Act.7 地下3000メートルの怪・2
「──それじゃ皆」専用ポーチからトランシーバー(送受単信通信機)を取り出したユーマが、スイッチを入れ号令を掛ける。「尻穴凍らせないように気を付けて、鼻水凍らせているでしょうドクター・トトをしっかり捜して頂戴な」
「けははは。一端の小隊長だな」
すかさずユーマのインカム(編団内通話)に、ジィクからの茶化しが入る。
アールスフェポリット社のスタッフ同士が用いる通信システムはトランシーバー(送受単信通信機)タイプのもので、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)たちのインカム(編団内通話)とは別システムであり、通信方式や通信帯域、出力が全く違うので連携していない。勿論ジィクも同じトランシーバー(単信通信機)を携行しているので、スタッフたちへのユーマの指示は傍受している。
「下半身軍曹は、ちゃんとスクール・マァム(女史)をエスコートしなさいよ」
「アイアイサー(了解であります)!」
ユーマの言葉に、巫山戯半分に応答したジィクが、助手席側に立ってドアを開き、危なっかしい足取りで向かって来る防寒着を着込んだ、もこもこ姿のミルシュカに手を差し伸べる。ジャムフレーム(縦枠)を掴み勢い付けて飛び上がるミルシュカを、ジィクがそのヒップを押して乗せ上げた。
ユーマと一緒に降りて来たアールスフェポリット社のスタッフ3人は、フロントが橇になった小型ハーフ(半装軌)トラックにどやそやと乗り込んだ。それを確認したユーマが、ジィクの始動させた赤い氷上車の小さな荷台に飛び上がった。
と同時に、周囲に止まっていた5台の氷上車たちが、次々と氷表を蹴って動き出す。このアールスフェポリット社の5人は、表坑内でトト教授の捜索を担当する。表坑は広いので、捜索する範囲を予め分割して5人に割り振ってあり、担当範囲を各々(おのおの)捜索するが、それでも見つからない場合は氷表に上がって試掘坑周囲を捜索する段取りになっている。
「んじゃあたしたちも、スナイフェルスの洞窟へ行方不明のハンスを捜しに行きましょ」
そのユーマの声と同時に、ジィクは氷上車のパワー・ペダルを踏み込んだ。
氷表を蹴って進み出す赤い氷上車の後から、3台のスキッド・ハーフ(橇式半装軌)ヴィークルが追随する。ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)2人とミルシュカは継坑から本坑を下って最深部の調査坑から捜索を始め、アールスフェポリット社の3人は継坑氷底を捜索する。
直径が500メートルの継坑自体は表坑中央部に掘削されているが、継坑のリフトはウォッチ・タワー(作業監理塔)の真正面ではなく、継坑左淵を奥手へ4分の1周した位置にあるので、斜め方向に650メートルほどの距離がある。首を垂れたまま息絶えたブロントサウルス(長頚竜脚類)の骨格見本を何倍も大きくしたような、全長だけならグリフィンウッドマックの機艦アモンより一回り小さいだけの、巨大なバケットホィール型掘削機の脇を抜け、右にステアを切った4台が、リフトへ乗り込むための斜路に向かう。
継坑リフトは表坑のリフトと違い、定格荷重50トンの人荷兼用で重量物垂直搬送機に近い。左右20メートル奥行き15メートルと大きなリフト・パレット(搬床)は、左右両側の冂型した吊下げガーダー(梁)を介して、デリック(揚荷装置)のブーム(支腕)先端に懸吊されており、マグレブ(非接触電磁)式のガイドレールに沿って、深さ500メートルの継坑を昇降する。4台は同時にこのパレット(搬床)に乗って、ヴィークルごと継坑のデプス(坑底)に降下する。
2基のクレーンの間の氷表斜路を、氷崖から突き出すようにぶら下がるパレット(搬床)へ、ジィクの操縦する赤い氷上車とスキッド・ハーフ(橇式半装軌)ヴィークル3台がゆっくりと進む。ウインチ(巻上器)脇を通り過ぎた矢先、ユーマが荷台から飛び降りると、そのままバック・ステー支柱下にあるデリック(揚荷装置)の制御室へ小走りに駆け込む。
ジィクの氷上車と3台のハーフ(半装軌)ヴィークルがパレット(搬床)に乗ったのを確認し、ユーマはクレーンのコンソール(制御卓)を操作して、制御をパレット(搬床)側のコンソール(制御卓)へ移管させる。ジィクに連絡を入れ、ユーマが斜路脇の通路を早足にパレット(搬床)へ走り込む。と同時にガチャリと金属の太い鈍い音がして、パレット(搬床)が小さく震える。ガイドレールに付属する、ブレーキ・ロックが外れた音だ。
パレット(搬床)端に作り込まれた、演台みたいなコンソール(制御卓)の前に立ち、ジィクがリフトを操作していた。ジィクの右手がコンソール(制御卓)の上を走ると、パレット(搬床)がゆるゆると降下を始める。
「まさしく、深淵、とはこの事ね」
膝丈ほどしかない華奢な柵越しに、ユーマが吸い込まれそうな闇穴を覗き見る。
見下ろす500メートル下、照明に照らし上げらている継坑氷底が、闇中にぼんやりと浮かび上がっていた。継坑のデプス(坑底)中央には、第1本坑の上に組まれたデリック(支柱櫓)が見え、周囲には表坑同様にホウルトラック(重量運搬車)やパワード・シャベル(掘削輛機)などが放置され、表坑のものより一回り小さいバケットホィール(輪鍬型)掘削機が、役目を終えて静かに横たわっていた。継坑の氷底全体を上から一望できるため、働く機械のミニチュアを並べた、子供の遊び場のようにさえ見える。
パレット(搬床)の降下速度は、さほど早くはない。500メートルを2分半で降下する。
頭上には、10メートル毎に点々と灯るガイドレールの赤い位置灯が、軌跡を明示しながら暗中へと溶け込んでいる。新たな赤い光点が、下から現れては上へと流れて行く動きがなければ、足が地に着いている感覚すら失いそうだ。
継坑の氷底直径は約400メートルで、坑自体は僅かに下窄みに掘られている。リフト設置部分の壁だけは垂直に削られているので、下るにつれて徐々に左右から氷壁が迫り出してくる。まるで氷壁の中に埋もれていくようだ。
最後の100メートルを滑らかに減速しながら、リフトが継坑氷底に着いた。
ユーマが再びトランシーバー(送受単信通信機)で、アールスフェポリット社の3人に、トトの捜索の指示を出す。ジィクはパワー・ペダルを踏み、ボウラー・ハット(山高帽)型の赤い氷上車を本坑淵へと発進させた。その後ろで、3台のヴィークルがトト捜索のために散って行った。
本坑は150メートルほど離れた所に掘られている。直径100メートルの第1本坑が地下深度1600メートルまで掘削され、そこから直径30メートルの第2本坑が深度3100メートルまで掘り下げられている。
本坑は表坑や継坑と違い、エレクター・ディグ工法で掘削されている。
先にエクスカベータ(輪鍬式掘削機)で掘り込んだ坑の内に、直径100メートルのレーザー溶解式ディグ・マシン(掘削機)を組み、坑淵に設置した沈下用荷重ジャッキで、そのディグ・マシン(掘削機)を掘削先氷面に押し当てて、掘削沈降させていく工法だ。掘り込まれた斜面の氷壁には、今も沈下用の巨大な荷重ジャッキが30基、太い鋼鉄製の桁を介して、本坑をぐるりと取り囲むように立ち並んでいる。
勿論、荷重ジャッキ単体では数百メートルも直接押し込めないので、深くなるに従い側壁にエレクター(継支柱)を組み、下がるディグ・マシン(掘削機)に合わせその都度荷重を掛けて行く。実際のディギング(掘削)をレーザーによる融解で行っているため、マシン(掘削機)で掘削した側壁はほぼ垂直だ。溶出した水は揚水機で汲み上げ、増圧器を使ってホース(輸水管)で氷表まで運び、アイス・マシン(噴氷機)で霧状に噴出させることで、瞬時に再凍結した細かい氷粉として投棄する。試掘坑周囲の不自然な氷山は、表坑や継坑、本坑の掘削で出たサープラス(排出残氷)が投棄されて積もり重なったスポイル・ダンプ(掘削残廃捨山)だ。
本坑を降りるリフトは、坑の上淵から10メートルほど下った、ディグ・マシン(掘削機)が掘り始めて垂直になった氷壁の最上部に設けられている。リフトへは、斜めになった氷壁にへばりつく、粗雑なラッタル(梯子階段)を下らなければならない。
観光名所に設けられた、突き出した展望所のような、ラッタル(梯子階段)へ繋がる素っ気無いデッキ脇に氷上車を停めた。ジィクは車を降りると助手席側に回り込み、ドアを開いて降りるミルシュカに手を差し伸べる。ひょい、と軽やかに飛び降りたミルシュカの靴底が、ざくっと心地よい音を立てる。
ジィクを先頭に、ミルシュカ、ユーマがデッキからラッタル(梯子階段)へと歩き出す。リフトへのラッタル(梯子階段)を降りるミルシュカが、上を見上げ、それから下を見下ろした。
「何だか、絞首刑にあって地獄に落とされる、って感じ」
頭上に見える器材降下用の組まれたデリック(支柱櫓)からは、ガントリー(横行梁門型)クレーンの厳つい巨大なフックが4つもぶら下がり、足下を見れば漆黒の闇穴が、ぽっかりと口を開けて待ち構えている。はるか先に作業灯が灯る第1本坑のデプス(坑底)が、まるで満月のように見える。恐ろしく急勾配のラッタル(梯子階段)は、何もかもが凍り付いていて、一度足でも滑らせようものなら、そのまま真っ逆さまに落ちていくのは確実だ。今にももげてしまいそうな、華奢で粗雑なハンドレール(手摺り)がことさら不安を掻き立てる。
「気をつけてね、ルーシュ。落ちたらほぼ即死だからね。デプス(坑底)までは1000メートルあるわよ」
ユーマが後ろから、ミルシュカに声を掛ける。ただでさえ背が高いので、まるで天から声が降ってくるようだ。
「ほぼ、じゃなくて、確実に、だろ」ジィクが時折り後ろを振り返りながら、ミルシュカを気遣う。「五体なんか跡形もなくなって、氷の地面にハンバーグの挽き肉をぶちまけたようになる」
「──けど、1ガルの加速度で自由落下したら、1000メートル下に激突した時には、空気抵抗が無くて秒速140メートル」ミルシュカがハンドレール(手摺り)を抱えるように獅噛み付きながら、小さい体で一段一段慎重に足を繰り出す。「実際には空気抵抗があるから、秒速6、70メートル、時速換算でせいぜい250キロちょっと」
4回の折り返しを経て、最初にリフトへの乗り場に着いたジィクが、ミルシュカに手を伸べ、ケージ(乗戴筐体)へと促す。ミルシュカが、ありがとう、と言葉を添えてジィクの手を取った。
「まあ即死は間違いないけど、生身が挽き肉になるほどの、運動エネルギーでは無いわ」
そのミルシュカの、冗談を真面目に返して来る学者肌そのままの言葉に、口をヘの字に曲げたジィクが、肩を窄めてユーマを見遣る。
「潰れたカエルみたいに、ぺしゃんこになって氷面にへばり付く、ってところかしら」
ミルシュカの後ろからケージ(乗戴筐体)に乗り込むユーマも、閉口したようにジィクに肩を窄め返した。
「まあ、何にしたって、ハンバーグには使えないわね」
そんな2人の言外の反応を気にする様子もなく、ミルシュカは面白くもなさそうに言った。
「それでも落ちてる間に、念仏を唱える暇はありそうだ」
ジィクがボタンを押すと同時に、シングルベッドほどしかない小さなケージ(乗戴筐体)が降下し始める。ケージ(乗戴筐体)と言っても一般的なリフトにはほど遠く、鳥籠みたいなフレーム造りに粗末なバニスター(手摺り)があるだけだ。
第1、第2本坑の両リフトは継坑のものとは異なり、いずれもカウンター・ウエイト(釣り合い重り)を用いたトラクション式の人員専用リフトだ。作業用に昇降するためだけに設置されてたリフトなので、基本が素っ気無いスケルトン・ストラクチャ(枠組構造体)で、見上げれば壁面から突き出た太い鉄骨の上に、駆動系の機械設備が剥き出しで設置されている。
顔に当たる風圧で、リフトがぐいぐいと加速していくのが判る。2本のガイドレールに付属する黄色灯が、飛ぶように上へと流れて行く。1000メートルを60秒ほどで降り切るため、降下速度は意外と速く、当たる風が冷たく痛い。
垂直に掘り下げられた本坑側壁には、荷重を掛けてディグ・マシン(掘削機)を沈下させるためのエレクター(継支柱)が残る。側壁の氷表が溶け出して、デプス(坑底)に水が溜まるのを防ぐため、氷壁表面に設置された溶解防止用の冷却用溶液の循環パイプが、現在も稼働中だ。剥き出しになった氷表が、上から降ってくる薄暗い光を弱々しく反射してぬるっとした紺碧色に輝き、まるで巨大生物の胃袋にも飲み込まれたような不思議な雰囲気だ。
ジィクはバニスター(手摺り)に凭れ掛かって腕組みし、ユーマはそれとなくミルシュカの背後に立ち、そのミルシュカは両手でバニスター(手摺り)を掴み、ぐいぐいと迫ってくる氷底にじっと目を凝らしている。
縦坑側面に掘り込まれた作業用ピット(横坑)を3つ過ぎると、僅かに圧し付けられる感覚を感じて、リフトが減速し始めたのが伝わる。井桁に組んだクレーンの間を抜け、使い終わって解体されたディグ・マシン(掘削機)を放置してある大きなピット(横坑)脇を緩やかに通り過ぎ、そして最後、静かに息を引き取るように、リフトが停止する。
氷壁に据えられた数十基の照明が照し上げる坑底は薄暗く、微かに湿気を感じる。第1本坑は直径100メートルほどと小さく、ごちゃごちゃした作業マシンや氷上車が放置されていないので、ほの暗い中でも無人なのが充分に一見できる。
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)2人は、念のため第1本坑のデプス(坑底)を見て回り、トトの姿は疎か、人っ子一人居ないのを確認して、さらに深い第2本坑へ向かう。
第1本坑の坑底のほぼ中央に掘削されている第2本坑は直径30メートルだが、坑長は1500メートルと、5本ある試掘坑の中で一番長い。氷表からの深度は3100メートルに達する。第2本坑も第1本坑と同じ、エレクター・ディグ工法で掘削されている。
第1本坑を掘ったディグ・マシン(掘削機)は、中央に直径30メートルのメイン・ディグと、その周囲のプラネタリー・ギア式配置のサブ・ディグ4基から構成されており、サブ・ディグは分離が可能な構造になっている。第2本坑はこのサブ・ディグを分離した、メイン・ディグのみで掘進したものだ。
その第2本坑を下るリフトは、第1本坑リフトを降りたすぐ目の前にある。
第1本坑リフトと同じくスケルトン・ストラクチャ(枠組構造体)で、氷表にはデリック(支柱櫓)が組まれ、それに支えられた太い鉄骨桁の上に、トランション・シーブ(巻上げ索輪)などの機械設備が載っている。乗り場は第2本坑淵際の一部を掘り込んで設えてあり、リフト自体はそこから張り出すように建て込まれている。
デリック(支柱櫓)の元に設けられた、第2本坑リフト乗り場への折り返しのラッタル(梯子階段)を、3人が下る。ケージ(乗戴筐体)は第1本坑のものより一回り小さく、3人も乗ればきゅうきゅうで、周囲には安全柵すらなく、中央に立つスタンション・ポール(手掴み支柱)を掴んでいるしかない。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




