第二章「闘士衝冠」(14)
「避っ!けっ!ろぉ――!」
時が止まったようなユマを見かねて、キダが思い切り操縦桿を倒した。竜機は崩れ落ちるように傾き、シャナークスの火尖を避けたが、焼き鏝のようになった槍は蛇のように起動を変え、更にユマたちに襲い掛かった。
キダは、竜機の上半身を半回転させ、左手に残った槍をシャナアークスめがけて放った。
二、三秒の間にこれらの全てが行われた後、ユマは我に返った。
キダの放った槍はいとも容易く跳ね返された。
「うぉっ!」
思わず身をよじったユマのこめかみをかするように、槍が地面に突き刺さった。既に竜機は仰向けに倒れ、ユマとキダは操縦席にしがみついている。
「終わりだ」
と、シャナアークスが言ったのかどうか、ユマには聞き取れなかった。ただ、彼女がとどめの一撃を繰り出そうとしたとき、死を覚悟したユマの身に奇妙なことが起こった。
地面に吸い寄せられた。
ユマは最初確かにそう感じた。だが、次に感じたのは違った。竜機が沈んでいる。固い地面に沈んでいる。
(違う……)
よく見ると、竜機の表面がどろどろと溶け出している。粘土のように弾力をもった何かに変わり、しかもそれは生き物のように小さく蠢いている。キダはこの手のものが苦手らしく、顔を青くしていた。火尖がいつ襲い掛かってくるかわからないから、それもあったのかもしれない。
突然、槍を振り上げていたシャナアークスが下がった。ユマが気づかない間に、自分の竜機が彼女の方に手を伸ばしたのだ。初めて、竜機が人の意思にない動作をした。シャナアークスの驚愕の表情を見るに、これは彼女にとっても全く未知の現象であるらしい。
――まるで墓じゃな。おお、死した愚者どもが蠢いておるわ。何というおぞましさか!
何者かの声に、ユマははっと思い出した。ホルオースがかつて言ったことだ。
――内部は魔灰と呼ばれる土が塗られております。魔灰は精霊の死骸ともいわれていて、念じて魔力を送れば、動きます。
今蠢いているものは、魔灰ではないのか。竜機の外装はそのままであるのに、魔灰(らしきもの)が内から飛び出ている様にも見える。では、この現象は何なのだろうか。心中の声が死した愚者と呼んでいたのは魔灰のことではないのか。
「精霊……」
ユマの耳はシャナアークスの呟きを確かに捉えた。精霊とは何か。源精は精霊ではないのか。それに、アカアの話ではこの国の人間は某精と呼ばれるものに人格を認めていない。これは直感に過ぎないが、目の前の現象からは意思のようなものを感じる。
一度に多くのことを考えすぎて頭が朦朧となり始めたユマを呼び覚ましたのは、またあの声だった。
――何をしておる。さっさと起きぬと、全部土に持っていかれるぞ。
ユマは声の命じるままに竜機を起こした。この間、無防備であったが、シャナアークスは攻撃してこなかった。どういうことかはわからないが、彼女の驚きはユマの比ではないらしい。
竜機を立たせたとき、何かの力が急速に奪われていくのを感じた。生気とでも言うべきだろうか、竜機全体から放たれる騒がしさが消えた。だが、外観は先ほどとは変わっていない。
――ぐずぐずするから、魔力がほとんど奪われてしまった。
ユマはもう、何者かの声に疑問を挟むことをやめた。実際、それどころではなかった。
ユマの脳内に強烈に流れ込んでくる何かがある。
(これは、意思か……)
人にあらざる者の意思、それをアカアは妖怪と言ったことを思い出した。その流れは激流に似ているが、流れに乱れはなく、どことなく清らかな感覚がした。
ユマの全身に、水をうった様な音が響いた。
刹那、物凄い勢いで流れてゆく意識の中で一つの情景が浮かび上がった。
湖畔に腰を下ろし、髪を洗う老婆。だが、白髪は精気を失っておらず、口元は年頃の女のものだ。ただ、彼女の目を覗き込んだとき、恐ろしいほどの静けさがあり、それはユマに死を連想させた。
ユマはうっすらと目を開けた。とはいえ眠っていたわけではない。自分の中の何かが開いた。
世界が、豹変した。
空気が輝いている。その輝きの一つ一つが、魔力とか精とか呼ばれるものなのだろう。地面は大らかに波打っていた。空気中の光はそれに取り込まれ、死んだように光を失う。
ユマの目は、眼前の敵をとらえた。
シャナアークスの火尖は、驚くべき輝きを持っていた。だが、その輝きはどこか荒んでいる。
(光が……逃げて行く?)
彼女を中心に光が集められ、それが竜機を通じて槍へと送られてゆく様が、ありありと見える。だが、槍に集まった光は力を失い、急激に暗くなる。
――力の使い方をわからぬ小娘よ。槍を振るう分だけ、精霊に嫌われてゆくのに気づいていない。
心中の声に励まされるように、ユマは竜機を動かした。横でキダが何かを言っているが、意識がおぼろげで、よく聞き取れない。
ユマはキダをなだめるように言った。
「大丈夫、勝てる……」
ユマはゆっくりと操縦桿を倒した。すると操縦桿は雪の様に溶けて消えた。それでも竜機は進んだ。
気づけば、シャナアークスの放った火尖が眼前にあった。ユマは心の中で小さく背伸びをした。竜機は腰を沈めていた状態から直立した。火尖が竜機の腹を突いたとき、ユマは腹の底が熱くなった。刺すような痛みを感じるとともに、それまでゆっくりであった世界が急速に回り始めた。
ユマの竜機を突いた槍は、何の手ごたえもなく、その胴を貫いた。接触の間際、シャナアークスは火尖の先から炎が消え、ユマの乗る竜機の腹が水面のように波打っているのが見えた。
(東方の術士……)
これまで、シャナアークスはユマが術士であるとは微塵も思わなかった。教えてみて、彼らが魔術とは全く無縁の半生を送ってきた事を確信していた。だからこそ、ユマがシャナアークスにとって未知の力を見せたことが驚きだった。
シャナアークスは槍を引き抜こうとした。だが、ユマの乗る竜機は既に波打つことを止め、冷たい金属の塊に戻っていた。
空いたもう一方の槍を動かそうとしたとき、ユマの残った片腕に妨げられた。こうなればもう、竜機戦は佳境だ。互いの竜機に乗り移り、白兵戦が始まる。
(よくぞここまで抵抗してみせた)
互いに剣を帯びており、相手は二人だが、どう考えても闘士のシャナアークスに及ぶはずがない。ユマが奇妙な術を使ったようだが、それでこちらが被害を受けたわけではなく、依然として状況はシャナアークスに有利なままだ。シャナアークスにとって、もはやこの勝負は終わったに等しい。
また、シャナアークスが腰にさした剣は、オルベルと呼ばれる宝剣である。真っ赤な刀身には呪力こそ込められていないが、たとえ魔剣でなくとも、切れ味はそこいらの名剣を凌駕する。
いざ――と、シャナアークスが腰元の剣に手をかけたとき、違和感を感じた。
(キダがいない!)
ユマの後部に座って竜機の腕部を動かしているはずのキダの姿がない。確かにシャナアークスの視線は、ユマの乗る竜機の腹部で起こった奇妙な現象に釘付けになっていたが、互いが接着し、格闘を始めてからまだ二、三秒しか経っていない。その間にキダが消えた。格闘する際の衝撃で振り落とされたのだろうか。
シャナアークスは、首元に冷たい感触を覚えた。仰げば、喉元に剣を突きつけていたのは、消えていたキダだった。いつの間にこちらの竜機に飛び乗ったのか。
(全部ユマがやっていたのか……)
何度も繰り返すが、ユマの乗る竜機は二人乗りだ。脚部の操作を機と言い、ユマが担当していた。対して上半身の操作は竜と言い、キダの担当だ。キダがこちらの竜機に乗り移ったのは、どう考えても最後に竜機で格闘する以前だろう。ともなれば、最初から(あるいは途中から)ユマが竜と機の両方を担当し、キダはこちらに乗り移ることだけを狙っていたことになる。練習もなしに出来ることではない。
シャナアークスは、ここ二日ほどのユマたちの操縦がおぼつかなかった理由をここで知った。彼らは互いに単独で竜機を動かせるように練習していたのだ。確かにユマは妙な術を使ったが、それは直接の敗因ではない。この試合での決定打は、激突の際にキダがシャナアークスの竜機に飛び移ったことと、それをシャナアークスが予知できなかったことだ。シャナアークスが彼らを侮らなければ、キダが消えたことに気づいたはずであり、ユマは、いくつかのハプニングがあったにしろ、当初の目的どおり、秘策でシャナアークスに勝ったのだ。
シャナアークスは既に勝ったつもりでいたキダを一睨みすると、
「首を刎ねないのなら、最初から剣を向けるな!」
と、叫んだ。だが、キダは物怖じするどころか、かえって切っ先を強く押し付け、険しい口調で言った。
「わからないのか? お前は今、お情けで生かされているんだ」
シャナアークスは何かが切れる音を聞いた。彼女が足を踏み鳴らしたとき、竜機が大きく旋回し、キダが振り落とされた。
怒り狂った彼女が闘士の誇りを捨てる前に、再度、勝負がついた。
ユマの竜機が物凄い力で動き、残った腕で、シャナアークスの竜機の持つ槍をへし折った。シャナアークスが振り返るより早く、折れた切っ先を手にしたユマの竜機は、彼女の頭上を衝いた。シャナアークスのつけた闘士賞冠が千切れ飛んだ。
振り返る間際、彼女は死を予感したのだろう。その証拠に、もはや抗うことをしなかった。
「まさか……まさか……」
シャナアークスは剣を抜きかけたまま、しばらく呆然としていた。
地面に尻餅をついていたキダが起き上がると、ユマも竜機を飛び降りた。ユマがキダに駆け寄ると、二人は勢いよくハイタッチした。
しばらくの間、闘技場内に彼らの歓声が響いた。
二章「闘士衝冠」了
三章「舌禍啾々」へ続く