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貴く翔べ  作者: 風雷
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第一章「原初の声」(2)

 いつものようにボロ車を出して会社へと向かう途中だった。

 案の定、例の悪友につけまわされた。

 悪友にも彼なりの事情がある。こういった悪い話(・・・)を手軽に持ち込んでくる輩は、往々にして他にも繋がりをもっており、湯山ゆまが失態を犯したせいで責任を追及される立場に陥った。湯山の人の良さにつけこんで、とりあえずは利用してみたが、彼も流石に人選を誤ったことを後悔した。


(脅すか……)


 窮まれば湯山から金を(むし)り取ればいい。あんな小心な男、少し脅かしてやれば、自分可愛さに誰でも(だま)す様になるだろう。出来なければ湯山の親をゆする。それだけの単純な作業だ。


「まずは挨拶代わりだ」


 そういって、悪友は湯山の乗る車を追い回した。この行為自体に大した意味はないが、湯山の恐怖心を(あお)り、「この男からは絶対に逃げられない」という強迫観念を植え付けるために必要な、一種の儀式である。

 湯山がバックミラーから覗き込んだのは、そんなことを事も無げにやってのけようとしている悪友の姿だった。鼻筋と目が細く、長い顔である。嗤うと目元に怪しいしわが出来る男だ。


木田(きだ)、てめぇ。(わら)ってやがる!」


 心のどこかで悪友のことを軽蔑してきたせいか、恐怖よりも先に怒りが立った。

 会社までついてこられては叶わないと、信号が切り替わるとともにアクセルペダルを勢いよく踏んだ。早朝であることもあって、少し混み気味だが、下手に空いているよりは()きやすい。湯山は強引に割り込みを繰り返して追尾する木田を振り切ろうとした。だが、相手もこういった手合いはお手の物だろう。吸い付いたように離れなかった。

 しきりに携帯電話が鳴っているが、見ずともわかる。

 次第に双方ともなりふりかまわなくなった。あたりの目を(はばか)らずに猛追と逃走を始めた。

 流石の湯山も退屈を捨て去った自分を感じる暇はなかった。大抵、退屈を嘆く人間というのは本質的に平穏を愛しており、しかし時間の使い方という、人間の価値そのものとも言うべき一点において、哀れなほどに無能あるいは無頓着な場合が多い。湯山もその一人だった。

 携帯電話が鳴っている。


「あれ?」


 違和感。

 これ以上にないほどに非日常にいるのだから今の湯山は違和感で埋め尽くされているといってよい。それにすら慣れ始めた頃、湯山は眼前に最も訝しい現象を見つけた。


(こんな音、俺じゃないぞ……)


 携帯電話がけたたましく鳴っている。それが木田からのものであることは間違いない。だが、その音とエンジン音に混ざって、脳を貫くような裂音が聞こえる。


(いや、やっぱり携帯が鳴ってる)


 耳障りなアラーム音に混ざって、それは確かに聞こえる。木田のせいで携帯電話が壊れたと思った湯山だったが、つい気になって、手にとってしまった。

「朝っぱらから一体何なんだよ。てめぇはよ!」

 車内に湯山の怒号が響いた。

 だが、繋がった先は木田ではなかった。


――……こそ


 風鈴の音のようなか細い音が静かに響いた。どうしようもないほどの目まぐるしさの中にいるのに、どういうわけか、湯山はそれを聞き取ってしまった。

「こそ?」

 顔が熱を帯びてきた。自分の発した言葉がどこかでこだましているような感覚がする。


――……こそ……よ……そ


(女の声……いや、子供か?)


 それも一人とも思えない。受話器の向こう側に数人の気配のようなものを、湯山は感じ取った。

 すぅ――と、あたりが静かになったと思ったのは、湯山の神経が片手にとった携帯電話に集中していたからだ。だが、次の瞬間、湯山を覆っていた静けさが一気にはじけた。


――……よう……そ……こそ……うこそ……ようこそようこそようこそようこそようこそ……


「うわぁ!」


 叫ぶと同時に、目の前が真っ白になり、暗くなった。



――どこだ。ここは?


 などという、古典的な台詞を吐くようには、湯山は出来ていなかった。


「おおぉ?」


 奇声なのか悲鳴なのか、どちらつかずの声をあげた湯山はみだりに車外に飛び出すような真似はしない。

 何せあたり一面荒野である。所々、茫々(ぼうぼう)と草が茂っていて、他はやや乾いた黄土が見える。もちろん、道路らしきものはない。上を向けば、雲ひとつない、死んだように蒼い空が広がり、太陽の光だけが異様にまぶしい。

 ほんの数秒前まで、都心を車で走っていた自分が、何故こんなところにいるのか。


(神隠しか、死んだかだな――)


 後者だとすれば、あの世も随分と殺風景なところだ――と、湯山は鼻で嗤った。別に湯山は抜けているわけではない。もし傍に道連れになった誰かがいたとしたら、その者に抱きついて絶叫しただろう。

 たった一人である――ということが、湯山がパニックを起こさない唯一の理由だった。とはいえ、周囲に自分と同じように、この怪異に巻き込まれた人がいないかは、静かな雰囲気とは裏腹に顔面を蒼白にして確認した。この男が他人からよくわからないと言われる所以のひとつは、自分の表情を自覚していないことだろう。周囲を一望して誰もいないことを確認すると、小さく嗤ったのだ。

 勿論、こけおどし(・・・・・)だ。こうやって自分で自分を励まさなければ、どうにかしてしまいそうだ。


――木田を撒けた。


 という事実によって得た安心も少しはあった。最悪の状況を考えれば、見も知らぬ土地にいきなり迷い込んで、しかも木田と二人きりという可能性もあった。この期に及んであんな顔を見ずに済むなら、ひとりの方が良い。

 ふと、携帯電話を手にとって見てみた。あまり期待していなかったが、電波は届いていない。最後の着信は木田になっており、あの妙な女か子供のような声は何だったのかは想像すら出来ない。

 少し、車を走らせてみたが、凹凸のひどい地面のせいか、すぐにエンストを起こした。無闇に燃料を消費するわけにはいかず、冷房を切ったために、燃えるように暑い。それでも湯山が車外に出なかったのは、ひとつは草陰にたむろする狼の群れを遠望したからだ。


「はは、洒落(しゃれ)になってねぇや……」


 ようやく、と言うべきか、湯山は事態の深刻さを飲み込んだ。

 全く未知の世界に放り出されたわけだが、せめて(木田以外の)人の姿を見つけたい。

 しばらく走ると、日が暮れてきたので、湯山は車内で夜を過ごすことにした。勿論、周囲の景色は一面の荒野であることには変わりない。

 それでも何か心細かったのか、地面から生えたような大岩の傍に車を停めた。樹木の傍は虫に(たか)られそうで気がすすまなかった。


「隣、空いてますか?」


 などと、大岩に向かって空元気に話しかける姿は、もはや哀れですらある。

 昼食にとるはずだった安い菓子パンを口に放りこみながら、湯山は考える。この暑さではすぐに腐ってしまうから、明日の朝食に残すことは考えなかった。ただ、ペットボトルに半分ほど残った水は節約した。


(突然、地球の裏側に飛ばされたか、異世界ファンタジーか、あるいはタイムスリップといったところか。あ、あの世って線もまだあったな)


 自分の置かれた境遇にあたり(・・・)をつけようと始めた想像は、夜陰の中で砕かれた。

 風音もしない夜の闇の中で、小さく(きらめ)く光の群れを見たとき、湯山はなにやら怖気(おぞけ)だちそうな自分を励ますように、いくつか浮かんだ言葉の中で、最も雅味のあるものを選んだ。


(蛍かな……)


 湯山は、光の群れが移動しているらしい事になかなか気づかなかった。それらは徐々にこちらに近づいていた。それに気づいたとき、湯山が動転しかけたのは、余裕のある言動とは裏腹に、この男の精神がつつけば破裂するほどに緊張していた証拠である。


――誰かいる……誰かいるよ。


 耳元でささやくような声が聞こえた。いや、果たして声であったか。自分の耳が何かを捉えたという感覚はない。直接頭に響いてくる言語を超えた何かは、湯山がこれまで一度も体験したことのない不愉快な現象だった。

 後部座席のシートを倒してくつろいでいた姿から、一瞬で起き上がると、慌ててキーを回し、エンジンをかけた。

 旋回するまで、隣席を失礼していた大岩に二度ほど尻をぶつけた。湯山は百八十度回転すると、真っ直ぐに走った。

 しばらく走らないうちに、段差に乗り上げた。ライトをつけているが、こうもだだっ広い場所では十メートル先が見えたところで何の意味もない。


――ふふっ……慌ててる。

――慌ててるよ。


 頭に直接響いてくる声らしきものは、どうやらその光から放たれていることを湯山は感じ取った。脳を撫でるような意思の切れ端が、陽光が分解されて七色に見えるように、いくつかの色を伴っているようにも思えたからだ。


(さっきの声だ……)


 携帯電話から聞こえた常軌を逸した多数の声。いや、あれは声であったか。今と同じように直接頭に響いてきたのではないか――と、そこまで思念をめぐらせた湯山だったが、ついに車を捨てて(はし)り出した。夜光でも照らしきれないだだっ広い荒野に単身飛び出したのだから、これは逃走というよりは狂走であった。


――あ、逃げた。

――逃げたわね。


 光は迷うことなく湯山を追尾してきた。

 湯山は脇目もふらずに奔った。だが、ここは彼の歩きなれた、神経質なほどに平らに舗装された道路ではない。地が平坦であるというのは人界だけの話であり、荒野の地面はジャガイモのようにぼこぼこでとても人が歩けるようにはできていなかった。何故、広大な世界に人はわざわざ道という線を引くのだろうと、幼い頃疑問に思ったことがあったが、文明に()かりきった人類は自分が平らにした道しか歩けないという事実をここで痛感した。自分がいかに文明を享受した人間であったか。

 凹凸に足を突っ込んで転ぶよりも先に、湯山の足腰が悲鳴を上げた。一歩踏み進むごとに足首が砕ける錯覚をおぼえるほど、ここは文字通りの荒野であった。

 ついに、しゃがみ込んだ。いや、がむしゃらに走ったせいで、立ち止まった瞬間に腰から崩れた。呼吸が乱れ、どれほど空気を吸い込んでも足りなかった。


――座った。疲れたんだよ。

――これで終わりかな、遅い人。

――選んで。ねぇ、選んで。


 光の群れが湯山を囲んだ。

 羽虫のようにあたりを不規則に旋回し始めたそれらを見て、湯山は不機嫌に乾いた息を吐いた。


「うるせぇ。うるせぇよ……」


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