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貴く翔べ  作者: 風雷
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第二章「闘士衝冠」(12)

 部屋にこもったユマは、ひとり身を震わせていた。最初こそ、


(クゥを消すつもりだな……)


 と、三人の会話にあたりをつけて、平然を装っていたが、陰謀の一端をつかんだという実感が体の奥まで浸透するに従って、自分がとてつもないことに首を突っ込んだという事実に体が震えだした。


(いや、待てよ……)


 ユマはホルオースを通じてクゥが言ったことを思い出した。闘士は試合期日まで他ならぬ光王より生命の不可侵権を認められている。クゥを殺すということは光王に反逆するに等しく、ローファン伯がそのような愚行に走るはずがない。だが、悪い方に思念をめぐらせれば、クゥの死は事故にでも見せかければよく、伯爵ともなれば数段格下の騎士の家の女を消すくらい造作もないだろう。人の命が、法や誓約で守りきれるものではないことは、歴史が証明している。

 クゥが死ねば良い。

 そうすれば、命を賭けてまで竜機に乗る必要はなくなる。だが、それでは自分の安全を確保することが出来ても、キダを奴隷の身分から開放することは出来ない。自分の身の回りの物を売り、金貨数枚を手にしたとしても、ユマがローファン伯に身を寄せる限り、フェペス家の人間は金でキダを譲ることをしないだろう。

 それに、ホルオースだ。

 ローファン伯爵邸に単身で乗り込み、クゥが勝てば故地を返してもらうという条件を、恐れもなくローファン伯に突きつけた彼に対して、ユマはある種の敬意を持っていた。下手をすれば怒ったローファン伯によって首を刎ねられていただろうことは、ユマにもわかる。それだけに、フェペス家の意地を見せたホルオースが見事だった。


――男ってのは、ああでなくちゃあな。


 と、ユマは小さな感動を覚えただけに、彼がクゥを裏切っているかもしれないということに、失望した。

 先の三人の会話は、どう解釈しても誰かを闇討ちするという類のものだった。あの場にホルオースがいたことからも、フェペス家が絡んでいることは明らかで、ローファン伯が二日と言っていたことから、ユマとクゥとの試合の前に決行するつもりだろう。

 ユマは悩んだ。

 考え直せば、自分にとって悪い話ではない。キダを見捨てるのは忍びないが、全く望みが無いわけでもなく、要は仲介を立てれば良い。車さえ手元に戻れば、ガオリ侯であれ、それと反目するシェンビィ公であれ、取り入ることが出来るだろう。何もローファン伯の元に身を寄せ続ける必要はない。はっきりいってこの家はユマにとって居心地の良い場所ではなく、アカアやヌルといった近しい連中との折り合いの悪さを感じている。


(いざとなれば、この家を出ればいい……)


 心残りがあるとすれば、ユマはまだアカアに何の恩も返していない。あのまま荒野で野たれ死んでいたかもしれない自分を救ってくれたのが、彼女であることには変わりないのだ。



 蒸風呂でリンに背中をこすってもらいながら、ユマは女の白い太腿に目がうつったとき、


(あの娘、死ぬのか……)


 と、クゥの鮮やかな鎧姿を思い出した。アカア、リン、クゥ。思えばオロ王国に来てから美人ばかりに巡り合った。その中で最も美しいのはクゥだろう。アカアは確かに良く出来た娘だが、感情に厚みを感じさせず、リンもユマに対して礼儀を欠くことはないが、彼女の中にはユマではどうにも出来ない暗さがある。身分の低い者が持つ、一種の諦観だろうか。

 だが、クゥは二人とはどこか違う。どこが違うのかはユマにもわからない。ただ、彼女だけがまっすぐにユマを見た。アカアのように半笑いでもなく、リンのように伏目がちでもない。シャナアークスのように見下げるのでもなく、クゥだけが正面からユマを見た。


(思えばあの時、俺は冠をつけていなかった)


 街中で誰かと出会う度に、相手はまずユマの頭上に乗る五位冠に目をやる。クゥと出会ったときは冠を飛ばされていたから、彼女の視線はまっすぐにユマに向かった。だが、果たして偶然が彼女をそう見せたのだろうか。


(違うだろう……)


 クゥは、奴隷商人に半殺しにされていたキダを買った。これはユマを拾ったアカアに似ていなくもないが、クゥのとる行動の底には、優しさがあるような気がする。キダの自由を賭けた決闘を持ちかけたことも、ユマにシャナアークスをつけたことも、アカアであれば絶対にしないことだ。だが同時に、フェペス家の持つ、ヤム家に対する怨恨の凄まじさが、クゥの優しさを損なっているとも思う。

 ユマはクゥに、ある種の親しみを感じた。異世界に放り出されたユマは、自分に近い常識や倫理観を持った人間に、飢えているともいえる。


「どうなさいました?」


 リンがユマの顔を覗き込んだ。自分の弱さを見透かされたと思ったユマは、思わず心中とは全く逆の言葉を吐いた。


「リンはいつ、(とぎ)をしてくれるのかな?」


 ユマの悪い癖だ。だが、リンが黙ったことで、今度はユマが焦った。


「冗談だ。気にするな」


 ユマが笑うと、リンが一瞬だけ恨めしそうな目で睨んだ。



 部屋に戻り、床に就いたとき、何者かが扉を叩いた。ユマが、どうぞ――と、促すと、薄着になったリンが入ってきた。


「失礼します」


 ユマが唖然(あぜん)としている間に、リンはすばやく灯火を消すと、ベッドに腰掛けた。少しの間、布ずれの音があたりに響いた。


「待て、リン……っ!」


 言葉を発しようとした口を、リンのそれが塞いだ。口の中を熱の塊が侵した。ふと、舌に鋭い痛みを感じた。戯れなのかどうか、ユマの舌を噛んだリンの目元に笑いはなかった。

 ユマは全身に重さを感じた。リンという女が渾身でユマにぶつかってきているようだった。抱きとめたリンの肩が小さく震えていることに気づいたとき、ユマは罪悪にも似た何かを感じた。


(これは、据え膳だろうか……)


 ユマがとぼけたことを考えている間に、全身が熱くなり、世界が速くなった。ユマという人間がこの部屋全体に広がった後、頭の中に閃光が走った。そこには(うるさ)さと、気だるいほどの沈黙があったが、傍にもう一人がいることに気づいたとき、底知れぬ虚しさを感じた。

 この虚しさは、人を殺すほどにだだっ広い空に似ていた。


(クゥを救うべきだ)


 決心ではない。ユマという人間から、あらゆる虚飾を剥ぎ取って残った最後の声がこれだった。ユマは心からリンに感謝したが、彼女は朝日を見るまでもなく、無言で部屋を去った。

 翌朝、白布に染み付いた赤い印を見たとき、ユマの中の何かが(はげ)しく鳴った。



 クゥとの決闘まで、残すところ二日となった。この日、ヌルは闘技場までユマと同行したが、中には入らなかった。ホルオースも、午後にクゥの試合があるという名目で早々に抜けた。

 逃げるのならば、監視の目が消えた今しかないが、キダが走れないという不利がそれを不可能にした。もとより、今のユマは試合から逃げようとは思っていない。


(早めに抜けて、クゥに会うしかない)


 昨夜のことをクゥの側近やシャナアークスに話しても無駄だろう。それに、訓練を早めに終わらせる方法はひとつしかない。


「朗報だ。ユマの出した提案は、却下された」


 入場して鎧に身を包んだ二人を見たシャナアークスが、声高々に叫んだ。ユマの提案とは、先日、ホルオースに打診したことを指している。


――相手を死に至らしめた者を敗者とする。


 ユマが当初、自分の保身のために考え付いたことだ。だが、その願いが聞き入れられなかったことに、ユマは驚く素振りを見せなかった。


「そうか……」


 ユマはさほどの興味を示さずに言った。シャナアークスにはそれが意外だったらしく、


「残念がると思ったんだが……」


 と、本心を漏らした。昨日ユマが生意気な口を叩いたので、その仕返しにと思ったのだが、当てが外れた。シャナアークスは体格こそ優れているが、歳はまだ十九であり、極たまにではあるが、何かの拍子に幼稚な一面を見せる。


(餓鬼が……)


 ユマは、鼻で笑った。シャナアークスは確かに優秀な闘士だが、時折自分たちを見下したような態度をとるのが、ユマには気に入らない。それが、彼女にとって親密な者にしか見せない態度であるとするなら、よほど子供っぽい。とはいえ、この程度のことでむかっ腹を立てるユマも同様だろう。ユマはシャナアークスを嗤うと同時に、自分の忍耐力の無さを嗤ったのだ。

 だが、ユマに侮られたと思ったシャナアークスは顔を蒼くした。自分が少し言い過ぎたと心中で反省していたせいか、それを踏みにじられたような気分になった。


「怒ったのか? 闘士の癖に、この程度のことに腹を立てるな。だから、クゥに相手にされないんだ」


 ユマがいつになく攻撃的なので、キダは焦った。ここでシャナアークスが帰るといいだせば、自分たちがクゥに勝つ見込みは全く無くなる。


(おい、ユマ。どうしたんだ?)


 キダはユマの袖を引っ張ったが、もう遅かった。

 どうやら、ユマがクゥの名を出したことがシャナアークスの逆鱗に触れたらしい。だが、ユマにはそんなことはどうでもよかった。何故だかわからないが、今は腹が立って仕方がない。

 何故、自分はリンを抱いたのか。リンは出会って数日しか経たない男に体を預けた。その意味を自分は理解していたのか。昨夜の出来事は、陰謀に巻き込まれたという恐怖と怒りを、たまたま傍にいたリンにぶつけただけだ。ユマという男はリンという女を深く愛しているわけではない。そして何よりも悲しいのが、女の全身から発散されたのが、愛情ではなく、途方もない虚無感であったことだ。だが、その時のユマは自分のことにしか興味がなく、魂の通わない肉体を優しく抱きとめる度量すらなかった。リンが味わった屈辱と失望とが、今のユマを苦しめている。

 ユマは怒っている。何に怒っているのか――それは問うまでもない。


(死ね! 俺よ、死ね!)


 ユマは体の真ん中に空いた何かに向かって呪いの言葉を吐いた。同時に一つの誓いを立てた。


――相手を死に至らしめた者を敗者とする。


 却下された提案ではあるが、自分の口から出た言葉だ。思えばユマがオロ王国に来てから、口に出したことはでまかせか保身の類だったが、唯一といってよいほどにまともなのが、


――殺すな。


 という叫びにも似た何かだった。それは、死にたくない――という思いから発露したものだが、この言葉が声となって外に出たとき、死に追いやられる寸前のホウを救った。

 今、また死を眼前に据えた者がいる。それはユマ自身に他ならないが、もうひとり、いや二人いた。

 腹が座る――というのは、今のユマのことを言うのだろう。覚悟というものは、ときに怒りの果てにある。怒り狂った人は、全てが過ぎ去った後に虚しさを感じるが、怒るという行為自体に虚無を見た者は、自分という人間のなりそこないを大きく跳躍する。

 この点、自分に対する怒りを捨てきれないユマは、まだ小さいと言える。だが、それでも昨日までのユマとは違った。眼光に険しさがある。


「シャナアークス。貴方の指導は、今日で終わりだ」


 キダは、ユマの思いがけない台詞に目をむいた。それはシャナアークスとて同じだ。


「何故なら貴方は今日、敗者となるからだ。誓おう。クゥの前に、まず貴方を叩き伏せる!」


 傍で聞いていたキダは「おおっ!」と、歓声を上げた。昨日までのユマは劣勢のときにへらへらと笑ったり、いつも緊張感に欠けていた。だが、今はそれが無い。曲がりなりにも武道に励んだ経験のあるキダは、今のユマが大いにやる気を出していることを素直に喜んだ。


「竜機に乗れ!」


 挑発に乗ったシャナアークスが叫び、竜機に飛び乗った。

 ユマはキダとともに竜機に飛び乗ると、


「やるぞ。俺の言うとおりにしろ……」


 と、小さく()えた。急に高圧的になったユマに不快を感じなくもなかったが、彼の勢いを殺すことの方を恐れたキダは、黙って頷いた。

 互いに竜機に乗った。

 ユマの予言通り、これがシャナアークスとの最後の訓練であり、試合となる。


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