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○屋よろづ事顛末記  作者: 霜月ニ條
第一章 事の始まり
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三. 手代が言う事には





いつ来ても桐ノ屋の屋敷は広い。

虎之助の家とて普通の長屋に比べれば随分と広い方だが、桐ノ屋はその一回りぐらいは確実に大きい。

店から続く廊下を突き当たり、中庭を眺めながらコの字型になった縁側を歩いた、更にその先にある部屋に良太は居た。

「すみません!!」

二人が中に入った途端目に入ってきたのは、畳に額を擦りつけるぐらいに低く頭を下げて、口癖のようになっている謝罪の言葉を口にする良太の姿だった。

「詫びは良いから、何があったのか説明しろ」

ドカっと座りながら偉そうに輝平が言う。

すると

「すみません、すみません!!」

と再び良太が頭を下げた。

「いやだから……」

「すみません、私が頼り無いばかりにお二人にまでご迷惑をお掛けして、本当にすみません!!」

「だから、何があったんだって訊いてんだろ?」

「すみません!!」

「良太!!」

痺れを切らせた輝平が大声で怒鳴りつける。

「はい!!あ……すみません……」

それで我に返ったのか、それまでの異常な連呼とは違う、大人しい「すみません」が出た。

「慌てるのは分かるけど、とりあえず落ち着けよ」

「はい、すみません。もう大丈夫です……」

「ほら、とりあえず茶でも飲めよ」

「あ、すみません」

真っ青な顔をして強張った表情の良太は、虎之助の言葉に初めて目の前にある湯呑みの存在に気付いたらしい。

余程喉が渇いていたのか、緊張していたのか。

一気に飲み干すと、ほぅっと大きく息を吐き出した。

「で?何があったんだ?」

「はい。実は……」

と良太が語り始めた所によると。

そもそもの始まりは、おさきの友達であるおみつが行方知れずになった事にある。

おみつというのは炭屋町からほど近い、正木町に店を出す小間物屋・浜野屋の娘である。

おさきとは琴と唄いの師匠が同じで、何度か顔を合わせる内に歳が同じ事もあって仲良くなった。

丁度二人の稽古が入れ替わりになる時など、先に終わった方が近くの茶店で時間を潰して一緒に湯に行く。

そんな事もしていたらしい。

ところがである。

昨日、琴の稽古に行った時の事だ。

二人が仲が良いのを知っている師匠が、おみつが来ていないから帰りに様子を見てきてやって欲しいと言ったのだそうだ。

何でもおみつは琴と唄いを極めてお武家屋敷に奉公に行き、見初められて妻になる、という野望を抱いているそうで。

店から師匠の家までの道程で見る町の賑わいが楽しみで、習い事は単なる親の小言封じと暇潰し。

そんなおさきと違い、おみつはそれはそれは熱心に稽古をしていたのだそうだ。

実際の所、野望を達成するには些か年を喰っているのだが、それを指摘した時、琴の名手として噂になればお屋敷に招かれるという道もある、と言って返した程の本気ぶり。

良太でさえ知っている話なのだから、それを師匠が知らない筈は無い。

病気なら病気で店の者がそれを伝えに来るにも関わらず、何の音沙汰も無くおみつは稽古を休んだ。

それも二回も、だ。

師匠の頼みというのもあるが、何より二枚組の櫛を一枚ずつ挿す程の大の親友の異変である。

一肌脱ぐのが当然だ、とばかりに張り切ったおさきは、その帰り道に早速浜野屋へ立ち寄った。

すると、今度はまた別の相談を持ちかけられたというのである。

「なげーな」

元々大人しく人の話を聞く事が苦手な輝平が茶々を入れた。

「すみません、すみません」

「おい、話の腰折るなよ。で?」

「すみません。それで……」

浜野屋は浜野屋で、ここ一ヶ月ばかりの間に起こった娘の豹変振りにどうしたら良いのか途方に暮れていたのだそうだ。

というのも、おみつ。

「やっぱりお武家様の家は無理よね」

と野望を諦め、商人の嫁で良いと言い出していたというのである。

さすがにそれは初耳だったおさき。

一体何が?と問い質した所、ある店に頻繁に出入りするようになっていた、と聞いて、ああ、と納得すると同時に眉を顰めた。

その店というのは、神田鎌倉河岸近く三河町にある海道屋という酒屋兼居酒屋である。

本来は酒を個人向けに販売するだけの店だったのだが、客の要望に合わせて茶碗酒を売ってその場で飲ませるようになり、そこに肴をつけた所評判になったので、そのまま店の半分を茶店のような居酒屋に、残る半分でそれまで通り酒の小売をするようになった。

それが一年程前、放蕩息子と悪評のある次男、涼次郎が店を手伝いだしてから更に様相が変わった。

何と昼八つの間丸々一刻、居酒屋部分を休んで簡単な舞台を見せ、その間は甘酒と菓子としること茶しか出さないという、一風変わった商売を始めたのである。

舞台というのは、涼次郎が行うもので、中身は流行りの歌舞伎の踊りや名場面を台詞や三味線付きで見せるという物。

それでこの涼次郎というのがまた水も滴る好い男で、しかもそれが素人にしては中々見事に踊ったり台詞を言ったりするものだから、娘受けがすこぶる良い。

店が出す飲み物もそうした娘向けの物に限定し、酒飲み達を敢えて遠去ける事でより立ち寄り易くする。

そうした配慮が見事にはまって、今では三河町界隈の名物になる程だ。

おみつは、その涼次郎にぞっこんになった、のである。

実はおさきもおみつに誘われ、一度だけ観に行った事があるのだそうだ。

だが、芝居と言っても正直ピンと来ないし、涼次郎自身も遊び人の優男といった感じが全面に感じられて好きになれない。

ただ、踊り自体は見ていて不快に感じなかったから、おそらくそこは頑張っているのだろうと、そこにだけは好意を持った。

「何で分かんだよ?」

「お嬢さんがご自分でそう仰ってましたので」

「アイツ、何でも言うよな」

「お前が言うなよ……」

「すみません」

「だからお前が謝ってどうすんだ?!」

「いい加減腰折るの止めろ、バカ輝平!!」

「んだと?!」

「話が長くてすみません!!でもまだあるんです」

「だりー」

「いいからもう黙れって!!」

「すみません……」

さて海道屋。

涼次郎の色男振りが噂になり、何でも浮世絵にまでなったとの事で、この一ヶ月、舞台の方は朝の開店時間から舞台待ちの客が出るようになった。

宣伝になる一方で、入り口を塞がれて困ると周りの店から苦情も来る。

そこで串団子一串やしるこ一杯が四文、甘酒一杯が八文というこのご時勢に、床机席一人分百文と言うとんでもないぼったくりな値上げをしてみたのだが。

それでも客足は鈍らない。

確かに歌舞伎の土間席(二百五十文)よりは安いが、それでも見世物小屋(二十四文)に比べれば随分と高い。

にも関わらず一度は席の取り合いでケンカになりお役人が出張った事もあったとか。

言ってみればただの素人芸なのだが、これほどの人気とは恐れ入る。

おみつもまたご他聞に漏れず、朝から並んで一番前に座れた、今日は後ろから三番目の床机だったと一喜一憂していたそうだ。

そんな風だったから、居なくなった日も朝から姿が見えなかったけれど、きっと海道屋の列に並びに行っているのだと家人は皆思っていた。

何せ時間が時間だ。

習い事に行く日などはお供の女中に並ばせておいて、本人はその間に稽古を済ませたりしていたらしい。

ところがである。

いつもならとっくに帰っている筈の時間になってもおみつは戻って来ない。

しかも店の中を良く見てみたら、いつもおみつと一緒に出かけているはずの女中が居る。

改めて思い起こせば、その日は習い事が無い日だった。

ではおみつはどこへ行ったのか。

最初は、良い席が取れずに不貞腐れてどこかでフラフラと遊んでいるのだろうと思ったそうだ。

本来おみつはそんなだらしの無い娘では無いのだが、如何せん涼次郎にはまってからの所業が悪すぎた。

小遣いだけでは足りないからと、母に泣きつき父に泣きつき番頭に泣きつきと見境無く金を強請っていたのである。

だが、さすがに日が落ちて夕食時になっても帰らないとなると話が違う。

十六を過ぎても武家屋敷に嫁ぐ野望を抱く、という事は裏を返せばそれだけ世間知らずだという事だ。

どこかで何か面倒に巻き込まれたのではないだろうか。

良からぬ輩の甘い言葉に誘われて、付いて行ってしまったのではないだろうか。

そんな不安が一気に押し寄せる。

そうして一夜が明け、両親は一縷の望みを懸けて海道屋へ行った。

もしかしたら、一番を取る為に三河町近くの船宿にでも転がり込んでいるかもしれない。

そう思ったのである。

しかし、既に何人か並んでいる娘達の中におみつの姿は無かった。

丁度その時小売の店を開ける為に出て来た丁稚に訊いてみると、確かに前日おみつはここに来て涼次郎の舞台を見たという。

だがさすがにその後の事までは分からない。

そこで諦めた両親はその足で自身番屋へ行き娘の行方を捜してもらう事にした。

それが丁度三日前の話だという。

「それで何でおさきが居なくなるんだ?」

「それが……」

「何だよ?」

「だったら自分も探す、とおっしゃいまして」

「はあ?!」

「アホか……」

「すみません。私もお止めしたんですけど、聞いて下さらなくて……本当にすみません」

確かにおさきは無鉄砲なお転婆だ。

それは虎之助も輝平も良く知っている。

知ってはいるが、さすがに今回ばかりは呆れるしかない。

「で?どうした?」

「はい……」

とんでもないお転婆というのは、すなわち娘らしからぬ行動力を持っているという事だ。

おさきは、やはり手がかりを得るには最後の目撃証言がある海道屋に行くべきだと思ったらしい。

そこで海道屋に行き、舞台の片付けも終わりすっかり酒飲み達の溜まり場と化している居酒屋に乗り込んで、涼次郎を出せと騒いだのである。

「嘘だろ、おい……」

「へぇ、面白れぇ。おさきのヤツ、やるじゃねぇか」

「輝平!!」

最初は驚いた店の者も、炭屋小町として名の売れているおさきを密かに贔屓にしている客達の声に負けて奥へ行き、涼次郎を呼び出してくれた。

「こんな格好ですまないね」

と着物を羽織って軽く帯で留めただけという格好で出て来た涼次郎は、男の良太の目から見ても一瞬ドキッとする程艶っぽかったそうだ。

しかしおさきはそれに気付いているのか、いないのか。

下着同然の格好で出て来たにも関わらず、顔を赤らめるという事すらせずに

「おみつちゃん、どこ行ったの?」

と問い質した。

涼次郎曰く。

確かにおみつという娘が床机席の一番前の列に居たのは知っている。

だが、そこから先、どこへ行ったのかまでは分からない。

そういえば確かにここ二日は見てないけれど、飽きたかお金が無くなったかだと思って余り気にしなかった。

と言う。

が、しかし。

「あ……そういえば」

と一つ思い出してくれた事があった。

「昨日だけど、おみつちゃんのご両親以外にもおみつちゃんの事聞きに来た人が居たねぇ」

と言う。

ではどんな人相だったのかと尋ねたのだが、この若旦那、頼りない。

「女の子なら忘れないんだけどねぇ……男だったからなぁ」

ときた。

それでもなおおさきが食い下がると、今度はこの遣り取りを聞いていた店の客が情報をくれた。

その男は、濃紺色地で背中に大きく白で(まる)と描かれた半纏を着ていたらしい。

店の場所はと尋ねると、さすがにそれは分からないという。

そもそもその「○」というのも屋号かどうかも分からない。

それでも重要な手がかりだと息巻いたおさきは、今度はその半纏の男を捜すと言い出した。

それは無謀だと必死で止める良太の言う事などまるで聞かず、それどころか「さっさとしないと置いていくわよ?!」と言って礼もそこそこ店を出る始末。

それでいつも通り、店内の隅々に向って「すみません」を連発して慌てて跡を追おうと店を出たのだが。

「そこで見失ってしまったんです」

そう言うと、良は心底申し訳なさそうな顔をして、小さな声で「本当にすみません」と言ってまた額を畳に擦りつけた。



次回更新は26日になります。

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