名もなき最速の兵士
歴史上に名を残す人間は限られている。
多くのエピソードが語られる偉人達の周りには、名前も知られない者達の影がある。しかしその影は、偉人と比べても遜色ない才能を持つ者達もいた。ただ、運と時が悪かっただけなのだ。
20世紀某年某月。
世界はまさに大戦争時代。第一次世界大戦から始まり、多くの血と涙が流れた人類の黒歴史といえる時代。
とある戦場で、一人の少年兵がいた。普通の村に生まれ、農作業に勤しみ、国の命令で徴兵されただけのどこにでもいる普通の少年だった。
ただ、一点を除けば。
「―――撃てぇ!!」
ドン、ドン、ドン!!
大砲、銃撃、ワンタッチで人を殺せてしまう小さな殺意が飛び交う戦場であった。まさに地獄。互いが互いの正義の為……なんて綺麗事ではなく、ただ利益の為に。祖国の栄光の為にと、愛国心という名の幻の燃料だけでなんとか自分を奮い立たせる兵士達が日夜争っていた。
「く、押され気味だな。どうする!?」
「どうするも何も、上の指示を待つしかねぇだろ!俺たちは所詮捨て駒だ!捨て駒なら捨て駒らしくギリギリまで踏ん張れ!」
「ちっ、クソォ!!」
二人の兵士が叫ぶ。
多くの仲間が目の前で死に、生き残っている仲間も皆自分の身を守ることに必死だ。敵はジリジリとこちらに接近している。このままではやられるのも時間の問題。
その時だった。
「―――みんな、俺がアイツらを何とかする」
一人の少年兵がぽつりと言った。
「………は?お前、何を言って……」
「迂闊に顔を出すんじゃねぇ!死にてぇのか!?」
「何か策があるってのかよ!?」
仲間が叫ぶ。しかし少年兵は何も聞かず、装備を脱ぎ捨てそのまま地獄へと身を投げ出した。
「あいつ、何も持ってないぞ!?」
「気でも狂ったか?」
「いや、まて……あいつが握ってるのは………ナイフ?」
飛び出した少年兵が握っていたのは、一本の軍用ナイフだった。まさか、接近してそれで刺してくるとでも言うのか。あの銃弾の雨の中をくぐり抜けて!?
勇気、無謀を通り越して呆れだった。彼は気がおかしくなってしまったのか、と全員が諦めた。
「………おい、アイツ、銃弾を全部避けてやがるぞ!?」
「は!?嘘だろ!?」
少年兵が駆ける、走る、さながら風のようにしなやかな動きで。弾が身体を撃ち抜くギリギリで避け、時にはナイフで弾を打ち返し、一気に距離を縮めた。
「――――ッ!!」
そして、飛び掛かる。
小柄な体が敵兵に絡みつき、獣のようにナイフで喉元を掻っ切る。続けて別の敵兵の脳天にナイフを突き刺し、銃弾が飛んでくれば敵兵を盾にして、次、次、次へと命を狩っていく。
どんな攻撃も彼の前では無意味。最大の攻撃は最大の速度。尽くを躱され、いなされ、最後にはナイフで一刺し。
あっという間に敵兵の一隊を全滅まで追い込み、撤退させた。逃げ惑う敵兵が後に語った話によれば、少年兵の顔はどこか愉悦に浸っているような、とにかく緊迫した戦場では考えられない表情をしていたとのこと。
「………ふ、ふふ」
少年兵は敵兵に突き刺さったナイフを引き抜きながら、笑みを溢す。
「あぁ、この感覚……この快感……普通に暮らしてたら絶対味わえない……『すりる』って言うんだっけか」
「―――おーい、お前!大丈、夫か………?」
「たまんねぇーー…………あ?」
様子を見に来た味方が一人駆けつけてきた。横たわる敵兵の死体の数々に戦慄する。いや、それもそうだが味方兵が一番驚いたのはそこではなかった。
「………これ、お前が一人でやったのか?」
「おう。何とか敵を退けられたよ。危機は去った!」
「………なぁ、お前、なんで」
「?」
「なんでそんな楽しそうなんだ………?」
誰にも知られない少年兵。これと言って大きな戦績を挙げた訳ではないが、当時彼と居合わせた者達は皆同じ事を言う。
奴は化け物だ。
だが一つ勘違いして欲しくないことがある。彼は決して、人を殺すのが楽しい訳じゃない。むしろその逆、命を取ることについては罪悪感すら覚える。彼が戦場に求めるのはそこではないのだ。
生と死の瀬戸際。一発でも被弾すれば即終了のギリギリ感。避け逃げることに生の喜びを見出す変態だっただけなのだ。