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貴く翔べ  作者: 風雷
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第三章「舌禍啾々」(11)

 ユマのような小心者が、この様な状況で取り乱さずにいるのはどういうわけだろう。

 どこかの屋敷の地下の薄暗い部屋に、彼はいる。部屋というより牢獄といったほうが正しい。ユマは衣服を剥がされ、手足には(かせ)がはめられ、目の前のいかめしい男は鞭を片手に口の端を曲げている。あたりを見ると、見たこともない珍妙な機器が並んでいる。どうみても拷問に用いられる類のものだ。ユマがこれをみて顔を蒼くしたのは言うまでもない。彼は取り乱さなかったというより、自分の置かれた状況を信じられなかったというのが正しい。今でも心のどこかで、これは夢なのではないかと思っている。


「誰の指図でやった? 言え!」


 と、男は鞭でユマを打ち付けた。


「言うも何も、俺はたまたまあの場に居合わせただけだ」

「嘘をつけ!」


 再び激しい痛みがユマを襲った。皮膚が裂けるような痛みとともに、意識が飛びそうになる。あと、二、三回も打たれれば自分は失神するのではないか。


「嘘じゃない。俺はローファン伯の客人のユマだ。闘技場でクゥの試合を観て帰ったおりに、道端であの男が死んでいるのを見つけた。それだけだ」

「ローファン伯だと?」


 それみたことか――と、ユマは得意気な顔をした。だが、彼は先にフェペス家に対してローファン伯の名を出したことで大失敗した教訓を、ここで生かさなかった。生かしたところで、どうしようもない状況ではあったが。


「思い出したぞ。ヤム家の子犬が、闘花に喧嘩を売ったとかいうが、それがお前か?」


 繰り返すが、ヤムというのはローファン伯爵家の姓だ。


「察しがいいと、話が早くて良い。さあ、ローファン伯が怒る前にこれを外せ」


 ユマは、そこまで言った後、違和感を感じた。目の前の男から嘲笑にも似た声が聞こえた。


「主よ。この者は本当に無関係かもしれません」


 男は横を向いた。その先に一人の男が椅子に座っている。



 衣服から見て、貴人だろう。この家の主だろうか。

 先の死体より遥かにきらびやかな衣服だ。何より特徴的なのは黄金色の冠で、ローファン伯のつける二位冠よりも遥かに重厚にみえる。

 貴人の背は高く、ローファン伯ほど体躯に恵まれていないが、鋭い目元に引き締まった顔つきをしている。峻厳であると言ってもよいほどに威がある。髪の色はやや茶を帯びていて、流れるように潤っているのは、貴人が身だしなみに気を使っているのだろう。貴族であれば当然だろうが。


「さて、どうであろう。この者が本当に刺客であれば、ローファン伯はよほどの間抜けというべきだが、あの男がそんな軽佻なことをするか。しかし、さて……」


 貴人は薄ら笑いを浮かべた。声は決して低くはないが、腹に響くような強さがある。それはユマに悪寒を感じさせた。


「誰だ、あんたは?」


 ユマは気圧されるのを拒絶するようにして言い放った。

 鞭が飛んできた。


(ヤバイ、思ったよりずっと痛ぇ)


 シャナアークスに散々鞭で叩かれたが、彼女が随分と加減していたことに気づいたユマが、呻きとともにそんなことを思っていると、貴人が目で鞭を持った男を制した。


「おい、黴髭(かびひげ)


 鞭の男はユマのことをそう呼んだ。うっすらと生えたユマの髭をみて、黴のようだと言ったのだろう。


「こともあろうに、シェンビィ公爵さまに向かって、その口利きは何だ?」


 と、男は鞭の柄で、ユマの顎を突き上げた。


(シェンビィ公爵……)


 なるほど――と、ユマは思った。道で死んでいたのはシェンビィ公の身内だろう。その犯人と疑われているのが自分で、しかもシェンビィ公と対立しているガオリ侯に近しいローファン伯の名を出したので、彼らは驚いたのだろう。

 同時にユマは、


(助かる)


 とも思った。彼はクララヤーナのことを思い出した。闘技場で彼女と会ったことが、アリバイにはならないだろうか。シェンビィ公爵の家人を殺すともなれば、よほど綿密に計画すべきことで、刺客は昼夜標的を監視するものだから、ユマが闘技場で起こした事件を知れば、彼が暗殺者であるということが不自然になる。自分がただの闖入者(ちんにゅうしゃ)であることをこの者たちにわからせれば、それで自分の無実を立証できるのではないか。

 それにいざとなれば、ホルオースの名を出す覚悟がユマにはある。ユマは心中で、暗殺者はホルオースであると断定しており、彼がローファン伯に取り入ってフェペス家を売り渡す魂胆であると知れば、シェンビィ公も心中穏やかではないだろう。だが、それを言えば、ユマはローファン伯の陰謀をさらけ出すことになり、それは自分を拾ってくれたアカアへの恩を仇で返すに等しい。ホルオースの名を出すのは最後の手段だ。

 ユマはまず、クララヤーナの名を出した。すると、案の定、シェンビィ公の顔色が変わった。


(脈がある)


 と、ユマは内心安堵の息をついた。これ以上、鞭で叩かれれば自分がどんな醜態をさらすかわからない。


「クララヤーナに会ったということは、貴様の標的が最初は我が娘であったということだ。衆目をはばかり、娘の暗殺を諦めた貴様は、第二の標的として我が家臣を殺した。違うか?」


 ユマは耳を疑った。どこをどうとればそのような曲解が出来るのだろう。猛然と反論しようとしたユマが、シェンビィ公の目を見たとき、凍えるような冷たい眼光にさらされた。


(あ、そうか……)


 ユマは、身の毛もよだつような想像をしている自分を、どこか冷めた目で見ていた。


 シェンビィ公にとって、ユマが彼の家臣を暗殺したかどうかは実はどうでもよく、彼にとって重要なのは、ローファン伯爵家の者が――もっと言えば、ガオリ侯の勢力下にある者が、暴挙に走ったいう事実があればそれでよいということだ。先のユマの発言は、シェンビィ公にとって好餌(こうじ)でしかない。シェンビィ公は家臣の死を利用して、ガオリ侯を粛清しようとしている。ユマはまた、自ら進んで政争の道具となってしまった。


(俺ほどの間抜けが、この世に二人といるか)


 ユマは自分の思慮の浅さと、運の悪さを呪った。先に心中の声が言ったように、やめておけばよかったと、猛烈に後悔した。


「試合が終わるまでに自白させよ。多少、強引に責めてもかまわぬが、決して殺すな」


 シェンビィ公はそれだけ言い残すと、その場から去ろうとした。ユマにはそれが、この世との永訣(えいけつ)であるような気がした。このままシェンビィ公が去れば、彼は二度と自分の前には現れない。これより先で自分を待っているのは地獄の責め苦であり、理不尽極まりない冤罪であり、そんな中で自分が死んでゆくのは耐えられない。

 ローファン伯はユマがシェンビィ公に監禁された事実を早々と知るだろうが、まさかユマに陰謀の一端をつかまれているとは思っていない彼は、わざわざこの遠来の客人を救出しようとは思わないだろう。

 ユマがローファン伯でも、必ず今のユマを見殺しにする。彼にとってユマは客人に過ぎず、身内ではないから、何とでも白を切れる。ただ、世間はそう見ない。このままユマが処罰されれば、世間はシェンビィ公に同情し、卑劣な暗殺を企てたローファン伯を憎むかもしれない。

 さらに自分の死後に、罪を問われたローファン伯爵家が滅ぼされるかもしれない。そうなれば、アカアも死ぬ。ユマは下劣な策謀をめぐらせたヌルやローファン伯がどうなろうが興味ないが、リンや、リュウや、ホウが、自分の軽薄な行動のせいで連座させられるとしたら、今にもその罪悪に心が潰れてしまいそうになる。


「待て! あの場にいた奴が他にもいる。そいつに不審を感じて追う内に、俺は道に迷った」


 ここまで来れば、もうホルオースの名を出すしかない。ここでホルオースの名を出すことで、ローファン伯爵家が助かるわけではない。ホルオースに罪を着せて助かるとすれば、ユマ一人だ。だが、それを行えば、ユマはローファン伯爵家を売ったことになる。

 シェンビィ公はユマを拷問して自白を強要するように言いつけたが、逆に言えば、ローファン伯に罪を着せるためには、ユマの自白が必要ということだ。ユマが拷問に耐え抜けば、それも出来るかもしれないが、残念ながらユマにはその自信はない。


(アカア……許してくれ)


 事態は、もはやユマ一人の手に負えない大事に発展している。そんな中でユマが出来ることといえば、自分の命を守るくらいしかない。最悪の事態になれば、シェンビィ公にアカアの助命を懇願するしかない。シェンビィ公が駄目ならクララヤーナを説くつもりだが、彼女は元はフェペス家の娘であり、家臣の暗殺にフェペス家が関わっていたと知れば、シェンビィ公はクララヤーナの言葉に耳を傾けないかもしれない。アカアの命運に関しては、既にユマの手に余ると思ったほうがよい。ユマにとっては、それがどうしようもなく、情けなく、そして悲しい。運良く生き延びれば、ローファン伯爵家が激烈な政争の渦と化す前に、アカアを連れて逃げようと思った。その前に自分が殺されれば、己の不運を嘆くしかない。


 シェンビィ公が立ち止まった。ユマの話に興味を抱いたということだろう。


「ほう、続けろ」


 ユマは(わら)をつかむ思いで、口を開いた。自分が助かるためには、真実を言うしかない。


――貴方の家臣を殺したのは、フェペス家のホルオースだ。


 と、言おうとしたとき、舌に強烈な苦味を感じた。それは次第に(しび)れとなり、ユマから声を奪った。


「あ……くっ……」


 ユマは、今起こっていることが理解できない。

 舌が思い通りに動かない。それを言葉に詰まったと解釈したシェンビィ公は、


「ふん、でまかせか……」


 と、言い捨て、その場を去った。


(俺は、死ぬのか。アカアや、リンや、リュウたちを巻き添えにして……俺は、何だったんだ。災難をふりまくためだけに王都に来たのか)


 ユマの目に怪しく光る赤さが灯った。シェンビィ公に拷問を命じられた男が、焼き(ごて)を手にしている。


「声よ。誰かの声よ。さっきは俺が悪かった。だから助けろ。助けてくれ!」


 悲鳴にも似た叫びに答える者はなく、やがて、それは絶叫に変わった。

 気が狂うような熱さと、自分の肉が焼け焦げる臭いに、ユマは気を失うことすら許されず、苦しみ続けた。


「お前はローファン伯に命令されて、我が家人を殺した。そうだな?」


 と、問いかけられても、はい――と答えようとすれば舌が痺れ、頷こうとすれば痺れが喉の奥にまで及んで窒息しそうになった。ユマの精神は既に拷問に屈しているのに、体だけがそれを拒絶していた。

 ユマは、ふと、キダの(かかと)にかけられた(まじな)いを思い出した。だが、思考が何かを繋ごうとする度に、神経が焼ききれるような激痛に襲われて、頭が真っ白になった。


(何故、俺は狂わないのか……)


 終わることのない苦痛に、ユマはいつの間にか自我の崩壊を待ち望むようになった。


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