Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・5
白橡色の艶やかなふんわりヘアを躍らせ、白磁のフィジカル・ガーメントに包まれた素晴らしいプロポーションのネルガレーテを、ボラード(繋留員)が息を嚥んで凝視する。勿論ネルガレーテは横切る際、下世話な愛想ウインクなどしない。
その後を、鈍色の肌をした厳つい巨躯のジャミラ人、ヘアカフ(帯髪留め)で纏めた紺青色の長い髪を靡かせるペロリンガ人が通り過ぎ、癖毛の若いテラン(地球人)とその横を寄り添うように姿を見せた、真っ赤な髪も印象的な妙齢のテラン(地球人)の娘に、再び目を奪われた。
男のテラン(地球人)が、いくぞ、と声を掛けると、赤毛のテラン(地球人)娘が無言で頷き、膝を折って嫋やかに壁を蹴飛ばす。その背後から、男のテラン(地球人)が後追いし、追い付くと同時に娘の腰に軽く手を当て、まだ少しウェイトレスネス(無重量環境)での遊弋がぎこちない赤毛の娘が途中で止まって溺れないように、慣れた手つきでそっと押し出してやる。
この連中が本当に、破落戸と言われるドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)なのか──すっかり毒気を抜かれたボラード(繋留員)は、おのおの勝手に壁を蹴飛ばし手で押し出してジグザグに漂いながら、奥のターミナル・ウィングへと消えていくドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)5人の後ろ姿を、狐に摘まれでもしたかのような表情で見送っていた。
「遠路はるばるよくお越しを。アールスフェボリット・コスモス社の者です」
そんな5人が、ターミナル・ウィングへ出ると、きちんとしたスーツ姿の若いワイアール人の男が1人、プラッター(搬床)・リフトに乗ってスタンション・ポール(保持支柱)に掴まり待っていた。ワイアール人はいささか後頭部が長く突き出ていて、ジャミラ人同様に白目がなく、耳介上部が大きく垂れ下がっているのが身体的特徴だ。概して小柄な人間が多い。
5人のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)が、ターミナルとの接続口に張ってあるアレスティング・ブライダル(手綱)を掴むと、体を宙空で踊らせて静止した。リサがブライダル(手綱)を掴み損ねないよう、アディは先に自らブライダル(手綱)を掴みながら彼女の腰にちゃんと手を添えた。
「こちらへ」
迎えのワイアール人が、慇懃無礼に小さく頭を下げる。
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)5人が再び壁を軽く蹴飛ばし、男が乗っているプラッター(搬床)・リフトへ飛び漂うと、床から立ち上がるヒップバー(腰掛け)やハンドレール(手摺り)、スタンション・ポール(手掴み支柱)へ個々が齧り付く。全員が掴まったと見るや、男は何の断りもなくいきなりリフトを動かした。
プラッター(搬床)・リフトは、ウェイトレスネス(無重量環境)下を移動する索道リフトの一種だ。プラッター(搬床)は両端のケーブルで牽引され、ターミナル自体が大きなエレベータ・シャフトのようなもので、このターミナル内にはクロース(近場用)2本、ディスタンス(遠場用)2本のプラッター・リフトが走っている。
床面がステーション側になるので、感覚的には下に落ちて行っている感じになる。なぜ床部分があるかと言うと、ステーションのエンバイアロメント・モジュール(環境棟)に進入すると人工重力環境下に置かれるためだ。
プラッター(搬床)・リフトで運ばれること約1分、距離にして500メートル近くを移動した。入港前に見た施設概要では、ステーションが設備する埠頭としては小さい方だ。途中幾つかのメイティング・ブリッジ(密接乗船廊橋)口があったが、いずれも人気がなかった。どうやらこのターミナル・ウィング自体は一般商用ではないらしい。
「重力が発生します」
案内の男が無愛想にぼそっと言うと同時に、重力発生への注意喚起アナウンスが流れる。正確に言えば、“重量”が発生する。プラッター(搬床)が減速し始めると、徐々に伸し掛かられるような重みを感じ始め、ゆっくりと足が地に着き始めた。
小さな揺り戻しがあって、プラッター(搬床)は静かに停止した。目の前の乗降用安全柵が開く。4基のリフトを囲む環状の乗降デッキには、相変わらず人の気配がない。
アールスフェボリットの社員は後ろも振り向きもせず、すたすたと歩を進める。愛想の欠片も見せず、さっさと行ってしまったワイアール人社員に、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)5人は口をヘの字にした顔を見せ合い小さく肩を窄めると、後を追って歩き出した。
迎えの社員の靴音が、クッション性のある床に妙にねちっこく響く。環状の乗降デッキをほぼ半周して、内部への通路へ入った。
50メートルほど歩いて、賑やかで大きな分岐に出た。賑やかと言っても旅客ターミナルではないので、飲食やショッピングのモールがある訳ではない。他の埠頭とのジャンクションになっているようで、ステーション移動用のトラム(路面軌車)が走り、荷物を満載したタグカーが蛇のように通り抜けて、埠港労働者や作業機械など、旅客とは縁遠い汗臭い雰囲気に包まれていた。
その一角、少し奥まった場所へ折れると、社章と思しき小さなデザインだけが張り付いた、素っ気無い扉の前に立つ。ワイアール人社員のオーセンティフィケーション(本人認証)が通り、保安システムが扉のロックを解除する。
「どうぞ、こちらでお待ちください」
5人のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)を招き入れると、自らは軽くお辞儀をして出て行った。
案内された部屋は意外と広く、ソファやバー・カウンターが設えられたラウンジとビジネス・センターを兼ねたような設備だった。このステーション自体はあくまでも、アールスフェボリット・コスモス社の天秤座宙域における貿易活動を統括しているトレモイユ支社なので、供されたこの一室も商用相手の送迎と接遇に用いられる迎賓スペースだと思われるが、生憎とサービス・スタッフは1人も手配されていなかった。
「ま、客がドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)じゃあ、仕方ない扱いだな」
がらんとした室内を見渡すと、ジィクが自嘲気味に鼻で笑った。
緩やかな曲面を描いて嵌め込まれた分厚いガラスから、広大な宙空間が伸し掛かるように見下ろしていた。ウォーフ(着埠)を彩る灯りも賑やかで、停泊中の船舶や行き交う船舶の姿など、ターミナルの全景が見渡せた。アモンはターミナルの端の方の筈だが、遠い上に艦体の基本色が黒なので、宇宙の闇にすっかり溶け込んでしまっている。ステーション自体は自転しているので、首星トレモイユの陽が作り出す影が、徐々に移ろい行っていた。
「セルフ・サービスの飲み放題、って事でしょ」
ネルガレーテがそそくさとバー・カウンターの方へ足を向ける。それに続いてユーマがカウンターの中に入り込むのを見て、リサがアディを振り返り、それにアディが小さく頷くと、リサは小走りに2人の後を追った。
「──あの船か? 今回曳航するってフレーター(貨物船)は」
ジィクが大きな革張りソファへ勢いよく尻からダイブし、欠伸をしながら天井を見上げる。
「随分と襤褸っちい船だな」
アディもカウンターのスツールに腰掛けながら上を見た。
天窓越しに800メートル級のバルク・キャリア(一般ばら積み貨物船)が、舳先をこちらに向けたてそのまま向かって落ちて来そうに見えていた。
12連架装の楕円断面型フレート・コンテナ(個別式貨物庫)を並列に配置し、船尾近くのオープン・フレートには厳つい重機が数台タイダウン(機材固縛)されている。ブリッジ(船橋)とアコモディション・デッキ(乗居区画)は船体のほぼ中央にあり、船首と船橋楼の間、船橋楼と後部フェルミオン・エンジンとの間の2箇所から上下に突き出した、超対称性フィールド・ジェネレータ・プレート(励起誘導器)が、鮫の背鰭を思わせる。
荷役は済んでいるらしく、4隻のタグ・ボート(曳船)が取り付いて、キャスト・オフ(離埠)しようとしていた。
「ウォーフ(着埠)する時に見えてたバルク・キャリア(一般ばら積み貨物船)よね」
ネルガレーテがカウンター下の冷蔵庫を開け、よく冷えてはいるが如何にも安物のスパークリング・ワイン(発泡葡萄酒)のボトルを掴み上げる。それにリサが、人数分のフルートグラスを棚から取り出した。
「ひょっとしたら、急遽仕立てのチャーター船じゃないの?」
ユーマは手狭なカウンターを一通り見渡してから、ふんと鼻を鳴らして口をヘの字に曲げた。
そのユーマの鼻先にネルガレーテが、同じく冷蔵庫から取り出した紅茶のディスポーザ(使い捨て)ボトルを突き出した。ユーマは何よ此処、染みっ垂れているわね、とぼやきながらも、紅茶ボトルを受け取った。気を利かせたリサが、今度はタンブラー(平底)を1つカウンターに置く。
「アールスフェボリット社にしてみれば、もう2隻も失ってるものね」
ネルガレーテはキャップホイルを剥き取ると、斜めに持ったボトルの首を左手で包み込むようにして親指でワインボトルのコルクヘッドを押さえ、右手でゆっくりとボトルの底を回す。大きな音を立てず、すーっとスマートにガスを抜くと、泡立つ琥珀の酒を手慣れた手付きで、リサが用意したグラスの4つに注いでいく。
その横ではユーマが、これまたリサが出してくれたグラスに、クラッシュアイスをたっぷりぶち込んで、ボトルの中のアイスティーをとくとくと注ぎ込む。ジャミラ人は酒類をあまり好まないが、ユーマは殊に嗜まない。
「連続して補給が滞っているんで、結構逼迫してるんだろ? 現地の開発基地って」
アディが、ネルガレーテが注いでくれた分のグラス2脚を手にすると、ソファの方へ歩み寄り、足を投げ出すジィクに1脚を差し出した。
「あー、そんな事を言ってたわね──」アディの言葉に応じながら、ユーマがリサに向かって杯を掲げ、菖蒲色の瞳に乾杯、と呟いた。「糧食が尽き掛かっている、って」
それに嬉しそうに頷いたリサが、自分のフルートグラスを持ってカウンターを抜け出すと、ジィクの横に突っ立って天を見上げるアディに傍らへ、楚々と足を運ぶ。
「何にしても、超対称性場推進航行じゃあ間に合わないんだから、一般船舶じゃあ実質お手上げ状態だよな」
ジィクが近寄って来るリサ向かって、手にしたグラスを改めてちょこっと掲げ、それからゆっくりと口を付けた。
超対称性場航法──恒星間超光速航法と言えば通常はこの超対称性場推進の事を指し、一般的にも恒星間超光速航法とほぼ同義語と言える。
超光速航法にはそれ以外に、グリフィンウッドマックの機艦アモンが備える、タキオン・エキスパンド(虚時空拡張)エンジンを主機とする、アイドル・ディメンション・ドライブ(虚時空航法)が存在するが、開発したノルン人がその技術供与を極端に制限しているため、機艦アモンを含めて艤装する艦船自体が至極稀で、アイドル・ディメンション・ドライブ(虚時空航法)が可能な艦船は、この宇宙に3000隻以下とも1000隻以下とも言われる。
この超対称性場推進航法システムは、主機とするラグランジアン・ポテンシャル・エンジンに因ってシステム周囲空間に超対称性励起誘導場を形成することで、内包した対象物体を虚数質量に位相する。推進力は、虚数化した質量物すなわち宇宙船舶に対する巨大引力で、具体的には太陽系の主星などが保持している引力に対する斥力を応力にして加速する。これをリアクダンス加速と呼び、10時間から50時間で外洋航行の巡航超光速に到達する。
制御工学的にはスカラー次元のアーキテクチャーセオリー(基盤論理体系)であり、太陽系の引力圏を離脱する際の終速が、その後の外洋巡航速度となり、目的地の太陽系に近付くと、再び超対称性励起誘導場に発生する引力に対する斥力を利用してコンダクタンス減速する。
このシステム(機序)から解る通り、出発空間と到着空間において太陽系主星のような強大な引力作用場空間を必要とし、航路自体は出発地と目的地を結ぶ空間的直線航路以外は取れず、どこでも自由に航行できる訳ではない。さらに虚時空ドライブのように、瞬時に何百光年も移動できる訳ではなく、100光年の距離を20時間から50時間で航行するが、質量が大きくなるほど、最大巡航ベクトルが大きくなる利点がある。
アールスフェボリット社が仕立てたロジスティクス(輜重)船は、当然ながらこの超対称性場推進であり、天秤座宙域のトレモイユ太陽系から、開発基地が置かれたピュシス・プルシャのある同宙域辺境セザンヌ太陽系まで1100光年、超対称性場推進航法で360時間以上掛かる計算だ。
最初に不達になった便が到着していない、と基地側が連絡を入れて来た時点で、糧食在庫は75日分だと報告されていた。そこから既に86日が経過しているので、食料を切り詰めても備蓄が既に底を突いているか、その寸前なのは間違いない。
「駄目だったら、撤退すりゃあ良いんじゃないのか?」
関心無さ気な口調のアディの脇へ、天窓を仰ぎ見ながらリサが添うように立った。
乾杯、と言うアディの声に、リサが振り返る。
その刹那、リサが小さな悲鳴を上げる。
アディが、手にしていたグラスのボウルを、桜色したリサの柔らかい頬に軽く押し当てたのだ。不意の冷たいグラスの感触に、首を竦めたリサが、それでも嬉しそうにニコッと含羞む。少しばかり見上げるリサは171センチ、一方アディの上背は181センチあるので、頭半分以上アディの方が背が高い。
「ところが、そう簡単には引き下がれないみたいね、アールスフェボリット社としては」
ネルガレーテはグラスの残りを一気に煽ると、2杯目を注いだ。
「まあ何とか、首の皮一枚で繋がるだろ」ジィクが半分ほどを一息に軽く煽る。「そのために、今から俺たちが、虚時空ドライブで飛ぶんだ」
「太陽系セザンヌの第7惑星だっけ?」グラスを飲み干したアディが、リサを見遣る。「──1100光年なら1回のフェードインで行けるだろ、言葉通り直行便だ」
そうなの?、といった顔付きで、リサがネルガレーテに視線を送った矢先。
「アディ、さっきの話、聞いてた?」
ネルガレーテが少しばかり口を尖らせた。
「何を?」
アディが素で聞き返す。
「さっきの伊達面重役からの通信よ、クライアント(受注先)の」
念押しするような、険を含んだネルガレーテの言い草に、あ、やっぱり伊達面だと思ってるんだ、とジィクがぼそりと呟けば、ユーマが、どストライクってところかしら、と応じる。
「いや、全く」
そしてアディが、悪びれる様子も見せず、首を竦めて顔を振る。
「此処にいる全員が、きっと、いや全く、だぞ」
剰え、何言ってるんだ、とばかり、他の連中向かってグラスを持った手を広げた。アディの言葉に、ジィクとユーマがうんうんと頷き、リサがちょっとばかり困った顔して身を捩らせ、そしてアディはいけしゃあしゃあと言葉を継ぐ。
「あんたの阿婆擦れ具合を、皆で言い合いしてたから、全く耳に入っていない」
「アディ、あんたって・・・!」さすがのネルガレーテも、半ば癇癪気味に声を荒げた。「いい加減にしないと、リサの処女を何処かの伊達面にくれてやるわよ!」
「──ネルガレーテ」
抗弁の口を開こうとしたアディの横から、ジィクが、ふふんと鼻を鳴らすように声を上げた。
「大体あんたの言う伊達面って、あんたが嬲って苛めたくなるような、性根が腐ってるか、性格の歪んだ奴の事だろう。そんな男を相手に、リサが易々(やすやす)と首を縦に振って、処女を差し出す筈なかろうに」
「待って、待って・・・!」思わず顔を赤らめたリサが、右見て左見て慌てふためく。「あたしの処女、処女言わないで・・・ッ! さすがに恥ずかしいから・・・!」
「本当の事でしょ?」
肩を聳やかして、ユーマがぼそっと言い放つ。
「ユーマ! ここで突き放さないで・・・!」
「あれでジィク、まだ気を遣って言葉を選んだ方よ」甘んじなさい、と言わんばかりの、ユーマの口調だった。「──いつもなら、股を開く、とか、腰を振る、啣え込む、なんて平気で口にするから」
「あたしは股なんか開かないの!」
「あら、開かないと出来ないわよ」
咄嗟に言い返したリサに、ユーマが電光石火のごとく突っ込む。
「もう・・・! それに腰だって振らないの!」
一層むきになったリサが、身を捩って声を上げる。
「ちゃんと振らないと、彼氏も気持ち良くならないのに」
「あーん、あたしは阿婆擦れじゃないもの・・・!」
「そうだぞ、リサ」火を点けた本人のジィクが、今度はしれっと火に油を注ぐ。「今ならまだ間に合う。間違ってもネルガレーテのような、捻じ曲がった恋愛観を持つんじゃないぞ」
捻じ曲がる、って何よ、捻じ曲がってるのはあんたの下半身でしょうに、とネルガレーテが声を上げる先で、頬を膨らませたリサが、両手でアディの左腕を絡め取り、ぐいっとばかりに身を寄せると、若々しいバストがアディの腕に押し付けられる。
「もう、2人とも、好きに言って・・・! あたしには、アディがいるもの」
咄嗟に口を衝いて出た、リサの言葉だった。
アディは耳まで真っ赤にして逆上せ上がったが、当のリサはと言えば、どうよ、とばかりにニマッと口角を上げ自慢気に挑戦的な目線を返す。
それは開き直りに近かった。いや開き直りそのものだった。
リサの裡で確かに何かが吹っ切れ、そして何かが噛み合った。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




