一. 本所深川木場町
霜月です。
今回は江戸を舞台にした時代小説です。少しでもお楽しみいただければ幸いです。
本所深川木場町。
広重「名所江戸百景」の内、深川州崎十万坪として描かれている広大な材木置き場をもつこの界隈。
材木町と名づけられたそこには、その名の通り材木問屋が軒を連ねる。
高く積まれた材木を運ぶ人足や、その木を値踏みする仲買問屋や大工、木挽師といった、とにかく男臭さで溢れる中、一際目立つ青年が一人歩いていた。
年の頃は十六、七。
一人前に髷を結ってはいるがまだどこかしっくり来ない、そんな雰囲気がある。
その背格好はと言えば、それなりに体格の良い男達の中でもしっかりとした肉付きだ。
にも関わらず太いという印象を与えないのは、周りから頭二つ突き抜けた長身のせいだろう。
日に焼けて少し茶色くみえる髪にはっきりとした目鼻立ち。二又に分かれた眉毛が特徴的だ。
強い眼差しで前を見据え紺地の半纏を翻して行く様は、中々良い男振りである。
丸に紀の字を入れた紋は材木問屋の一つ、紀伊屋のものだ。
江戸開闢の頃からの店が多い中では珍しく年が浅い。
なにせ当代が初代だ、浅いも浅い。
元々は老舗の番頭格だった男が跡継ぎが無く廃業にするという奉公先の株を譲り受けて始めたのだが、持って生まれた目利きのおかげで堅実な商売を続け、今では問屋の中でも十分な信頼を得るようになった。
「よお、虎坊!!今帰りかい?」
「坊は止めてくれよ、いい加減恥ずかしいじゃねぇか」
通りすがりのじいさんに声を掛けられ、青年は困ったように眉の根を寄せた。
が、言った方のじいさんは一向に気にした様子は無く、遣り取りを聞いている周りの者もどこかほっこりとした物を見るような眼差しで二人を見ている。
皆この人の好さそうな青年を気に入っているのだ。
この虎坊、と呼ばれた青年。
実は紀伊屋の一人息子なのである。
本当なら「若旦那」と呼ばれても不思議ではないのだが、そこを誰も突っ込まないのもまた、紀伊屋のとある事情を皆が良太く知るからなのだが、それはさておき。
「何言ってやがる!!てめぇなんざ、まだまだひよっこだよ」
「へいへい。ったく、じいさんには敵わねぇよ」
「敵わねぇのは、じいさんだけじゃねぇだろう?」
「るせぇ!!」
別の男からの冷やかしに真っ赤になりながら言い返す。
「そういや最近お嬢見ねぇが、元気にしてるかい?」
「元気過ぎて勘弁して欲しいくらいだぜ……」
げんなりとした顔でそう返す。
すると男達が一斉に笑い声を上げた。
「ほんとにお前ぇは姉ちゃんにも弱ぇな」
「それはあんたらもだろうが!!」
「そいつぁ違ぇねぇ」
再び木場が笑いに包まれる。
「気ぃ付けて帰れよ」
「おう!!」
人足達に軽く手を上げて返すと、虎之助は店への道を急いだ。
今朝は紀州からの荷物の積み下ろしの確認をしに行っていたのだが、珍しく付いてきていた山方(生産地の荷主)のオヤジさんに気に入られてしまい、長話に付き合わされて思った以上に時間を取られてしまったのだ。
大店の息子とはいえ家中での扱いは手代である。急いで帰らないと次期主人となる姉に怒られる。
焦りながらようやく店に辿りつき、暖簾をくぐった。
「ただいま」
「おう、お帰り。って虎之助。お前遅ぇぞ、何してたんだ?」
そう声を掛けて来たのは番頭の平助だ。
本来なら主従になる間柄だが、一緒に育ったおかげで兄弟同然になっている。
「オヤジさんに気に入られて捕まってた」
「お前、妙におっさん連中に気に入られるよな」
「るせぇよ」
平助に冷やかされ膨れっ面になる。
とそこへ
「やっと帰ってきわね?何してたの?」
と若い女の声がした。
「うわっ!!」
「何してたのって聞いてるでしょ?」
腰に手を当て、虎之助を睨みつけているのは、これまた妙齢の娘だ。
こざっぱりとした仕立の着物は、流行の柄では無いが十分に上物だ。
化粧っ気が無いからか、素肌の美しさが際立っているその姿は、見る者を惹き付ける何かを持っている。
きりっと切れ上がった眦は姉弟に共通するものだが、姉の方がいささか気が強い。
虎之助の姉にして紀伊屋の次期主人、おりよである。
「いや、その、三輪のおっさんに捕まってただけだよ」
「全く。アンタってほんとおじさん連中に気に入られるわよね」
平助に言われたのと同じ事を姉にまで言われ虎之助はうんざりとした顔をした。
「早く奥行きなさい。お客、来てるわよ」
「客?」
「そ」
「誰?」
「いつもの」
「ああ?!」
にんまりと笑った姉に更にうんざりだ。
それは客というのが、まさに”招かれざる客”だからである。
「今度は何しでかしたのかしらねぇ」
「楽しそうだな」
「まあね」
満面の笑みの姉とは対称的に、虎之助は大きな溜息をつくと、ズカズカと大股で廊下を奥へと突き進む。
そして辿りついた先の障子を、バンと乱暴に開けた。
するとそこには、まるで己がこの部屋の主であるかのように、こちらに背中を向けていびきをかいている大男が居た。
「おい、起きろ!!」
「あ……?」
「起きろっつってんだよ、このヤロウ!!」
言うなり虎之助は思い切りその背中を蹴り飛ばした。
「がっ!!痛ってぇな!!てめぇ、何しやがんだ?!」
「それはこっちが言いてぇよ!!人が留守の間に上がり込んで、今度は何したんだ、輝平!!」
虎之助は、寝惚け眼でこちらを威嚇してくる大男にそう怒鳴りつけた。
輝平という名のこの男。
紀伊屋と取引がある仲買屋・桐ノ屋の一人息子なのである。
桐ノ屋は日本橋の新材木町に店を構える大店で、主人は某お武家様の落とし胤という噂もある人なのだが、その主人と虎之助の父である紀伊屋の主人が懇意なおかげで、小さい頃から良く遊んだ間柄だ。
昔は一緒にセミを取ったり、川で遊んだりしたものだが、まあその頃から悪ガキだった。
それが育って、今ではそこに盛りがついたものだから始末が悪い。
ここを根城に岡場所へ遊びに行くのは日常茶飯事。
つい先日も亭主のいる芸者に手を出して、偶然鉢合わせた亭主をぶん殴った挙句ずっとここに居たと嘘を付き、後は番頭が金で片を付けた。
虎之助も不本意ながらもその片棒を担がされたから、まだはっきりと記憶に残っている。
「やらかしたのは俺じゃねぇよ」
伸びをしてあくびをしながら輝平はそう言ってぼりぼりと肌蹴た胸元を掻いた。
「あ?」
「やったのは、おさきだ」
「「おさき?!」」
ふいの不協和音に、虎之助も輝平も揃って廊下を見る。
そこには茶の支度を載せた盆を持ったおりよが立っていた。
「姉ちゃん……」
「ちょっと輝平。どういう事?」
弟の非難の眼差しなど何のその。
おりよは部屋に入ると障子を閉め、盆を畳の上に置くと輝平の前に正座した。
「……オヤジにはあんまり人に言うなって言われてんだけど、おりよ姉なら良いか。お前より頼りになるしな」
「んだと?!」
「いいから。話しなさい」
「実は、アイツ、昨日から家に帰ってねぇらしい」
「「昨日から?!」」
姉弟声を揃えて顔を見合わせる。
おさきというのは、これまたこの三人にとっては幼馴染になる娘だ。
こちらは京橋近くに店を構える川辺問屋(木炭や薪を扱う店)・松坂屋の一人娘で年は虎之助・輝平と同じ十六歳。
炭屋小町の異名を持つちょっと評判の美人である。
嫁入り前の、それもそれなりの商家の娘が一晩家に戻らない、というのはこの時代かなりの大事だ。
「お奉行所には届けたの?」
「まだ」
「何で?」
「さあ。手代の良太が何かワケ知ってるらしくて、それを聞いたアイツのオヤジさんがうちに泣きついてきたんだ」
「へぇ……気になるわね」
「で。一応許婚者って事で俺が探せって言われてよ。一人で探すのも邪魔臭ぇし、お前にも手伝わせてやろうと思って来たんだ」
そう言って虎之助を見た輝平がにやりと笑う。
「何で俺を巻き込むんだよ?!俺は関係ねぇだろうが?!」
「何言ってんの!!アンタも幼馴染でしょう?!」
「それはそうだけど」
「か弱い女の子が困ってるかも知れないってのに、見捨てるって言うの?!」
「か弱いって……おさきだぞ?」
「それに、そのワケってのが気になるじゃない」
おりよに勝るとも劣らぬお転婆振りを知る身としては、到底おさきがか弱いとは思えない。
が、確かに大っぴらにしたく無いらしい理由というのは気にはなる。
「よし、虎之助。輝平を手伝って、おさきちゃん探しなさい」
しばしの沈黙の後、姉はそう弟に命じた。
「店は?!」
「今そんなに忙しく無いから平気よ。それより、あのおさきちゃんが家に戻らないって事の方が大事よ。それに、最近何か若い娘がかどわかされてるって話も聞いたし」
「そうなのか?」
「だから最近私も外に出られないの」
「ああ……けど姉ちゃんなら平気だろ」
「何ですって?」
「いえ、何でもないです……」
ボソっと呟いた声を聞きつけられ姉に思い切り睨まれる。
「いいわね?ちゃんと探し出して、理由聞いてくるのよ?」
そう言うおりよの目は完全に据わっている。
幼い頃からこういう目をした姉に逆らって良い事はない。
虎之助は仕方無く紋の付いた半纏を脱ぐと、
「けど、探すっつってもどこ探しゃ良いんだよ?」
と姉に聞いた。
「とりあえず、松坂屋行って、良太から事情を聞いてきなさい。まずはそこからよ」
「だそうだ。行くぞ、輝平」
「え?俺もかよ?」
「当たり前だろう!!元々はお前の仕事だろうが!!」
「チッ。だりーな……」
「輝平」
「へぇへぇ。……っとに怖ぇな、おりよ姉は。んじゃ行くか、虎之助」
「おう」
こうして、最強の姉に見送られ、幼馴染の二人は、もう一人の幼馴染の行方を捜しに京橋へと向った。
次回更新は19日になります。




