第三章「舌禍啾々」(5)
人の寿命を知り得る人などいないように、術士としての寿命を知るものなどいない。その例外がクララヤーナだが、彼女は、自分にしかわからない眼前の勝負の行方を、目の前の男が言い当てたことに衝撃を覚えた。
(この男も見えるのかな?)
だが、話してみると、男は術に関する知識が全くと言ってよいほどなく、しかも、考えがどこかずれている。それもそうだろう。わざわざ闘技場に足を運んでおいて、人を殺すことに文句をつける。それが嫌ならば、この場を去ればよいだけの話なのに、男はそうせず、不機嫌なまま、闘技場を見下ろしている。
このフードを深くかぶった男――ユマは、饒舌なようにも見えるが、言葉を飾るということをしない。それだけに、放つ言葉の所々に棘がある。それを不愉快に感じるときもあるが、会話を重ねてみると、相手を害そうという悪意が感じられないことに気づく。言葉を競う道具にしていないのだ。
ユマが去らないのは、クゥの試合を観に来たのだろう――と、クララヤーナはあたりをつけた。二人の関係がなんであるのか、興味の湧いた彼女は、クゥが入場した瞬間も闘技場の方を見ず、ユマの表情の変化を眺めていた。万が一にもないだろうが、彼がクゥの恋人であれば、面白い。シェンビィ公爵家の三男は確かに良く出来た男だが、人間としての面白みに欠ける。クララヤーナの幼さでは、まだそこまで考えが及ばないが、あの退屈な男が婚約者を寝取られてどんな顔をするのか、知りたくなった。
ユマの顔が一瞬、明るくなった後、すぐに視線を落とし、それは暗く沈んだ。歓声の大きさと半比例するようでもあった。
クララヤーナはこの時、クゥと知り合いだと言ったユマの言葉が、嘘であるような気がした。
「さてはあなた、クゥが好きでここまで来たんでしょう? でも駄目よ。クゥはあなたなんかに振り向きはしないわ。それに彼女、婚約しているもの」
「俺は、そんな顔をしてたかな?」
「ええ、してたわよ。鼻の下伸ばして……気持ち悪くて吐きそうだわ」
クララヤーナは意地の悪い笑みを浮かべた。どういうわけか、少女はこういう表情をしたときが最も美しく見える。とはいえ、ユマに童女趣味があるわけではない。ただ、彼女の容姿が大人びているだけだろうか。
ユマはクララヤーナという娘に不思議を感じた。
――ヤムの犬め!
と、自分を罵ってきたフェペス家の者達と比べても、彼女はずっと自由に生きている気がする。
「ところで、これはただの興味本位なんだが、フェペス家とローファン伯爵家はどうしてあんなに仲が悪いんだ?」
ユマは思い出したように、両家の関係についてきいてみた。
「ああ、クゥの次の対戦相手のことね。よりによってローファン伯から喧嘩をふっかけてくるなんて、正気とは思えないわ。お陰で王都中、その話で持ちきりよ」
そのローファン伯とて、予期せぬ事態だったに違いない――とユマは苦笑したくなったが、考えてみれば闘技試合を提案したのはクゥの方だろう。クララヤーナはその事実を知らないのだろうか。
「その持ちきりの話を、どうやら俺は聞き逃したようだ」
何度か街を歩いてみたが、クゥとの試合の噂を聞くことはあっても、両家の因縁については耳にしたことがない。ユマが問わなかっただけだが、エイミーの一件をのぞけば常にローファン伯爵家の者が傍にいた都合、軽々と切り出せるものではなかった。ローファン伯爵家で最大の禁句である「ティエリア・ザリ」という名に触れてしまいそうだったからだ。クゥとの試合を控えて、竜機の操縦に全てをかけなければならない都合、情報収集が疎かになった。
「いいわ、教えてあげる。あなた友達がいなさそうだもの。もう試合が始まるからかいつまんで話すけど、要はローファン伯がフェペス家の宝を奪おうとしたのよ。フェペス家には代々『盲のエメラルド』っていう家宝があったのだけれど、今のローファン伯が若い時にフェペスの娘を誑かして家宝を手に入れようとしたの。もちろん、それはばれて両家の関係は悪化し、ついには血を見ることになった。敗北したフェペス家は領地と家宝を失い、勝ったローファン伯は勢力を拡大した。フェペス家の者はみんなローファン伯を目の敵にしているわ。だから、今回の試合はローファン伯のフェペス家に対する嫌がらせでしかないのよ……」
「嫌がらせねぇ……」
クララヤーナは生家の災難をまるで他人事の様に話す。彼女の声から微塵の憤怒も悲哀も伝わってこないのは、彼女自身が完全にシェンビィ公爵家の人間であることを証明している。クゥに対してはあからさまな好意をみせているだけに、クララヤーナの過去を知らないユマは、彼女のこの態度をはかりかねた。
「宝石欲しさに紛争を起こすとは、ローファン伯の評価を変えるべきかな……」
ローファン伯に興味があるような素振りを見せることで、クララヤーナのこの家への反応をみたかったユマだが、あてが外れた。
「宝石って何のこと?」
「え、いや、何とかのエメラルドって、宝石じゃないのか?」
「盲のエメラルドよ。旅人でもオロの建国神話くらい知ってるでしょう?」
「ああ、それだ。(そういえば、アカアが何かで話していたな……)」
「どうして宝石が家宝になるの?」
「なるだろう。全部が全部そうじゃないけど……」
クララヤーナはユマの言うことが全く理解できない様子で、何度も首を傾げ、ついにはまじまじとユマを見て言った。
「あなた、変わってるわ。本当に変わってる」
「悪かったな。じゃあ、後学のためにも解答をくれると助かるね」
「やっぱり変わってるわ。貴族が家宝を簡単に外に漏らすはずないじゃない……」
外に漏らす――と聞いて、今度はユマが首を傾げた。武家が武術の奥義を一子相伝するように、この国の貴族達は魔術の奥義を代々伝えてでもいるのだろうか。
そのことをクララヤーナに問うと、
「いやよ。もう試合が始まるわ、お上りさん」
と、にべもなく会話を切られた。
「会場の皆様、お待たせいたしました」
一人の男が闘技場の中心で語りを始めると、闘技場全体が水をうった様に静かになった。彼はいくつかの口上を並べた後、試合を待ちかねている観客の高ぶりを察したのか、早々に闘士の紹介に入った。
「太古、この世は巨大な竜が支配しておりました。巨竜の口から大地が生まれ、翼は天を覆い、夜空となりました。夜空に浮かぶ星々は、太古の勇者が竜の翼を射た痕であると言われております。空にあいた光の穴を『リ』と言い、竜の翼を射抜いた矢を『ヴォン』と言います。我々の祖先は勇者の血を絶やさないように、最も星の見える場所に国を作りました。それから幾星霜、しかるに未だ、勇者の血は絶えておりません。今宵もまた、竜の翼を射るにふさわしい二人の猛者があらわれました。西門から入場しますは、ここまで怒涛の五連勝、早くも『崩龍』と異名されております、土術闘士トーラ!」
ユマは空を仰ぎ見た。いつの間にか、西の方が赤らみ、今にも日が沈もうとしている。
観客席から見て、右手から竜機に乗った闘士が登場した。彼もそれなりに人気のある闘士なのだろう。歓声と拍手で出迎えられた。
「さて、お待たせいたしました。剣下に花あり。その美しきは、すなわち妖なるかな。闘花クゥ・フェペス――!」
クゥが手を上げると、会場が大波をかぶった様になった。鼓膜が破れんばかりの歓声だ。
試合が始まった。