Act.7 地下3000メートルの怪・3
まるで作業機械のコントローラーのような、武骨で素っ気無い操作ボタンを、ジィクが無言で押し込む。クン、とブレーキが外れる小さな揺れがあって、唐突にケージ(昇降筐器)が動き始めた。リフトは第2本坑の底1500メートルの深さまで、80秒足らずで到達する。
第1本坑と同じように、ディグ・マシン(掘削機)沈降用のエレクター(継支柱)が組まれたまま残っているが、坑自体の直径が小さいので、向かいの坑壁に手が届きそうだ。第2本坑の氷壁にも溶解防止用の冷却用溶液の循環パイプが走っているが、第一本坑より坑径が小さいため熱が篭りやすいので、防熱用の黄色いグラスウール素材が、坑壁表面全部を覆うように張られている。
降下するリフトの速度が増すにつれ、ミルシュカは小さな体を一層スタンション・ポール(手掴み支柱)に寄せ、抱え込むようにポールに獅噛み付く。リフトやシステムがストレスなく動くところを見ると、最近に何度か使われたのは間違いない。
「──ドクター(博士)・トトって、本当にこんな不毛な場所に足繁く通ってたのか?」
ポールを挟んで正面に立つユーマに、ジィクが怪訝そうな顔を向ける。
「“エンジェル(神の遣い)”か、“ワールド・ツリー(世界樹)”目当てじゃないの?」
長い腕を伸ばしてポールを掴むユーマは、胸元を覗き込むように目線を落とした。ユーマの内懐にはミルシュカが、ユーマの巨躯に囲われ庇われるようにして、ポールを抱え込んでいる。
「ずっと考えてたんだけど──」
両手でポールを掴むミルシュカが、正面のジィクをポール越しに見上げる。160センチ足らずのミルシュカは、まるで保護者に付き添われ、乗り込んだ満員のバスの中で必死に立っている児童のようで、どこか可愛らしかった。
「“クローリング・エンジェル(這う天使)”も“ボーディ・ニルヴァーナ・ヴリクシャ(常世の樹)”も、常識的に考える生き物とは違うんじゃないか、と・・・」
「常識的な生物じゃあ、ない・・・?」
ジィクとユーマが、怪訝な表情でお互いを見やった。
「先生が記されているので、疑いなく頭から生物と決めつけてしまっていたけれど、見当違いじゃないのかな、と・・・」
「じゃあ一体、何だって言うんだ?、“天使”とか、“樹”とやらは?」
「そう直截に問われると困るんだけど、何か観念的で思索的な何か・・・」
ジィクの問い詰めるような口調に、ミルシュカが口籠る。その矢先、リフトが静かに氷底に着いた。ミルシュカは小さな吐息とともに、少しばかり力んでいた肩の力を抜いた。
「実際には存在しない、幻みたいなもの、って事かしら」
さあ、行きましょ、とユーマがミルシュカの肩を軽く扣く。
「トト先生は白昼夢でも見ていたのか? 幻を見に、態々こんな氷の底まで来ていたのか?」
先に坑底に降りたジィクが、三度ミルシュカに手を差し伸べた。リフト・ケージ(昇降筐器)から5段ほどのラッタル(梯子階段)を下るミルシュカは、少しばかり心許ない足取りだった。
「幻を見た、とまでは思わないんだけど、ふと、そんな気が」ミルシュカは真剣な眼差しでジィクを見詰め、それから後ろに続くユーマを振り仰ぐように見上げた。「あの不思議な結晶化した肉体を触れて、いえ実際には触れられないんだけど、だからこそ見えるのに存在しない、って状態もあるのか、と」
第2本坑氷底は直径30メートルと小さいが、壁面に据えられたただでさえ薄暗い3つの照明灯のうち1つしか灯っていないので、足元が暗く覚束ない。氷表からの深度3100メートルの氷底は、刺すような寒気は微かに緩んでいるようだが、リフト支柱の端に無造作に掛けられた寒暖計は、それでも零下25度を示している。
ぐるりと見渡すだけで一望できるデプス(坑底)には、3人以外に人気は無かった。
「ふーむ、禅問答か悟りの境地みたいだな。色即是空、空即是色、ってやつ」
「それそのまま、あんたへの訓戒でしょ」
独り言のようなそのジィクの言葉に、ユーマが突っ込みを入れない理由は無かった。
「そう言うと思ったよ」口をヘの字に曲げたジィクが、調査坑を下るリフトの方へ大股に足を繰り出した。「──だから、ちょっと迷ったんだよ、口にするの」
「それにあの人たち──」ジィクの後を追うミルシュカが、無言で肩を聳やかしているユーマを振り向く。「肉体は結晶化しているんだけど、精神状態はどうなっているのか・・・」
「精神? 心、って事?」
「あの人たちの精神って、ひょっとしたら、まだ“生きて”いるんじゃないかって考えると、必ずしも実存にこだわる必要はないのではないか、と」
「心を残して体だけが、あの世に出掛けている、とでも言いたいの?」一瞬考えて、ユーマが再び口を開く。「──いえ、この場合、逆かしら?」
「化学的な新陳代謝システムから見れば死んでいるのかも知れないけれど、哲学的でメタフィジカル(形而上的)には生きている、ってありなのかなぁ、なんて考えたりして・・・」
「メタフィジクス(形而上)、ねぇ・・・」
少しばかり懐疑的な顔付きのユーマが、リフト乗り場のステップからミルシュカを押し込むように促す。裸ケージ(乗戴筐体)は手狭で、デスク天板くらいの床面積しかない。
「ペロリンガ人のクォンタム・バイオロジカル・コンバーティブル・メタコグニッション(量子変位有機的認知変換機序)も、メタ認知機序って言うけど、それとは違う感じかしら」
フレームナセル(縁枠筐体)から直付けされたハンドレール(手摺り)が、高さ2メートルほどなのでユーマが肩上で担ぐようにして右手で掴み、小さなミルシュカの肩に左手を添える。
「意識が飛ぶって言うなら、ジャミラ人のインターメンタリティ・パンクオリア(種族連紮汎現象的意識)ネットワークの方が、近いような気がするが・・・」
先に乗り込んでいたジィクが、玩具のリモコンのような操作盤を触っていたが、徐ら溜め息を吐きながら小さく首を振った。
「こりゃ、だめだな・・・」
「動かない?」
ユーマが窮屈な体勢から、小さく身動ぎして覗き込む。
「通電はしてるのは間違いないと思うが、操作を受け付けない」
「ここまで来て、最後は故障?」
ユーマが下唇を突き出して、ミルシュカと目を合わせた。
ふーむ、と一唸りしたジィクは、左手袋の先を噛み挟んで外し、さらに銀の耐寒ジャケットの左袖を捲り上げ、フィジカル・ガーメントのプロテクタ・カフ(袖口)を露出させた。さらに素手の左手で右の手袋を外し、左袖プロテクタにある誤操作防止エンクロージャ(囲み縁)内の、ローレット(滑り止め)加工された小さなボタンを、右の人差し指で押し込む。すると、左プロテクタ袖口に仕込まれた、極薄型の高輝度ライトが強烈な光を放った。
ジィクは再び右手に手袋を着けてハンドレール(手摺り)を掴み、少しばかり身を乗り出すと、投光している左手を暗坑へ突き下ろした。ジィクが右手袋を脱いだのは、手袋のままだと小さなスイッチ・ボタンが押せないからで、再び手袋を着用したのは、冷え切ったハンドレール(手摺り)を素手で直接に持つと、凍傷を起こす虞があるからだ。
「デプス(坑底)までは300メートルほどかしら? さすがに此処からじゃ、下の様子は分からないわね」
首を突き出し、下を覗き込んだユーマが目を凝らす。装備のライトは面発光の近距離用なので、判別可能な視認距離はせいぜい十数メートル、とても坑底までは照らし通せない。
「自分の手足で降りるしかない、か」
坑の向かい側へ顎を抉りながら、ジィクがぼやくように言った。直径10メートルの坑の向かい側の淵には、もうラッタル(梯子階段)とは言えないラダー(梯子)が見えていた。
「──ミルシュカ、マグ・トーチ(懐中電灯)持って来てるわね?」
先にケージ(乗戴筐体)を降りたユーマが、ミルシュカを振り返る。
「ええ、出るとき言われたから、ちゃんと」蛍光オレンジのファー・フード付きジャケットの外ポケットに、ミルシュカが手を突っ込む。「──ほら」
ハンドル(把手)一体型で手帳ほどの大きさの、下部が薄型面発光になったマグ・トーチ(懐中電灯)を、ミルシュカは取り出した。
「前を行くジィクの背中を追って、自分の足元だけを見てなさい。他はジィクとあたしが注意するから」
ユーマの言葉にミルシュカは頷くと、トーチのスリングを解いて首に掛ける。ユーマとミルシュカが先に降り、最後にケージ(乗戴筐体)を降りたジィクが、調査坑の淵際を先導する。ジィクとユーマが着用するヘルメット前頭部と側頭両側にも高輝度ライトが装備してあり、前方と斜め前方向を照射できる。さらに収納式ハーフ・シールドがナイトビジョン(増感暗視)になっているので、微弱な光源下でも視野を確保できる。
3人の氷表を踏み締めるざくざくという音が、どこかしら心地よく響く。上の坑底より気温が高いせいか、ここの氷底氷表は心なしか軟らかい感触だ。
「ミルシュカ、気を付けるのよ」
首を伸ばして下を覗き込みながら、危なっかしい足取りで坑淵を歩くミルシュカに、後ろからユーマがつい声を掛けるものの、当のバド人女史は一向に意に介さない。勿論、調査坑淵には安全柵など設置されていない。
調査坑に設置されたラダー(梯子)は、氷壁にへばりつくように直付けされてある。これで300メートルを下るのは、まるでロック・クライミングさながらだ。背後を保護するバック・ステー(背側安全柵)で多少の安心感はあるが、足を滑らせて手を放したら一巻の終わりだ。
競泳プールのスターティング・プラットフォーム(飛び込み台)みたいな降り口の、手摺りに手を掛けたジィクが、ふと顔を顰め耳を澄まし気の臭いを嗅ぐように立ち止まる。
「ジィク・・・?」
気付いたユーマが、訝った。
「ユーマ、お前、何か感じないか・・・?」
「うーん、そう言われても、特には・・・」
ゆっくりを顔を巡らせ、ユーマが辺りを伺う。
「──そうか、なら俺の気のせいか・・・」
気を取り直したジィクが、ユーマの方に向き直るとラダー(梯子)を降り始める。
「ジィク、あんた、何か感じるの?」
「ちょっとな・・・」下から頭だけ覗かせたジィクが、眉根を寄せる。「説明し辛いんだが、妙な高揚感と言うか、焦燥感みたいなものを感じるんだ」
「──俗に言う、胸騒ぎ、ってやつ?」
「そんな感じだ。根拠はないんだが」ジィクはユーマに向かって軽く首を振り、それから硬い笑みを見せた。「きっとミルシュカにドキドキしたんだ」
「ジィク・・・」
覗き込むユーマは、ジィクの表情から単なる軽口ではないと悟った。明らかにジィクは、何か不穏なものを感じている。こんな時、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)たちは、他のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)が感じる勘を決して軽く考えない。
「少し距離を置いて、ミルシュカを下ろしてくれ」ジィクが口調を改め、ミルシュカに顎を抉る。「バック・ステー(背側安全柵)があるから、万が一落ちて来ても、何とか受け止められる」
それだけ言うと、ジィクが視界から消えた。さり気ないジィクの気遣いに、ミルシュカが感じ入ったようにユーマを仰ぎ見る。
「怖かったら、ここで待っていても良いわよ」ユーマが意地悪そうに微笑む。「あんたの先生が、居るか居ないか確認するだけだから」
「いいえ、大丈夫」にっこり微笑んだミルシュカが大きく頷き、降り台から下のジィクに声を張り上げる。「──ジィク・・・! 私43キロくらいだけど、落ちないようにするから!」
「おう、任せとけ」
ジィクの声を聞いたミルシュカが、身を翻すとラダー(梯子)に足を下ろす。
「あまり下を見るな。上の、ユーマの顔だけを見ながら、ゆっくり降りるんだ」見上げる先、探りながらラダー(梯子)に足を繰るミルシュカに、先を降りるジィクが声を掛ける。「手袋が滑りやすいから、気を付けろよ」
20メートルごとにある踊り場の、最初の踊り場に着いたジィクが、降りてきたミルシュカの体に、横合いから手を添える。さすがにラダー(梯子)は、300メートルを一直線に坑底に繋がっている訳ではなく、安全確保のために途中に踊り場が設けてある。
「──良いぞ、ユーマ・・・! ミルシュカが降りた」
「分かった。んじゃ、あたしも降りるわ」
ジィクの合図で、ユーマが重機バスター42・プラズマ銃を胸前に抱くように回し、巨躯をラダー(梯子)とバック・ステー(背側安全柵)の間に潜り込ませる。
ユーマが直ぐにラダー(梯子)に取り付かなかったのは、このラダー(梯子)の耐荷重がどの位あるのか、分からないからだ。ユーマは特に身体が大きいので、1本のラダー(梯子)に3人が同時に体重を預ける危険を避けたのだ。
巨躯な上に重機プラズマ銃を担いでいるので、ユーマは1段を降りるのに四苦八苦する。
踊り場を3つ過ぎた辺りから、氷壁に黒い塊が浮き出てくるようになり、5つ目辺りから氷が失せて完全に黒い岩肌に変わった。気温は確かに緩んでいて、湿気も僅かに感じる。
そして7つ目の踊り場、深度3240メートルの地点だった。
「ユーマ、リフトが動かない訳が分かったぞ──」
不意にジィクが、唸るように声を上げた。
「見ろ、ミルシュカ・・・!」
そして、踊り場に降りてきたミルシュカに、ジィクが叫ぶ。ジィクの突き出した左袖口の高輝度ライトが、向かい側のリフトのある壁面をうっすらと照し上げる。
「え・・・?」
振り向くミルシュカが、一瞬言葉に詰まった。
「──何、あれ・・・?」
さらにユーマが、ジィクの照す方へ重ねるように、自らの袖口ライトを向ける。ユーマはラダー(梯子)とバック・ステー(背側安全柵)に片足づつを掛け、大股開きに踏ん張るようにして立っていた。
「これ・・・植物・・・よね・・・?」
ユーマが目を細めて凝視する。
それは確かに、植物、と形容するしかなかった。
リフトの華奢な鉄骨が見えなくなるほど、無数の蔓茎が絡んでいた。いや蔓茎と言うより、太い根茎と言った方が良いかもしれない。お互いが絡み合い、波打ちながら、明らかに下方から上に伸びてきている。茎の太い部分は人の胴回りくらいあり、先の方には、側根のようなものが枝分かれするように数知れず生えていた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




