『あなたの余命はあと一年です』
#『あなたの余命はあと一年です』
「お前は、ヒトサマに迷惑をかけないようにしなさいね」
母にそう言われて育った。
女子校で運動部に入ったけど、過呼吸をよく起こすようになってしまって、迷惑だから一年の秋にやめた。そもそも、チーム戦なんて私に無理だった。「指示待ちするな! 自分で考えろ!」そんなことを言われたって、そんなこと、できなかった。
大学に行かずに就職したら「育てたんだから、返しなさいよ」と言われ、給料の殆どを家に入れていた。
別にしたいこともないし、買いたいものもなかったので、化粧もせず、三着の服を着回していた。
よく旅行に行く母が、「私の老後のために、貯金しておきなさいよ」と言うので、従った。
最近、よく思い出す。
高校で運動部を辞めたあと、地元を走っている電車の中で、その先輩にあった。
みんなが疲れ果てて日陰でお茶をのんでいるときにも、グランドをランニングしている人だった。混戦の中で歓声が上がったと思えば、その先輩がトリッキーなことをして抜け出していた。小さい先輩がすごく大きく見えた。
その時先輩は三年生だったので、電車であったその時は卒業していた。
「おっ! 康子やん! 久しぶり!」
私が先輩に気づくより先に、声をかけられた。
下の名前を呼ばれたことに心臓が止まるかと思った。
ガラ空きなのに、私の隣にドサッと座った。跳ね上がった両足、バウンドした座面。
迷惑なことをしないでください、と口から出かけたけど、先輩だし、黙った。
相変わらず、男か女かわからない格好で、元気良くて、汗くさかった。
先輩は『うーっ!』と叫びながら伸びをして、ガラスに頭をもたせかけて、目をつぶった。
用がないなら、こんな近くに座らなくても……と、間を空けようとしたらスカートを踏まれていて動けなかった。今日に限って、座ったときにスカートをなおすの忘れてた!
これが『迷惑をかけないように』ってことなんだわ! 凄い自己嫌悪が襲ってきて、泣きそうになったとき、先輩がコトン、と私の左肩に頭を乗せた。
ビクッ、と飛び上がりかけたけど、私が動いたら先輩が倒れてしまうので必死でじっとしていた。
人間の頭って重たいんだな。
先輩の汗のニオイがもっとした。
そのあとの記憶が無い。
あの当時も、最寄り駅で下りた後、夢を見たのではないかと思ったことは覚えている。
ただ、左肩が重たくて、電車の窓の外が明るかった。冬服を着ていた気がするけど、桜が舞い上がっていたような、なんか、とにかく、キラキラしていた。
今思えば、あれが初恋だった気がする。
思い出の中で、先輩の姿だけがキラキラしていた。
私の、下の名前を呼んでくれたのも、私の人生で、あの時だけ。先輩だけ、だった。
そうだった。
あの時、電車を降りた時、私は、気づいたんだ。
母ですら、私の名前を呼んでくれたことがなかったと。
迷惑ばかりかけてクラブを辞めたのに。
きっと、先輩は、クラブの全員のフルネームを覚えてくれていたのだろう。みんなを、下の名前で呼んでいたのだろう。
私だけじゃないとしても……でも、途中でやめた人間を、卒業後まで、覚えていてくれたのは、確かなんだ……
「山田さん? 山田康子さん? 大丈夫ですか?」
目の前にいたお医者さんが私の正気を確かめるように手を振った。
「先生、もう一度、言ってもらえますか?」
「あなたの余命は、あと一年です」
先生の顔は真っ暗で見えない。彼の後ろの窓の外で、桜が舞い踊っていた。
よし、貯金を全部下ろして、仕事をやめて、世界一週クルーズに出よう。
母のいないところで死にたい。
診察室を出て、会計を済ませていたら、誰かがぴょこんと私を見上げた。
「康子?」
プリン頭の知り合いは居ないはずだけど………………
「先輩?」
「やっぱり康子! すげー! ほらっ、外、桜吹雪! 前におまえと電車であった時もそうだっただろ? あの時、康子いたなー、と思ったら似た後ろ姿だったから! まじ? すっげ!
あ、今、暇? ヒマ? ちょっとウチ来ない? この近所なんだ!
あのさ、来月『マイピ』ってゲームでマルチ誘われてるんだけど、難しくって、なかなか生き残れないの! おまえ、賢かっただろ? ちょっと教えて!」
「『マイピ』ってあの有名な?」
「決まり! コンビニで飯買ってこ! 財布忘れたから、奢って?」
…………本命はそっちですね。
『マイピ』というゲームも、したことはないんですけど……というかゲームをしたことないんですけど……
久しぶりにあった先輩がダメンズになってたらあなたはどうしますか?
全財産注ぎ込みましょう!