第三章「舌禍啾々」(4)
クララヤーナには、天才としか言いようのない素質がある。
彼女自身は術士としての素養は全くない。それにも関わらず、シェンビィ公がクララヤーナを養女にしたのには、彼女が幼くして美貌であることの他にも、理由がある。
今のフェペス家当主はクゥの兄である。といっても既に壮年で、父である前当主の晩年に生まれたクゥと、歳が十以上も離れている。クララヤーナの父は前当主の弟で、若くして亡くなったために、この幼女をフェペス家当主があずかることになった。
クララヤーナは幼い頃から感じやすい娘だった。
夜中に突然跳ね起きては見えない何かに怯え、人と話すときも、その人を見ず、やや上を見ていることから、家人からも気味悪がられた。
今でこそシェンビィ公爵家とは比べようがないが、フェペス家は上級貴族に劣らぬ優秀な術士を輩出してきた名門である。だが、最近はめっきりふるわず、最後に高名な術士を輩出したのは三代も前のことだ。近年、クゥが闘技場で名を馳せているが、彼女は術士としてよりも、優れた容姿と武技で名を上げたと言ってよく、成績は良いが王宮名誉闘士の誉れを受けるに至っていない。この点、ユマとキダを教えたシャナアークスの方が、クゥよりも上位の闘士である。勿論、人気の点では完全にクゥに軍配が上がる。シャナアークスがクゥを嫌う理由はここにあり、彼女の底意地の悪さで片付けてしまうのは、いささか忍びない。
怯えるように生きていた従姉妹を見かねたクゥは、ある日、シェンビィ公爵主催のパーティーに彼女を連れ込んだ。
王国最高の権威である公爵開催のパーティーにもなれば、豪奢をきわめる。異国の華やかな衣装や、辺境の珍味を楽しんだクララヤーナは、この日ばかりは表情に明かりを取り戻した。十五歳にも満たない二人の少女が、背伸びをするようにして大人たちの間をすり抜けて行く姿は、見る者の微笑を誘った。
だが、クララヤーナが突然立ち止まって口にした言葉が、彼女の運命を大きく変えた。
「ああ! 消える。消えてるよ。おじちゃん。死んじゃう。死んじゃう」
クゥは噴き出した汗で背中がびっしょりと濡れるのを感じた。クララヤーナの指差す先にいたのは、引退したシェンビィ公爵家の前当主だった。クゥは滑り込むように彼の前に跪き、陳謝した。子供の戯言ということで、その場は収まった。
クララヤーナの突拍子のない行動に驚いたクゥだったが、数日後に、それは驚愕に変わった。
シェンビィ公爵家の前当主が急逝したのだ。
この訃報に、フェペス家が小さく波打った。
フェペス家当主は元来小心な男で、クララヤーナの戯言が現実となったことに不気味さを感じるよりも、
――呪いをかけたのではないか?
という疑いをかけられる事を恐れた。オロ王国では、人を殺すほどの強力な呪術は開発されていないが、それより疑いをかけられることのほうが恐ろしい。勿論、この手の呪法は研究しただけで死罪に値する。
フェペス家当主は顔をひきつらせたまま、弔問に出かけたが、シェンビィ公は彼を厚くもてなし、今後も両家の友好な関係を約束した。
(はは、気にしすぎたか……)
帰宅後にひとりで苦笑したフェペス家当主だったが、シェンビィ公はクララヤーナという娘を確かに憶えていたようで、前当主の喪が明ける頃、フェペス家に使いを遣った。
「クララヤーナを養女に迎えたい」
使者のこの言葉に、フェペス家当主は首を傾げた。
両家の友好のために、彼女を養女に出すというのは悪くはない。だが、何故養女なのか。シェンビィ公の子にクララヤーナを嫁にやるというのであれば理解できる。そういえば、シェンビィ公には娘がいないようだから、他家との交誼を深めようとした彼が、嫁にやる娘を欲しがったということか。だとすると、クララヤーナはシェンビィ公爵家に留まらず、こちらとしては、両家の紐帯を確かにする上で得るものは少ない。だが、無下に断ればシェンビィ公の機嫌を損じかねないので、フェペス家当主はしぶしぶ諒解した。
このことはクゥの知らぬところで決められたことで、クララヤーナが養女に出されると知った彼女は烈火のごとく怒り、兄を諫めた。
「クララは精霊と話せる娘です。どうして他家にやったりするんですか!」
妹が物凄い剣幕なので、フェペス家当主は彼女をなだめるような口調で言った。
「シェンビィ公の頼みだ。無下には出来んよ。それに、精霊と話せる者などいるものか」
それでもクゥは引き下がらず、しつこく諫めてきたので、さすがに機嫌を損ねたフェペス家当主は叱声を落として彼女を下がらせた。
(やれやれ……あのじゃじゃ馬も、そろそろ婿を決めねばなるまい)
クララヤーナをシェンビィ公の養女に出すと同時に、シェンビィ公の三男とクゥとの婚約を取り付けたフェペス家当主は、
(どうだ。これでクララとしばらくは一緒にいれるだろう)
と、密かにクゥのために配慮したつもりだったが、彼女はそれを意に介さずにクララヤーナを家に戻すことを主張した。
異能とも呼べるクララヤーナの才能に気づいたのは、フェペス家ではクゥただ一人だったが、シェンビィ公爵家でもクゥと同じように、クララヤーナに注目した人物がいた。亡くなった前当主だ。
彼は息を引き取る直前、シェンビィ公にこう言った。
「フェペス家の童女を手に入れろ。あれは一家に繁栄をもたらす。我が家だけがそれを享受できるようにするには、妻に迎えるのではなく、養女にしなければならない」
遺言である。シェンビィ公は最初、父の言った娘が誰かわからなかった。だが、調べるうちに、それが父の死を予言した娘であると知り、興味を持った。
クララヤーナは術の才能に全く恵まれない娘だったが、フェペス家当主の妹であるクゥだけが、クララヤーナの才能をかっているらしいことがわかった。
「精霊と話す娘か。面白そうだ」
シェンビィ公とて、この話が断られれば無理に進めるつもりはない。だが、フェペス家の返答は「諾」だった。
クララヤーナと会ったとき、シェンビィ公は彼女の持つ空気が周囲の人間と隔絶していることを見抜いた。シェンビィ公爵家は優秀な術士の家系だ。彼自身もそうであるから、術士の目で見たクララヤーナが既に異様であったといえる。
(これは、大魚を得たかもしれん。落ち目の貴族はつくづく運がないな)
クララヤーナのような才能が生まれながら、それに気づくこともなく、他家にやってしまう。衰えるということは、他者によって衰えるのではなく、自らそうなるのだ――と、シェンビィ公は自分に言い聞かせた。
シェンビィ公爵家の養女となったクララヤーナは、術の研究において大陸最高の権威である精霊台に通うことを許された。それを知ったときのフェペス家当主は大いに後悔するかと思えば、そうでもなく、
「シェンビィ公に恥をかかせなければよいが……」
と、未だにクララヤーナの才能に気づいていなかった。ただクゥだけが唇をかみ締めていた。彼女はシェンビィ公の三男との婚約も快く思っていないらしく、それに反抗するように武技に手を出した。クゥが闘士となるのは、これより少し後の話だ。
クララヤーナには、あらゆる精が寄り付かない。火精、風精、土精……言葉を司る源精以外の全てが彼女を拒絶するようにして、一切の術を起こさなかった。
彼女の才能とは、ただ、視ることだった。
クララヤーナには精霊の全てが見えた。空気中に火精が発し、力を伴って風精に変化する様を、優秀な術士が声を失うほどの正確さで語った。彼女は精を操ることはできないが、術の分析に関して、比類なき才能を見せたのだ。
だが、精霊台の中でも、クララヤーナはやはり特異であり続けた。今まで人の視線を恐れるようにして生きてきたが、今は違った。王をのぞけば誰よりも尊い公爵家の娘であるという事実が、今まで天であったものが地となり、地であったものが天となるに等しい感覚を彼女に与えた。
身を守るために臆病であり続けた者が、恐怖から開放されたのだ。もはや自分を害するものなどいないと知ったクララヤーナは、幼くして豹変した。