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○屋よろづ事顛末記  作者: 霜月ニ條
第一章 事の始まり
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二.桐ノ屋


おさきの住まう京橋なら、永代橋を渡れば四半刻の距離だ。

店を出ると虎之助はすぐ目の前にある橋に向って走り出した。

「ぐぇっ!!」

と、途端に襟首を捕まれ引っくり返りそうになる。

「何すんだよ!!」

噎せながら、犯人である輝平を睨みつける。

すると輝平は、

「そっちじゃねぇ。こっちだ」

と水路の方に顎をしゃくった。

「あ?」

「船で来てる」

「はあ?!」

女遊び専門の輝平が船を操れるとは初耳だ。

「お前、いつの間にそんなマネ出来るようになったんだ?!」

「あ?ここ来んのに一番早ぇだろうが。一々歩くとか、面倒臭ぇ」

「…………」

そう言えば、コイツはムダに小器用だったと思い出す。

「猪牙漕ぐぐれぇ誰でも出来んだろ」

輝平は欠伸をしながらそう言うが、川幅が広い大川のこの辺りを細く小さい猪牙船で行き来するのは中々に骨が折れる事を、真面目に仕事を手伝っている虎之助は知っている。

「よお、じいさん」

水辺に着いて手を上げて呼びかけたのは、今朝方虎之助をからかったじいさんだ。

「おお、若旦那。用ってな虎之助坊にだったのかい」

「ああ。ほら、礼だ」

「ありがとうよ」

嬉しそうに銭を受け取ったじいさんは、一艘の船の側を離れた。

「どういう事だ?」

「あ?船見張って貰う代わりに酒代出すって話つけただけだ。つかお前、坊って呼ばれてんのかよ。てんでガキ扱いだな」

「うるせぇ!!」

輝平に聞かれたのも腹が立つが、それ以上に、じいさんが輝平を”若旦那”と呼んだのが気に食わない。

(くそ!!俺と同い年だっての)

「何膨れてんだ?」

「るせぇな!!ほら、さっさと船出せよ」

「チッ。んな事で一々腹立てってっからガキ扱いされんだよ」

「良いからさっさと船出せって!!」

「へいへい」

にやにや笑いながら輝平が船を出す。

細い水路を出ればそこはすぐ大川だ。

それも永代橋の袂だから、橋を支える柱に当たって水流が乱れている。

だが輝平が操る船はそこを難なく越え、そのまま一路西へ進路を取った。

京橋までは水深の浅い、細い水路を行かなくてはならない。

それでも輝平は危なげなく船を操ると、見る間に京橋近くの河岸に船を着けた。

「誰か良いヤツいねぇかな……」

着くなりそう言って辺りを見回す。

そして、河岸近くの蕎麦の屋台に座って煙管をふかしている初老の男に近寄って何やら話しを始めた。

おそらく先ほどのじいさん同様、酒代を餌に船を見張らせようという寸法だろう。

輝平は学問は苦手だが、こういった遊び事に関しては異様に知恵が回る。

「おい、いつまでぼっとしてんだ。行くぜ」

「!!分かったよ!!」

一々癪に障る物言いをする。

三歳の頃からの付き合いなのだから良い加減慣れそうなものだが、こればかりはどうにも気に入らない。

虎之助は不機嫌顔のまま、輝平の後ろを付いて行く。

松坂屋は炭屋町の中でも一番河岸に近い場所にある。

周りよりも一間広い間口は店が儲かっている証拠だ。

おさきはそれを「父さんが見栄っ張りなだけよ」と不満げに唇を尖らせたものだが、それでもその分の税を払って尚繁盛しているのだから、そこそこの大店である事に違いは無い。

「邪魔するぜぇ」

まずは輝平が店に入る。

すると番頭が

「これは桐ノ屋の若旦那」

と大急ぎで出て来た。

「良太のヤツは居るか?」

「良太でございますか?良太は、若旦那のお店に留め置かれていると聞いておりますが」

予想外の番頭の返事に

「おい!!どういう事だよ!!」

と虎之助は輝平に噛み付いた。

「昨日はコレんトコ泊まってて店に帰ってねぇんだよ」

輝平は右の小指を立てて見せながらちょっとだけ小声で弁解する。

「おまっ!!それで良く俺んとこ来たな?!」

「太助が使いに来てオヤジがそう言ってるっつーからよ。どうせ同じ深川なんだからと思って行ったんだ」

「ふざけんなっ!!」

「あの~若旦那?」

「あ、番頭さん、心配するなよ。すぐに桐ノ屋に戻って話聞くから」

「え?あ、紀伊屋の若旦那まで?」

「あーうん、頼まれてな」

「お嬢さんの事、よろしくお願いします」

実直そうな番頭が気の毒なぐらい大きく頭を下げる。

それに曖昧な笑顔を返しながら、虎之助は輝平の首根っこを掴んで店を出た。

「おい、輝平!!」

「んだよ、うるせぇな」

「うるせぇなじゃねぇよ!!お前、コレんとことか普通許婚者の家で言うか?!」

「あ?んなもん向こうの親も番頭も知ってるっつーの」

「な……っ」

輝平の言葉に絶句する。

「虎之助……お前もちょっとは女遊びしろ。んなクソ真面目にやってたら、ロクなのに引っかからねぇぞ」

「お役人の世話になるようなマネしでかしたお前が言うな!!」

「チッ。んな昔の事いつまでもグチグチ言ってんじゃねぇよ」

「昔って半年前だろうがっ!!」

「いいから、さっさと店帰んぞ」

「おい!!輝平!!」

虎之助の小言などどこ吹く風だ。

輝平はさっさと河岸に戻ると先ほどのじいさんを見つけてまた銭をやると船に乗った。

「おい、行くぞ」

「……分かった……」

これももう一人の幼馴染の為、姉の指令を果たす為だ。

虎之助はふぅっと溜息をついて船に乗った。

桐ノ屋も河岸のすぐ側にある。

輝平が手馴れた棹捌きで河岸に着けると、「ああーーーっ!!」と男の騒ぐ声がした。

見れば若い男がこちらを指差している。

「やっぱりアンタが盗んでたのか!!」

怒りも顕にこちらに突進してくるのは、桐ノ屋の手代・孝太郎だ。

菱形に桐の文字が入った黒地に白抜きの半纏の裾を翻し真っ直ぐに走ってくる。

「自分ん家の船乗って何が悪ぃんだよ」

「こっちは船の管理任されてんだ!!乗って行くなら行くで一言言えよ!!」

「あ?何で一々言わなきゃなんねぇんだよ。面倒臭ぇ」

「面倒臭いで済ませんな!!店の船だぞ!!」

「ああ?!店の物は俺の物だろうが。跡取りにぐだぐだ偉そうな口利いてんじゃねぇよ」

「そういう事は跡取りらしい事してから言いやがれ、このクソガキ!!」

「んだと?!」

「あ"あ"?!」

このままだと殴り合いに発展しそうだ。

それはそれで面白そうだが、今はおさきの件が先だ。

姉の命令は絶対。

そんな脅迫概念に囚われている虎之助は

「孝太郎さん、久しぶり」

ととりあえず声を掛けた。

「あ"あ"?!って、虎之助さん?!え、お一人ですか?」

「ああ、おさきの事でこのバカに引っ張ってこられた」

「あ……」

そこでようやく頭が冷えたらしい。

「良太の話を聞きに?」

「ああ」

「船の事は後で番頭さんからもたっぷり説教して貰うから覚悟しとけよ」

「チッ……」

「悪いな、孝太郎さん」

「いえ」

孝太郎は虎之助に軽く頭を下げると、輝平の手から引っ手繰るように棹をもぎ取った。

「ったく……あのヤロウ、船一艘ぐらいでギャーギャー騒ぎやがって」

「バカ。お前ん家の商売も船が無きゃ仕事にならねぇだろうが。それを勝手に持ち出してるお前が悪い」

「あーそうかよ。ったく……俺の周りには小言言うヤツしかいねぇのかよ」

「俺だって言いたかねぇよ!!」

そんな遣り取りをしている間に店の入り口だ。

暖簾をくぐるとそこには、いつ見ても笑って見える糸目の、だが決して本心では笑っていないと分かるような番頭の翔之介が待ち受けていた。

「ボン、お帰りなさい」

「お、おう……ただいま……」

「虎之助ボンもお久しぶりですなぁ」

「あ、どうも……」

虎之助も輝平も、揃ってこの番頭が苦手だ。

翔之介という男、この店の生え抜きではない。

訛りからして恐らく上方出身なのだろうが、その素性は明らかではない。

ただ、遣り手である。

十年前。

元服間も無いような少年の身でフラッと店に来て、自分を雇ってくれ。一両預けてくれれば一ヶ月で倍にすると主である輝平の父に言い、その通り倍どころか五両にまで膨らませた。

何をどうやったのか分からないがとにかく儲けの目端が恐ろしく利くらしく、店に落ち着いた今も金座が近くにあるのを良い事に、材木はもとより金銀相場に米相場と色々な投資をしているらしい。

しかもそれで一銭も損を出さないのだから、大したものだ。

最近では店の金だけではなく自分の給金でも投資を始め、もぐりの高利貸しを始めたとの噂もあるが、桐ノ屋の主は「店に迷惑を掛けなければ別に構わない」と好きにさせているそうで。

生え抜きでもない、年若い得体の知れない男をいきなり番頭に据えた主の豪胆さは、密かに新材木町の語り草になっている。

閑話休題。

「太助に言うた通り、ちゃんとおさきお嬢さんを探す段取りしてはるみたいで結構です」

そう言う翔之介の声音は嬉しそうだ。

輝平は一つ唾を飲み込んでから

「ああ……」

と低く一言だけ返事をした。

「虎之助ボンも、すまん事で。……ん?いつも着てはる半纏はどないしはったんです?」

「いや、その……目立つから脱いできた、です」

「おやおや。せっかく日本橋で宣伝できんのに、勿体無い」

「え?」

「次からはちゃんと着てきて下さいよ。紀伊屋さんの木はお嬢さんの目がええさかい質のええ木が多いんやから、名前売らんと損でっせ」

「あ、はい……」

この番頭と話していると、何故か蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かるような気になってくる。

いい加減冷や汗が零れそうな沈黙があって、

「良太なら一番奥の部屋に居てますさかい」

と観察するのに飽きたかのように、翔之介が話を本題に戻した。

「何で松坂屋に帰さないんだ?」

「あのザマで店に帰したら、何かあったてご近所に言うて回るようなもんや。松坂屋さんは余り事を荒立てと無いみたいやし、それやったらうちで預かった方がええやろと思いましてな」

「ふうん」

興味があるのか無いのか、適当な相槌を打って輝平が店に上がる。

「虎之助、とりあえず話し聞くぞ」

「おう」

虎之助はいつも謝ってばかりいる小心者の松坂屋の手代を思い浮かべながら、桐ノ屋の奥へ足を進めた。





次回更新は23日になります。

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