七.捜査開始二日目 その6
留介の馴染の店は永代橋を渡ったこちら側、東の熊井町にあった。
住まいのある今川町からは少々離れているが、息抜きには丁度良いのだろう。
場所柄、常連客には芸者崩れが多いのも理由の一つか。
道を歩いていても、常盤津を教えて生計を立てる芸者崩れの艶っぽい年増女と良く擦れ違う。
そしてどういう訳かそうした女達の間でも虎之助は名が売れているらしい。
「もしかして紀伊屋の若旦那かい?」と声掛けられる事がしばしばあり、少しずつ深くなる千之輔の眉間の皺に気を揉まされた。
「何で俺の事知ってんだろう?」
「そりゃ木場で一番可愛がられてるからな若旦那は」
「はぁ?」
「飲み屋で話題になれば皆どんな人か気に掛かる。そういう事ですか」
「ああ。本人はまるで気にしてねぇみたいだけどな」
「気付いていないだけみたいですね」
「ま、そこが若旦那の良い所なんだがな」
「そうなんですか」
「ああ」
「…………」
目の前で堂々と噂話をされるというのは、何とも気まずい。
しかも褒められているのか、けなされているのか、聞いていて何とも微妙な心持になるのがまた居心地が悪くなる。
「お、あれじゃねぇか?」
ようやくみつけた縄のれんについ大きな声が出てしまった。
「おう、あそこだ」
「……普通の店、ですね」
三人揃って中に入る。
さほど広くはない。
二畳敷きに区切られた座敷が六席程。
どこにでもある、普通の居酒屋だ。
「らっしゃいっ」
「せっかくだから何か食って行こうぜ」
と言ったのは、場所柄そのまま帰れない性分に加えて食い意地もある。
「もう何か食べるんですか?」
と呆れ顔の千之輔をよそに、虎之助はさっさと田楽を三人前頼んだ。
焼いた豆腐に味噌を乗せ、串に刺しただけのシンプルな物なのだが、山椒味噌が中々に美味い。
酒の肴には絶妙の味付けだ。
「なあ親父さん。昨日留さんと一緒に飲んでたヤツって良く来るのか?」
食べてばかりいたのではただの役立たずだ。
そう思った虎之助は口元につけてしまった味噌を舐めながら、千之輔が頼んだ茶を持ってきた店主にそう問いかけた。
「昨夜?……ああ、あの人か。そうだな……俺は気付かなかったが……おい、卯吉。お前知ってるか?」
「はい?」
店主が声を掛けたのは、別の客に酒を運んでいた店の若い衆だ。
卯吉と呼ばれた男は虎之助達の前に立つと留介の顔を見て、ああ、と何か得心がいったような表情を見せた。
「知ってんのか?」
「ええ。何かここ半月程じーっと留さんの事見てましたよ。何なんだろうなぁ、と思ったら昨日やっと声掛けて。留さん、腕はいいけど顔怖いから、声掛け辛かったのかなぁって思ってたんです」
「あんた、この人の名前知ってんのか?」
「ええ、まあ。常連さんですし、この間は泰三親方がよろしく頼むって言ってましたから」
「なるほど……」
「うわぁっ!!……びっくりした……」
どうやら卯吉は虎之助の前に座る千之輔に気付いていなかったらしい。
ふいに呟いたその声に飛び上がる勢いで驚いた。
千之輔はそうした扱いに慣れているのか、大して不愉快に思った風でもなさそうに、ごく普通の顔をして
「その時、昨日来ていたお客さんも居ましたか?」
と問いかけた。
「さすがにそこまでは覚えてねぇっすよ。一見の客なんていくらでもいるし、俺が気にしてたのもたまたま酒引っ掛けちまった事があったからですし」
「ああ!!あの人、あん時の客か」
「ええ。お侍なのに留さん見るようになってからは商人みたいな格好してるから、ヘンなお人だなって思ってたんで」
「それはどういう事ですか?」
「一月程前の事なんですがね」
曰く。
その日は薮入り明け、という事もあって店はいつもに比べると混雑していたそうだ。
衝立で仕切った席のこちらとあちらで新年の挨拶が始まったり土産物の交換をしたりと、顔馴染の客達が店の中をうろうろしていた。
それも場所柄素面の者はほとんどいない。
事によっては足元が覚束ない者もいる。
そうした中、酒を運んでいた卯吉が客の一人とぶつかって、端近に座っていた侍に中身を引っ掛けてしまったそうだ。
相手が侍という事もあり、卯吉は勿論店主もすぐさま土下座をして謝った。
が、無愛想な客は許すも許さぬも何も言わず、ただ恐ろしい程冷たく感情の無い目で卯吉達を見据えていた。
それを取り成したのが、留介に声を掛けた男だったのだ。
卯吉が粗相した相手の朋輩らしいその侍は、やけに愛想の良い笑顔と声で
「そんな顔をしていないで許してやれ。悪気があった訳じゃないんだ。お前達もそんなに畏まらなくて良いよ。ここは腕の良い職人達が集まる店のようだ。何かあれば私達も仕事を頼まなくてはならないかも知れない。そんな場所でごたごたを起こしたくはないからな」
と言ってくれた。
勿体無い事で、とその日の飲み代は勿論無料にし、自慢の灘から仕入れた酒を大振りの徳利に一つ土産として持たせて帰した。
それからしばらくの間は顔を見なかったが半月程前から再び顔を見せるようになり、その時から商人風の格好をして店全体を見渡せる場所に陣取って酒を飲むようになったのだそうだ。
「それでそのお侍はどこの藩とか国許がどことかという話はしていませんでしたか?」
「そこまでは無理ですよ。こんな店だ、一々お客の話を聞いちゃいませんし、聞いていてもそうそう覚えちゃいねぇ」
「そうですか。ありがとうございました。……もう食べたんですか?」
「ん?おう」
千之輔が話している間に皿の上は綺麗に空になっている。
千之輔は驚いているが、虎之助にとってはこれでもゆっくり食べた方なのである。
「ほんと若旦那は大食いですね……」
「うるせぇ。お前が少なすぎんだよ」
昼を食べている間に交わした会話を再び交わす。
確かに自分は良く食べる方だとは思うが、千之輔は食べなさすぎなのだ。
だから女みたいに細っこい腕と体なのだと言ってやりたい。
そう思っても言わないのは、倍以上の勢いと語彙力でコテンパンに言い負かされるからだ。
その勢いたるや、輝平と口喧嘩するおさき以上である。
わずかな時間ではあるが、口喧嘩だけは半年分以上やらかした気分の虎之助である。
「それでは、次に行きましょう」
「次って?」
「留介さんが一晩過ごした場所、です」
「ああ……」
「分かるかなぁ……」
意気込む千之輔と裏腹に当の本人は随分と自信無さげだ。
それでもと、とりあえず店を出ると千之輔は
「留介さん。籠に乗りましたか?」
と質問をした。
「いや、乗ってねぇ」
「では橋は渡りましたか?」
「ああ、それは何回か。回数までは覚えちゃいませんが」
「その中に永代橋はありますか?」
「いや、それはねぇと思いますよ。……うん、渡ったのは小橋ばっかりだ。あんな長ぇ橋は渡ってねぇ」
「留さん、酔ってたんだろう?確かかよ?」
「酔ってるから余計に分かんだよ。あいつを登るのは酔っ払いには一苦労なんだ」
「へぇ……」
さすがにそれは初耳だ。
確かに大きな橋、特に永代橋ぐらいの物になればその構造上アーチ型が大きくなる。
と自然頂点までの登り坂が長くキツくなり、それは酔うとよりはっきりとしてくるものらしい。
「となると……」
そう言って千之輔が懐から取り出したのは数枚の地図だ。
その中から一枚を選んで残りを仕舞うと、出した地図を虎之助達にも見せた。
「今私達が居るのがここです。ここから行ける範囲の武家屋敷となると……」
「こっちは違うだろう。まさかご公儀の御船手組の屋敷の側じゃやらねぇだろうし」
「となると……少し離れますがこの辺りですか」
と指したのは南側、大島町の向かい側大川沿いの辺りである。
「……見事に下屋敷ばっかだな」
「若旦那、顔が利くお屋敷はありますか?」
「こっちにはほとんど来ねぇからな。松平様んトコなら何回か行った事あるけど」
「どの松平様です?」
「あ、ここ」
石高の高い旗本と譜代大名の下屋敷ばかりが並ぶ一帯だ、松平だけで四軒もある。
「あ、そこなら俺も入らせてもらった事はある。けど、ここじゃねぇ」
「分かるんですか?」
「そりゃ、一応大工だからな。隅から隅まで歩いた訳じゃねぇが、粗方の造りは分かる。このお屋敷じゃねぇよ」
「そうですか。では……この辺りでしょうか……」
と指差したのは、今朝富岡八幡宮に行く為に虎之助が通ろうとした道だった。
「この辺りで賭場やってるような人はいねぇと思うぞ?皆食う物作るのに必死で、中間も百姓みたいになってる人ばっかだ」
しかもこの近辺の下屋敷には譜代大名か三河以来の旗本の屋敷がその一角に必ず一軒は配置されている。
火事の多い江戸において材木の確保は町を維持する上で死活問題と言っても過言では無い。そうした意味では、深川一帯は下町でありながら公儀の影響が色濃く感じられる場所なのだ。
「そうなんですか?」
「おう」
「ですが、留介さんの話から考えると、必ずこの近辺の下屋敷のはずなんです」
「留さん、何か思い出せねぇのか?」
「そう言われてもなぁ……」
まさか一軒一軒周って、こちらでは夜に賭場を開いてますか?などと聞く訳にも行かない。
岡場所と違って賭場はどこまでいっても違法なのである。
「となると……やはり二谷様頼み、という事になりますか」
実際の所、賭場に潜り込むのは灰原なので、正確には灰原頼みなのだが、千之輔がそう言いたくない気持ちは何となく分かる。
手詰まり感に包まれたその時だ。
「あれ?虎之助ちゃんに千之輔ちゃん?」
「おお?何だ、留も居るじゃねぇか。お前らこんなトコで何してんだ?」
と聞き覚えのある声がした。
次回更新は11月11日です。




