Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・8
リサがサインアップ画面をスクロールさせる。並ぶネルガレーテ、アディ、ユーマ、ジィクの署名を改めて目にして、リサは胸が一杯になった。
“あたし、この皆と一緒なんだ。何だか凄い・・・!”
「サインの仕方、分かる?」
手の動かないリサに、ちょっぴり心配したネルガレーテが横から声を掛ける。
「ううん、大丈夫・・・!」
昂る気を抑え、リサは小さく息を吸い込むと勢いよくペンを走らせる。サインを終えると、今度は小さく息を吐き出した。
「追加で発生したオプションの契約書の方は、皆さんが出発されるまでに届けさせます」
契約書をリサから受け取り、署名を一通り確認してから、カノに預けるとヌヴゥはドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)一同を見渡した。
「予定時刻まではまだ2、3時間あると思いますが、それまでは、どうぞこの部屋をご自由にお使い下さい」
それでは、出発の折りにもう一度、と言うとヌヴゥが立ち上がった。何かご用でしたら、カウンターのインカム(構内通話機)を、と言い残したカノがいそいそと、出て行くヌヴゥの後を追う。
2人の姿が消えた途端だった。
「リサ、後でその契約書をビーチェに渡して保管させておいてね」
契約書のバインダーをソファに投げ出したネルガレーテが、ふん、と鼻を鳴らしてさっさとカウンターの方へ歩き出す。
「今回はまた、随分ふんだくったじゃないの──」
そのネルガレーテの背に、ユーマが可笑しそうな声を掛けた、その矢庭。
「素敵! 素敵なの!」
いきなり立ち上がったかと思ったら、リサが感極まったように声を上げた。
「ネルガレーテがとっても素敵なの・・・!」
当事者のネルガレーテは勿論の事、他の3人すらぽかんと口を半開きにして、掛ける言葉を失っている。
「見たでしょ! 見たでしょ! 鯔背で粋な鉄火肌・・・!」
興奮して早口で捲し立てるリサが身を翻し、アディの腕を取った。
「粋?」
「──足元見透かして付け込むのが?」
思わず声を上げたアディが首を巡らせ、同時に振り返ったジィクと視線が合った。
「この世の中に、ネルガレーテのような、格好の良い生き方をしている女性がいるなんて・・・!」
桜色の頬を僅かに紅潮させたリサが、カウンターの中のネルガレーテを振り向いた。
「初めてじゃない? 貴女の生き様が格好良い、なんて言われるの」
一緒にカウンターの中にいるユーマが、リサの視線に促されたように横のネルガレーテを見やる。ユーマはケトルで湯を沸かし始め、そそくさと紅茶を淹れる準備をしていた。
「大体、もっと巻き上げてやっても良かったのよ」カウンター後ろの棚に並ぶ酒壜を品定めしてから、ネルガレーテは1瓶掴み取った。「──気付いてた? 後ろに居た優男風の、カノだっけ? 彼奴の視線」
ネルガレーテが台下冷凍庫から取り出したロック氷を、カウンターに置いたオールドファッションド・グラスへ無造作に放り込む。耳障りのよい氷の音が立ったグラスにウイスキー(蒸留麦芽樽熟酒)を注ぎ込むと、指で軽くステアしてからネルガレーテは1口煽った。
「もうリサの顔、胸、腰、太腿を行ったり来たり。しかも見てない振りしてチラチラ覗き見だから、余計に気持ち悪いったらありゃしない! 気付かれてないと思っているんだろうけど、鳥肌が立っちゃったわよ・・・!」
「──そんな奴、次は股座を蹴り上げてやったら?」
ユーマが辟易したように言い放つ。
「アディ! あたしは決めたわ!」
ユーマに嗾けられた訳ではないだろうが、リサが再び突如、今度は優柔な拳を握り締め、勝鬨みたいな声を上げてアディを見た。
「ネルガレーテみたいに生きるの・・・!」
言った瞬間、アディ、ジィク、ユーマの3人が共に一斉に反応した。
「げッ・・・!」
「マジかよ」
「その冗談は、さすがに、よく考えてから言おうね、リサ」
ユーマの言葉に、それ、私の生き様が冗談、って言う意味? とネルガレーテが口を尖らせる。
「だって格好良いんだもの! へなちょこ男なんか寄せ付けない、芯の強い傾国の美女なの!」
赤髪を揺らせ、リサが熱を込めて言った。
「傾国ってブーザー(蠎蛇)のことだっけ?」
「いいやタビーキャット(匹婦)の意味だろうが」
「そうなの? ハーピー(性悪女)だと思ってたけど」
再びアディ、ジィク、ユーマの3人が、困惑気味の表情で首を振る。
「こらこら、あんたたち」
言いたい放題、何かと水を差す3人に渋面を作るネルガレーテが、グラスを持つ左手の人差し指でアディを差しながらリサに言った。
「──リサも、先ずは、想い人の火の玉オトコを手懐けてからね」
「俺のことか・・・?」
口をヘの字に曲げるアディに、ジィクとユーマがニヤリとした。
「お前、尻に敷かれるの、決定」
「自覚あるなら、ご愁傷さま」
それに反駁するように、リサがアディの腕を絡め取る。
「そんな言い方しないでよ・・・! あたしは尻になんか敷かないもの」
リサは、はたと気が付いた。
仲が悪くて、反りが合っていない訳ではないのだ──お互いに罵詈痛罵を浴びせあっても、それは表面上の事で、一種の“照れ隠しゲーム”のようなものなのだ、と。
なんだかんだ言って3人とも、ネルガレーテに対して一目置いているのがありありと感じられるし、ネルガレーテの方も、強気の駆け引きの源が、このレギオ・コンフィギュア(編団成員)にある、と踏んでの商い交渉なのだ。そしてそれは3人の間にも、いやレギオ(編団)の皆が、お互いに感じあっているものだろう。
単なるツンデレのような気もするが、世間ではきっと、それを、信頼、と呼ぶのだ。
“それじゃあ、あたしは・・・?”
「股を開くんじゃないのか?」
「言ってない」
ジィクの突っ込みに、リサが負けじと間髪入れず打ち返す。
「腰も振るんだろ?」
「それも言ってないって・・・!」
「けど酔っぱらっても、前後不覚にはなるなよ。誰かみたいに、所構わず涎垂らして寝る羽目になるぞ」
けはははは、と高笑いするジィクに向かって、リサはアディに獅噛み付きながら、べーっと舌を出した。
“そう、あたしはデレデレなの! アディと皆に・・・!”
「──んじゃ俺は、ちょっくら散歩してくるわ」
愉快そうな笑みを浮かべたジィクが、ひょいと腰を上げて踵を返す。
「どうせ、下半身の散歩だろうが・・・!」
出て行こうとするジィクの背に、アディが嫌みを投げ付ける。
「俺の心はいつだってアウト・ロー(自由)なのさ」
「野放図な下半身の間違いだろ」
「──出掛けるのは良いけれど、此処にお愉しみな場所ってあるの?」
2人の遣り取りを聞きながら紅茶を飲んでいたユーマが、さらっと突っ込む。
「そりゃ、此処は宇宙港・・・」
と言い掛けて、ジィクがはたと下唇を突き出した。
「そうよ、此処は、腐ってもクライアント(受注先)・アールスフェボリット・コスモス社の支社ステーションの港、企業の敷地内なの。ここは社内」
カウンターの中で、図抜けた巨躯のユーマが肩を窄めて見せる。
「社内で、お愉しみにブロード(女)を買える部署がある訳ないじゃないの」
馬鹿ね、と言わんばかりに、2杯目を飲み干したネルガレーテが、見放すように言った。
「言っておくが、買わなきゃならないほど、俺は野暮で退屈なオトコじゃない」
と鼻を鳴らすジィクに、リサが言った。
「じゃあ、何処に行くつもりなの?」
「2人とも一緒に来いよ」なぜか得意げな顔したジィクが、さあ、と首を倒して誘い掛ける。「良いオトコの見分け方を教えてやるよ。アディには、良いオンナの見分け方だ」
何よそれ、とリサがアディを見れば、俺は何も言ってない、とアディが首を竦めた。
「ディスコくらいあるだろ。社内福祉とか何かで。リサだってナンパできるぞ」
「結局ナンパするのかよ」
アディは呆れたように首を振り、脇のリサは、アディがいるのに、ナンパなんかしないわよ、と舌を出す。
「けどなジィク、今度、股座目掛けて、足を出して来るようなオンナをナンパさせようとしたら、お前が振った女を嗾けるぞ」
「アディもナンパしたの? てか、出来るの?」
少しばかり驚いた表情で、リサがアディを見た。
「キャロムで負けた罰ゲーム」
仕方ないだろ、と渋い顔を見せるアディに、リサがぶうと頬を膨らます。
「あー、そこは心配しなくて良いぞ、リサ」ジィクが可笑しそうに言った。「あれじゃ、誰も釣れない、ド下手だから。だから、見る分には面白い罰ゲームなのさ」
口をヘの字に曲げるアディに、リサが、そうなの? と声を掛ける。
「声を掛けた途端、ヒールの後ろ蹴りが来たんだ」アディがぽりぽりと頬を掻く。「それで咄嗟に受け止めて、足を払い返しちゃったんだよ。反射的に」
「いきなり蹴って来たの? その女」リサが呆れたように目を丸くする。「よく避けられたのね、アディ」
「けどその女、すッ転げてケツ突き出して四つん這い」ジィクが震え上がるように首を竦めた。「しかも紐パン丸出しになったもんだから、まあ怒るわ喚くわ、揚げ句に取り巻きの連中がいきなり殴り掛かって来て、もう後はしっちゃかめっちゃか」
「あーあれね」ユーマが思い出したように、ぼそりと言った。「アディが声を掛けたって女、地元アパッシュ(ちんぴら)の姐御だったってやつね」
「翌日、出発前に宙港にまで、警察が事情聴取に来たからね。案外大事だったみたい」
ネルガレーテも半分座った目付きで、投げ遣りに言った。
「アディ、ひょっとして分かってて声掛けたの? ジィクも」
「いや別に、喧嘩を売るつもりはなかったんだが、成り行きで」
「まあ、相手はアパッシュ(ちんぴら)に毛の生えた程度だったからな。ただ、ナンパ1つで乱闘になるとは、思ってもみなかったが」
「全部で何人相手にしたの? 4、5人?」
「あの時は10人位だったかな」リサの言葉に、アディがジィクを見遣った。「こっちはジィクと2人だし、粗方伸してそのままトンズラ」
「2人って、矢っ張り腕っぷしが強いんだ」
並び立つ2人のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)を、リサは交互に見やった。
紺青色の長い髪せいなのか、ジィクは線が細いように見えるだけで上背は190センチ、アディより指1本差もないほど高いだけで、肩幅も然して変わらない。
「まあ弱くはないわね」
リサの感心したような言葉に、ユーマが苦笑しながら答えた。
「2人とも体格はまあまあだけど、アディは見ての通り奥手だし、ジィクも見た目が優男風ハンサムだから、相手も勝てると思って吹っ掛けてくるのよ」
「ユーマ、お前が優男って言うな。しかも“風”って何だよ。フツーにハンサムだろうが」
潤んだ目に頬を仄かに上気させ、どこか楽しそうなリサが、改めてアディを見詰める。
視線に気が付いたアディが、どうした? と言う目でリサを見返すと、リサは、何でもない、と言う風に小首を振った。
何て言ったら良いのか分からない。何と表現したら良いのか分からない──やっぱりどこまで行っても頼もしくて、強い人たち。それが喧嘩であれ、仕事であれ、これ以上頼りになるコンフィギュア(面子)が居るのだろうか。リサは少しばかりの不道徳な高揚感に浸っていた。
「それにアディだって、ファイアボール(蛮勇猛進)だからね、中身が」
ユーマの呆れたような口調に、アディが口をヘの字に曲げる。
「ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)稼業やってれば、地上で起こる事なんか、怖いうちに入らないわよ」
既に7杯目を干したネルガレーテは、さすがに酒が回ってきたのか、呂律が僅かに怪しくなり始めていた。
「けど、あの辺りは当分足を向けられないよな、ありゃ」
アディが肩を窄めてリサを見遣ると、リサが可笑しそうに笑みを返した。
「くははは。なんせ港町の女は、踏ん付けるのが好きな奴が多いからな」ご愛嬌、とばかりにジィクも肩を窄めて見せた。「んじゃ、今はこの格好だし、3人でプール(撞球)にでも行くか?」
「あたし、ルールをよく知らないよ」
何時の間にかリサは、一緒に行く気になっていた──ワクワク感一杯の、この2人からの誘いを断る理由なんか、これっぽっちも見当たらない。
「なあに簡単さ。ローテーション・ゲームにするから、番号順に球を落とすだけだ。リサにはハンデキャップをやるよ」ジィクがニッと歯を見せた。「──ただし負けたら、勝った奴が決めたオトコを、リサがナンパしに行くんだぞ」
「だから、男の人をナンパなんてした事ない、って・・・!」
「リサは女だから、強請って一杯奢って貰うだけで良い。これなら簡単だろ?」
「何かあったら、ちゃんと助けてよ、アディ」
少しばかり甘えた口調のリサに、アディは、ああ、と即答し、それを見ていたユーマが横槍を入れた。
「ジィク、あんた馬鹿ね」ユーマの深緑色の目がジィクを見下す。「──それ、罰ゲームになってないわよ」
「?」
「リサに声掛けられて、断るオトコが居ると思う訳?」
「──あ・・・」
言われたジィクが、はたと口をあんぐりさせた。
傍聴のネルガレーテが、ぷぷぷ、と噴飯を噛み殺す。
「──だってよ、リサ」アディが可笑しそうに言った。「簡単らしい、お前には」
「きゃは・・・!」
リサが照れた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト