Act.10 降参・2
「結構、強引な針路変更だこと・・・!」
ふん、とばかりにネルガレーテが鼻で笑う。
「アンノン(正体不明移動体)はピュシス・プルシャに最接近後、この当該静止軌道に乗るまで11分、さらに5分後にはアールスフェポリット・コスモス社の高軌道衛星へ500キロに接近します」
“超光速推進を使ってまで時間を詰めたい理由は、これね”
だが確かに合理的だ。
3億キロ以上の距離を、通常航行で悠長に移動するより遥かに速い上に、減速もピュシス・プルシャの万有引力を利用した重力ブレーキを利用する──短慮で無謀に見えるが、ちゃんと計算されている。
“中の指揮官──ヒゴ社の現場責任者は、大胆だが奸智に長けている・・・!”
手強い相手だ、とネルガレーテは直感した。
「どうしますか? ネルガレーテ」
「どうしますか、って言われても」
態々振り向いて瑠璃色の瞳で見返して来るベアトリーチェに、ネルガレーテも困り顔を隠さない。全く聡いシステム・アバターだ。正しく思案中の事柄を、直截に尋ねて来る。
開発統轄ステーション内では怪奇な骸と成り果てた、地表基地のスタッフの受け入れで天手古舞になっている。勿論、外のバース(荷役埠)区域でも併航して来たフレーター(貨物船)・バラタックの荷捌き作業が酣で、アールスフェポリット社側が当該アンノン(正体不明移動体)に気付く余裕は無い筈だ。何分この宙域はアールスフェポリット社にとって、企業活動上の単なる開発謀図宙域であり、紛争該当宙域でもないため、殊更に注意して宙域監視をしている訳ではない。
「最後のクリスタル・ボディ(結晶化体)を、まだ運んでる最中だって言うのに」
脇のディスプレイ・スクリーンに目を落としながら、ネルガレーテが渋面を作って嘆息した。艦外モニターの高感度映像に、まだ最後のスティフ・ディア(亡骸)を蹌々踉々(そうそうろうろう)、覚束なげに宙遊で運んでいる最中のアールスフェポリット社の2人が映っていた。此処で下手にアモンに離発を掛けると、宙遊に不慣れな2人を巻き込む虞がないとは言えない。それにトト捜索に降りているユーマやアディたちも、あれから一向に音沙汰がない。
「リトラもバルンガも出払ってるし、どうしようも無いわよ。まさにアス・アウト(お手上げ)」
考え倦ねるネルガレーテは、ユニットに上半身だけ突っ込むと、シート脇の小物入れからヒップフラスコ(携帯用酒容器)を取り出した。
“さあて、この事態、すっぱりと見切りを付けるか。それとも──”
相手がヒゴ社なら、クライアント(雇い主)にとっては、直接のコンペティター(競合企業)に該当する。しかもそのコンペティター(競合企業)が、態々此処まで迫って来ており、目の前の相手は超対称性場推進まで備えた要塞みたいな機動ステーションだ。唯で済む筈がない。
かと言って、クライアント(雇い主)側の、現地の単なる開発統轄ステーションに、対処する何らかの術があるとは思えない。加えてあのガバナー(堡所長)のコーニッグに、真正面から対抗する覚悟があるかと言えば、情けない事に相当に疑わしい。
それにグリフィンウッドマックにしてみれば、契約上は、現地におけるアールスフェポリット社への不利益圧力に対して排除の義務も、積極的に介入すべき道理もない。まあ第三者の立場であり、一種の他人事に近い。
“何にしても残念ながら、クライアント(雇い主)の負け戦だけは、決定的ね”
ヒップフラスコ(携帯用酒容器)のキャップを開け、吸い飲み用のマウスピースに、ネルガレーテが口を付ける。ネルガレーテの脳裏に、上級役員ヴァリモ・ヌヴゥの顔がふと浮かぶ。
“まあ、失脚する処までは追い詰められないでしょうけど、苦境には立つわね”
ただ、あのゴース人ガバナー(堡所長)は、可哀想だが駄目だ。巻き返す機会は無いだろう。
どのような決着を見るかは、あの“フライング・ピロー(航宙枕)”の中に居る、ヒゴ社の現場責任者の考え方次第だが、補給路遮断の経緯から考えて、どう転んでもアールスフェポリット社は余儀なく、このピュシス・プルシャから完全撤退をされられる。縄張り争いに敗北した獅子は、ただ立ち去るしかない。
“こんな事なら欲を掻かず、さっさと引き上げれば良かったかしらね”
ネルガレーテが無意識に、頬に生えた薄い産毛を擦った。
威力強奪、乗っ取り、略奪、権利侵害、押し込み強盗──あらゆる筆舌を尽くして非難したところで、それは法治の及ぶ範囲内で意味ある事であり、限りない宇宙の真っ只中では誰も助けてはくれない。宇宙には連邦監察宇宙軍も存在しなければ、正義を守るレンズマンも居ない。ドラグゥン・エトランジェ(傭われ宇宙艦乗り)だって、ウルトラ警備隊でもなければキャプテン・フューチャーでもないのだ。
「アンノン(正体不明移動体)・ステーション、あと3分で当該静止軌道にランデブー(軌道会合)します」
ベアトリーチェの報告に、ネルガレーテが我に返った。
正面のメイン・ビジョンに、鍬形虫の顎角のような巨大なステーションの姿容が、はっきりと映り込む。ワイヤーフレーム画像から想像していた以上に奇っ怪で、禍々しくも毒々しい。まさか、あの2本の巨大角で獲物を捕食する訳では無いだろうが、まるで星々を軒並み喰い散らかして回る、宇宙のプレデタ(捕食者)のようだ。
「──“ステーション”が2つも3つもあってややこしいから、あのワック(不細工)なステーションは、“レフトオーバー(齧り残し)・ドーナツ”って呼称して」ネルガレーテは嫌悪感を隠そうともせず、吐き捨てるように言った。「何なら“ファック・シット・シート(糞ったれ便座)”って呼んでも良いわよ」
「イエッマァム(受命了解)。以後“ファック(糞ったれ)・ドーナツ”と呼称します」
ベアトリーチェからの気の利いた復唱に、思わずネルガレーテが含み掛けた酒を噴きそうになる。
「──さすがに、クライアント(雇い主)の方でも気付いている筈よねぇ」ネルガレーテが独り言のように呟く。「ベアトリーチェ、ちょっとガバナー(堡所長)を呼び出して──」
そのネルガレーテの言葉が終わらぬうちに。
「──幾つかの電波帯域で、音声通信を捕らえました」
ベアトリーチェの乾いた声が上がった。
「全て、あのファック(糞ったれ)・ドーナツから発信されています」
「傍受してるわね?」ネルガレーテが、ふんと鼻を鳴らした。「一番雑音が少ないやつを、ブリッジ(艦橋)のスピーカに流して」
はい、とベアトリーチェの声がして、徐ら流暢で明敏そうなシグナス・ガラクト(白鳥座域標準語)が聞こえて来た。
「──ちらは、ヒゴ・プロパティ・アンド・マテリアル社の天秤座宙域を担当する支社ステーション、ナースィラ・ハロゥ最高責任者、支社長ヤルノ・ギルステンビュッテルの名で通信する」
スマートな言葉遣いだが、慇懃無礼で有無を言わせない雰囲気があった。ヤルノ・ギルステンビュッテル本人の声だとは考えにくいが、感情に薄く中年っぽい男性の声だった。
「アールスフェポリット・コスモス社のピュシス・プルシャ開発プロジェクトの責任者に通告する。この当該太陽系は弊社占有の直轄宙域である。弊社に断わりなく立ち入る事は、いかなる組織、行政体、企業であろうと許されない。それに従わぬ場合は、実力をもって排除、もしくは解決する。この勧告に従うつもりであれば、勅使を受け入れて会談に望むよう希望する。5分の猶予を設定するが、返答無き場合は勧告を拒絶したと判断、勧告を拒絶ないしは抵抗を試みたと思しき行為を認めた場合、実力をもって事態の収拾を開始する。なお当社としては、貴社担当責任者が、穏便に事態を収拾させる賢察の持ち主である事を希望する」
そこで通信が切れた。
「──ナースィラ・ハロゥ(福音の後光)だって・・・!」
眉を顰めたネルガレーテが、少しばかり苦々しい思いで一口煽る。
「以後、“ファック・ハロゥ(最悪の後光)”と称しましょうか? ネルガレーテ」
「良いわね」ネルガレーテがベアトリーチェに鼻で笑って返した。「私は“ダム・ハロゥ(忌々しい後光)”って詰ってやるから」
ネルガレーテの予想通りだった。相手は規模の上で数倍勝るコンペティター(競合企業)、ヒゴ・プロパティ・アンド・マテリアル社。
ただ、アールスフェポリット社とヒゴ社、どちらが先に開発を手掛けたのかは判らない。
コーニッグは、ピュシスの全球調査を掛けたような事を言っていた。もしヒゴ社が先鞭を著けていたのなら、アールスフェポリット社の調査の際に容易に知れた筈だ。だがコーニッグに、そんな口振りはなかった。まあそもそも、アールスフェポリット社の全球調査自体が本当なのか、怪しいも確かだが。
何にせよ、どちらが先に唾を付けていたところで、独占権と言う概念が一方的に通じる訳でもないし、それを保証してくれる統一された公権力もない。
その意味ではヒゴ社の勧告とやらも、高圧的で身勝手な言い分に過ぎないのだが、それにアールスフェポリット社が異を唱えるなら、自らの力でそれを撥ね除けなければならない。コンペティター(競合企業)に対し、お互い自力で勝ち残るしか術はないし、振り上げられた拳に対して自力で身を守るしかない。
“──此方としたら出来るなら、無用な相反対峙はしたくないのだけれど・・・ね”
かと言って、迫って来たヒゴ社に、アールスフェポリット社をクライアント(受注先)にしているドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)として、掌返して尻尾を振るのも業腹だ。
ネルガレーテの胸中に、いかにも抜け目なさそうなヌヴゥ役員の言葉が過る──我々には、このプロジェクトを頓挫させる事は許されないし、ましてやピュシス・プルシャから撤退するという選択肢は有り得ない。
“ここは巧く立ち回って、あのヌヴゥに小さな貸しを作るのも悪くない、か──”
ネルガレーテがしたり顔で、胸算用の算盤を弾く。ベアトリーチェが、軌道に乗り700キロに接近しました、と声を上げた矢庭。
「──接近中のヒゴ・プロパティ・アンド・マテリアル社の移動ステーション」
聞き覚えのある女の声が、唐突にスピーカから流れて来た。
「こちらアールスフェポリット・コスモス社、ピュシス・プルシャ開発責任者のコーニッグを代理して返信します」
「──ヒゴ・プロパティ・アンド・マテリアル社が通信に使った送信帯域と同じ帯域で、高軌道ステーションから送信されています」
ベアトリーチェの報告に、ネルガレーテが思わず訝った。
“サンドラ・ベネス・・・?”
ヒゴ社に対するアールスフェポリット社からの返答に違いないが、この声の主は間違いなくサンドラ・ベネスだ。
「後先考えず、暴挙に出るつもりはありません。この利害相反する展開を穏便に解決したいと考えていますし、それが可能だと思っています」サンドラが淡々と、しかも臆することなく言葉を継ぐ。「先ずは直接お会いして、腹蔵ない話し合いの場を設けることが、この際においては最も生産的な方策だと同意します」
通信が終了したと、ほぼ同時だった。
「ファック・ハロゥ(最悪の後光)が逆制動でベクトルを変更しています。間も無く500キロに迫ります」
ベアトリーチェの淡々とした報告が入る。ちょっと手を拱いていた間に、もう直ぐ目の前にまで迫られていた。
「──ま、妥当な返答よね・・・」
とは言うものの、クライアント(雇い主)の方に、他に方策があろう筈もない。ネルガレーテはスクリーン・ビジョンに映る、レフトオーバー(齧り残し)・ドーナツみたいな巨大ステーションに鼻白む。
ただ少しだけ気になるのは、アールスフェポリット社からの返信だ。
声の主は確かにサンドラ・ベネスだが、なら上司のコーニッグは事態を把握済みの筈だ。その上で、何故サンドラだったのか──。
ネルガレーテは、取り越し苦労だとは思ってはみたものの、やはり引っ掛かる。それに本当にあのコーニッグが、ヒゴ社と渡り合えるのだろうか。
“まさか強敵を目の前にして、放り出したんじゃないでしょうね、あのゴース人・・・”
「──これから勅使を送り出す」
唐突に、ブリッジ(艦橋)のスピーカから、先程の男性の声が流れた。
「友好的に受け入れてくれる事に感謝する」言葉尻とは裏腹に、その口調には言い放つような冷たさがあった。「なお当社の側は、支社長ヤルノ・ギルステンビュッテルが訪いを入れさせて頂く」
「おやおや、頭の黒い頭目ネズミ自らお出ましとは」宙に浮くネルガレーテがメイン・ビジョンを睨み、木で鼻を括ったように言った。「最低限の礼儀ってやつかしら?」
そのメイン・ビジョンに映る、鍬形虫の顎角のような巨大ステーションから、太陽セザンヌの陽を浴びて輝く往還舟艇が出て来た。全長30メートルほど、モスグリーンの船殻全体にシルバーの装飾が施されている。フォルム(形容)は、どことなく蘭鋳金魚に似ていて、お世辞にも上品とは言えない。
支社長たるギルステンビュッテルなる人物を、乗せているに違いない。蘭鋳金魚のような不細工な往還舟艇はどんどん加速し、見る見る間にこちらに迫って来る。ヴィニタリアと名乗ったそのヒゴ社の往還舟艇から、マーシャリング(管制誘導)を要求する通信が入る。先程とは違い、少し渋味のある女性の声だったが、往還舟艇ヴィニタリアのパイロット(操縦士)に違いない。
“矢っ張り、少し加勢してやった方が良いかしらね・・・”
ヒップフラスコ(携帯用酒容器)を傾けたネルガレーテが、脇の補助モニター・ディスプレイを見遣りながら、左下に白母斑のある唇を指で軽く拭った。
サイド・ディスプレイは、アモンが併航してきた800メートル級バルク・キャリア(一般ばら積み貨物船)のバラタックの姿を捕らえていた。ステーションから1000メートルほど離れた宙空間で荷卸しは続いていて、12連架装のコンテナ(個別式貨物庫)のカーゴ・ドア(庫外扉)を開放している。バラタックの先便であるダイアポロは、本来なら既にこのセザンヌ太陽系に到着している筈なのだが、音沙汰が無いところをみるとミルシュカが乗っていたゴーダム同様、ヒゴ社の連中によって沈められたに違いない。
ネルガレーテは、追い詰められるアールスフェポリット社として、コーニッグがどのような対応を取るつもりなのか聞いてやろうか、とも思った。まあ現状、アールスフェポリット社はクライアント(受注先)であり、損得勘定でも道義心でもなく、単なるお節介ではある。
何分、ヌヴゥから受けた仕事はまだ完遂されていないし、此処でクライアント(受注先)側が不利な立場に置かれると、仕事を熟してもリウォード(報酬)を受け取る段で、予想もしない支障が出ないとも限らない。とは言うものの、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)として、この状況に手助けしなければならない義務はない。クライアント(受注先)側からの要請には、開発採鉱プロジェクト自体への直接防衛行動は含まれてはいないのだから。
★Act.10 降参・2/次Act.10 降参・3
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




