五.捜査開始二日目 その4
途中で何度も戻しそうになるのを懸命に宥めながら、ようやくの思いで紀伊屋に辿り着く。
すると、先に戻っていた千之輔が万事話をつけておいてくれたらしく、すぐさま一太と平助が留介を引き取りに店先まで出てきてくれた。
「お前、とりあえず着替えてこい。すげー臭うぞ」
「ああ、そうする」
四半刻程とはいえ酔っ払いと密着していたのだ。
平助が眉を潜めるのも良く分かる。
何せ吐瀉物の臭いと酒の臭いとで、自分でも自分が臭い。
如月も半ば、とはいえまだまだ寒いこの季節。
出来れば湯を使いたい所だが、さすがに朝風呂とはいかないだろう。
仕方なく井戸端に回った虎之助は、覚悟を決めて服を脱ぎ、頭から水を被った。
「ぶえっくしょいっ」
盛大なクシャミが出る。
と
「何やってるんですか」
と呆れた声が聞こえた。
「仕方ねぇだろう、臭い移っちまったんだから」
「確かに少し臭いです」
「だろ?で、留さんは?」
「先程一太さんと番頭さんが奥の居間に連れて行かれました」
そう言う千之輔は手拭が引っかかったたらいを抱えている。
留介の体を清める為だろう。
「俺も着替えたらすぐいく」
「はい」
もう一度頭から水を被って手拭で軽く体を拭い、部屋で手早く着替えを済ませる。
さすがに芯まで冷えてしまったので、念の為と綿入りの半纏に包まって居間へ入った。
「若旦那、面目ねぇ」
”坊”が”若旦那”に変わったのは、畏まる程度には酔いが覚めてきたという事だろう。
こちらは着替えが無い為か、一太の物であろう単衣に綿入りを着て火鉢を抱えるように座り込んでいる。
「本当だぜ。一体何があったんだ?」
そう問いかけると留介は泣きそうな顔をして口を閉じてしまった。
「博打か?」
ピクリと肩が動く。
図星、という事だろう。
「だったら、どこの賭場か、言ってみろよ。俺はともかく、コイツが役に立ってくれるかも知れねぇぜ?」
と親指で横に座る千之輔を指す。
すると千之輔と留介が同時に「え?」と声を出した。
「坊、冗談言っちゃいけねぇよ。その大人しそうな人があんな連中に顔が利くワケがねぇ」
「そうですよ。いくらうちが口入屋もしているとはいえ、さすがにそこまでは」
「お前は知らなくても、お前の兄貴達なら知ってんじゃねぇ?」
「兄達、ですか?」
戸惑ったように聞き返す千之輔ににやりと笑いかけ、虎之助は
「おう。どっちも堅気の町人って雰囲気じゃねぇよ。どうにも物騒な感じがするんだけどな」
と続けた。
「……驚きました。意外と人を見る目、あるんですね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。……というより野生の勘ですか」
「おいっ千之輔っ」
「確かに兄達なら顔が利くかも知れませんね。どこか教えてもらえますか?」
「無視すんなっ」
「別に拘るような事じゃないでしょう。それで、留介さん、場所は?」
「……坊。本当にコレじゃねぇのか?」
ポカンと二人のやり取りを見ていた留介だったが、話の矛先が自分に向いたのには気づいたらしい。
が、千之輔の問いに答える前に虎之助に近付き小指を立ててそう小声で聞いてきた。
「違ぇよっ!!っつーか、女じゃねぇしっ」
「どっちでもいいよ。……そうか」
「何だよ?」
「いや……どう見ても夫婦喧嘩にしか見えなくてよ」
「留さんっ!!」
「冗談を言えるぐらい元気になったのなら、ちゃんとした話を聞かせて貰えますか?」
いつも以上の能面顔で千之輔が静かに口を挟む。
季節だけではないヒヤリとした空気に留介の背筋がシャンと伸びた。
「あ、すみません。その、場所って言ってもちゃんとは覚えてねぇんで」
「そうなんですか?」
「何で俺より丁寧にしゃべってんだよ」
「そこ。うるさいです」
「ちっ」
曰く。
昨夜留介は仕事の帰りに馴染みの居酒屋で酒を引っ掛けていたらしい。
いつもなら真っ直ぐ家に帰るのだが、昨日は親方からいつもよりも責任の重い仕事を任されると聞かされ、上機嫌になっていたのである。
と言っても贅沢はできない身だ。
田楽を肴にちびちび飲んでいると、こざっぱりとした商人風の男が相席を求めてきた。
狭い店とはいえ他にもまだ席は空いている。
おかしいな、と思いながらも断るのも無粋だ。
そう思って構わないと答えた。
男は妙に人懐こいようで、あれやこれやと話かけてくる。
留介も別にどうしても一人で飲んでいたいような気分でもなかったし、むしろ機嫌は良かったから色々と他愛もない話に付き合っていた。
すると、その内仕事から家庭の話になり、子供も近く生まれるという事も話したところで、男が「それはお金が入用になりますね」と言ったのだ。
「まったくな。いくらあっても足らねぇよ」
そう気楽に応じた留介に、男は
「サイコロはお嫌いですか?」
と聞いてきたのである。
驚いて男の顔を見ると、人の良い笑顔を浮かべたまま
「良い鉄火場知ってるんです。内緒なんですけどね」
と小声で言う。
その男によると、それは鉄火場と言ってもいわゆる博徒が行う本格的なものではなく、物好きな商家の主人達がまねごとでしているものなのだと言う。
それでも博打は博打。
それなりに金は動くし、風紀上もよろしくない。
だから大っぴらには出来ないのだが、いつも同じ顔ぶれというのもつまらない。
そこで誰か新しい面子を探していたのだと言うのだ。
「こう言っては何だが、あなたは見た所悪い人では無さそうですし。お好きだというのなら安全な遊びで小遣い稼ぎをなさってみてはどうです?」
そんな風に言葉巧みに留介を誘った。
酒が回って気が大きくなっていた事もある。
ましてこの所じっと忍の一字で我慢していた博打の誘いだ。
博徒が絡んでいない安全な遊び、という所も気に入った。
ので、留介はその話に乗ってしまったのである。
すると男は「ではこれから参りましょう」と言い出した。
さすがに今日の今では、と留介が断ろうとすると、
「大丈夫ですよ。二、三勝負受けて下さればそれで」
と愛想良い笑いを崩さずに男が更に誘いかける。
それで完全に留介は帰る手を無くしてしまった。
さすがに場所は憚りますので、と目隠しをされて連れて行かれたのは、どう見ても完全な賭場である。
客層は確かに裕福な商家の主達のように見えるが、ツボ振りはどう見ても堅気では無い。
怖気づいて帰ろうとした耳元で、男に「ほんの二、三勝負だけですよ」と囁かれて席に座った。
そして、立て続けに三回勝った所で抑えていた欲に火がついた。
もう一勝負、あと一回だけ、と気付けばどっぷりと嵌まってしまってどれぐらいの時間が経ったのかも分からない。
コマ札が無くなりそうになると、これでどうぞ、と誘った男が札を足す。
そうこうして部屋の外が明るくなり始めた頃。
さすがにまずいと席と立った瞬間
「ちょっと待てや、兄さん」
とドスの効いた声が場に響いた。
「勘定、払っていけよ」
「勘定?」
「負け分、しめて十両。出してもらおうか?」
そう言われ、慌てて自分を連れてきた男を捜す。
と、男はいつの間にか現れた貸元らしい男の横で愛想良い笑いを浮かべていた。
「おい、どういう事だ?」
「どういう事も何も、その兄さんが言う通りでしょう」
「十両って……そんな金ある訳ねぇだろうっ」
「そう言われても……ここは他の鉄火場よりもコマ札の値が高いので、まあそれぐらいは」
「話が違う」
「すぐに出られるかと思っていたんですが。随分と熱が入っていたようなので、お止めするのも無粋かと思いまして」
しれっとそんな事を言ってのける。
「そんなの……払える訳ねぇ……」
「では、こうしましょう。留介さん。あなた今確か日本橋の大店、三好屋さんの寮の新築に関わってましたね?」
「……ああ」
そう返事をしながら果たして自分はそこまで詳しく仕事の話をしただろうかと一瞬思う。
「その絵図面を持ち出して来て下さい」
「な、出来る訳ねぇだろう」
「心配いりません。そのまま持ち逃げしたりしませんよ。ただ半刻程預けていただければそれで良いんです」
「そ、そんなの、出来る訳……」
「ならば十両払ってもらおう」
その瞬間、それまでの愛想良い笑いが消え、商人風の話し方が威圧的な物言いに変わった。
「ひっ」
「お前が選べる道は二つだけだ。十両払うか、今請け負っている現場の絵図面を持ってくるか。どうする?」
「そんな……」
怯えたまま答えを出せない留介にしびれを切らしたのか、男はチッと舌打をすると顎で奥を指した。
とツボを振っていた男が一礼して奥へ行き、着流しの侍を連れて出て来た。
「こいつを切れば良いのか?」
そう言う男の目は死んだ魚のように生気も覇気も無い。
その分本当に何の躊躇いもなく人を切る、そう留介は感じた。
「違う、脅すだけだ」
そう言われ、侍は表情一つ変えずに刀を抜くと、その抜き身を留介の首筋に当て
「死にたくないのなら、こいつが言う通り、どちらか選べ」
と感情の無い声で言った。
「一日だけ猶予を差し上げます。ゆっくり考えて下さい、留介さん」
再び愛想の良い商人の表情に変わった男がそう言って。
留介はまた目隠しをされて連れまわされ、今度は八幡様の門前町に放り出された。
そこで朝から開いている店に転がり込んで酒を煽るように飲み、酔い潰れた所を虎之助達に拾われた。
それが事のあらましのようである。
「本当に、俺、どうしたら……」
一通り話をして、改めて抱え込んだ事の大きさに耐えかねたのだろう。
頭を抱えてしまった留介を前に、虎之助と千之輔は黙って顔を見合わせた。
次回更新は11月4日です。




