表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貴く翔べ  作者: 風雷
101/115

第八章「アルンを殺せ」(6)

 炎上する家屋には、最初から誰もいなかった。アルンも部下を見張りに出していたから、チタータ達が未然に脱出したことを知っていた。その上で火をつけたのだった。いや、実際彼はそのようなことは命じなかったが、既に暴走しているも同然の集団である。誰がやったか、アルンにとって是であるかなどはこの集団の思慮の外にあるといってよかった。

 アルンが何を考えているのか、正確に理解している者は、この集団には皆無であったろう。

 如何にフェペス家の復興を唱えようが、如何にローファン伯の悪政に抗しようが、民衆を襲う彼らは暴徒と呼ぶべきである。

 まさに狂気の沙汰という他ない。領主の交代は、普通なら――いかな勢力でも――見極めの時間を置くところである。アルンの暴動に関しては、隙を見て反乱を起こしたと断定してよいものであった。

 火種なら常にあった。今までも何度かそれは爆発したものの、ティエレンの前の主であるローファン伯は自分に刃向う分子に容赦なかった。それで、アルンのような者達が小さな決闘騒ぎなどを起こしては鬱憤晴らしをするというのが、ティエレンの現状に不満を持ち、なおかつ支配者に牙向く勇気のない者達が選んだ道であった。

 その、愚か者としか呼びようの無い者達の前に、一人の男が立ちはだかった。


「やり過ぎたぜ、お前ら――」


 ルガは、たった一人でそこに立つことを選んだ。


「今日は……死人が出そうだ。だよな、ルガ?」


 武器を持って構える若者たちをかき分けて、一人の男が進み出た。アルンである。


「それで、よく立てるな」


 賞賛の言葉は、余裕からしか生まれ得ないだろう。それほどアルンの前に立つ男は満身創痍と言ってよかった。

 だが、誰も目の前の敵を虫の息だとは認識しなかった。

 目である。睨めつけている。どこから見ても立っているのがやっとの男が、眼光だけは恐ろしく鋭利だった。覚悟の足りない者は、それだけで後じさりした。


「兄貴、殺しはまずいですぜ……」


 手下の一人がルガの殺気に呑まれたようなことを言ったが、彼はすぐさまアルンの凍るような視線にさらされた。


「お前にはこの、濛々と立つ煙が見えないのか? 今更何を躊躇っている。もう後戻りなんて出来やしない。奴の息の根を止めてしまえ。そのままの勢いで、行けるとこまで行くんだよ。一度でも止まったら、今度は俺たちがああなる番だ。それがヤム犬のやり方だ」


 そう言いつつも、どうやらアルンはルガとの距離を測っているらしかった。彼は、決して突出し過ぎないような位置をぎりぎりまで保っている。


「及び腰だぜ、アルン……」


 ルガの挑発は、かえってアルンの立ち位置が実に彼にとって都合が悪いことを意味していた。普段ならこのような駆け引きでボロを出すような男ではないが、今は余裕が無さ過ぎた。

 アルンは、まるでルガを嘲笑うかのように、部下たちに対して号令を下した。ともあれ、彼らは訓練を受けた軍人ですらない。血気逸った数人が連携など脇においてルガに突撃しただけだった。

 瞬間、背後の家屋が火を噴いたのではないかと思うほどの轟炎が、男達にふりかかった。


「熱ッ!! 熱い――! 助けッ――」


 火だるまになった者こそいなかったが、三人ほどが炎に包まれて地面でもんどりうった。ルガの右手から滾る様に――文字通り――燃えている。


「なるほど、これが火鴉かあか。恐ろしいな」

「ほう、知っていたか。もう少し前に来い。お前だけは炭クズにしてやる」


 ルガの得意な術は、四風将棋の駒の配分にもよく表れているように、火術である。しかも、彼の場合は火精と他の精霊を混ぜ合わせることをしない純粋な火術を主とする。


「火計隊のルガといえば西方では有名らしいな。もっとも、肝心なところで火をつけ損ねて逐電したという話も聞くがな」

「へっ!」


 ルガはアルンの左右を見た。部下たちは動かない。それもそのはずだ。今までのルガは、決闘でもこれほど強力な魔術を使うことは無かった。相手を死に至らしめる危険があったからだろう。それをルガの実力そのものとたかを括っていた者たちが格の違いを見せつけられて意気消沈するのも無理はない。


「アルン――前までのお前は、ただのごろつきだったから生かしておいた。だが今日ばかりはそうもいかない」

「ほう、どうするつもりかな?」


 アルンは確かに危険だが、これまでの彼はルガが殺人を覚悟するほどの脅威ではなかった。跳ねっ返った牙を叩き折り、ティエレンから追放できれば十分だったのだ。だが、昨晩のアルンばかりは勝手が違った。今までの彼とはまるで別人とでもいうべき、圧倒的な技量を身に着けていた。それに――


(目だ。あれを生かしておくとロクなことにならない。俺の直感がそう言っている)


 ごたくが多いだけのただの跳ねっ返り、ごろつき、小物、決闘好き、酔っ払い――あらゆる軽蔑の言葉がこれまでのアルンをよく表していた。だが、今はもう違う。彼はもはや脅威としか言いようがない。アルンが何故ここまで豹変したのか、ルガにはわからない。新しい師でも見つけたのだろうか。それにしても変化が大きすぎる。

 ともあれ、ルガは火術なら王都の闘技場で食っていけるくらいの自信はある。今のアルンとの一騎打ちなら、勝てないかもしれないが、負けることもないと思っている。


「頭の傷が酷そうだ。良い医術士を紹介してやろうか?」

「そんな命知らずに見えるかい?」

「ああ、十分に――」


 医術士に頭を診せる――とは、命知らずを揶揄する言葉である。

 それが頭に来たのかどうか、ルガは、今度は両手に火鴉を造り出した。一見、相手に炎をぶつけるだけの単純な術である。単純であればシャナアークスの高等魔術である火尖と違い低級の風術で防ぎ得るが、火鴉の恐ろしさはそこにはない。


「お前ら、何を見ている? やれ――!」


 アルンは再度部下に命令を下した。これほどの優勢でルガと一騎打ちをするほど愚かではない。

 火鴉の真価は、炎その物よりも、火種にあった。ルガは火精が炎を発する直前の状態でそれを留め起き、敵に投げつけることを得意としていた。拳に纏わりつく炎のような形で存在する火鴉を拳ごと振るうと、それが敵に付着する。風精で弾き飛ばしても、それは雨粒全てを避けることができないのと同じく、必ず火の粉を浴びることになる。いわば、躱せない。ルガの火術が優れているのは、火種が自分に返された場合、発火しないという器用さにあった。元より戦場で磨いた魔術である。人よりも森や家屋を燃やすことに特化してはいるものの、戦闘にも十分に応用可能であった。

 ルガの誤算は、アルンの手下が意外にも戦意喪失していないことにあった。


(どういうことだ?)


 辛うじて動く四肢を無理矢理駆動させながら、ルガはがむしゃらに襲い掛かる素人の集団を一蹴した。彼らの内の数名は、顔に火種を浴び、死なぬまでも深刻な火傷を負ったはずであった。だが、一度倒れた者達がまるで何事も無かったかのように起き上がり、再度自分に襲い掛かってくる。


(点火し損ねたか?)


 いや、手応えはある。肉の焦げる酷い臭いとともに、それはルガが確信するところである。だが、信じがたいことに、傷を負っている者はほとんどいない。手応えはあるのに敵を倒せないという奇妙な現象が、ルガを更に劣勢に追い込んだ。

 元より一人で相手に出来る数ではない。最初は数人に火傷を負わせ、他の連中が尻込みしたところでアルンを叩く算段であった。それが脆くも崩れ去り、今は不死者の群れが如き敵に相対することになってしまった。

 だが、それでもルガという男は当初の目的を一切曲げない。


(アルンを殺す――!)


 全てはその一点に収束した。殺せないなら、自分が死ねばよい。チタータ達が逃げる時間稼ぎくらいは出来たであろう。新たな領主ユマ・ティエルなら――確信にも似たルガの予想が正しければ――確実にチタータ達を庇護してくれる。その先に自分がやるべきことは何もない。

 ルガは、違和感の原因がアルンによる何らかの魔術であると断定した。よくわからないが、自分の手ごたえの方を信じ、襲い掛かる者達に炎を浴びせ続けた。

 やがて、立ち上がる者より臥せる者の数が勝り出した頃――それは同時に、怪我と疲労でルガの意識が暗転するかどうかの境目でもあったが――ルガは初めて射程内にアルンを捉えた。


「ルガ、お前にいいものを見せてやろう」


 今にも火鴉を放とうとするルガに対して、アルンは不敵な笑みとともに勝ち誇った。

 すんででルガの手が止まった。アルンのすぐ背後に連れてこられたその者達は、剣を突きつけられたまま微動だにしなかった。


(チタータ……)


 逃げ損ねた仲間たちは、当然のように人質に取られた。


「何を言わずともわかるだろう? 自分が何をすべきか――」


 アルンの笑みが徐々に邪悪に濁ってゆくのを、ルガの殺気に満ちた瞳だけが捉えていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ