十.訓練 その1
虎之助達が〇屋に戻った時、中には伊兵衛の姿は無く、珍しい事に成次郎がヒマそうに帳場に座っていた。
「ただいま戻りました」
「おかえりぃ~千ちゃん、紀伊屋にヘンな事されなかった?」
「はい?」
「変な事って何だよっ?!」
本気で不思議がっている千之輔と目を丸く見開いて突っ込む虎之助に成次郎はふあっと気のない欠伸をして見せた。
「おい!!」
「無けりゃ無いでイラっとする。う~ん、我ながら複雑な気分」
「だから何言ってんだよ、お前っ!!」
「ん?可愛い千ちゃんには幸せになって欲しいなぁって話」
「それは、まあ、そうだな」
「そこは突っ込まないんだ?」
「いや、うん」
妙に照れ臭い心持ちになる。
するとそれが態度と顔に出ていたのだろう。
成次郎はげんなりとした顔になった。
「兄さん、それよりも大変な事が分かりました」
「大変な事?」
「はい」
そう言うと、千之輔は先ほど山内から聞いた話を過不足なく見事に説明してみせた。
「それは……ヤバイね」
「はい」
「お前すげーな」
「若旦那は黙ってて下さい」
「っ」
こういう場合のダメ出しは滅茶苦茶に早い千之輔である。
「大名家ってのが一番キツいなぁ」
「はい」
「あ~」
そういうと成次郎はどてっと後ろにひっくり返ってしまった。
「兄さん?」
「うん。ちょっと待って。今色々考えてるから」
どう見ても考えているとは思えない姿勢でそう言うが、弟であるところの千之輔が何も言わない所を見るといつもこういう姿勢で考えるのだろう。
先ほどの事もあるしと思って大人しくしていたら、
「ねぇ紀伊屋」
と成次郎が声を掛けてきた。
「何だ?」
「あのさ。別に疑ってるワケじゃないんだけどさ。本気で真剣と遣り合う自信、ある?」
「それは……」
ある、と答えた方が良いのだろう。
だが、無駄に正直な虎之助はそうは言えなかった。
腕に自信はある。
少なくとも、世間的には青柳以上の剣士はそうはいないようだ。
だとすれば、その彼と互角に戦えた自分はかなりの腕前と思って良い。
そして、剣に対抗する為の道具も手に入れたし、手にした日からこれまで素振りを欠かした事はない。
それでも。
本当の白刃の怖さを自分は知らない。
殺気は分かる。
だが、それを乗せた剣とはどのように見えるものなのか。
虎之助はそれを知らない。
もっともそれは当たり前の事なのだ。
いくら侍が剣を腰に差して往来を闊歩していようとも、余程の事でも無ければ一般庶民など早々抜き身の刃と向き合う事などないのだから。
「だよなぁ……腕っぷしの強さと抜き身の怖さは別だもんねぇ……まぁそれを分かってくれてるみたいだから逆に安心なんだけど」
そう言うと成次郎はひょいと体を起こした。
「千ちゃん、紀伊屋。出かけるよ」
「どこにです?」
「北町」
「え?奉行所ですか?」
「正確には真さんに会いに、かな」
「見間様、ですか?」
「そ。真さんのお父さん、道中奉行と大目付兼務してるし。ついでに紀伊屋も鍛えてもらおうかと思って」
「鍛える?アイツが?俺を?」
思わず大きな声が出た。
そうは言ったものの、実は虎之助の中に明確な真三郎の記憶は無い。
確か華奢ではないが随分を細身で背が高い色白の男だったような気がする。
そして、確か。
「お前、あん時自分の事、真さんの情夫って言ってなかったか?!」
「おお~良く覚えてんねぇ。言ったよぉ」
「嘘だろ……」
「何?衆道が悪いって言いたいワケ?」
「いや、そうは言わねぇけど……」
どっちが女役になるのだろうか?
そんなどうでも良い事を考えていたら
「若旦那。余計な事を考えている場合じゃありません。とりあえず、成次郎兄さんと真三郎様は恋仲です」
と千之輔が思考に水を差した。
そして
「それよりも若旦那が真三郎様と面識がある方が驚きです」
と続けた。
「ああ。最初にここに来る前にな。成次郎探して北町に行った時にちらっとだけ。つあんなほそっこい奴相手で稽古になんかなるのかよ?」
「お?言うねぇ」
成次郎がニヤリと笑う。
「ああ見えて、真さん、相当な遣い手だからね。本職は弓なんだけど、剣もそれなりに使うよ?」
「へぇ……そいつは楽しみだ」
こちらも思わずニヤリとしてしまう。
青柳以外の侍と本気で遣り合うのは初めてだ。
恐怖よりも期待の方が大きい。
「じゃ、決まり。行こっか」
そんな気楽な一言と共に、虎之助達は北町奉行所に向かった。
「ちわー真さん居ますか?」
どこの子供が遊びに来たのか、というような気楽過ぎる言葉をかけて成次郎はズカズカと奉行所の中を歩き周る。
「真さん。真さん。真さんどこぉー?」
「お、おい」
「何?」
「良いのか?」
「何が?」
「こんなトコまで勝手に入り込んで」
虎之助がそう言うのも無理はない。
何せ今三人が歩いているのは、奉行所の中も中、同心溜りへと向かう廊下なのである。
付け加えるならすれ違う者が皆一応に驚いた風もなく、それを受け入れているのがまた一層居心地が悪い。
「別に。いつもの事だし。第一誰も何も言わないっしょ?」
だから余計に怖いのだが。
そんな庶民の感覚はきっと成次郎には分からないのだろう。
何か尻がぞわぞわするような座りの悪い居心地の悪さを感じていると
「真さん真さんうっせーんだよっ!!」
という怒鳴り声が聞こえた。
「お、宮さん」
「あ。怖いけどちょっと良い人」
「ああ?!」
「何、紀伊屋!!宮川さんの事、そんな風に思ってんだ?あははは、滅茶苦茶笑える」
「黙れ、成次郎。それから紀伊屋。俺の事は次から宮川と呼んでくれ」
「あ、はい」
「どうも。ご無沙汰しています、宮川様」
「うおっ!!何だ、千之輔お前も居たのか」
「はい」
千之輔の存在が希薄なのはどこに居ても同じらしい。
宮川は不意を突かれたのを誤魔化すように咳払いをしてから
「ん?真三郎の所に遊びに来たにしては随分な大所帯だな。何事だ?」
と問いかけてきた。
「ちょっと野暮用。さすがの俺も奉行所ん中で昼間っから逢引とかしませんって」
「シャレにならん事を言うな、馬鹿。真三郎なら自室に居る。ただ、」
「機嫌悪い?」
「悪い、というよりも没頭していると言った方が良いな。どうやらこの間の大工殺しが気になっているようでな」
何気ない宮川の言葉が改めて虎之助の胸に刺さる。
(留さん……)
「だったら丁度良いや。それ絡みの話だから」
「……お前、危ない事に首を突っ込んでいるんじゃねぇだろうな?」
すっと宮川の目が細く強くなる。
「突っ込んでます。つか、俺が、って言うよりこの若旦那と千之輔が、なんだけど」
「何?!そういう荒事は俺達役人に任せろといつも言ってるだろうがっ」
「それが今回はそうもいかないっぽくて」
「何だと?」
「詳しい話は後で。実はまだ伊兵衛兄にも話してない事なんですよ」
「そうか。分かった。とりあえず今は解放してやる。早く行け」
「はい。ほら行くよ」
軽い口調で促され、虎之助と千之輔は軽く宮川に頭を下げて更に廊下を奥の居室部分へと足を進めた。
そこは前に来た時にも通った場所のはずなのだが、あの時は緊張していたせいでロクに周りを見るゆとりもなかった。
奉行所内にも関わらず、中庭がある。
そこには鹿威しがあり、季節が良ければ緑が風情のある様を見せてくれるのであろう手の込んだ造りの庭だ。
案外奉行も見間も風情を愛でる類の人間らしい。
「真さん。入るよぉ」
そんな事を思っていたら、成次郎がそう言って障子を開けた。
次回更新は12月23日です。




