Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・7
「救難ミッション(行動計画)へのデポジット(前金)が1000万、それで1人でも救助したら、それ以後の生命の存否にかかわらずリウォード(報酬)を頂きます」
納得ずくのヌヴゥの口調に頷くと、ネルガレーテがさらりと言い切った。
「履行報酬は5億ガイアのエクスチェンジ・オーダー(為替手形)で、インターナショナル・マネタリー社のクレジット・レター(金融信用状)付き、如何です?」
「5億・・・!」
ネルガレーテの言葉が終わる前に、思わずカノが声を被せて目を見張る。
そして後ろのドラグゥン3人が、おお言ったぞ、とばかりに首を竦めて顔を見合わせる。脇に座るリサは、その額も然る事ながら、何の躊躇いも無くあっさり請求するネルガレーテの肝っ玉に唖然としていた。
「それはさすがに、度を越してはいませんか・・・? セニョーラ・シュペールサンク」
さすがにヌヴゥは感情を抑えているものの、明らかに語尾に怒気を含んでいる。
「私どもが、エクスチェンジ・オーダー(為替手形)で構わない、と言っている意味を解って貰えます?」
木で鼻を括ったようなネルガレーテの口調だった。
「問題はそこではありませんよ、シュペールサンク・・・!」
「そこのウイッパー・スナッパー(青二才)」
ソファ越しに身を乗り出し、少し憤慨気味に声を荒げるカノに、ネルガレーテが一睥みしてぴしゃりと言い放った。
「権限もない上に、趨向を読み切れないなら、口を挟まないで戴けます?」
ドラグゥン・エトランジェ(傭われ宇宙艦乗り)が、請負報酬に現金を要求するのは珍しい。
これは“通貨”と言う価値交換媒体を、根本においては信用していない、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)の古くからの商慣習のためだ。ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)の取引基本は、当事者間による直接のバーター(物々交換)であり、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)自体が“国家”と言う概念に大して意味を見出していない証左でもある。
クライアント(受注先)が大企業で高額報酬を見込める場合など、その企業本体や傘下のグループ企業に対して、保有艦船や機材へのメンテナンス(点検整備)や保証サービス、食料や武器などロジスティクス(輜糧)請求権を、対価契約する事が多い。大概のドラグゥン・エトランジェ(傭われ宇宙艦乗り)は、その自身の行動や活動に直接資する報酬を好む。
それでも対価に現金を指定する場合、銀河合衆機構のメジャー・カレンシー(基軸貨幣)であるデラスか、同様にベオウォルフ条約連盟のガイアくらいのもので、ローカル・カレンシーはまず受け付けない。大概は大手クレジット・トランザクション・サービス(信用情報)企業のクレジット・レター(金融信用状)が付いた、クライアント(受注先)が発行するエクスチェンジ・オーダー(為替手形)か、デビット・ノート(約束手形)だ。
「これでも緊急性と人道とやらを考慮して、提案していますの」
独り色をなすカノを歯牙にも掛けず、ネルガレーテは不敵な笑みでヌヴゥを見遣った。
「エクスチェンジ・オーダー(為替手形)なら、ヌヴゥ役員の一存で即行できる事項でしょうし、額の方も役員ほどの権限をお持ちなら、難なく処理できる範疇でしょうに」
「そのための、専権事項指定ですか・・・」渋面を作ったヌヴゥが、流し目がちに若い部下を見る。「ですが、私が、このカノに一任すると言ったら?」
「ヌヴゥ役員ともあろうお方が、私の出方など探らなくても・・・」まったく動じないネルガレーテが、冷淡な愛想笑いを浮かべた。「まあ、当方は一向に差し支えありませんが、委任されるに当たって、上司として一言添えていただければ、なお幸いですわ。目の前のドラグゥン・エトランジェ(傭われ宇宙艦乗り)は、部下でも同僚でもない、と」
「──明白に足元を見透かされるのは、心地良いものではない」
後ろから、むっとしたカノが何かを言おうとした気配を感じたのか、それを制止するように軽く手を上げたヌヴゥだったが、当の本人は不快感を露にしていた。
「プライド、ですか?」ネルガレーテが、ご自由に、と言いたげに、燕婉と小首を竦めて見せた。「──このオプション契約、キャンセルなさいます?」
「・・・・・・」
最後の選択肢を先に、しかもあっさりと口にされて、ヌヴゥが思わず口を噤んだ。ヌヴゥにしたら、退路を断たれたように感じたかも知れない。
「終わり良ければすべて良し、1人でも救助されれば、迅速な決断をされた聡明なるヌヴゥ役員の評価は、ぐんと上がりましょうに。さらに補給も滞りなく完了したとなれば、ガキーンとゴーレム、2回の補給失敗など責任を問う声を躱すことも容易でしょ?」
ニコリともせず、滔々(とうとう)と言葉を繋ぐネルガレーテだったが、決して突き放すような言い方ではなかった。
「それとも原因不明で、経営役員会で事故調査チームなどを立ち上げられたら、開発プロジェクト自体が中断、もしくは廃棄の憂き目に遭うのは確実。けどそんな事、誰も願っていない。消息不明の原因を推測でも出来れば、今後も安心して補給計画を立てられ、開発計画も滞りない継続が可能でしょうし、先日送り出したと言うダイアポロでしたっけ? その航行中のお船だって失くさずに済むかも知れませんよ?」
「これは思いの外、深読みの利くお人のようだ、グリフィンウッドマックのレギオ・デューク(編団頭領)は」
アールスフェボリット社の役員は、溜め息を吐き出すとソファに腰を沈め直した。
そのヌヴゥの姿を、ネルガレーテの背中越しに見ていたグリフィンウッドマックの3人は一様に、勝負あった、と悟った。ヌヴゥはもう、条件を呑まざるを得ないところまで追い込まれている──ネルガレーテの表情を直接窺い知ることは無理だが、隣に座るリサの、ネルガレーテを見詰める唖然とした横顔からも察せられた。
ドラグゥン・エトランジェ(傭われ宇宙艦乗り)と言えば、単なる暴力的なギャング(与太者)集団と思われがちだが、実は交渉に長けた強かで生き馬の目を抜くような連中揃いなのだ。
「この天秤座宙域における一連の開発プロジェクト、天秤座宙域での交易覇権を狙うトレモイユの手前、アールスフェボリット社としては簡単に放棄できる立場にはないでしょう」
ネルガレーテは足を組むと、腰の横で手を組み、仰け反るように背もたれに軽く身を倒した。鬱金色のデザインが入った白磁のフィジカル・ガーメントの下で、豊満なバストが押し潰され、双丘の間で前身頃がピンと張る。
「払う価値のある5億、ですわ」
「まったく凄い自信だ」
ヌヴゥが苦笑いにも似た笑みを浮かべた。
「アールスフェボリット社にあって、重要なトレモイユとの戦略的関係構築、それこそ全てヌヴゥ役員自身の手腕と功績。そんな輝かしい業績を積み上げられる有能な出世頭、将来の最高執行役員、我々だとて将来に亙り、是非にもご贔屓頂きたい御方ですもの」
「セニョーラ・シュペールサンク、実に抜け目ない」それでもヌヴゥは、なお食い下がろうとした。「──しかし肝心の、あなた方の完遂能力は誰が保証・・・」
と、ヌヴゥが口に仕掛けた言葉を、ネルガレーテが首を振って遮った。
「そんなもの、疑問の余地はない筈ですわ。依頼相手を阿弥陀くじで決めた訳ではないでしょう?」実力のほどは調べが付いている筈──ネルガレーテが、面白くもない、と言った風情で肩を窄めた。「役員の眼鏡に適った我々だからこそ、突発的に生じた輸送船ゴーダムの救難をも依頼する気になった。違います?」
「失礼ながら私とした事が、貴女がたを見縊っていたようだ。ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)にしておくには、惜しい逸材ですな、貴女は」
観念したように、ヌヴゥは少しだけ背を曲げて嘆息した。
「それは恐れ入りますが、抜け目がないのは、ヌヴゥ役員の方ではありません?」
一転、ネルガレーテは無邪気そうな笑みを向けた。
「──本契約であるフレーター(貨物船)護衛依頼に、様子見のような報酬内容提示にも拘わらず、意外にも私たちがあっさり引き受けた時点で、役員の方とて万が一に追加事案が発生した場合は高くつく、とは想定されていた筈」
「セニョーラ・シュペールサンク、まさか、こうなる事を見込んでいた・・・?」
「それこそ、まさか、ですわ」
「・・・・・・」
軽く往なすようなネルガレーテの言い草に、ヌヴゥは怪訝そうな表情を変えなかった。
「誤解が無いように申しておきますが、私ども、アールスフェボリット・コスモス社を、決して小さな企業とは見ていませんわ。そんな企業の重役が、直接に発注して来られるとは、単なるロジスティクス(輜重)どころか社運さえ左右しかねない、自らのクリティカル・インシデント(要対処事象)だ、とお考えの証拠でしょうに」ネルガレーテの柿色の瞳が、熱を帯びて潤んだ、ように見えた。「しかも、そんな将来を背負って立つべき御仁が、わざわざ埠頭に下りて来られるとは、普通では有り得ない事なのに、鼻摘み者のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)相手では尚更ですわ」
止、とも言うべき、ネルガレーテの誉め殺しだった。
貶しているようにも聞こえるが、裏を返せば実は、先の見える有能な傑物だと持ち上げているのだ。そしてその含みを察したであろうヌヴゥを、察する事の出来る才物だと、分かる本人にのみ向けて発した、言外の評価だった。その上、胡桃色の肌に妖しい笑みを乗せられたら、ヌヴゥでなくとも少なからず逆上せ上がってしまうだろう。
「それは、少々買い被りと言うもの」
ヌヴゥが気取ったふうに首を振る。取り繕ってはいるが、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)の3人から見れば、この男はすっかりネルガレーテの手管に嵌まっていた。
「噂に聞くセニョーラ・シュペールサンクに直接お会いできるのなら、これくらいの足労など容易いこと」
「あら、さすがはシニョーレ・ヌヴゥ、お口の弁も卒の無い」さらにネルガレーテが此処ぞとばかりに、ソフトな言葉責めに近い辛辣な言葉を、高慢ちき風に浴びせる。「ならば私の鑑賞料と、先程来の若いペロリンガ殿方の、うちのフィーチャリング・ビューティ(看板娘)への下心丸出しの視姦料を含んでの5億ガイア、意外とお安いと思いますが?」
「非礼があったのなら謝ります、セニョーラ」
ヌヴゥは素直に、軽く頭を下げた。
そのヌヴゥの反応に、背後のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)3人衆が互いを肘で突き合う。
“ほれ、やっぱり嬲り者にしてるぜ”と、ジィクが目配せし。
“鑑賞料に視姦料。よく思い付くわね”と、半ば呆れているのはユーマ。
“やっぱりカティ・サーク(毒婦)だ”そしてアディが、下唇を突き出した。
「どうやら、依頼する相手を間違っていたようだ」
ヌヴゥの言葉は、相手を詰ったのではなく、読みが甘かった自分への諌めに聞こえた。
「あら、間違ってなどいませんわ」揶うような口調だが、ネルガレーテの顔付きは至極誠実そうな表情だった。「後悔をさせるような女に見えます?」
「参りましたよ、セニョーラ・シュペールサンク。相手になっていないのは、どうやら私のようだ」少し照れ臭そうに、アールスフェボリット社の役員は小さく首を振った。「貴女は実に魅力的なお人だ。改めての依頼とお引き受けの意志確認に、どうぞ握手を頂けますか?」
勿論、ヌヴゥの方から先には手を差し出さない。
「結構ですわ、シニョーレ・ヌヴゥ」
ネルガレーテはにこりとすると、すっとその場に立ち上がる。それに釣られて腰を上げたヌヴゥに対して、ドラグゥン・デューク(編団頭領)が柔らかな挙措で右手を差し出した。
「好い知古を得られて感謝します」
嫋やかなネルガレーテの手を取ったヌヴゥが、慇懃に腰を折ってネルガレーテの手の甲に口を寄せた。
この瞬間、ネルガレーテの脇でリサが惚れ惚れとしていた。
何てスマート(洒脱)で、大人な遣り取り──企業のお偉方を相手に一歩も引かず、堂々と対等に渡り合う。下手をすれば決裂になるぎりぎりを巧みに突き、それでいて抜け目なく、ヒリヒリするような緊張感がちょっぴり漂う駆け引き。
ケツの毛まで毟る──ジィクの言っていた意味が分かった。
ネルガレーテは端から読んでいたのだ。
大企業の支社長とも呼ぶべき人物が態々、此処まで出迎えに下りて来た意味を。
アールスフェボリット社は、少なくともこの役員どもは追い詰められている、もう他に頼みとする相手がない、と言う事を。それを見透かして、計算高くも弱みに付け込む。傾国の美女とは、正しくネルガレーテの事だ──リサは心底から、憧れに近い思いが湧き出すのを感じていた。
「──お美しいそちらのセニョーラも、どうぞ挨拶を受けていただけますか?」
顔を上げたヌヴゥが、当然のようにリサに声を掛ける。
ネルガレーテに促され、リサがふわりと席を立つ。皇室女御官だったリサにとって、この手の挨拶は日常の社交辞令だったので臆する気配が全くない。リサが慣れた仕草ですっと右手を差し出すと、ヌヴゥが掬うように手を取って、恭順のキスを甲に落とした。
それでは契約書にサインを、とカノが声を掛けた。
「本契約の輸送に関する書式です」
ネルガレーテとリサが、ソファに腰を沈め直すと、カノはブリーフ鞄からハードカバーのバインダーを2つ取り出し、ドラグゥン・デューク(編団頭領)に手渡した。
「上にあるペーパー書式が、そちらの控えです。当方の署名は既にしてあります」
手渡されたバインダーの一方を、ネルガレーテが開く。数枚に亙る紙製の契約書式で、社用透かしの入った公式ペーパーに印字してあり、左端2箇所がステープラーによる紙針留めした上から封蝋されている。ネルガレーテは最後のページに、ヴァリモ・ヌヴゥの署名が記されているのを確認すると、もう片方のバインダーを開いた。
「──サインは、そちらのディジタイジンング(近似離隔数値化)書式に頂きます」
カノの言葉にネルガレーテが頷く。
ドキュメント(文書)には、電磁媒体書式と紙筆書式の2種類がある。ディジタイジンング書式は、近似離隔数値化でデータ化した電磁媒体書式だ。契約書の書式の大概はこのディジタイジンング(近似離隔数値化)書式だが、ドラグゥン・エトランジェ(傭われ宇宙艦乗り)は慣習的にペーパー・ライティング・ドキュメント(紙筆書式)を重視するため、ドラグゥンとの請負契約締結の際は、同時に紙媒体の契約書を用意するのが慣例だ。紙筆書式の契約書を重視するのはノルン人の慣習だが、そのノルン人の影響を強く受けるドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)もそれを踏襲している。勿論、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)の方は紙筆書式の方を受け取って保管する。
ディジタイジンング・ドキュメントのディスプレイをタッチして、ネルガレーテがサインアップ画面を呼び出す。契約文書を逐一確認するような野暮な真似はしないし、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)相手に契約詐欺を働く愚か者はまずいない。万が一にも騙しているのが発覚したら、“並の意趣返し”では済まないからだ。
付属のタッチペンを握り、さらさらと署名したネルガレーテが、認証ボタンをタッチして掌を押し付ける。掌紋コードを用いた暗号化で、署名データのハッキングを防ぐのだ。
署名にロックを掛けると、後ろのアディに手渡した。アディがペンを走らせ、次にユーマとジィクが署名すると、最後にリサの手元に契約書が回って来た。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト