八. 〇屋にて
「虎之助ちゃん。輝平ちゃんっていっつもあんななのかい?」
奉行所を出るなり横を歩いていた涼次郎がふいに虎之助にそう話しかけてきた。
「ああ。ま、昔っからだな」
「はぁ……大変だねぇ」
しみじみと言う。
言われた虎之助は、成次郎と共に先を歩く輝平の背中を見ながら苦笑するしかなかった。
今三人は、新たに成次郎を加えた四人で奉行所から日本橋橋本町にあるという○屋へ向っている。
そして涼次郎がしみじみと虎之助に同情したその理由。
それは奉行所での一幕にある。
奉行所まででも大概自由奔放だった輝平だが、奉行所ではついにその傍若無人ぶりを遺憾なく発揮した。
この時代。
町人は武士に逆らってはいけない。
それは理屈ではなく世の中の道理だ。
例えそこにいかなる理不尽な事由があろうとも、それを歪めてはならないのが、身分制社会というものである。
が。
輝平にそれは通じない。
もっとも、今回のそれはそれほど大袈裟な物では無い。
大袈裟な物では無いのだが……普通はやらない事をやった。
三人が成次郎の「おさきちゃんはうちに居ます」発言の直後大声を出した時。
「お前達はさっきから五月蝿いのだ!!!!」と憤った真三郎に対してこう言った。
「ああ?てめぇの方がうるせぇんだよ。関係ねぇヤツは引っ込んでろ」
と。
いやいや押しかけたのこっちだし、とか、邪魔してんの俺達だろうが、とか突っ込みたいのは山々だが、顔色を赤から青に変え、握った拳が震える程に怒りを覚えている武家の若君を前に、小市民の虎之助と涼次郎はどう取り繕ったら良いか分からない。
とりあえず輝平の頭を引っぱたき、二人掛りで無理矢理畳に押さえつけ(虎之助が足払いを掛け、涼次郎がそれを押さえ込んだ)暴れる輝平を更に押えながら平謝りを繰り返してみた。
すると、そんな二人の一連の動作に、まず奉行の中山が「堪忍してやれ、真三郎」と取り成してくれ。
続いて堰を切ったかのように笑い始めた成次郎が重苦しい場の空気を変えてくれた。
そして
「真さんに向ってここまで思いっきり言うヤツ、俺以外に初めて見た。面白れー」
と言い、
「真さん、ごめんね。とりあえず俺、こっちの用件片付けてくるわ」
と続けて三人を強引に部屋から引きずり出してくれた。
勿論その間、当の真三郎は固まったままである。
成次郎は
「いや~良く言うねぇ~アンタ。びっくりだわ」
奉行所を出てまず最初にそう言って輝平の肩を叩いた。
「何がだよ?」
「真さん相手にあんな事言うなんてさ。俺はあいつの情夫だし、俺のこの調子にもいい加減馴れてくれてるけど、本当は結構気難しいんだよ?」
「んなの知るか」
「そう。それを旗本の息子だって分かってて言っちゃえるって所が凄いよ。斬られたらどうすんのさ?」
「あ?誰がんな鈍臭ぇマネするかよ。これでも賭場じゃ俺にケンカ売るヤツはいねぇぐらいには腕っぷしはあるんだぜ?」
得意気に自慢しだした輝平だが、その内容に死ぬほど驚いたのは虎之助だ。
「賭場?!おい、輝平!!お前いつんなトコにまで通うようになってんだ?!」
「あ?安心しろ、オヤジや翔之介の世話んなるようなマネはしてねぇ」
「そういう問題じゃねぇだろう?!」
「いちいちうるせぇなぁ、ったく。お前もおさきも説教しかしねぇ」
「されるようなマネばっかしてんのはお前だろうが!!」
「へぇ~。おさきちゃん、紀伊屋の若旦那とも仲良いんだ?」
「仲が良いっていうか、幼馴染なんだ」
「ふうん。やっぱ材木繋がり?」
「そうなんじゃねぇの?」
と答えた所で「ちょっと虎之助ちゃん」と涼次郎に袖を引っ張られた。
「何だよ?」
「良く知らない人相手にそんな自分の事ぺらぺらしゃべっちゃいけないよ!!」
「は?別に大した事じゃねぇじゃん」
「アンタが大した事ないと思ってても、実はそうじゃない事が混ざってたらどうするんだよ」
「は?」
涼次郎が何を言いたいのか、虎之助には全然分からない。
「ああ、もう!!」
とその反応に涼次郎が焦れた声を出した。
「だから。そう簡単に他人を信用するなって事!!」
「いや、そんな話してねぇだろう?」
「だから。今の会話だけじゃなくて」
「あはははは。さすが、居酒屋の息子だけあって海道屋の若旦那の方が世間ってモンを知ってるね」
つい大きくなってしまった涼次郎の声で話の経緯に見当をつけたのだろう。
どこか皮肉げに見える笑いを浮かべながら、成次郎が振り返った。
「あのね、紀伊屋の若旦那。海道屋さんが言ってるのは、世の中どんな話が元で足を引っ張られたり潰されたりするか分からないから気をつけろって事。特に俺なんて何の商売してるかも分からない人間の前では、ね。そういう事でしょ?海道屋さん?」
「ああ、そうだよ。ほんっと虎之助ちゃん人が好すぎるんだよ」
「っ!!」
それは良く言われるし、自覚もある。
だから騙されやすいし、駆け引きも出来ない。
確かに実務面でも控えめに言って少々難があるのに加え、そうした性格だから長男でも跡取りではないのだ。
「うるせぇな、お前には関係ないだろう?!」
一番言われたく無い事を言われムキになる。
それを感じ取ったのか。
涼次郎は困ったような顔をして頭を掻きながら
「関係無いけど……何か放っとけない感じなんだよねぇ……」
と途方に暮れたような物言いをした。
「何だよ、それ?」
「何て言うか……俺と友達になってくれませんかね?」
「はあ?!」
「ぶはっ!!いきなり告白!!」
「虎之助、お前ほんと男にはモテんのな」
「う、うるせぇ!!!!」
「俺は本気だからね、虎之助ちゃん」
「ややこしい言い方すんじゃねぇ!!」
「盛り上がってるトコ悪いけど。店、着いたよ」
ギャアギャア騒いでいた三人は、その瞬間面白いようにピタっと動きを止めた。
「さあて。○屋へようこそ」
そう言って成次郎がどこにでもある藍染に毛筆で書かれた白い○の暖簾を開ける。
中へ入り周囲を見回し、そして。
「「おさき!!!!」」
「輝ぃちゃんに虎ちゃん?!」
幼馴染三人が再会した。
瞬間、許婚者同士のケンカが勃発した。
「おさき!!てめぇこんなトコで何してやがった?!」
「何よ。輝ぃちゃんには関係無いでしょ!!」
「関係無きゃここには来ねぇよ!!お前のせいで朝から町ん中走り回らされてんだぞ、こっちは?!理由をちゃんと言えっ!!」
「何よ、偉そうに!!どうせ面倒臭い事押し付けようと思って虎ちゃん巻き添えにしたんでしょう?!」
「んだと?!生意気言うな、この不細工!!」
「何よ、輝ぃちゃんのバカ!!女たらし!!親不孝者!!!!」
「んだと、このオカメ!!」
話の内容がどんどん子供の悪口大会に落ちていく。
こうなるとおさきの語彙が尽きるまで終わらない。
「ほんと笑い事じゃないよな」
そう静かな声で苦笑と共に言ったのは、どこか成次郎に似た雰囲気の、綺麗な切れ長の目をした男だ。
「おい」
心底面白そうな顔をして口喧嘩を見ている成次郎をつつく。
「ん?ああ。兄貴で一応ここの主」
「あ、どうもすみません。紀伊屋の虎之助です」
「どうも。○屋主人の伊兵衛です」
「あ、俺は海道屋の涼次郎です」
「これはどうも。あの有名な涼次郎さんご本人にうちの店で会えるとは思わなかったな」
「へへへ」
「自己紹介はそれぐらいにして、まずあの騒ぎを止めてもらえませんか?」
「あ、すみません」
慌てて伊兵衛に頭を下げる。
と「へ?」と伊兵衛が驚いたような顔をした。
「いや、今早く騒ぎ止めろって……」
「いや、言ってませんが?」
「え?」
じゃあ成次郎かと思ってみれば、当の本人はこちらなどまるで見ていない。
それどころか、いつの間にやらおさきの側に行って何やらいらない事を吹き込み更に煽っているらしく、慌てた涼次郎が「成次郎ちゃん」と諌める声がしている。
では一体声の主は誰なのか。
「私なら後ろに居ます」
「え?」
言われて振り返る。と
「うわっ!!」
思った以上の真後ろに人が居て虎之助は思わず飛び上がった。
そして。
(綺麗だ……)
その少年を見た瞬間、咄嗟にそんな事を考えた。
顔形とかではない。
ただ、その佇まいが美しいと思い、そう思った自分に戸惑う。
「どうかしましたか?」
何の反応もしなかったからか、訝しげに問い返された。
良く見れば、年の頃は自分と変わらないのではないだろうか。
が、その割に随分と華奢で小柄に見える。加えてまだ前髪を残して総髪風に結っているおかげで、その筋にはモテそうだ。
「え?!い、いや、何も……。ってか、いつから居たんだ、あんた?」
「最初から居ました。あなたが気付いていないだけです」
「で、誰?」
「私もここの人間です。千之輔と言います。それで紀伊屋の若旦那さん。あの騒ぎ、止めてもらえませんか?成次郎兄さんがすっかり調子に乗ってしまっているので、早くしないといつまでも終わらないと思います」
「え?あ、おう。つか、兄さん?」
「はい。私は二人の弟です」
「弟……」
それにしては似てないな、と思う。
上の二人が切れ長なのに対し、千之輔というこの男は丸い目をした童顔である。
が、兄弟でも顔立ちが父親系と母親系に分かれるというのは良くある事だし、世の中一言で兄弟と言っても色々ある。
虎之助は深く考えるのは止め、確かに始まった時よりも盛り上がっている輝平とおさきの元へ一歩足を進めた。
「おい、お前らいい加減にしろ!!」
「ああ?!」
「何?!」
二人一斉に睨みつける。
そして同時に「てめぇは黙ってろ!!」「虎ちゃんは黙ってて!!」と怒鳴りつけた。
夫婦喧嘩は犬も食わないとは良く言ったものだ。
この二人の場合、そこに腐れ縁まで付くから、本当に他人にはどうしようもない喧嘩をする。
が、そうも言ってはいられない。
成次郎は困り果てた顔になってしまった虎之助を見てにやにや笑うし、涼次郎は途方に暮れた顔でこちらを見てくる。
さて自分を焚きつけた本人はと見ると、呆れたような顔をしていた。
虎之助はふぅっと大きな溜息をつくと、改めて深呼吸をしてから
「お前らほんといい加減にしろ!!おさき!!輝平だけじゃなく俺までここに居るって事もっとちゃんと考えろ!!輝平も、さっさと帰りたいんなら勝てねぇ口喧嘩いつまでもしてんじゃねぇよ!!」
と大声を出した。
「虎ちゃん?」
「はあ?!勝てねぇ喧嘩って何だよ!!」
「お前今までおさき言い負かした事ねぇだろうが。最後は手ぇ出すか捨て台詞吐いて逃げるかしか出来ねぇくせに」
「っ!!」
「虎ちゃん、それどういう意味?」
先ほどまでとは打って変わったように、真面目な顔になっておさきが言った。
元々頭の回転は早い娘である。
ただ、輝平相手だと理屈抜きに幼稚になって熱くなってしまうのだが、さすがにこの虎之助の言葉尻には気付いてくれたらしい。
「おい!!おさき!!」
「輝ぃちゃんは黙ってて」
ピシャリと跳ね付けるように言われると実は輝平も弱い。
今までの騒ぎが嘘のように静かな店内になった。
「ねえ、虎ちゃん。言って。どういう事なの?」
「お前、昨日からずっとここに居るんだって?だったら誰か使いに走ってもらえば良いのに何もしねぇから、オヤジさん達は行方不明になったって心配してるんだ。しかも良太を巻いてすっ飛んでいったもんだから、番屋にも言いづらいらしくてさ。で、許婚者だからって輝平に探してくれって話が桐ノ屋にいったんだ」
「で、輝ぃちゃんが虎ちゃんを巻き込んだって事なのね」
「そういう事だ」
「それは……本当にごめんなさい……」
ようやく反省したらしく、おさきが頭を下げた。
次回更新は14日になります。




