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貴く翔べ  作者: 風雷
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第八章「アルンを殺せ」(11)

 激闘が繰り広げられる渦中から少し離れた丘の上に、その男はいた。


「恐ろしい人だ」


 長い遠眼鏡を左目に当てながら、パソォはつぶさに二人の戦いを観察していた。


「はは、高く飛びなさる」


 ユマの跳躍についていけず、思わず遠眼鏡を外して肉眼で確認しながら、パソォは舌を巻いていた。


(ありえん)


 そう、このような戦いなど本来ありえない。

 術士同士の激突は法で厳しく制限されているせいもあり、都市部ではあまり見ることが出来ない。ともあれそれも表向きの話で、パソォは魔術を悪用する者達を腐るほど知っている。時には彼ら同士で激突することもある。だが、今のユマとアルンの戦いほど非常識ではない。

 あるいは、これは空術という未知の魔術への驚きとも言えたが、それにしても特にアルンの引き出しの多さはパソォの度肝を抜いたと言って良い。


(本当に人間か?)


 あらゆる魔術に精通する者は確かにいる。だがそれは学識に限り、技量については広く浅くといったところで、同時にこれは医術士になるための最低条件である。普通は、術士は一つか二つの術を極めることに専念する。火術に突出していたシャナアークスが好例だろう。金術と雷術の融合に成功したクゥなどは変わり種もいい所であるが、術士としての彼女は金術により秀でている。

 パソォはアルンと直接の面識があるわけではない。顔は知っているし、彼の決闘を遠目から眺めたことはある。パソォの記憶にあるアルンと、今のアルンは別人と言って良い。

 化物――というのがパソォが今のアルンに抱いた感想である。そして、今のところその化け物と渡り合っているユマ(ユーユ)もまた、パソォにとって理解の難しい存在であった。


「貴方はそれを何処で習ったのか?」


 ユマが空術で大きく跳躍するたび、パソォは不思議そうに呟いた。



 不動もまた動であると、誰かが言った。

 だが今のユマを見ていると、動もまた不動であると言えるかもしれない。行動が結果につながらない、ただのハリボテ。ただアルンの弾丸から逃げているだけ――周囲からはそう見えただろう。

 だがユマとアルンに扮するエイミーの二人だけは、この戦いの行きつく先をしっかりと見据えた上で、一切の無駄をそぎ落として目まぐるしく動いていた。

 ユマは、最初に空術を使った時より遥かに効率よく精霊を集めることが出来るようになった自分に驚いていた。エイミーと闘う前にこの街で経験した二度の私闘、相手は他愛のない連中であったが、そんな者達との諍いですら、眼前の強敵と闘うための糧となった。

 ユマは渾身の弩発でエイミーの竜爪を破るために、より速く空術を発現する。

 考えるより速く、思考を読まれるより早く――土の壁に囲まれた狭い空間を跳び回る。

 ある魔術を練り出しながら他の魔術を発現する。これはユマにとって初めての試みであった。だが見知ってはいた。他ならぬエイミーこそ、複数の術を同時に操りユマに向かって繰り出す張本人であった。

 ユマが思うに、恐らくこの少年は「特別」である。エイミーが操る変化の術は、オロ王国において秘技中の秘技である。読心の術に至っては誰に言っても信じてもらえそうにない。

 とにかくエイミーは間違いなく魔術の天才であろう。ユマが知る限り、精霊は破壊を好まない。シャナアークスが火尖を繰り出す度に火精は衰えて彼女から逃げて行った。それがこの世の摂理なのだ。だがエイミーは違う。彼の周囲を漂う精霊は――変な言い方だが――好悪を示さない。自然、エイミーが幾度弩発や雷震を繰り出そうが、精霊は減衰しない。

 この少年は精霊に愛されているのだ――ユマは漠然とそう思った。理由はわからない。そうであるとしか言いようがない。

 そしてユマが精霊に愛されるエイミーを真似て、同時に複数の魔術を繰り出そうとしていることは、彼もまた精霊の愛情を感じているからでもあった。それは、破壊にともなう精霊の減衰を、オロ王国において自分以外誰も知りえないという自惚れにも似ていた。

 もう、限界が近い。


(これ以上は――)


 いつまでも逃げ切れるはずもない。エイミーの射撃は、徐々にだがユマの跳び跳ねる軌道の先を向くようになった。散弾とはいえ、ひとつでも直に浴びればただでは済まない。どう避けようが、いつかは当たるのである。

 ユマが限界を感じたということは、エイミーは勝利を目前に見たということである。


(今、撃つか?)


 ユマは跳び跳ねながら左手で抱えるように集めた精霊の塊を見た。眩い金精が何やら小刻みに回転しつつ球の中央に向かって蠢いている。自分でもどれくらいの精霊をかき集めたのか、計るのが難しくなっている。勿論そんな余裕など皆無であった。


(もう――)


 耐えられない。今すぐにでも死と隣り合わせの状況から脱したい。そう思って魔術を放とうとした刹那、氷の刃物で背筋をなぞられるような感覚に陥った。

 ユマは、躊躇した。竜爪の術を破る自信がないのではない。恐らくそれは成就するだろう。問題はその先である。

 ユマの取った手段は最初から付け焼刃である。どうにもならない状況を打開したいだけに生まれた苦肉の策。脱した先には何もない。それでも何もせずに敗北するよりはいい。それは間違っていないとも思った。

 だが、この腹の底から伸び出て心臓を鷲掴みにするものは何であろう。不安――確かにそうだ。だがそれだけではない。より切実なもの。切羽詰まったもの。のっぴきならないもの。

 鼓膜が圧される感覚に、軽い吐き気。心なしか、体がずっしりと重い。

 それは予感ではあった。だが限りなく確信に近かった。

 エイミーと目が合った時、総毛立った。彼の視線はそのまま射線を意味する。捕捉されたのだ。エイミーは赤子のように無邪気な笑みを浮かべている。


――さよなら、ユマ。


 少年は一言も喋らない。言葉を放つには、あまりにも短い時間であった。


(畜生! 撃ってやるぜ、クソがッ!!)


 ユマは決断の全てにNOを突きつける己の直感に逆らい抜いた。振り切ったと感じた瞬間、今まで自分を支配していたのが恐怖であったことに気づいた。


「避けろよ、クソ餓鬼ッ!!)


 あまりにも優しく、そして身勝手な言葉と共に、渾身の弩発は放たれた――そのはずであった。


「かッは――!?」


 ほぼ同時に、そして指先で鍵盤を弾き流すようなリズムで、ユマの五体に次々と石の塊がめり込んだ。

 自らの勢いを殺せぬままに、ユマの体は地面にぶち当たり、無様に転がった。


「ユーユ!」


 竜爪の合間から、ユマが吹き飛ばされるのが見えたのだろう。チタータが叫ぶ後方では、アルンの手下たちが歓声を上げた。


「んッ……ッあ……」


 ユマはボロ雑巾のように地面に投げ出された格好のまま、喘いだ。

 特に腹に撃ちこまれた弩発が、もはやユマの跳躍を絶望的にした。臓腑が千切れたのではないかと思いたくなるほどの激痛に、滔々(とうとう)と涙が溢れ出た。

 エイミーは微動だにせず、少し離れた場所からユマを観察している。


(何があった?)


 そうは思っても、ユマは自分が散弾弩発の直撃を受ける瞬間に起こったことを鮮明に覚えている。何があったかではなく、何故そうなったかであろう。

 ユマは確かに弩発を放ったつもりであった。だが、金精と雷精、そして風精の巨大な塊は、ユマの命令を拒否した。いや、鈍重であったといった方が正しいのかも知れない。感覚として、それの引き金はユマが予想していたより遥かに重かった。まるで縮尺をそのまま十倍にした拳銃を握らされた気分だった。あるいは自分の背丈の二倍はあろうかという大弓。人力ではとても引けない強靭な弦の如く、弩発の術はユマの腕力を試した。

 ユマが激痛に叫び泣き、地面を転がりまわってもがかない唯一の理由は、自分の命が今エイミーに握られていることを意識しているからであった。感覚の何処かが麻痺し、全ての防衛反応が後回しにされた。

 エイミーは、しかしじっとユマを観察している。

 今弩発を撃ち込めばユマは死ぬ。だが彼はそれをしない。殺す気が無いのなら手加減すれば良い。どう料理しようが今は彼の自由である――なのにしない。

 しかしユマの混乱は、ほんの四、五秒ほどのことである。エイミーは今にも動き出すかもしれない。それはユマの敗北というよりは、ユマ・ティエル子爵によるティエレン統治の失敗を意味する。

 と、その時、エイミーの目に、初めて驚きの色が表れた。


「――ッ! ユマ……?」


 立っていた。何の苦も無く、ユマは起ちあがったのである。

 ふと、遥か上空から自分を見下ろす別の自分があることに気づいた。それは静かに冷めた目で、竜爪の術に囲まれた熱気を帯びた空間を見ていた。


(どうしてだ? どうして俺は生きてるんだ? 何故こんなにも簡単に立てる?)


 そう、エイミーの散弾弩発に直撃して生きているということが、既におかしい。散弾弩発は、明らかにその一つ一つに必殺に近い威力があった。ユマは避けながら、そして時にはかすりながら、それを確信していたのである。仮に死ななかったとしても、良くて半死半生だろう。エイミーが手加減をしたようには見えない。最後に彼が精霊を集めた時、ユマは精霊の活力を見ていたのだ。それが何故、こんなにも簡単に立てるのか。

 理由は一つしかない。何らかの力によって、弩発の威力が減衰したのである。


(観察しろ……ユマ。死にたくないなら――観るんだ……)


 最初、ユマは自分が放とうとした弩発がエイミーの散弾にかすったのではないかと思った。だがそれは明らかに違う。ユマの弩発とエイミーの弩発は触れていない。

 違和感、先ほどまでとは明らかに周囲を漂う空気が違う。それが、エイミーの逡巡によると気づくまで、数秒とかからなかった。

 恐らく、いや確実に、たった今弩発の直撃を受けたユマがあまりにも簡単に立ち上がったことは、少なからぬ衝撃をエイミーに与えた。そしてユマの心を読もうにも、そのユマ自身に見当がつかないのであるから、エイミーが警戒したのは当然だろう。何者かがユマを助けたという可能性を、彼はまず考えるであろう。

 ユマは、今のこの瞬間が、自分にとって天与の好機であることを十分に理解していた。その上で、どこか寝ぼけたような感覚で、周囲を視た。

 何かが視界を掠めた。


(塵?)


 空気中に漂うそれを目で追う。

 風を感じる。土の壁の外から、ユマの頬を叩きつけるように風が吹いている。ユマはその意外な強さに驚いた。先ほどまで己自身を弾丸のように繰り出して跳び跳ねていたのだから、気づかぬのも無理はない。

 風が見えた。

 いや、そう錯覚したのだ。だが、ユマは確かにそれを目でとらえた。


(何だ、これ……光ってる? 何が?)


 まるで細氷さいひょうのように空気中に煌めく光の粒を見止めた時、ユマは思わず――あっと声を出した。


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