四. 捜査開始二日目 その3
「あ、あのよ……」
「じゃあ、私達は私達で出来る範囲の聞き込みをしましょう」
「へ?」
とにかく詫びを、と思った虎之助だったが、思いの外普通の口調で声を掛けてきた千之輔に逆に戸惑う。
「何かヘンな事言いましたか?」
言った本人はそんな虎之助の反応に驚いている。
「いや、その……色々悪かったっ!!」
怒っているのか、どうでも良いのか。
千之輔の思惑はともかく、虎之助としては詫びを入れずにはいられない。
仲直りがしたい、という気持ちが抑えきれずにいるのである。
「もういいです」
「けどよ。その、お前が陰間扱いされんのあんな嫌がるとは思わなかったっつーか、でも、可愛いっつったのは本当にそう思ったんだし」
「若旦那」
少し強い口調で遮られ、恐る恐る千之輔と目を合わせる。
表情は相変わらず乏しいのではっきりとは分からないが、どうも苦笑しているように見受けられる。
それに加えて目が怒っていない。
その事に虎之助は心底安堵した。
「若旦那に悪気が無いのは十分分かりましたから、もういいです。それにしても、無かった事にした方が気楽かと思ったのに、わざわざ自分から蒸し返して謝る辺り、人が好いというか、素直過ぎるというか。もう少し人との距離の取り方を考えた方が今後の為だと思いますよ」
「それってどういう意味だよ?」
「誰彼構わず本音を見せ過ぎるとロクな事が無いという事です」
童顔に似合わない老成した言葉に頬が引き攣る。
が、そこに含まれる妙な説得力に虎之助は「気をつける」とモゴモゴと口の中で言うより無かった。
「さて。では、もう少しこの辺りで話を聞いてみましょうか」
「おう。けど……日本橋からは随分遠いぜ?収穫あるか?」
「収穫のある無しより、まずは人探しに慣れてもらう方が先ですから」
千之輔はそう言うと先に足を進める。
が、岡場所でもあるこの界隈だと些か勝手が違うらしい。
「おかしいですね?どうしてこの店は閉まっているんでしょう?」
と所謂茶屋女が居る店の戸口で首をかしげて不思議そうに呟く。
「ここは、あれだ。二谷の旦那の商売敵の店だ」
「あ……そう、なんですか。見た目は普通の茶店と変わらないんですね」
「まあ一応、下手に見つかったらお上にしょっぴかれるからな」
「……詳しいんですね」
「だからっ!!俺が遊んでるんじゃなくて輝平だっつってんだろうっ」
「そんなムキにならなくても」
「誰もムキになんかなってねぇよっ」
「はぁ……」
言ってる本人もムキになっていると思っているのだから、説得力が無い事この上ない。
が、千之輔はここでも深く関わるよりもさらっと流す方を選んだらしい。
「では他の店を当たってみましょう」
とさっさと奥へと足を進めた。
「おい、待てよ」
「何か?」
「そこから奥は基本的にその手の店が固まってんだ。当たるんなら、この辺りまでにしといた方が良い」
「そうですか」
「言っとくけど、詳しいのは輝平が遊んでるのと地元だからだからなっ」
「はい、分かってます」
「本当に分かってんのかよ……」
これがおりよであってもおさきであっても、多分自分はここまで必死で馴染みの女が居ない事を力説したりしないだろう。
むしろ、そういう事にしておいた方がバカにされずに済む。
だが、どうにもこの男に対しては別らしい。
それがどうしてなのか、今の虎之助にはまだ分からなかった。
「それにしても……」
二人で何軒かの茶店や屋台を冷やかしてから、妙にしみじみとした口調で千之輔が虎之助を見上げた。
「本当に若旦那は人気がありますね」
「そうか?」
「ええ」
力一杯肯定する千之輔の顔はどこか不機嫌だ。
虎之助にしてみたら、自分を見るなり悲鳴を上げて隠れられる現状のどこに人気の影があるのか謎で仕方無い。
が、察しの良い方ならお気付きだろう。
この男の思考回路には所謂”黄色い悲鳴”という概念が無い。
男女7つにして同席する事相成らず、などという武家の作法とは縁遠いとはいえ、女子の絶対比率が低い江戸の世の中だ。
ましてや男臭さ全開の世界で、まるで女子に対する扱いも知らない、だが女子が焦がれる筋肉と整った顔立ちを持っているのだ、もてない訳がないのである。
「全っ然、実感ねぇな」
「みたいですね……鈍すぎて皆さんが少しだけ可哀相になりますよ」
「あ?」
「独り言です、気にしないで下さい」
「…………」
気にするな、と言われても、明ら様に不機嫌顔をされては気にしない訳にもいかない。
なので
「なあ、お前さっきからお前何怒ってんだよ?」
と単刀直入に尋ね、「怒ってません」と更にキレられ。
「んな事ねぇだろう?」
「あなたの気のせいです」
という不毛な遣り取りを再び始めた所で、虎之助はふと目に入った風景に違和感を感じ、立ち止まった。
「若旦那?」
千之輔の目から見れば、虎之助の視線の先に居るのは、朝方から酔い潰れている一人の男でしかない。
みっともないと言えばみっともないが、だからと言って目くじらを立てる程世慣れていない訳でも生真面目な訳でも無い。
そんな所だ。
だが、虎之助にとっては違う。
それはすぐ近所、今川町の長屋に住む腕の良い大工の留介だ。
問題なのは、腕が良いだけでは無く、博打好きの酒好き、という所まで知っている、という事である。
しかしここ最近、その悪い癖は鳴りを潜めていた。
それと言うのも、留介には子供が出来たのである。
まだ産まれてはいないが、これから先、今までよりも物入りになるし、何より守るべきものが増える。
その自覚からか、真面目に仕事に精を出すようになっていた。
つい一週間前にも新しい仕事を貰ったと張り切っていたのである。
「悪ぃ。ちょっと待っててくれ」
虎之助はそう千之輔に断ると、スタスタと眠りこけている留介の元へ行くと迷わずその尻を蹴り飛ばした。
「な……なんでいバカヤロウ」
威勢良く、と言いたい所だが、ろれつもロクに回っていない酔いどれっぷりだ。
吐いた息まで顔を背けたくなる程酒臭い。
「何でぇじゃねぇよ、留さんっ!!こんな時間からここで酔っ払って何やってんだよ。仕事どうした?」
「仕事ぉ?」
「おう。こないだ、泰三親方んとこの仕事に入れて貰えたって自慢してたじゃねぇか」
「あ……あれ……な……」
そう言うと留介はニヤリと笑った。
(え……?)
それは見るからに卑しい笑い方だった。
「なぁ虎之助坊……いや、虎之助坊ちゃん」
「な、何だよ」
「ちょっとで良いんだ。ちょーっとだけ、俺に小遣い恵んでくれねぇか?」
「はあ?」
「若旦那」
怪しい気配を感じたのか、千之輔が小声で呼びながらそっと袖引っ張った。
「もうちょとだけ待ってくれ」
「お、何だ?昼間っから女連れたぁやっぱり良いご身分じゃねぇか、え?」
「女じゃねぇよ」
「何だ、陰間か?どっちにしろ、金が余ってるご身分には違いねぇや、なあ?」
「おい」
ここに居るのは、普段自分が知っている留介ではない。
まるで別人のように卑しい性根を表に出した最悪のたかり屋だ。
虎之助は隠しようのない嫌悪感のまま
「ふざけてんじゃねぇよ、留さんっ!!起きろって」
と口調荒く言いながら留介の腕を掴んだ。
すると留介は、その腕に縋るように抱きついてきて
「金くれよ、なあ」
とそれまでの下卑た笑いから一転、切羽詰った、追い詰められた者の目で虎之助を見上げてきた。
「ちょ、待てよ。さっきから金、金ってどうしちまったんだよ、留さん。とにかく一回家帰ろうぜ?送ってってやるから」
「家なんか帰れる訳ねぇだろうっ!!それより金だよ、金。金がねぇと俺ぁ……俺ぁ殺されちまうっ」
そう言うと留介は今度は頭を抱えて寝転がってしまった。
「殺されるって」
物騒な事この上ない言葉が飛び出してきた。
「若旦那」
「千之輔、悪い」
「構いません。一度この人を連れて紀伊屋へ戻りましょう」
「おう。お前一足先に戻って部屋空けてくれるように言っといてくれるか?」
「分かりました」
「頼む」
千之輔も兄二人程ではないにせよ、それなりに修羅場はくぐっているらしい。
大して動じた風も見せず事態を飲み込むとすぐに行動に移してくれる。
見かけよりもこの相棒は頼りになるようだ。
虎之助は駆け出した細い背中を見送ると、まだ丸くなって震えている留介に
「金貸せるかどうかは、詳しい話聞いてからだ。一度紀伊屋へ行こうぜ」
と優しく声を掛けた。
「と、虎之助坊……」
「とにかく。ちゃんと酔い醒ましてすっきりしてからの話だ。立てるか?」
「ん……おえ」
「うおっ……ったく……しっかりしてくれよ」
吐瀉物を見ると固形物がほとんど見受けられない。
どうやら空きっ腹にしこたま酒を飲んだせいで余計に酔いが回っているらしい。
虎之助は何事かと遠巻きにしている連中に頼んで水を貰い留介に飲ませ、その者に心付けを渡して後始末も頼むと、そのまま留介をおぶって家路を急いだ。
次回更新は31日になります。




