第二章「闘士衝冠」(8)
二日目には、キダもユマと同じように竜機を立たせることが出来るようになった。ここで、本来の配置である、ユマが脚部、キダが腕部の操作に専念することになった。
どちらも動きがちぐはぐながら、どうにか呼吸が合ってきたところで、彼らに声をかけた者がいた。
アカアだ。
闘技場への入場を禁じられている彼女が、どうしてここにいるのだろう。
「ローファン伯からの使いで参りました」
と、アカアは丁寧にお辞儀をした。彼女の横に、紅い鎧を纏った女闘士がいた。どこか華奢な感じがするクゥと違って、背が高く髪の長い女だ。
「何だ。素人じゃないか……」
少し低めのかすれた声である。
(何だ。このごつい女は?)
と、その女にあまり良い印象を持たなかったユマだが、どこかで会った気がしなくもない。待てよ――と、記憶をたどった。
(あの日に、闘技場にいた女か……)
――どうして、この国の戦士は薄着なんだ?
と、ヌルと会話をした際に近くにいた闘士だ。ヌルが赤い四位冠をつけているから、あれは戦士ではなく騎士だ――と、返したのを憶えている。
「王宮名誉闘士のシャナアークス・オルベル様です。先生にはこの方のご指導を受けていただきます」
アカアの言葉を聞いたユマは、ヌルが、闘技場でユマがうかつな発言をしないように気を配っていたことを思い出した。なるほど、頭に王宮のつくような人物だ。さすがの伯爵も敬遠しよう。
シャナアークスはずかずかとユマの方に歩み寄ると、
「見世物の闘技でよければ、お前たちに教えてやろう」
と、大きな声で言った。
(うへぇ……憶えてんのかよ)
ユマは冷や汗をかいたが、
「よろしく……」
と、握手を求めた。すると、シャナアークスは腰にかけていた鞭を振り上げてユマの腕を打った。
「痛ぇ! 何するんだ!」
ユマが睨むと、女は低い声で威圧するように言った。
「分をわきまえろよ。王命でなければ、貴様のような屑の相手をするか!」
(屑だと……)
ユマは全身がかっと熱くなるのを感じたが、ここはこらえた。彼は容儀を正すと、
「よろしくお願いします」
と、頭を下げた。シャナークスはそれでも不満なのか小さく鼻を鳴らした。
(糞が。とんでもない女を連れて来やがって……)
ユマが恨めしげにアカアの方を見ると、彼女は「こういうお方ですの」とでも言わんばかりに、苦笑した。ユマは心のどこかが暗くなった。
隣のキダが言葉を発しないので訝ったユマが彼の方を見ると、何やら遠くを見るような感じで突っ立っていた。シャナアークスがキダに視線を移したので、
(おい……キダ)
と、ユマは肘でキダを小突いたが、それも終わらぬうちに彼女の張り手がキダの胸元を打った。小枝を勢いよく折ったような音が響いた。
「――ってぇ!」
キダが蹲るようにして咳き込むと、シャナアークスは間髪いれずに彼の鳩尾を蹴った。シャナアークスは倒れこんだキダの頭を踏みつけると、
「よろしく」
と、威圧するように言った。キダは呻くようにそれに答えた。
「よし、早速はじめるぞ」
まさか挨拶もそこそこに特訓が開始すると思わなかった二人が顔を見合わせていると、
「私とて、暇ではないのだ。さっさと動け!」
と、シャナアークスは腰につけてあった鞭をとって鳴らした。ユマとキダが悲鳴を上げるようにして竜機に乗り込んだ。操縦席に着いた際にキダが、なあ――と声をかけてきたのでユマは振り向いた。
「当たりだな……」
口の片端を微かに曲げて、キダは笑った。ユマには彼が何のことを言っていたのか全くわからなかったが、先ほど彼がシャナアークスの豊かな胸元に視線を移したまま惚けていたことを思い出すと、すぐさま諒解した。
「おい、本気か……お前、足蹴にされたんだぜ?」
「男を足蹴にする女なんて、そうそういない」
「いい趣味をしてやがる」
ユマはからからと笑った。
「お前ほどじゃあない」
キダにそういわれた時、何やら期待を込めたまなざしを自分に投げかけるアカアの顔が映った。だが、ユマがキダの誤解を解く暇もなく、シャナアークスの特訓は始まった。
「何て女だ……」
台詞と一緒に青い息が出そうだった。一度の休憩もなく、鬼教官としか言いようのないシャナアークスの猛特訓にさらされたユマは、今こうして地に足をつけて歩いている自分が不思議なくらいだった。
彼は既にローファン伯爵邸に戻っている。帰ってきてからは食事も喉を通らない程度に疲労していたが、
「シャナアークス様から、きちんと食事をとるまで睡眠をとらせるなと仰せつかりました」
と、リンに言われ、ユマは胃袋に詰め込むように、ろくに咀嚼もせずに食物を飲み込んだ。
訓練が始まったとき、ユマとキダを竜機に乗せ、また自身も別の竜機に乗ったシャナアークスは、
「はっきり言って、今日初めて竜機に乗ったような輩が、闘花と闘って勝つ見込みは全くない。試合まで五日。私が付いてお前たちを教えたとしてもだ。だから、基本操作を学んだら、次は実戦で己の知恵を磨け」
と言い、午前中は主にキダに竜機を用いた槍の扱いを教えた後、午後から模擬戦を行った。
「遅い。弱い。考えていない!」
シャナアークスは手加減して戦っているようだったが、当の本人たちは巨大な槍が自分の頭の横を掠める度、死にかけたと思った。ユマの操作は拙く、キダの打ち込みは弱く、そして互いの連携がちぐはぐな上、各々の判断が鈍い。
「地道にやっていくしかない」
愚痴にも似た言葉をユマが呟くと、
「馬鹿野郎!あと五日だぞ」
と、キダが激しい口調で言った。ユマと違って剣道で己を鍛えた経験のあるキダは、彼の甘さを許さなかった。互いに連携がとれず、不満といらいらをつのらせたことも一因ではある。
最後には互いに口もきかなくなった。いや、これには疲労によるものが大きいだろう。
(昨日より今日、今日より明日だ……)
相変わらずの楽天的思考によって今日という一日を締めくくったユマだったが、キダは彼と違って、フェペス家に戻った後も、どうすればシャナアークスに勝てるのかをずっと考えていた。キダはクゥの試合を見たことはないが、彼女が竜機で訓練しているところを見たことはある。その時のクゥの動きを思い出してみても、シャナアークスより遥かに強いという印象はない。シャナアークスに勝つ実力があれば、クゥにも勝てるはずだ。ただし、人を見くびる癖のあるユマにはこのことを言わなかった。
(ユマには勝負というものがわかっていない。そもそも、自分を鍛えるということがあいつにはない)
人は目的を達するために努力をする。それは確かに地道な作業だが、ユマの考えるように人間が日を重ねるごとに成長するのならそれで良い。だが、前があって後ろがないということがないように、人は後退もする。細かな進退を繰り返しながら人間は進化してゆく。そのくらいのことはユマにもわかっているだろうが、彼には人間が進退する生き物であるという思想はあっても、進退の内容にまでは考えを及ぼしていない。
キダにとって、成長とは閃きである。人は実は常に成長しているのではなく、突然、変わる。今まで蓄積されたものが、閃きという現象で放出される。短距離走の選手は、徐々にレコードを縮めてゆくわけではなく、彼らは練習を積み重ねる内に、ある日突然、速くなる。それは、できるだけ大きく、強く成長したい――という人間の願望から来るものではないか。地道にという言葉を好んで使う人間ほど、怠け者はいないと、キダは思っている。貪欲なほどに自らを高めたいと、その他の全てをかなぐり捨ててでも、強くなりたいと思う険しさがなければ、人は真に成長することはない。人は、時を経れば人格が変わるが、それは成長とは呼べまい。
(だから一年も浪人をしたにも関わらず、三流大学しか受からないんだよ)
高校を卒業して、すぐに就職したキダは、ユマの甘さに嫌悪を覚えるときがある。今がそうだった。
ユマという人間の不思議さは、次の日になれば、まるでキダの心中の声を察したかのように険しい表情で模擬戦に望んだことだ。彼がキダの思想を理解しているとは思えないからこそ、余計に不思議なのだ。
(こいつはこいつで考えているらしい)
相変わらず楽天的に――と、キダは付け加えた。
ユマとキダは互いに尊敬しあうような仲ではない。むしろ互いのことを心中で軽蔑しているふしがある。一言で表すと悪友だが、キダはユマと付き合っていると、時々、
(おや?)
と、思うことがある。それはユマの独特な思想を垣間見た瞬間であり、それが思考となって一つのかたちとなった時、キダが先に述べたような閃きとなって顕れたりする。こいつはもしかすると天才なのではないか――と思ったりもするが、平素の言動があまりにも俗人過ぎて、キダに限らず、ユマに接する人間の多くがこの一事で彼のことが理解不能になる。
――他人のことがわかる奴なんて、いないさ。多分な。
ユマが、多分――と、語尾に付け加えるとき、彼が考えていることとは逆のことを言っているのではないかと疑ったことのあるキダは、ひょっとするとユマの閃きは、この矛盾の産物ではないかとも思ったりする。矛盾した理論は存在を許されないが、矛盾という概念は創造の源となる力を持っている。矛盾が何かを創造したとき、それは矛盾ではなくなる。
「足が要らないかな……多分だけど」
竜機の「機」を担当するユマがそう言った時、キダは思わずユマの顔を見た。より速く走りたい――というユマの心中の声が一つの閃きとなって外界に放たれた証ではないか。
「どういうことだよ?」
キダにそういわれて初めて、ユマは自分の言ったことの意味を理解したようだった。
(他人を壁か鏡くらいにしか思っていない)
ユマという人間にとって、他人ですらが自分を見るための鏡であるのかもしれない。だが、そういった態度は鏡にされる側にしてみれば、不快でしかない。ユマは別に著しく礼儀に欠ける人間ではないが、時々見せるこういった素振りがユマ本人を不幸にしている。要するに少し嫌味なのかもしれない。それでも随分と愛嬌のある方だから助かっているともいえる。
「揺れだ。揺れが悪い」
ユマの言うとおりだろう。二本足をつかった竜機の歩行は上下運動が激しく、その揺れが二人の操作の妨げになっている。
「キャタピラでもつけるか?」
キダが冗談半分で言うと、ユマは大きく頷いた。
「出来るかもしれない……」
と、思いもよらないことをいったので、キダはユマの顔を覗き込んだ。