お前に変わったから驚いた。お前が変化などという高等な術を扱えるとは夢にも思わなかったぞ」
エイミーによってシェンビィ公に化かされたユマのことを言っているのだが、口調の軽さとは違ってシャナアークスの目がすわっている。変化の術といえば秘法中の秘法で、既に失われた術であるというのに、ユマがそれを体現したということにただならぬ事を感じたからだ。
「いや、あれは俺がやったんじゃない……」
といったところで舌が強烈に痺れた。ユマは思わず呻きそうになったが、どうにかこらえてようと身をよじらせた。これを別な意味で捉えたシャナアークスは、
「傷が痛むのか。おい、お連れしろ――」
と、鈴を鳴らして室外で控えていた医術士を呼んだ。
白い装束に身を纏った老人が室内に入ってきた。ユマは病院の患者が着るような無地の白い衣に袖を通しているが、医術士はその上から手をかざして手足の傷痕にあてた。どこか熱っぽく、痛みがひいてゆくのがわかる。目を凝らしてみると、空気中に漂う精が老人の手のひらに集まり、ユマの体に注がれてゆくのが見える。
やがて手のひらがユマの喉元まで来たとき、老いた医術士が眉を動かせた。
「ふむ……」
と息をついた彼は、ユマの口元に触れた。
「口をあけていただけますか?」
ユマはそうしたいが、舌の痺れが口内に広がっており、声も上げられない。医術士が何度か問うごとにそれは酷くなり、やがて痺れが全身に広がって気が遠くなった。
当人にはわかっていなかったが、この時のユマの様子はひきつけを起こしたように全身が硬直し、血が出んばかりに歯を食いしばって白目をむいていた。
ユマは気を失ったわけではなく、かすかに意識があった。おぼろげな意識の中で、医術士とシャナアークスの会話が聞こえた。
「呪いですな。しかもかなり強力なものです」
「何の呪いですか?」
「わかりません。ただ、口内を通して精霊が他の魔方陣に繋がっておりました。その魔方陣を破壊すれば呪いは解けますが、これほど強力なものだとすると、人が媒介となっているに違いないでしょう」
「ユマに訊くしかないか……」
「恐らく無理でしょう。シェンビィ公の仕業だとすれば、他者に口外できるような生易しい呪いではありますまい」
シャナアークスのため息が聞こえた。
「ファルケに頼んでいただけますか?」
「お伝えしますが、その間は安静を保つようにお願いいたします。無理に解こうとすれば術が跳ね返り、ユマ殿ばかりか、術士にも危険が及びます」
シャナアークスは医術士に向かって丁重に挨拶し、彼を見送った。