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貴く翔べ  作者: 風雷
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第二章「闘士衝冠」(5)

 ローファン伯は屋敷内の一室にユマを案内した。そこに一人の男の姿があった。

 伯爵邸を訪れたのは、木田ではなく、クゥの傍に侍っていた側近だった。


――ヤムの犬ら……


 と、ユマを罵った人物だ。

 伯爵が入室すると、男は立って一礼した。ローファン伯は、無言でその者の前を通り、正面の椅子に腰をかけた。ユマは伯爵の横に座ることは出来ず、横向かいに席をつけた。

 クゥがよこした使者の名をホルオースというらしい。ふるわぬ貴族の(しもべ)がいかにも似合いそうな、陰気な中年の男だった。


「して、何用か?」


 と、ローファン伯はやや高圧的な態度を表した。明らかに家格に差があるのだろう。フェペス家の当主がつけるのは四位冠で、伯爵は豪奢な金の飾りがついた二位冠をつけていることからも、これは容易に想像できた。

 ホルオースは、まずローファン伯に、ユマとクゥが闘技場での試合を確約した経緯を語った。


「御友人が奴隷に……か」


 何でもない。先ほど食卓でユマが話したことと大した違いは無い。だが、伯爵はあえて話を区切り、ユマにだけ理解できるように、


「そのキダという者も、あれを持っているのか?」


 と問うた。あれ――とは無論、自動車のことだ。


「はい。ですが、今、彼の手元にあるかはわかりません」


 ユマは正直に答えた。木田が車ごと神隠しに遭ったという保証は無い。例えそうだったとしても、彼が奴隷に落ちた時点で手放していないはずはないだろう。自分のように乗り捨てでもしない限りは。

 ホルオースは二人の会話を理解できなかったが、早めに用件を済ませたいのか、ひとつ咳払いをした。


(よほど、この家が嫌いらしい……)


 と、ユマが思ったのは、ホルオースの態度にある種のふてぶてしさがあったからだ。これが多少、ローファン伯の(かん)に障ったらしく、伯爵がいらいらしているのを、ユマはやや不安げに横から見ていた。


「伯爵殿に申し上げますのは、これが王覧試合になるということです。恐らく明日、王宮から正式な使者が送られることでしょう」


 王覧という言葉にユマが耳を疑ったところで、ローファン伯は興奮をあらわにした。


「おお! 光王御自ら御覧になるのか」


 王が観覧する――と聞いて、ユマはもはや試合を中止するのは不可能だと思った。大体、クゥとユマではなく、フェペス家の使者とローファン伯が話を進めているという時点で、これは私闘ではなく、決闘であり、門閥闘争であるともいえる。


(自分からすすんで鉄砲玉になったのか。俺は……)


 我ながら、何という浅はかな決断をしたのだ――と、ユマは頭を抱えたくなった。あの時、試合の確約さえしなければ、他に木田を救出する方法がいくらでもあった。わざわざ自分で選択肢を潰しておいて、しかも最も困難なものを選んだ辺りがどうしようもなく馬鹿らしく、惨めに思えた。だが、悲観もしていられない。ユマが負ければ、王前でローファン伯の顔に泥を塗ることになる。たとえ試合で死に損なっても、伯爵は自分を放逐するだろう。最悪、車だけ奪われて殺されるかもしれない。

 荒野に放り出されて飢えかけた挙句、幸運にも貴族の娘に拾われたと思えば、今は絶対に負けられぬ困難な闘いを強いられる。ユマはオロ王国に迷い込んで、栄達とは程遠い退屈な日常が吹き飛んだことを心のどこかで楽しんでいたが、今はそれが幻想でしかなかったことを思い知らされた。

 ユマは後悔したが、その度に木田の言葉では表せない沈痛な表情が思い浮かんだ。


「いつ以来だろうか。闘技場で賭けを楽しむのは……」


 ローファン伯はしみじみと言った。ユマは賭博についてローファン伯が言及したことに疑問を持たなかった。王自らが臨席するほどの試合であれば、大金が動いて当然だろう。

 ユマはふと、ローファン伯がアカアに闘技観戦を禁じたのは、ユマとクゥとの間で起こったようなトラブルが結構あって、娘が軽薄にも無理な博打に手を出さないように戒めたためであるかもしれないと思った。それでいて彼がどこか楽しそうなのは、本心では闘技を愛して止まないのだろう。



 ホルオースは、試合の日程、時間、闘技形式を改めて確認した。ユマが望んだように、こちらは二人で、相手はクゥ一人だった。


「それなのですが……」


 今更ながら、ユマは自分が竜機を扱った経験が無いことを白状した。ローファン伯の反応はアカアと全く同じで、あからさまな侮蔑の色すら見えて、ユマを失望させた。が、ホルオースの方は違った。


「心得ております。キダが申しておりましたから」


 と、言ってユマを驚かせた。ここからは、木田もユマと同じように、キダと呼ぶことにする。


(あいつめ。バラしやがったな!)


 ユマは、あえて敵に弱点を告げたキダの軽忽(けいこつ)さをなじりたくなったが、やはりキダのやったことは正しい。現に竜機を扱えないことで、試合にすらならない可能性があるからだ。それはそれで、剣の試合に持ち込むという目算もユマにはある。勿論、相手がクゥひとりならばという条件付きだが。完全にキダ頼みであることは、ユマは自分が彼を救ってやる立場にあり、死に物狂いになるのはキダの仕事として当然のことだと考えているからだ。

 それにしても、扱えないから試合形式を変えて欲しい――と、頼むのではなく、より強気に、


――我ら異文化の者ゆえ竜機などは知らぬ。お前も戦士なら剣闘にて決着をつけよう。


 とでも言えば多少は格好がついたのに、と、ユマはいらぬ意地を張りたがった。


「クゥ様から、ユマ殿への伝言です――」


 ホルオースはあえて感情を殺した目でユマを見た。そこに計り知れない悪意のようなものを感じたユマは、思わず目をそらしたくなったが、


(喧嘩はもう始まっている)


 と思ったのか、背筋を伸ばし、静かに睨み返した。



――聞くところによると、ユマ殿は遠い異国より参られ、術士でありながら竜機を扱われたことが無いという。私は王覧試合にて情けない闘士と闘うことは忍びなく、よってユマ殿に闘技場の竜機を貸し与えよう。期日までに乗りこなし、キダが竜、ユマ殿が機となり、私の竜機と技を競えることを心待ちにしている。闘技場は異国の魔術が禁じられているが、二対一とはいえユマ殿の不利も鑑み、今回はそれを不問とする。存分に魔術を披露なされよ。王もそれを心待ちにしておられることだろう。また、決闘を控えた闘士は試合の期日まで生命の不可侵権を光王より認められている。故にフェペス家に挑戦する立場になったキダの身の上を、ユマ殿が案じる必要はない。



 ユマはぽかんと口を開いたまま、絶句していた。それもそうだろう。どうやって逃れようかと苦慮していた難題を、迷惑なことに敵が解いてくれたのだ。ただ、


――術士でありながら……


 の一言は、どうしても聞き捨てならなかったが、


(使えるかもしれない)


 と、思い直した。なるべくこちらの引き出しが多いように見せておきたい。ユマが術士であるとクゥに吹き込んだキダの狙いも同じところにあるのだろう。

 クゥの付けた条件で最大の難関は、やはり竜機を扱うという一点だろう。たった一週間で何が出来るかといえば、心もとないが、それでも状況は随分好転したのではないか。


(いや、やっぱり悪化している)


 試合を取り消すのが最上である以上、どうしてもクゥと闘わねばならないのはユマにとって挫折以外の何ものでもない。ただ、この条件を引き出すために、キダがどれほど苦心したかは伝わってくる。

 何も知らないユマのためにホルオースは先の言葉に説明を付け加えた。

 キダが竜、ユマが機というのは、竜機の操縦はユマが行い、竜――すなわち槍で闘うのがキダの役目という意味らしい。通常の闘士はその両方を一人で行う。戦車戦で例えれば、ユマが御者で、キダが車上の戦士といったところか。クゥは手綱を片手に剣をふるうということになる。

 まだ試合を中止するために粘るべきか――とも思ったが、もはやそんな機会はとうの昔に去っていたことに気づき、ユマはクゥの厚意を受け取ることにした。心配だったのは、クゥに悪意はないだろうが、結果的にユマを小馬鹿にしたような提案が、ローファン伯のプライドを刺激しないかどうかだが、それには及ばなかった。


――竜機を乗りこなせぬ場合は、試合を中止したい。


 などといえば、ユマが飛び上がって喜んだだろうが、ローファン伯が言及したのは、クゥが勝利した場合の報酬についてだった。ユマが勝てばキダを得られるが、クゥが勝った場合はどうなるのか。


「ティエレンの地を、頂きたく……」


 ホルオースが小さく頭を下げたところで、叱声が飛んだ。耳が震えるような大声で、声の主はローファン伯しかいない。


「たわけが! 己が身を傷つけずに故地を得ようとは片腹痛いわ。どうしてもその条件でというのなら、我らが勝った時は、フェペスの小娘を奴隷にしてやる!」


 そこまで涼やかな態度を崩さなかったローファン伯が、豹変したように怒りをあらわにした。だが、ユマにとって恐ろしかったのは、確かに彼の大喝もそうだが、それ以上に、ローファン伯が「我ら」と、ユマのことを呼称したことであった。

 どう考えても、クゥ――というよりフェペス家は、ヤム家に復讐するための機会をうかがっていて、ユマは自分がそれに利用されたという感想しか出てこない。ヤム家もフェペス家には良い感情はもっていないらしく、ローファン伯がクゥのことを「己が身を傷つけずに……」といったのは言いすぎに思える。彼女自身、自分の命をかけて闘うのだ。それともこの言葉はフェペス家の当主に向けたのだろうか。


(そうだ。命をかけてるんだ……)


 ユマは閃いたことがあった。だが、あまりにも子供っぽいその思い付きを口にすべきか迷った。

 幸い、ローファン伯が機嫌を損ねたため会話が止まっている。言い出すとすれば今しかない。


「ひとつ、お伺いしたいことがあります。ご返答によっては、私からも条件をつけさせていただきたい」


 冷静に考えてみると、ユマは自分にもルールを決める権利くらいはあるだろうと思い立った。先のはクゥの提案に過ぎない。これは喧嘩でも戦争でもないのだから、双方が合意しなければ試合自体が成り立たないはずだろう。

 ホルオースは、ローファン伯が怒っているので、助かったようにユマの顔を見た。ただし、声には出さなかった。


「勝敗の条件は何なのでしょう?」

「どちらかが、敗北を認めるか。さもなくば死ぬか……です」


 ホルオースの淡白な答えようは、決まりきったことを聞いてどうする――とでも言わんばかりだが、ユマはそこを突くしかないと思った。彼の心中に芽生えたのは、事態を好転させる秘策ではなく、いわば保険がけだ。


「それであれば、私からも条件を出したい」


 ユマはローファン伯の興味をひくように、あえて彼の顔をみた。


(案の定、怒っているわけじゃなさそうだ)


 この人はこの人で、フェペス家を潰す算段をしているらしい――と、ユマはフェペス家の当主に代わって、首に白刃を当てられたような気持ちになった。


「この勝負、対戦相手を死に至らしめた者を負けとしたい」

「は?」


 ローファン伯とホルオースが同時に声を上げた。話にならぬと思ったのか、それともあまりにも意外すぎて声が出てしまったのか。


「この国でもそうだと思いますが、私の祖国では殺人が最も忌まれます。たとえ試合にしろ、相手を死に至らしめるなどといった行為は事故では済まぬのです(実際は済む場合もあるけど……)。私はオロの法を犯すつもりはありませんが、故郷を離れても祖国の法に触れることは許されないのです」


 ユマはわかりきったことを言っているつもりだったが、王都に至る道中でアカアが奴隷に見せた酷薄な一面を思い返すと、やや不安があった。それでも死ぬかもしれない勝負というものは出来る限り回避したいというのがユマの主張だった。


(俺はもう、一回死にかけたんだよ!)


 無人の荒野をさまよっていた自分を思い出したユマは、あの頃の自分がかなり無謀な博打を打っていたことに寒気すら感じる。それをまた繰り返す者がいるとしたら、ただの馬鹿にしか思えない。

 二人が押し黙っているので、ユマはやはり自分が的外れなことをいったのだろうと思った。だが、ホルオースは少し沈黙した後、


「主に諮ってみます。ただし、これは光王のご認可が必要になるかもしれません」


 と答えた。ユマは、闘技場の経営者はもしや王室なのではないかと思った。国営の賭博場を思い浮かべたのだが、そういえば――と、ヌルが闘技場で嫌にユマの動向に敏感だったのを思い出した。

 ホルオースが屋敷を出る際、ユマは、


「クゥ殿に、ご厚情感謝する――と、伝えてください」


 と言伝を頼んだ。ホルオースはまんざらでもない顔つきで、


「必ず……」


 と言って去った。


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