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貴く翔べ  作者: 風雷
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第一章「原初の声」(1)

 湯山翔(ゆまかける)という男がいる。よく間違えられるが、「ゆやま」ではない。

 背は高く、痩躯(そうく)である。目つきが少し悪いが、笑うと大きな笑窪(えくぼ)ができる。鼻筋がしっかりしていて、よくみてみると美顔であるようにもみえる。ただ、猫背なのと腹から声を出さないせいで、彼を遠くから見た人は、なにやら陰気な印象を受ける。

 話してみるとわかることだが、非常におしゃべりで、自分の得意な話題になると何時間でも話し続ける。相手が聞いているかいないかはどうでもよいらしく、それもそのはずで、彼は話しながら自分の考えをまとめる性質(たち)なのだ。その典型として、他人の話――特に自分が興味を持てない話題――を聴かない。会話イコール思考であるこの人種は、実に自由詩的な――つまるところ非機能的な――思考回路を持っているのだが、それ自体が言語を超越した自己完結に終始しているために、論理立てての熟考やディベートなどに関しては哀れなほどに無能だ。この手の人間は自分の知らないところで敵をつくるが、どこか憎みきれない一種の愛嬌(あいきょう)も持ち合わせている。

 湯山は本が好きだ。

 とはいえ、小難しいものは読まず、やや現実離れした歴史ものなどは彼の嗜好(しこう)によく合っている。

 二十六という年齢は、冒険や幻想を現実に持ち込みたくなるくらいに(あこが)れるには、随分と遅い。故に彼は、精神が子供じみた憧憬(しょうけい)を脱ぎ捨てることなく年を重ねてしまった者の一例として、書物から故人の生き様を知り、それを楽しむ事で自分の人生の心細さを慰めている。暇な時間に歴史小説などを取り出して、それを読むくらいでしか、湯山は生きる虚しさを忘れる術を知らなかった。


「湯山の血は古いぞ」


 と、足が悪いくせに未だに警備員の仕事を続ける父が、酒臭い息と一緒に吐く言葉が、湯山にとってはやりきれないことがある。

 どうやら、湯山家は何代か前には大陸に住んでいて、遡ればどこかの王家に繋がっているらしい。父が言うには、湯山はもとは唐山(とうざん)であり、これは大陸の洒落(しゃれ)た呼び名である。


「アホくさ……」


 湯山家の現状を知れば、彼の嘆きもわかるだろう。何百年も昔の王侯貴族の後裔らしい(・・・)この家は、どう考えても豊かではなく、当の父は安月給の警備員で朝も夜もなく働いており、派遣社員を勤める湯山自身も、ひとつどころに留まることもできずに、昨日知り合った相手に(あご)で使われる日々をすごしている。

 その癖、父から実を伴わない家格ばかり言い含められたせいか、妙に誇り高い。

 分不相応というべきだろう。幼い頃、少しばかり勉強ができたことで、母が期待をかけ過ぎたせいもあるが、とにかく湯山は高校時代に挫折を味わい、大学に進学しても周囲に溶け込めずに、学費を稼ぐという名目でアルバイトに打ち込み、ついには退学してしまった。

 それでいて人に使われたくないという戯言(たわごと)を抜かす男に、何かを報いるという機能を、世間は持っていない。


「もうちょっと高けりゃなぁ……」


 給与明細を破り捨てながら、つぶやく。湯山はこんな男だった。

 世間が自分の能力を生かすように出来ていないのだ――と思うほどには、湯山は世間知らずではない。人の能力とは、その者が革命家か芸術家でもない限りは、人間社会にどう適応するかで優劣が決まる以上、右の言葉は自分の無能を棚に上げて、(さか)しらに叫んでいるに過ぎない。そんな恥ずかしい真似をしでかすほどには、この男は馬鹿ではない。

 誇り高いと書いたが、周囲から見るとそうでもない。他人に馬鹿にされても、へらへらと笑っているだけで、およそ湯山の周囲の人間はこの男が怒っているところを見たことがない。ただし湯山本人は自分が短期であることを自覚しており、それが露わになるような状況を常に避けている。

 湯山は自分が時々わからない。


――あなたはこうなのよ。


 と、やさしく――あるいは厳しく、指し示してくれる恋人や友もいない。彼らも多分、湯山のことがよくわからないのだろう。だろう(・・・)どころか、面と向かって言われることすらある。


「――てめぇは自分のことがわかるのかよ?」


 そうやって言い返してみるが、はっきりいって湯山にはどうでもよかった。自分のよくわからない箇所、というのは何やら気宇の大きな人みたいで、どこか好いていた。こういう意味では湯山は自分が好きな人間である。

 彼にとっての一大事は、よくわからない自分のことではなく、生きていることに退屈を感じ始めた自分がいることだった。

 以前はインターネット上で特定の人物がバッシングされているのを見ても、祭気分で無意味に騒ぎ立てる連中に腹を立てたが、最近は彼らに近い視点でものを見るようになった自分に気づいた。


――滅びろ。滅びろ……


 自分が下衆な趣向を喜ぶようになったことよりも、人の不幸を楽しむ理由がただの退屈であったことが、はっきり言って湯山には苦痛だった。


「つまらない……」


 自分の生き方が、何よりましてつまらない。



 退屈は人類の敵である。

 と、いいたくなるのは、湯山が――その小心さからはちょっと考えられないが――面白さ目当てに悪事に手を染めたことだ。

 勿論、当の本人は金目当てのつもりだが、少し頭を働かせれば、ほんのはした金を得るのにわざわざ危険と罪悪を同時に担ぎ込む必要はない。こういったものに首を突っ込む楽しさは、大抵の人間は十代の頃に脱ぎ捨ててしまうのだが、平穏かつ陰鬱な学生時代を過ごしてきた湯山にとって、これは(まぶ)しいくらいに新しい体験だった。


(悪いことをすれば、いずれ捕まる……)


 捕まるのは悪事を続けるからだと、湯山は思い込んだ。なに、右も左もわからない老人から小遣いを貰うだけだと、湯山はかすかに芽生えた罪悪感を握りつぶした。


(俺は器が小さい……)


 と、湯山が頭を抱えたくなるくらいに悩んだのは、老人をだまくらかして小金を得たことではなく、結局のところ罪悪感に耐えかねた自分が、盗んだ金を丸々老人に返してしまったことだ。無論直接ではなく、郵便受けにしのばせるという、いかにも小心丸出しの方法で。


「退屈でなけりゃぁ、良いのさ」


 自分を慰めても虚しさは止むどころではなく、さらには冷や汗をかくほどに怖気(おじけ)づいているのは、彼が同じく悪事に手を染めた仲間を裏切ったからだ。湯山の知り合いの中でもずいぶんと性質の悪い男で、今回の失敗をだしにこれから付きまとわれるようになるかもしれない。


(逃げたい!)


 と思ったのは一瞬で、すぐに腹が据わった。熟考して覚悟を決めたのではなく、思考を停止することで結論を早めたのだ。湯山にはこういう想像力の欠陥からくる楽観癖がある。


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