第二章「闘士衝冠」(13)
さほど広いとは言えない闘技場を、砂煙を上げて二機の竜機が駆ける。
シャナアークスの駆る竜機は踵から火を噴いている。彼女の気性も相合わさって、猛犬が唸るようでもある。対してユマたちの竜機は自ら車輪を生成し、地面を滑るように移動する。初速ではシャナアークスの方が勝るが、車輪が生み出す曲線の動きは、一度速度を上げれば風術士の駆る竜機に匹敵する機動力を持つに至る。
広い平原で戦うのならば両者は互角と言えるが、闘技場の広さは限られている。速度を上げるまでの間、シャナアークスの攻撃をしのがねばならず、また減速も許されない。ましてや転倒するなどもってのほかだ。
「いけるか?」
と、キダがユマの肩を叩いた。ユマの緊張をほぐそうと思ったのだが、意外にもユマは落ち着いていた。キダは安心するよりもかえってユマの静けさを不気味に思った。
頭に血が上っているように見えたシャナアークスは、ユマの立ち上がりを攻めることはしなかった。
「馬鹿にしてやがる……」
キダが唇を噛んだ。シャナアークスの容姿に魅せられたとはいえ、彼女の不遜な態度が気に入らないのはユマと同じらしい。
「いや、さすがだな。怒ってはいても、我を忘れたりはしない」
シャナアークスの緩慢さは、こちらを侮っているというより、ユマには彼女が自分の怒りを静めているように見える。なにせ王宮から認められるほどの闘士だ。三下に挑発されたくらいで頭に血が上る程度の者であるはずがない。
だが――と、ユマは思う。
ここ数日、彼女と手合わせしてわかったが、シャナークスの戦いは先手必勝の一言に尽きる。火術闘士という類が、この型なのだろう。溜めた力を一気に放出して竜機を動かす彼女に勝つには、彼女の意思を一箇所に留めないようにし、力を発揮する前に倒すしかない。技量でも力でもこちらが劣るのである。まっすぐに突っ込んでくる彼女を、どうやっていなすか。
ユマは壁際を大きく回りながら、シャナアークスに近づく素振りを見せない。百戦錬磨の彼女に下手に攻撃を仕掛けても、返り討ちに遭うだけだろう。繰り返して考えてみても、彼女の攻撃をかわして、その隙を突く以外にユマたちが勝利する方法はない。
だから、ユマの全神経は回避に集中している。シャナアークスもそれくらいはわかるのだろう。彼女もユマと対角に位置しつつ、徐々に距離を詰めながらも攻撃を仕掛けてこない。
(どっちも長く待てる性質じゃない……)
キダも、同じような考えを持った。だが、相手の攻撃をかわすという行為がどれだけ難しいか、ユマに理解できているのだろうか。剣術に限らず、相手の攻撃を受ける手段が豊富なのは、それだけ避けることが難しいからに他ならない。鮮やかな回避は確かに理論上は可能だろうが、一度振り下ろされた剣は、自分が回避して誰もいなくなった空間に落ちるのではなく、避けた人間を追ってくると思ったほうが良い。理想的な結果のために他の全てが存在するともいえる理論は、ジャンケンの後出しのようなものであり、実際は同時に起こる現象から時間という概念が抜け落ちたような危うさがある。
(避けるよりも、受けろ。一撃だけ受ければ……)
キダは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。うかつに口をさしはさめば、ユマに迷いを与える。例えキダの考える手段が正解であっても、闘争の最中での迷いは、死と同義だ。キダの思う「受け」の選択肢も理論であり、今の様に互いの動きを探っているような状況では、次の瞬間に何が起こっても対応できる心構えがあればよい。守ることにこだわっていれば、万が一にシャナアークスが転倒したとしても、自分の意思を攻めに切り替えるまでわずかな時間を要する。そのわずかな浪費の間に彼女は立ち上がり、この戦いでは二度と隙を見せないだろう。何よりも優先すべきは、勝利に貪欲になることだ。今のユマからは、その気迫を感じる。だから、キダは何も言わなかった。
シャナアークスの竜機がわずかに速度を増した。ユマもそれに合わせる。
轍と足跡が渦を巻きながら、中心へと向かってゆく。
互いの距離が近くなった。
キダは突然、脳が揺さぶられるような衝撃を覚えた。気づけば彼の右手はユマの肩をつかみ、左手は操縦席の外枠をつかんでいた。スケート選手の切り替えしのような姿勢で、ユマの竜機は突然軌道を変えた。
シャナアークスの駆る竜機の側面を取った。
(あっけなさ過ぎる……)
キダは不安を覚えた。この程度の駆け引きで出し抜けるほどに、シャナアークスは甘い女か。これは罠だと強く感じた。だが、今はそれでも攻撃を行うしかない。相手を誘うという行為には必ず危険が付きまとう。シャナアークスがわざとこの状況を作ったとしても、押し切ればこちらの勝ちなのだ。策謀に嵌まることを恐れて、勝機を逸するのが最も愚かだ。
「うおぉ!」
キダは自らを奮い立たせると同時に、操縦席の両脇にある操縦桿を取った。ユマが竜機に魔力を送り込んで作ったものだ。
渾身の力を込めて槍を突き出すために操縦桿を倒そうとしたキダだったが、突然、手に重みを感じた。驚いて見ると、ユマがキダの手を押さえている。
「何を――!」
声を上げる暇もなく、轟――という音が鳴った。同時に宙に浮いたような感覚がした。
シャナアークスの乗る眼前の竜機が凄まじい速さで旋回し、鋭い槍が鞭のようにしなってこちらに襲い掛かった。その槍が大きく上にそれるように見えたのは、ユマが竜機の膝を折って機体を沈めたからだ。間一髪、回避は間に合った。だが、一呼吸に取れる動作はシャナアークスの方が多い。彼女の体当たりは、さすがにかわすことができなかった。
金属のぶつかり合う激しい音の後に、キダは転倒するかと思っていた竜機がまだ平衡を保っていることに驚いた。
(なるほど、そのための車輪か)
シャナアークスの体当たりは確かに強烈だったが、ユマの竜機は地面を支えとして、ただつっ立っているわけではない。体当たりの衝撃を両足の車輪で吸収し、ユマの竜機は大きく後退した。重心を深く沈めていたことも良いほうに働いたのだろう。
キダが驚いたのは、体当たりの後に凄まじい速度で飛び出したシャナアークスを、ユマが後方に押しやられる力を曲げて見事に避けたことだ。
「小賢しいぞ! お前たちは蠅か?」
シャナアークスの罵声は、賛辞ともとれた。ここで彼女の追撃が緩んだのは、こちらの動きが彼女の予想を上回ったことに他ならない。シャナアークスが更に追撃をかければ、体勢をくずさずに後退したユマたちが一呼吸有利になる。彼女にはそれも見えていたのだろう。キダは心中でシャナアークスの恐るべき判断力に感嘆したが、それ以上にユマの戦い方に驚嘆した。
(これが、ユマか?)
競争や、試合と全く無縁であるように思えたこの男が、実は意外にも応変の才があることに、キダはまるで今、初めてユマを知ったような感覚をおぼえた。
ユマが、これほどまでに器用な男だったか。
否。
今起こった現象に、当の本人が最も驚いていた。
――まっすぐに来る。
また、あの声だ――と、ユマは思った。今まで時々、自分の脳内で響いた誰かの声。それが今、しきりにユマの思考を揺さぶっている。
(源精か?)
最初に荒野で、おびただしい数の源精に囲まれたことを思い出した。あの時の脳に直接響いてくる声に似ている。だが、源精と違って、この声ははっきりとした意思を持っているようだ。
――しゃがめ。土を信頼するな。あれは頼りにならんぞ。
この声はよほど大地を嫌っているらしい――と、ユマは心中で苦笑した。声の言うとおりにシャナアークスの突きを避け、体当たりをいなした。
ユマとて、無策であったわけではない。シャナアークスの側面を取るまでは、完全に彼の策中にあったことだ。だが、無防備に横腹を見せたシャナアークスを見たユマは、
(このまま勝っても、クゥには勝てない)
と、無用なことを考えた。確かにこれはシャナアークスの誘いであり、それに乗らなかったユマは一場面に限って言えば、駆け引きで彼女に勝ったことになる。
ユマには、秘策がある。秘策がシャナアークスに通じるかどうかを知ることが、彼が勝負を持ちかけた目的であり、無論、彼女に勝てなければ、クゥにも勝てないと思っている。だから、ユマはこの勝負において偶然による勝利を放棄した。策に溺れたといえばその通りだが、それでもユマは形のある勝利にこだわった。その場しのぎの戦い方では、次の戦いに生かせない。賢しらぶった人はこだわりを捨てよというが、最初からこだわりを持たない人に成長はない。こだわるということは、自分を信じることでもある。こだわりは練磨の果てに削り落とされて初めて価値を見せるものであり、人が言葉ではなく経験から学ぶべき良い例でもある。その人が持ったこだわりの痕跡を、本当の意味での知識というのだろう。いくらユマでも、経験から学んだことの、重みの違いくらいはわかる。
だが、ユマの決意をぶち壊しにしたのが、この声だった。
――決まった勝ち方など、あるはずがなかろう。
と、声は言う。心なしか、アカアを思い出した。だが、声色は全く別人である。
決まった勝ち方などない。そんなことは誰にでもわかる。だが、世に兵法があるのは、戦いにも理があるからだろう。決まった勝ち方はなくても、勝ちやすくする何かは必ずある。それを否定されれば、人は勘と腕力だけで戦うようになる。そんな馬鹿な話があるか。
(誰だか知らんが、邪魔をするな)
ユマは心中で何者かに向かって叫んだ。
――おい、豎子。鉄くずに鉄くずをぶつけて面白いか? 早くここを去れ。土臭くてかなわん。
「うるせぇ。黙ってろ!」
思わず、ユマの口が開いた。だが、突然、心のどこかが冷めた。
闘技場の気温がわずかに上がったように感じたのは、シャナアークスの駆る竜機が、炎を噴出したように見えたからだ。
燃えているように見えたのは、竜機の持つ槍で、火尖と呼ばれる。ユマはここに来て初めて、このオロ王国が魔法という不可思議な文明の中にあることを思い出した。
――ほう、今の人間はまだあんな術を使っているのか……
心中の声が、批評めいたことを言う。今の――とは、随分と長老ぶった言い方だ。
――ほら、ほら。早く逃げんと死ぬぞ。
まさか、とユマは思ったが、シャナアークスと目が合ったとき、怖気を感じるとともに、これは既に訓練ではなく決闘であることに気づいた。
シャナアークスが本気を出した以上、こちらも決死の覚悟で戦わなければ、命を落としかねない。
ユマが逡巡したほんの数瞬の間に、シャナアークスは凄まじい速さで距離を詰め、火尖を繰り出した。とっさに前に出した竜機の右手が一瞬で焼け焦げた。
「余所見をするなと言っただろう!」
追い討ちをかけるようにシャナアークスは竜機をぶつけてきた。今度ばかりは防御が間に合わず、ユマは壁に激突した。
(冷たい……)
と感じたのは、背に水が飛んだからだ。気づけば自分の乗る竜機が、光精の泉の一部を破壊していた。おびただしい勢いで泉の水が溢れ始め、闘技場の砂を黒く染めた。
――きゃはっ……冷たぁい。おぞましい濁りよ。
子供のような声が脳内に響くと同時に、炎をまとった槍が地獄へ誘うかのようにこちらを狙いすましているのが見えた。視線を操縦席に移すとシャナアークスと目が合った。
(はっ、嗤ってやがる)
ユマは唾をうまく飲み込むことの出来ない自分が、もはや死に体であることに気づいた。