二. 捜査開始二日目 その1
こう見えて虎之助の朝は早い。
一番食べるのが自分だから家に居る時は自分が皆の分の食事を作る。
それが当たり前だと思っているし、また皆も母が作る飯より自分が作る物の方を喜んでくれているように見えるので、それもまた嬉しいのだ。
昨日は少々イヤな事があった。
だから、なのだろう。
朝からシジミの甘辛煮など作り、しかもそれに乗せる為の針生姜なんて凝ったものを作ってしまった。
しかも中々の量である。
おそらく味噌汁の具にでも、と思って多目に買っていたのだろうが、ほぼ使い切ってしまった。
こちらの方が日持ちはするのだが、一応後で母には謝ろう。
そう決めると次はぬか床からきゅうりを取り出した。
いい具合に浸かっている。
ちなみにこの床も虎之助特製である。
そうして一通り朝食の支度を終えた頃、戸口を叩く音がした。
六つ半、と言えば確かに大抵の商家は開いているが実際に動きだすのはもう少し日が昇ってから、五つを過ぎてからになる。
紀伊屋は材木を扱う関係上、船が着かない事には話にならないから、一般的な商家よりも始動は遅い。
(誰だよ、こんな朝っぱらから……)
そう思いながら「はい、少々お待ちを」と言って戸口を開けた虎之助は、その場に凍り着いてしまった。
瞬間、咄嗟に戸口をバンと乱暴に閉める。
途端、「ちょ、虎之助ちゃん?!」と焦った涼次郎の声が聞こえた。
「虎之助?どうしたの?」
「な、何でもねぇよっ!!」
「お客様なんじゃねぇのかよ?」
「あんなの客じゃねぇっ!!」
「「あんなの?」」
顔を見合わせた姉と平助が出てきて、虎之助が止めるのも気にせず戸を開ける。
「あら、涼次郎。と、そちらは?」
「はじめまして。○屋の千之輔と申します。以後よろしくお見知りおき下さいませ」
「こ、これはご丁寧に。虎之助の姉でおりよと申します」
「どうも。ここの番頭で平助と言います」
「存じ上げてます。上がらせてもらっても良いですか?」
「もちろん」
「お邪魔しまーす」
「何、涼次郎がお客さん連れてきてくれたの?」
「違いますよ」
「は?」
「…………そいつ。昨日話してた俺の相棒だ」
「「ええええーーーっ?!」」
はぁっと深い溜息と共に虎之助は頭を抱えた。
「やだ、虎之助。そういう事は先に言いなさいよ!!うちのバカ弟が迷惑かけてるみたいでごめんなさいね。遠慮なく上がって」
とおりよが強引に千之輔の腕を取って奥の間へと連れていく。
当の本人は相変わらず表情一つ変えずに「お構いなく」と言うが、いくら何でも何も出さずに放置しておく訳にもいかない。
一緒に上がり込んだ涼次郎など「わあ、美味しそう」とちゃっかり相伴する気満々である。
「千之輔ちゃん。これ、全部虎之助ちゃんが作ったんだよ」
「そうなんですか」
「食べてみて。めちゃくちゃ美味しいから」
「はあ。では、頂きます」
大所帯の食卓に混じってちょこんと前髪立ちの総髪頭が座っている眺めと言うのは、どうにも違和感がハンパ無い。
背丈で言うなら平助や手代達と変わらないはずなのだが、どうにも存在感が薄いというか、敢えて気配を消そうとしているというか、どうも常に奇妙な緊張感に似た薄衣を纏っているように感じられる。
驚きなのは、昨日初めて家に来たにも関わらず、やけに馴染んでいる二枚目だが、あの人懐こさなら当然なのか。
実に美味そうに食事を始めた涼次郎を横目に、千之輔はこれといった表情もなく味噌汁を啜った。
ん?と眉毛が上がったと思うとそのままシジミを一口。
ここで明らかに表情が動いた。
(お?)
と思った後に千之輔の口から出てきた
「本当に美味しいです。意外というか、何か悔しいですね」
という言葉にむっとした。
「文句あんなら食うな」
「すみません、こんな繊細な味付けや盛り付けの出来る人だとは思いもしなかったので、つい」
その場に居た全員が噎せる。
「大きなお世話だっ!!」
「本当に意外です」
「二回も言うなっ!!ったく……おい、涼次郎、何で連れて来たんだよ?」
「ん?早い内に行かないと虎之助ちゃんがサボると思ったみたいでね。俺が船出してあげたんだよ」
「お前、船使えんのか?」
「やった事なかったけどね」
「は?」
「え?あんなに自信満々だったじゃないですか」
「昨日あれだけ輝平ちゃんの棹捌き見てたら十分だよ」
さらっと言ってのけるが、猪牙の扱いは難しい。
それを三河町と木場の往復だけで覚えたとは、
(こいつ何者?!)
と虎之助でなくとも思うだろう。
現に千之輔などただでさえ丸い目をさらに丸く見開いている。
(何だ……可愛いじゃねぇか……)
「何にやにやしてるんですか?」
「え?いや、別に……」
「ふぅん……」
「んだよっ!!」
「別に」
そう言うと涼次郎は一気に飯をかきこむと
「ご馳走様でしたっ!!ああ~美味かった。で千之輔ちゃん、虎之助ちゃんに話、あるんじゃなかったのかい?」
と茶を啜りながら話を振った。
「ああ、そうでした」
そう言うと千之輔は箸を置き、居住まいを正すと
「若旦那、あれではまともに人なんて探せません」
と虎之助に向って説教を始めた。
「あ?」
「犬や猫を探すのとは違うんですから。ただ名前を呼んで歩くだけで見つかったら、うちなんて商売上がったりです」
確かにおっしゃる通り。
正論を凛々しくそう言っている千之輔なのだが、説教されている虎之助の方はその頬についた飯粒が気になって仕方ない。
「若旦那。ちゃんと話を聞いてるんですか?」
「お、おう……」
そう言いながらもやはり気になる。
なので「悪ぃ」と言って腕を伸ばすと、千之輔の頬についた飯粒を取りパクリと口に運んだ。
「なっ」
と千之輔が真っ赤になって固まった。
「あ?」
「な、何するんですかっ!!!!」
「いや、さっきから飯粒ついてんのが気になっちまって」
「だったらそう言ってくれれば良いじゃありませんかっ」
「だから先に悪いっつったろう?」
「そういう問題じゃありませんっ」
どういう訳だか茹蛸のように真っ赤になって千之輔が怒る。
「何なんだよ……訳分かんねぇ……」
「とにかく。今日は人探しの基本を教えますから、食事が終わったら八幡様の方へ行きましょう」
「お、おう」
と、とりあえず返事をする。
そして
「お前、ちゃんと表情顔に出せんじゃねぇか。何で昨日あんなつっけんどんだったんだ?」
と訊いた。
「つっけんどんって……別にそういう訳では……ただ、余り感情を表に出すような事が無かっただけです」
「ふうん……でも、そうしてる方がいいぞ、お前」
「…………そうですか…………」
怒るかと思いきやこれまた赤くなって俯いてしまった。
「どうした?」
「何でもありません。とにかく、食事を終えてしまいましょう」
「おう」
そうして食事を続ける虎之助は、周囲の何とも気まずいような冷やかしたような空気にはまるで気付いていなかった。
次回更新は24日になります。




