Act.7 地下3000メートルの怪・1
「んで、“クローリング・エンジェル(這う天使)”の正体は判ったのか?」
再びミクラスのドライバーズ・シート(操縦席)に座ったジィクが、頓狂な声を上げた。
バルンガでアモンを離艦して45分後、地上の開発基地に戻ったジィクはユーマと合流し、ミルシュカ・デルベッシを伴ってミクラスに乗り込んだ。時間的にはアディたちも、そろそろトトの私設ラボ(研究舎)に着く頃だ。ネルガレーテがドライブ(操艦)するアモンは、その少し前に高軌道の統轄ステーションに着いたとの連絡があった。
アイスホルン・カール(尖柱氷林)の間の道とは言えない道を、黒と灰色のタイガー・ストライプ迷彩のミクラスが、シャリシャリと氷表を食んで進む。その後ろを少し距離を置いて履帯駆動式の赤色の氷上車が2台追随する。分乗しているのは、トト教授捜索のために地表基地で待機させられていた、アールスフェポリット社スタッフ8人だ。
「全く」巨躯を車長席に押し込むユーマが肩を窄める。「画像は疎か、その外見的特徴に対する記述は全く無いのよ」
「生物ってのは確かなのか?」
ジィクの問い掛けを、ユーマが受け流すように後ろのミルシュカを見やる。ミルシュカは自動装填装置とキャニスター(装弾倉)前の狭いスペースに、出されたエクストラ・シートに腰を落としていた。勿論3人とも、インカム(車内通話)用ヘッドセットを装着している。
「そう推測しうる単語や、先生の所見──と言うより疑問なのかな、そんな書き方をされている記述からの憶測なんだけど、ほぼ間違いないと思うの」
「せめて大きさくらい判らないと、対処の仕様がないわね」
「勿体つけた書き方してくれるぜ。研究者なら、もう少し詳細に正体を記しても罰は当たらんだろうに」
「多分なんだけど、一般的な環境下に棲息する一般的な動物と、同様には見ておられない、のかな、と・・・」
ユーマとジィクの詰るような愚痴に、ミルシュカも少しばかり返答に窮した。
「それ、どう言う意味?」
ユーマが改めて後ろを振り返り、ミルシュカのぱっちりした目を見つめた。
「うーん・・・普通じゃない生物・・・って感じ、かなあ・・・」
「何よそれ。普通じゃないって?」
「どう言えば良いのか・・・」ミルシュカが困惑気味の苦笑いを浮かべた。「外見的な特徴より、その存在自体が重要で、絶対無二、比べるべき物が無い、特別な何か・・・」
「それこそ“エンジェル(神の遣い)”って訳か・・・?」
「じゃあ、“ボーディ・ニルヴァーナ”とやら言う“ヴリクシャ(樹)”が神、いえ神が宿ってるって訳? それらはその使徒って訳?」
「さあ、さすがにそこまでは・・・」
短兵急な2人の畳み掛けに、ミルシュカもさすがに言葉に詰まる。
「けど気になる記載は、“クローリング・エンジェル(這う天使)”と“ヴリクシャ(常世の樹)”の2つなんだろ? 関係あるんじゃないのか?」
黙っていると冷静で落ち着いた風に見えるジィクだが、中身は意外と急勝だ。
「あとは、“深淵を覗く”って言う言葉の意味、よね」勿論ミルシュカも、2人ともミルシュカを責めている訳ではない事は重々承知だ。「実際の深淵なのか、言葉の綾なのか」
「その場所の事なのかは不明だが、このピュシス・プルシャで、最も深い深淵に到着だ」
ジィクが顎を抉る先、アイスホルン(氷錐)の林を抜けたミクラスのモニターの中に、デリネータ(保安誘導灯)の赤が小さく明滅していた。
コマンダー・シート(車長席)に座るユーマが、キューポラのハッチを開いて顔を覗かせる。
忽ち凍てつく冷気が車内に雪崩れ込み、エクストラ・シートに座るミルシュカが、思わず身震いする。白夜明けを迎えたピュシス・プルシャの極地帯は、空に明るさが戻り始めていた。
「試掘坑に沿った左側、ウォッチ・タワー(作業監理塔)、見える?」
「ああ、見えるな」
ユーマの言葉にジィクはミクラスを左へ向け、採掘車輛用のハンガー(格納庫)前を通り、試掘坑崖縁のデリネータ(保安誘導灯)沿いに走らせる。その150メートルほど先の氷崖の向こうに、弱い照明でライトアップされた古びた鉄塔の先端部分が、ピュシスの夜明けにぼんやり浮かび上がっている。ウォッチ・タワー(作業監理塔)自体は氷表ではなく、掘り下げられた表坑の底に建て込まれている。
ジィクはウォッチ・タワー(作業監理塔)へのエントランス建屋前にミクラスを止めた。氷表を食みながら回る履帯の、ロード・ホィール(転輪)に当たる騒がしい音が消え、一息吐きたくなる静謐が車内に盈ちる。
「この試掘坑、日記にざっと目を通しただけでも、トト先生、4、5回は来られているのよ。赤道ラボ(研究舎)に比べると、手近な所為か」
ミルシュカがエクストラ・シートの中で、四苦八苦しながら二重底になったスパイクブーツを履き込んでいる。ただでさえ厚着なのを重ね着してるので、小柄なミルシュカには腰を曲げるだけでも一苦労のようだ。
勿論ジィクとユーマは再度、アーマー・プロテクタ(胸鎧)の上から銀のトグル留め耐寒ジャケットに袖を通し、軽戦術用チェスト・リグを着装してヘルメットを被る。一方のミルシュカは、最初に着ていたダッフル・ジャケットでは心許ない、とユーマから注意されたので、開発基地に予備在庫されていたインシュレーション(断熱綿材)入りの上下に、蛍光オレンジ一色の高撥水性オーバー・パンツとファー・フード付きジャケットを上から重ね着して完全防寒し、胸元にはクリア・シールドの全面マスクを下げ、同じく借用した作業員用ヘルメットを被っている。
「酷く頻繁ね。惹き付けられる何かがあるのかしら? この試掘坑」
「本格的な商業採鉱が開始される前に廃棄になったんだろ?」
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)2人はヘルメットを被り、強化重合樹脂製のスタッドチェーン(滑り止め靴具)を締め上げ、足下を固める。
「此処でのメモや記録も無いのよね?」
「ええ。野外調査の際は、必ずフィールドノートを取っておられる筈なんだけど」ユーマの問いに、ブーツを何とか履き終えたミルシュカが一息吐く。「確かに自室には何冊かあったんだけれど、いずれもこの試掘坑のものじゃなかったわ」
準備できたら出るわよ、と後ろに声を掛けるユーマに、ミルシュカが頷く。
「──皆さーん、脳みそも凍り付く時間が来ましたよー」
通信チャンネルを切り替えたユーマが、唐突に素っ頓狂な声音で声を張り上げた。
「良い子は風の子、さあさあ元気よくお仕事に出て頂戴な」
お前、何バカ言ってるの、とジィクが怪訝な顔付きでユーマを見返す。勿論ユーマは、後続のアールスフェポリット社のスタッフの下車を促したのだ。
「インテリゲンチャ(博学者)が同行しているんだ。もう少し、知性のある言い方しろよ」
ジィクはユーマ越しにミルシュカを見遣る。
「尻穴も凍るお時間ですよ、とか、鼻水凍らせてお仕事しましょー、とか品があって勇気付けられる言い方しないと、小隊長は務まらんぞ」
「ルーシュ」ユーマはふん、と木で鼻を括ったように言った。「これから先の人生、絶対に馬鹿なペロリンガに関わっちゃだめよ」
「待て待て待て」ジィクはドライバーズ・ハッチを撥ね上げながら言った。「それじゃまるで、俺が馬鹿みたいじゃないか」
「あー馬鹿じゃないわね」ユーマがキューポラから、バスター42・プラズマ重装銃とパワーセル(動力用電池)を放り出す。「ピンプ(女誑し)・ペロリンガだっけ」
「俺と愛し合えば、本当の愛を知りえるぞ」ミルシュカを一度振り返ったジィクが、177デュエル・リニアコイル・アサルト銃を手に車外へ出る。「インテリゲンチャ(博学者)だって守備範囲だからな」
「まさか、何時の間にやらルーシュに手を出したんじゃないでしょうね・・・!」
ユーマは斜めにしながら大きな肩を抜くと、両手を踏ん張ってキューポラから抜け出した。
「これから出されるんだよな、ミルシュカ」
ドライバーズ・ハッチから、ジィクが態々車内を覗く。
「えッ? あッ? そうなの?」
きょとんとしているミルシュカに、キューポラから顔を覗かせたユーマが、さあいらっしゃい、と手を伸ばし、シート(車長席)の上に乗って、と指示する。
「リサ以上の未通女」
穴蔵から抜け出すように身を起こすミルシュカが、これまた四苦八苦しながら車長席の上に乗っかり、差し出すユーマの手を取る。
「とにかく下ネタ好きの下品なペロリンガの誘いに乗っちゃ駄目よ」
「下ネタって、何?」
ミルシュカがずるずると不器用に、キューポラの外へと身を乗り上げて来る。
質朴すぎるそんなミルシュカの返し言葉に、小さく肩を窄めたユーマが、ミルシュカの両脇に手を差し込んで引き上げた。電磁カノン(加農砲)の角柱形バレル(砲身)の上に誘導し、先に右フェンダーに降りたユーマがミルシュカを促す。ミルシュカは半ば抱き付くようにユーマに手を伸ばし、ユーマはそのまま半回転してミルシュカをそっと氷表に立たせる。
一方、ミクラスの反対側に出たジィクは177デュエルを身構え、周囲に目を走らせる。直ぐ向こうでは、防寒具に身を固めたアールスフェポリット社のスタッフが、2台の雪上車からぞろぞろと降車しているのが目に入った。
ユーマはパワーセル(動力用電池)を襷掛けし、バスター42・プラズマ重装銃を掴むと、ミクラスの上を跳ねるようにして氷表に飛び降りた。車体後部を回り込んできたジィクに、ユーマが声を掛ける。
「ジィク、あんた、本当に彼女とピロー・トークが楽しめるの・・・?」
そのユーマの言葉に、ジィクは無言で、さあ、どうだろうね、と言わんばかりに首を竦める。それにユーマも無言で、世界中のオンナは俺のもの、みたいな言い方しなさんな、と眉間を顰め、刺すような視線で窘める。そんな2人の、無言の微妙な一瞬の遣り取りに、ミルシュカだけは訳が分からず独りきょとんとしていた。
アールスフェポリット・コスモス社が掘削した試掘坑は、表坑、継坑、本坑、調査坑の4段階に分けて掘り下げられている。表坑は氷表を直接掘削した縦坑で、深さ100メートル、直径は1300メートルある。中央にはさらに深部へと掘られた、直径500メートルの継坑が口を開けている。試掘坑周囲に嶺作る小さな氷山たちは、殆どがこの表坑を掘削するのに排出された氷塊だ。
下からニョキッと先端を覗かせている鉄骨組みのウォッチ・タワー(作業監理塔)は、表坑氷底部での作業を監督するために建てられたものだ。タワー(作業監理塔)へは、氷表側に建つエントランス建屋からタワー(作業監理塔)の監理デッキに、オープン・ブリッジ(廊橋)で繋がっている。表坑氷底へは、監理デッキからリフトを使って降りられる。
ジィクがアールスフェポリット社の社員8人を呼び寄せ、その間にユーマが一足先にタワー(作業監理塔)へと駆け込む。アモンのネルガレーテ宛に、今から遠足の生徒を連れて試掘坑に降りる、と連絡を入れるユーマの声が、ジィクの耳に届く。遠足の生徒とは、一緒に下に降りてトト教授捜索に当たるアールスフェポリット社スタッフ8人の事で、ネルガレーテの方からは、結晶化遺体の運び出しが始まったところ、と返事があった。
アールスフェポリット社の8人を、ジィクが先頭に立って誘導する。エントランス建屋の入り口自体には元々鍵は掛かっておらず、中には仄暗い天井照明が点っていた。建屋と言ってもがらんとしており、壁際に並ぶキャビネットの扉が全て開けっ放しになっていて、絶縁素材でカバーされたナイフ・スイッチ(刃型導通器)が、全て開路状態になっている。先に入ったユーマが基幹導通回線への通電遮断を解除したのだ。
そこを抜けた先にあるのが、ウォッチ・タワー(作業監理塔)へのブリッジ(廊橋)だ。ジィクが誘導する社員たちが、スキャフォルディング(足場通路)のような25メートル程のブリッジ(廊橋)を渡り始めた矢庭、表坑の氷壁に沿って立ち並ぶ高さ20メートルの照明灯が次々と輝き始め、ブリッジを照らすライトも点いた。監理デッキに入ったユーマが点灯させたに違いない。
監理デッキは回廊状になっていて、右手に直接氷底に降りられる非常階段への扉があり、中央には表坑のデプス(坑底)に降りるリフト、坑を見下ろせる窓際にはコンソール(制御卓)が並んでいる。あまり広いとは言えない監理デッキは、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)2人にミルシュカ、それにアールスフェポリット社スタッフの計11人も押し込められればぎゅうぎゅうだ。室内と言っても、リフトのシャフト(昇降筒坑)が支柱だけなので、下からの冷気が素通しで侵入し、外にいるのと変わらない。
先にジィクが、アールスフェポリット社スタッフ5人を伴い、小さく窮屈なリフト・ケージ(乗戴筐体)で100メートル下の氷底へ降りる。
広袤とした表坑の氷底は、200器以上の作業用灯に照らし上げられ、スポーツ・スタジアムほどではないにしろ充分に明るい。機械や人踏で踏み固められた表坑氷底は、完全に凍てついた氷表で、スタッドチェーン(滑り止め靴具)がないと簡単に滑って転びそうだ。足元にうっすらと霞が掛かっているのは、試掘坑最深部で露呈した土質地面から立ち昇る僅かな水蒸気が、氷壁を伝わって上がって来たものだ。
直径1300メートル、1700平方メートルを超える表坑内を見渡すと、全長200メートルの巨大な自走式バケットホィール型掘削機が5基、それに車長20メートルの巨大なホウルトラック(超重量運搬車)が15台以上、放置されたままになっている。その他にもパワード・シャベル(掘削輛機)やバケット・ローダー(搬載車)、それにブレード・ドーザー(排土輛機)、ハーフ(半装軌)ピックアップ・トラックや氷上車が数十台、彼方此方ですっかりと凍り付いていた。
直径500メートルの継坑を挟んで反対側の表坑側壁に設けられた、削り出た残氷を坑外へ排出するための3基のバケット・エレベータが、営業を停止した遊園地のアトラクションのようだ。その袂には、数台のパワード・シャベル(掘削輛機)が、群がる蟻のように無造作に停められていて、重量物荷役用のジブ・クレーンのアームが、表坑氷崖の上からニョキッと首を2本突き出している。そのバケット・エレベータを挟んで氷壁沿いの右300メートル離れた所に、表坑100メートルの氷壁を上がるための非常用のラッタル(裸階段)が、九十九に折り返している。
ジィクはボウラー・ハット(山高帽)みたいな真っ赤な氷上車に乗り込み、エンジンをアイドル・モードに引き上げる。アールスフェポリット社の社員たちもてんでに、手近な氷上車に乗り込んでエンジンを目覚めさせ始めると、ユーマたち5人を乗せたリフトが降下して来た。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




