Act.6 結晶・5
「確かに興味ある現象なんだけど・・・」ミルシュカも少し迷っているようだった。「ただ、結晶化の解明に、私の知識が尽力できるとは思えない・・・」
「ルーシュも見当つかないんだ」
リサは可愛らしく下唇を突き出した。
「私の専門分野は、生態学専攻の生物学なのよ」ミルシュカが苦笑いを見せた。「生態学って根本は、文字通り生物の生態を調査して、生物種の生活の法則を解明する事なの。奇妙な特性や習性を、ね」
「んじゃあ尚更、人体の結晶化現象を解明するために、トトって先生がルーシュを呼んだとは思えないわね」
「それならもっと、医学的知見や病理学的知識が豊富な人材の方が適任だと思う」
ユーマの言葉に、ミルシュカが大きく頷いた。
「とは言うものの、あれは病理的な症状じゃない気がするんだけれど」
「病気じゃない・・・?」ミルシュカの少し引っ掛かる言い草に、ユーマが訝った。「ウィルス(非細胞性構造体)や病原菌が原因でも無いって事よね?」
「あの人たち、結晶化している人たちの具合から見て、誰一人苦しんだ様子がない」
「苦しむどころか、何かをしながら結晶化しちゃってるわよ?」
「うーん、結晶化の症状が発症しだしたら、意外と早いのか・・・」ユーマの問いに、ミルシュカは素直に首を捻った。「ある程度、結晶化が進行してしまったら、動けなくなるのかも知れない・・・」
ミルシュカの言葉に、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)2人が無言で顔を見合わせる。
「けど、それにも増して思うのは、本人たちが、その発症事例にすら気付いていない、ような気もするのよ」
「本人が気付いていない・・・?」
「自分の体が結晶化しているのに・・・?」
正面に座る2人を見渡すミルシュカに、ユーマとリサは驚いたように声を上げた。
「だって考えても見てよ」ミルシュカは眉根を寄せ、青林檎色の瞳で2人を凝視した。「自分の体が、あんな結晶化を起こして、平然として居られる? 直ぐ傍の同僚が結晶化を発症していて、黙って居られる?」
「・・・・・・」
「指先が結晶化していたら、何も持てなく──」
そこまで言ったミルシュカが、突然何かに気付いたようにはっとする。
「どうしたの? ルーシュ?」
いきなり言葉を切ったミルシュカに、ユーマが思わず身を乗り出す。
「突飛な考え方だけど──」声音を改めたミルシュカが、珍しく少し自信なさ気な、相手の様子を窺うような口振りで言った。「結晶化している、しつつある本人たちには、何も異状が感じられない、異常に見えていない、見えない、って事・・・かしら?」
「え?」本当に首を捻ったリサが、柳眉を寄せてミルシュカを見る。「それどういう意味? ルーシュ、貴女の言ってる事が、良く解らないんだけど・・・」
「本人からしたら、いえ、結晶化を起こしている人たちからしたら、何も異常だとは認知できていない、いつもと変わらない自分や同僚に見える、接せられる──」
「──何だね、それは・・・!」ミルシュカの言葉を遮るように、コーニッグが癇癪を起こしたように声を荒げた。「集団幻想か、妄想かね? ここの連中は皆して常軌を逸したのか・・・ッ?」
「それは・・・」
コーニッグの勢いに少しばかり気を削がれたミルシュカだったが、肩を窄めながらも言葉を継いだ。
「けど、結晶化した生物学的部位が、肉眼では見えるけど触れられない、機械的なカメラを通した映像では認知できない、と言う現象に通じているような気がするのよ」
「本人は結晶化してるなんて、思いもしない・・・」
考え込むような表情で、ユーマが呟く。
「けど、実際は異変が起きている」ユーマの言葉に首を竦めたリサが、口から出任せみたいに声を上げた。「それって、病は気から、ってやつ? ちょっと違うか」
「──“アライズ・イン・マインド(気から)”」だがミルシュカは、何気ないリサの一言に、妙に感心した風情を見せた。「意外と的を得てる何も知れない」
「病は気から・・・!」冗談とも付かないリサの言葉に、思わずコーニッグが噛み付いた。「そんな馬鹿な伝染病がある訳ないだろう・・・!」
「ガバナー(堡所長)、これは決して伝染性の疾患ではないわ」
それでもミルシュカは臆せず言い返した。
「じゃあ、一体何だって言うんだね・・・!」
「それは・・・」
「まあ、何にしても、ルーシュに手の余る事態には違いない」
コーニッグに難詰され、押し黙るミルシュカに、ユーマが助け船よろしく声を掛ける。
「──だとしたら、トト教授が、ルーシュの専門的知識を必要とする事って・・・?」
「本来、先生のご専門は、惑星物理学なのよ・・・」
だから、アールスフェポリット社も、ピュシス・プルシャを開発するに当たって、トトを特務技官主査に任じて環境評価を依頼したんでしょ──隣のコーニッグを見やるミルシュカのぱっちりした目が、そう言っていた。
「ただ先生は、ご専門ではないにしろ、有機惑星学や天体環境学を通して、比較発生学にまで知見を深められておられるので、ひょっとしたらそちらの関連で私をお呼びになったのかも知れない。比較発生学の方面なら生物学の範疇だから、まだ私の生態学に近い」
「比較発生学・・・?」
ユーマとリサが首を捻ってお互いを見合った。
「異なる生物同士を比較することで、その進化的発生メカニズムを解明する事」ミルシュカは少し考え、言葉を選びながら言った。「異なる惑星環境で、生息する生物のコンバージェント・エボリューション(収斂進化)を目にする事は珍しくないから、先生の為されている専門学究分野の延長上とも言えなくはない、かな」
「コンバージェント・エボリューション(収斂進化)、ね・・・」
うんうんと調子よく頷くユーマに、口をヘの字に曲げたリサが横から、本当に分かってる? とユーマの脇腹を肘で小突いた。
「環境的に必要に迫られたら、生物は似たような進化をする事よ」ミルシュカが思わず笑みを浮かべる。「生物相が豊かで、土壌質惑星の場合、土中には必ずと言って良いほどヴィシド・オリゴキータ・アネリダ(粘体表環形動物)が生息しているけど、大概は食物連鎖の生態的地位は同じで、構造も体内器官もほぼ同じなの」
「ヴィシド・・・アネリダ・・・?」
「蚯蚓、よ」
怪訝な顔付きを再び見せ合うユーマとリサに、ミルシュカが可笑しそうに言った。
「蚯蚓、ねぇ・・・」
三度、ユーマとリサが顔を見合わせる。
「──それで、その蚯蚓学の2人が揃って取り組みそうな課題って?」
「比較発生学と生態学、よ」
投げ遣りなユーマの言葉に、ミルシュカは噴飯しそうになりながら首を振った。
「あまり連携する分野同士では無いんだけど、敢えて推測するなら、対象は未知見の新種の生物、ってところになるのかな・・・?」小首を傾げて考えを巡らせるミルシュカは、まるで女子学生みたいだった。「それでも、先生のご専門はやはり惑星物理学なので、必ずしも比較発生学に関連した内容だとは言い切れないけど」
「新種の生物なんて、このピュシス・プルシャで見た事も聞いた事もないぞ」傍でじっと聞き入っていたコーニッグが、思わず腰を浮かせ困惑したように声を上げた。「事前調査でも、それらしい兆候は見つかっていない」
「それは何とも・・・」
憶測に言い過ぎた、と思ったのか、ミルシュカは俯いて口籠った。
「──何にせよ、結晶化したスタッフを上げてからね」ユーマがコーニッグを窘めるように言った。「まだ未捜索の施設や区画が残っているんだし」
「まあ、そうだな──」コーニッグは少しばかり落ち着きを取り戻した。「とにかく私は戻って、本社への報告を纏めなきゃならん。頭が痛い」
これはさすがにユーマも、同情を禁じえない。
何しろこの結晶化現象、画像データで送れないのだ。虚時空通信を使うと言ってもタイムラグはあるし、リアルタイムでの質疑応答が不可能なので、この前代未聞で摩訶不思議なこの現象を言葉だけで一方的に説明報告せねばならない。報告を受け取った方は、聞き取りようによっては、はてな? となりかねない。その上に新種の生物が棲息する可能性まで報告する羽目になれば、現場指揮官たるコーニッグにしてみれば、輪を掛けて整理のつかない事態となる。
その上、本来なら到着していなければならない、第3便の貨物船ダイアポロも音沙汰がない。恐らくはゴーダムを襲ったあの連中に襲われたのだろうが、何にしても開発基地の責任者としては頭の痛い事態ばかりが重なる。
まあそこは、あのサンドラ・ベネスが上手くやるんじゃないの──そう口にしかけて、ユーマは慌てて口を噤んだ。その言い草は、今や頭が沸騰しかけているコーニッグにとって、嫌味以外の何物でもないに違いないからだ。
暗雲垂れ込めるコーニッグの心中を慮って、ユーマが嘆息した刹那。
カフ(袖口)の通信機が、着信を告げるバイブレートした。
ユーマとリサがそれぞれ、袖裏に収納してあったイヤフォン(受話器)を耳に挿すと、ジィクの声で、荷物の収容を完了したとの報告が入って来た。オゥキー・ドゥキー(合点承知の助)、と軽く返したユーマがミルシュカを改めて見遣る。
「それで、どうする? 此処に──」
「──あ・・・!」
ユーマの言葉が終わらないうちに、ミルシュカが唐突に声を上げた。
「先生の、トト教授のキャビン(個室)・・・!」
「レジデンス(居住棟)は全部調べたわよ」
怪訝な顔を返すユーマに、目を瞠ったミルシュカが首を振る。
「いえ、トト先生ご自身ではなく、日記やらメモやらを残しておられれば」
「──手掛かりが見つかるかも知れない」はたとユーマが膝を叩いた。「いろんな意味で」
ミルシュカが、ええ、と賛同の首を振る。
「バルンガを送り出したら、戻って来るまで暫く時間が掛かるわ。その間を利用して、一緒に教授の部屋を詳しく調べてみましょ」ミルシュカと目を見合わせて頷いたユーマが、コーニッグに顔を向けた。「──構わないわね? “指揮官”」
コーニッグは、勝手にやってくれと、少しばかり煩わしそうに2度3度と頷いた。
「──アディ、ジィク、聞こえる?」
ユーマがカフ(袖口)を口元に寄せ、マイク(送話器)に話し掛けた。
* * *
レジデンス(住居棟)は、センター・リッジ(管理枢要棟)からストレージ・ウォード(資材保管棟)へ向かうペデストリアン・コリドー(高架通廊)の途中にある分岐を、右に折れた先にある。単階層建てのレジデンス(住居棟)が3棟あり、そのうち2棟がキャビン(個室)専用棟で、もう1棟が音楽演奏専用室に手芸工芸専用室、読書室、それに2つのミニシアターがある娯楽施設棟だ。コリドー(通廊)との接合部は水周りの共用スペースになっていて、トイレと洗面、バスルームとシャワー設備、それにランドリーが設備されている。
当初ユーマは他の3人と一緒に、バルンガで一旦宇宙に上がる予定だったが、ミルシュカ・デルベッシと一緒に居残って、トトのキャビン(居室)を家捜しすることにした。他にアールスフェポリット社の社員8名も残っているが、小部屋に大勢で押し掛けても邪魔なだけなので食堂で待たせておく事にした。どの道、彼らは当初の予定でも、バルンガが戻って来るまでの数時間は、この基地で何する事もなく留守番しているしかなかった。
「よくもまあ、これだけ散らかせるものね」
壁際にある室内照明のスイッチを入れたユーマが、腰に手を当てて嘆息した。
「先生の出しっぱなしの癖、相変わらずね」
ミルシュカが室内を見渡して、思わず苦笑する。
キャビン(個室)専用棟には、それぞれ廊下を挟んで両側にキャビン(個室)が10室並び、1棟20名が居住できる。キャビン(個室)は全て同じ造りで、地表基地駐留のスタッフはマネージャも含めて、全員同じタイプのキャビン(居室)が割り当てられている。広さは15平方メートルほどの長方形で、片壁側にベッド、反対側にはプロセッサ(情報演算処理機器)・ディスプレイの載ったカウンター型の机と椅子、それに棚、奥壁には小さな窓があって安楽イスとナイトテーブルが置いてある。
トトのキャビン(居室)は、どうやって持ち込んだのか、と頭を捻るほどの書類と書籍が所構わず山積みだった。奥のナイトテーブルも、安楽イスも紙束の置き場所に成り果て、床にも書類やら書籍が山をなし、何かしらの計測器が壊れた玩具のように埋もれたまま放り置かれ、文字通り足の踏み場もない。
先に捜索して回った際には、ベッドの上も含めて在室者が居ないのを、戸口から覗いて確認しただけで、どのキャビン(個室)も基本的には足を踏み入れていない。
ユーマがその巨漢に背を丸め、爪先立ちよろしく本の山を跨ぎ越しながら、慎重に足を繰る。一方のミルシュカは綱渡りでもするかのように両手を上げ、僅かな隙間を見つけては、ユーマの後から抜き足、摺り足で付いて行く。
「それでも先生って、お手伝いで少しでも片付けしようものなら、触るな、どこにあるか分からなくなる、って怒鳴られるのよ」右に左に危なっかしいバランスで、ミルシュカが懸命に書籍の山脈を抜けて行く。「事実散らかってるんだけど、どこに何を置いたか、何をどこに置き直したか、ちゃんと覚えておられてて、その場所にない時は大概誰か別の人間が手に取ったかで、置き場所を変えちゃってるの」
「頭の良い人の、整理するって感覚、必ずと言って良いほど一般人と違うのよね」
辛うじて室内中ほどにある、カウンター・デスクの椅子の横に辿り着いたユーマが、ミルシュカに手を差し伸べながら振り返る。
「先生の学究も同様で、基本的に全てあるがままの自然の状態を、そのまま触らず受け入れる、って態度で臨まれていると思う」
よっ、と上げた掛け声と共に、ユーマの手を取ったミルシュカが、躓きそうになりながら飛び込んだ。ミルシュカはネルガレーテより上背がないので、ユーマの真横に立つと60センチ近く差が出てしまい、文字通り見上げる羽目になる。
「けどこれじゃあ他人が、日記とかメモを捜し出すのも一苦労ね」手の付けように困るほど散らかった机上を見て、ユーマが改めて嘆息した。「──って言うか、トト教授って日記を付けるタイプなの?」
「あれ? 研究者って、日記を付ける人が大概よ。どんなに部屋を散らかす人でも」
ミルシュカは手を付けず、掃くようにして机上のカオスを注意深く見流していく。
「嘘・・・!」
「研究者って、自分の思考と行動、そしてその結果を、ちゃんと客観視できないと失格。日記はそのための記録なんだから」
「ルーシュ、あなたも?」
「ええ勿論。残念ながら直近の日記は、ゴーダム号難破の際に失くしちゃったけど、それ以降はまたちゃんと記しているもの」
「部屋を散らかす性分と論理的な思考に、因果関係は皆無って言うのが、よく分かったわ」
ユーマの言葉に、ディスプレイの周囲で山になっている書籍を、少しずらして奥を探ったミルシュカが、苦笑しながら振り向いた。
「それに多分だけど、こういう風に散らかす方の場合でも、さすがに毎日記さなくちゃいけないから、そう深くは埋もれてはいないと思う」
「それでも埋もれているのね・・・」
肩を窄めるユーマに、椅子を少しだけ引いたミルシュカが声を上げた。
「いえ、あったわ」
「え・・・ッ?」
「私も時たまやっちゃうのよ。すぐ必要になる資料とかは、絶対に見失わない此処──」一驚しているユーマの鼻先に、ミルシュカが小さな1冊を突き出した。「必ず座る椅子の上に置いておくの。どんなに散らかしても、椅子の座面にだけは意外とモノを置かないから」
擦れて汚れた茶色のハードバック(厚装幀)帳を、ぱらぱらと捲るミルシュカの手元を、ユーマは巨躯を折り曲げて覗き込む。蚯蚓がのたくったような、癖の強すぎるルパス・ガラクト(狼座域標準語)だった。
「ルーシュあなた、ワトソンって助手を雇って、探偵を開業したら?」
「肝心なのは、何があったかを解明する事ではなく、それを証明する事なんだ、って感じかしら?」
ミルシュカが日記の筆迹を指で追っては、トトの綴文をつらつらと読み込んで行く。
「ワトソン曰く、この奇っ怪な事件の行く末を見届けなければ、悠長に寝てなんかいられない──ってところね」
ミルシュカの動く指先をユーマも一緒になって目で追うが、恐ろしく読み辛い癖字に加えて反対から見ているので、書いてある単語も半分ほどしか判読できない。
「──それでどう? 何か手掛かりなりそうな事、書いてある?」読むのを諦めたユーマが、腕組みしながら言った。「結晶化の謎や、本人の行方を示唆するような」
「うーん・・・結晶化については・・・どうも・・・記述・・・なさそう・・・」ミルシュカの捲る頁が、前後の日付を行ったり来たりする。「ただ最後の日付は・・・えっと・・・6・・・いえ、7日前になるのかな、ピュシスの惑星日換算で」
ミルシュカが突き出す日記に、どれどれ、とユーマが覗き込む。
「これだけ? 短いわね」
あなたの先生って、字が下手ね、とぼやくユーマが眉間に皺を寄せる。
「──んーと・・・“やはり・・・深淵を・・・覗かなければなるまい”って・・・これ、何の事かしら?」
「前日の記述に、“ロータークラフト(回転翼機)を手配”“今度はすこし腰を据えて臨まねばなるまい。理を知るためには”ってあるわ」
「今度は腰を据えて・・・?」真正面からミルシュカの顔を覗き込むユーマが、怪訝な表情を見せる。「ローク(回転翼機)って事は、何処かへ出掛けるつもり、いえ、もう行ってるのかしら・・・?」
ユーマの言葉に、ミルシュカは見当付かないと言う風情に、無言で首を捻った。
★Act.6 結晶・5/次Act.6 結晶・6
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




