Act.5 白寒(びゃくかん)の大地へ・8
氷丘に挟まれる少し広い盆地に建てられた、アールスフェポリット・コスモス社の地表基地の居住施設区画だ。ピュシス・プルシャ採鉱のための地表基地で、ファシリティ(施設)は1つの建物に集約されているのではなく、同じような造作のプレファブリケーションで建て込まれた棟屋が散在している。
生活で発生する暖房などの熱で、氷表が融けて建築物が沈下するのを避けるため、棟屋は3.5メートルの高さのピロティ(高床)構造になっていて、施設棟の間は外に出る事無く移動できるように、ペデストリアン・コリドー(高架通廊)で結ばれている。コリドー(通廊)で繋がる施設間に距離があり、コリドー(通廊)が数箇所途中で折れ曲がっているのは、後からファシリティ(施設)を増築するための分岐用コネクティング部だ。
棟屋群からは人の作り出す活気が失せ、全てが死に絶えて時が止まっているような雰囲気だった。ここまでいかなる車輛とも擦れ違わなかったのは勿論の事、人っ子一人見掛けない。動いているものは一切無く、生命の息吹を全く感じない。冷たいのは気温だけではなく、この世界全体が冷酷さで虚無に冷え切ってしまっているようだ。
「──一番手前の建物が、リフター・デッキ(垂直離着床)だな」
モニター・ディスプレイ(監視画面)を注視するアディが、少しばかり硬い声を上げた。
埋もれた巨大な気球の頭頂部だけが露出したような、お椀を伏せた形のドーム施設が映る。この棟屋だけは半地下型で、デッキ(離着床)自体は地下に掘り込まれてあるため、ピロティ(高床)構造になっておらず、氷表から棟屋の壁が立ち上がっている。
「周囲に熱源の移動を感知しない。問題は無さそうだ」
ジィクがミクラスを停車させ、後ろのアディを振り向く。
「風速0.5、気温零下32度、水蒸気分圧0.045、鼻水凍るのは確実だ、こりゃ」
アディは首を竦めて両肩を抱え、大仰に震え上がって見せると、砲手席後ろにある僅かなスペースへと移動する。エクストラ・シート用であり、すぐ後ろが電磁条導カノン(加農砲)の自動装填装置とキャニスター(装弾倉)だ。車体後端にある大容量のゲペックカステン(車外雑具収納)以外に、ミクラス車内には積載専用スペースはない。
「全くだ。近所にパブすらないとは、サービス悪い惑星だ」
ジィクも操縦席を抜け出しながら、脇に置いてあったスキットル(携帯用酒容器)に口を付けると、防寒装備を整え始めたアディに放って投げた。2人はアールスフェポリット社のオーバーオール式パンツはそのままに、上着であるファー・フード付きアノラックだけを脱ぎ、グリフィンウッドマックの専用装備であるアーマー・プロテクタを着用する。危険な状況下における身体防護を目的とした、ボディス(胸鎧)型のレイヤー式プロテクタで、上腕保護用にストラップ吊りの腕輪型プロテクションが付属し、頭部保護にはヘルメットを被る。
ただブーツ付属のポレイン(護膝)は、上に重ね着するオーバーオール・パンツの邪魔になるので取り外す。ポレイン(護膝)の内側インナーの裏に、テルミット・キャンドル(高燃焼練粘爆薬)と呼ばれる、電気着火式の非常用爆薬を秘匿してあるのだが、今回は特に必要ないと判断した。
各プロテクタとヘルメットの本体外殻は合金繊維複合高分子強化素材製で、フィジクス・ブレット(撃発弾)の貫通を阻止し、被着者の身体への深刻なダメージを軽減防護する。エネルギー弾に対しては外殻表面に蒸着された高分子被膜が、弾着の熱エネルギーによって昇華することで奪熱、耐熱し被着者の人体を保護する。同様のプロテクタ機能は、常用着装しているフィジカル・ガーメントのアームトルソ下腕から袖に掛けてと、ブーツにも付帯している。
ヘルメット下にはグリフィンウッドマック専用装備の防寒ライナーを着け、アーマー・プロテクタ(胸鎧)の上からでも着込めるミドル丈の、インナー・ファスナー仕様になった、レギオ(編団)装備である銀のトグル留め耐寒ジャケットに袖を通す。アールスフェポリット社のアノラックは軽くて動きやすいのだが、アーマーの下にアノラックでは嵩張り過ぎ、アーマーの上からでは逆に窮屈過ぎて着用できないのだ。さらに靴底には、一緒に借り受けた強化重合樹脂製のスタッドチェーン(滑り止め靴具)を忘れない。
「出るぞ」
アディの声にジィクが振り返って頷くと、デュード(常携銃器)であるベネリ社製00(ダブルオー)ストライクを抱えたアディが、コマンダー(車長)キューポラのハッチ(外扉)を開く。途端、底冷えする寒気が、一気に車内に流れ込む。
よっと、との掛け声にアディが抜け出し、アーマライト社製リニアコイル・アサルト銃の177デュエルを掴んだジィクが続く。氷表は積雪ではなく微細な氷塊が寄せ集まって氷結したような感じで、靴裏に装着したスタッドチェーン(滑り止め靴具)が食い込む度に、ザクッザクッと音を立てる。
耐寒ジャケットの上からでは、本来のフル装備であるタクティカル・エクイップメント(個人携行戦術装備品)を着装できないため、2人ともリザーブ(予備弾)を入れたパウチと、レイガン(光線拳銃)を収めたホルスター、それにサバイバル・ナイフを下げた軽戦術用チェスト・リグを着け、銃を腰だめに構えて油断なく周囲に目を走らせる。
アールスフェポリット社の資料通り、ペデストリアン・コリドー(高架通廊)が繋がっている連接基部の側壁に、ラッタル(裸階段)がへばりつくように折り返している。
辺りを警戒するジィクの背向こうで、ラッタル(裸階段)へとアディが駆け込む。踊り場に出る度、アディは怠りなく銃を構え周囲を伺う。一番上の踊り場に出たアディが、非常口脇の壁に背を付けると同時に、ジィクが後を追って階段を駆け上がる。
ペデストリアン・コリドー(高架通廊)脇の壁にある非常扉に、アディがそっと手を掛ける。目配せするアディにジィクが頷き、アディが一気に扉を開く。間髪入れず扉口から滑り込むようにジィクが突入し、それにアディが続いて飛び込む。人感センサーが働いたのか、点いた天井照明の柔らかい光りが降り注ぐ。外からの侵入に対し、非常扉には電磁錠が掛かっているのだが、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)全員にアールスフェポリット社からマスター・エントリー・キィ(解錠電波鍵)を借り受けているので、近付くだけでロックは自動で外れる。
飛び込んだ屋内も、照明が灯った通廊も、人の気配は全く無い。
眩しい光に束の間目を瞬かせた2人が、緊張を解くように長い息を吐き出す。
ペデストリアン・コリドー(高架通廊)自体は、150メートルほど直行する先でくの字に左へ折れているため先の先まで見通せないが、視認できる範囲においては人気は皆無で、安全を脅かす危険因子も見当たらない。それでもアディとジィクは神経を研ぎ澄ませ、しんと静まり返る中を互いに背中を預け合い、床を擦るようにして踵を返す。
2人が飛び込んだ場所は、コリドー(通廊)とリフター・デッキ(垂直離着床)棟を繋いでいるコネクティング・フロアで、正面にはデッキ(離着床)棟屋の管理室へ上がる折り返しラッタル(梯子階段)、右手にはデッキ(離着床)へ降りるための扉がある。脇壁のコンソール(制御卓)は稼働しており、表示されている室内環境数値も室内気温19度、湿度48パーセントと問題なく、スイッチを押すと目の前のデッキ(離着床)への扉は難なく開いた。同時にデッキ(離着床)があるドーム施設内の照明が、一斉に点灯する。
リフター・デッキ(垂直離着床)棟のフロア図と構造図を、アールスフェポリット社から事前に入手して確認してあるので、然したる戸惑いはない。デッキ(離着床)施設棟屋は直径30メートルのほぼ円形で、実際のデッキ(離着床)は8メートルほど眼下の地階にある。頭上10メートルの高さまで柔らかな曲面を見せる、8分割に開く天井ゲートもきっちり閉じていて、破損したり故障している様子は見受けられない。施設内はがらんとしていて、デッキ(離着床)に駐機している機材は勿論ない。
アディとジィクは顔を見合わせ頷くと、2人は二手に分かれた。アディはデッキ(離着床)があるグランド・フロアへの斜行リフトに向かう。ジィクはここから繋がる、同レベルで施設をぐるっと一周している高架通路の方へと歩みを進めた。
ハンドレール(手摺り)に囲まれた簡素なパレット(搬床)が、アディを乗せて滑らかにするすると下っていく。勿論アディは中腰で銃のフォアハンドを握り、トリガーガードに指を添え、いつでも撃てる体勢は崩さない。ちらりと見上げる眼の端に、近目に遠目に慎重に目配せしながらも、スキャフォルド(足場通路)のような、これまた工事現場にある粗末な高架通路を、油断なく銃を構えながら足早に進むジィクが映る。
アディは最下層に降りるとジィクと反対回りに、デッキ(離着床)外周をぐるりと歩きながら点検して行く。ジィクの進むスキャフォルド(足場通路)までは垂直のコンクリート(混凝)壁が立ち上がり、1メートル間隔で照明が灯っている。あまり使われた形跡のない小さなクレーンが左右に1基ずつ設置され、壁に掘り込まれた物置には簡素な整備機器が乱雑に放り込まれてあり、その脇には作業用のフォークリフトが放置されている。傷だらけのバドミントンのラケット一組と薄汚れたシャトルが3つ、それに使い込まれたサッカーボールがぽつんと1つ転がっていた。
ジィクの方も時折りハンドレール(手摺り)から下を覗き込んでは、アディの安全と位置を確認している。
「──こっちには異常はない。見える範囲でも、特に気になる事もない」
ジィクの声が、アディの耳掛け型イヤフォン(無線受話器)に届く。
インカム(編団内通話)用の通信マイク(送話器)は、着用するフィジカル・ガーメントの右袖プロテクション・ガード部にコントローラと共に内蔵している。イヤフォン(無線受話器)は、その袖口裏側に収納してあり、フックを耳殻に引っ掛けて耳穴に挿す。
グリフィンウッドマックでは、レギオ(編団)内で別々のミッション(行動計画)を同時並行で遂行する際など、情報伝達が錯綜しないように、同じ使用帯域でも違うホッピング・プログラムの回線をマルチ運用している。通常はアルファ・チャンネルと呼ぶ基本回線を使用し、ブラボー、チャーリー、デルタの3通りの副次使用チャンネルを使い分ける。先遣ミッション遂行中のアディとジィクは、ブラボー・チャンネルを使っている。
「んじゃ、ユーマたちにインヴィテーション(招待状)を送るか」
遅れて一周して来たアディが、スキャフォルド(足場通路)のジィクを見上げた。
「問題はないだろう。少なくとも、このリフター・デッキ(垂直離着床)は」
ジィクの言葉に頷くと、アディは通信回線を切り替えて声を上げた。
「──ユーマ、グッド・トゥ・ゴー(準備完了)。パーティ会場はオープン・ドア(開場)だ」
* * *
「──聞こえたわね? リサ」
リサのヘッドセットのインカム(機内通話)に、ユーマの声が飛び込む。
アディからのクリア・サインが届いた直後だった。
「勿論よ。そっちは準備できた? 出来てなくても出ちゃうけど」
返事しながらチェックリスト(発進準備)を実施するリサの手が、忙しなくコンソール(制御卓)の上を走る。
「良いわよ。すぐ戻るから」
ユーマはカーゴ・ルーム(貨物室)に同乗させた、コーニッグ以下15人のアールスフェポリット社の降下スタッフの面倒を見ている。簡易シートとは言えちゃんと着座させ、荷物の固縛具合を確認しておく必要がある。ウェイトレスネス(無重量環境)下で運び込んでいるので、積み荷の固縛がついついいい加減になりがちだが、万が一にもハードケースが機内で暴れ回ると、とんでもないことになる。面倒を見る、と言うより行儀監督みたいなものだが、曲がりなりにもクライアント(受注先)なので、ぞんざいに扱う訳にも行かない。
荷物のストラップ(固縛帯)を確認し、スタッフ全員の着座ハーネスに目を走らせて回る。
「バルンガ、発進」
歯切れの良いリサの声に、ブースト・レバーが押し込まれ、軽い加速ガルが生じる。ユーマがコックピット(操縦室)に戻ってくると同時だった。
「お気を付けて」
コントロールからの、少し強張った見送りの言葉が耳に届く。
「ビーチェ、聞こえる?」コ・パイ・シート(副操縦席)に巨躯を滑り込ませたユーマが、通信マイク(送話器)に声を上げる。「大気圏進入コースに乗ったわ。ピュシスへ降下中よ」
「通信状態は良好です。バルンガの軌道離脱を、こちらでも確認しました」
地表基地向かって降下するには、最良のタイミングだった。低軌道の採鉱支援ステーションは、アディたちをオービット・トラック(大気圏内往還運搬機)で打ち出してから軌道を一周して、再び極地上空を通過しようとしていた。
「ネルガレーテは相変わらず、大口開けて寝てるの?」
「はい。既に垂涎しています」
ベアトリーチェの返答に、ユーマとリサは顔を見合わせて肩を窄めた。
「そろそろ欠伸の1つもする頃でしょうから、起きたら報告しておいて」
バルンガは時折りバーニア(姿勢制御推力器)を噴かせては、大きな弧を描きながら減速して高度を下げていく。白夜の帳が下りたピュシス・プルシャは、雲が殆ど発達しないため視界はクリアで、眼下には淡い灰色の氷表が果てなく拡がる。氷表は起伏があるものの陰影は浅く、しかも山脈のような特徴的な地形がないため、目視によるパイロテージ・フライト(地形追随飛行)が難しい。自律飛行に対して時折りユーマが、ジオグラフィック・ロケーション(地理的座標特定)システムからの補正を掛け、基点となる機位を修正する。
高度1万5000メートルを切ると、遠くに微かに輝く点が目に入る。
探鉱地質調査用ボーリング・デリック(試錐櫓)の、ライトアップ照明灯の輝きだ。
地表の開発基地と一口に言っても、該当区域は意外と大きい。管理枢要棟や居住棟、発電施設、水質浄化給水設備、廃棄物処理施設などの主要な施設は約3平方キロ弱ほどの区域に小ぢんまりと纏まって建てられているが、その他にも研究施設や倉庫などが数箇所に飛び地のように点在する。勿論一番広いのは実際の商業採掘区域で、アディたちが横を通った地質調査探鉱用オープン・ピット(露天採掘坑)も大きいが、ソルベント・インジェクション・リーチ(溶剤注入浸出)式の商業採掘鉱区は3箇所あって、基地の管理総面積は100平方キロ近い。
薄暮になずむ白銀一色の世界に、巨大な花が一輪咲いていた。
アディたちがクリアしたリフター・デッキ(垂直離着床)棟だ。
開いた天蓋部には赤い識別灯が明滅し、内部のデッキ(離着床)を照らしている照明の明かりが、その巨大な開口部から煌々と漏れ放たれている。まるで惑星ピュシス・プルシャが怒りに任せて、怪光線を吹いているようにも見える。
「アディ、聞こえる? 着陸態勢に入るわ」
スティック(操縦桿)を握るリサが、スキッド(橇)型のランディング・ギア(降着装置)を出しながら、ホバリング体勢のまま高度を下げる。
「──意外と早かったな、リサ」
「デッキ・トップ(天蓋)は、ジィクが開いてくれてるだろ?」
最初にジィクからの声が入り、それからアディの声が聞こえた。リフター・デッキ(垂直離着床)棟の管制室に居るのは、どうやらジィクらしい。
「あれ? アディは?」
リサがちょっぴり残念そうに言った。
「天竺まで、有り難い毛糸のブルマを探しに行ってるよ」
「迷子にならないように、散歩に出てるだけだよ」
茶化すジィクに、アディが呆れ声で返した。恐らく先遣で、構内の斥候に出ているのだ。
「売ってそうなキオスク(売店)ある?」
咄嗟に返して来たリサの言葉に、無言で苦笑したアディの気配が、いつの間にか息を殺すような沈黙に変わっていた。伝わり感じる得も言えぬ雰囲気に気付いたリサが、アディ、と声を掛けようとした矢先。
「──ん・・・ちょっと待て」
アディが唐突に訝る声を上げた。
「あったの? 本当に?」何を思ったのか、リサが畳み掛けた。「58だからね」
「んな訳ないだろ」
アディが呆れ声を返した刹那。
「リサ・・・!」
ジィクの慌てるような、怒鳴り声の通信が飛び込む。同時にドスンと重い金属の落ちるような音がして、突き上げる強烈な衝撃がバルンガの機体を走り抜ける。
「酷い着地」
コ・パイ・シート(副操縦席)のユーマが、ぼやくように言った。
「やっちゃった・・・」
リサがちろっと舌を出す。会話に気を取られたのか、気を緩めすぎたのか、降着寸前の逆噴射を少しばかりミスったせいで、バルンガは3メートルを残して半ば墜落するように着陸した。
「アディ、三蔵法師たち御一行の到着だ。一度戻って来・・・」
「──ジィク・・・!」
管制室のジィクが苦笑交じりに呼び出した矢先、地の底から湧き出るようなアディからの、それでいてはっきりした低い声が聞こえた。
「どうしたッ? アディ!」
只ならぬ雰囲気に、さすがのジィクも声音が変わる。
「スタッフと思しき1名がいた」
明らかに緊張した、警戒心を抱いたアディの声だった。気配で、アディが銃を構え、慎重に足を繰りながら近付いているのが分かる。
「アディ・・・?」
思わず息を飲んだリサが、声を掛ける。
「──床に倒れてる」アディの静かな緊張が漲る声が入る。「動く気配は・・・なさそうだ」
3人のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)が、アディからの通信に神経を研ぎ澄ませて傍耳を立てる。
「ジィク・・・!」
唐突にアディの大声が耳を劈く。
「すぐ来てくれ! こいつは何か、ちとヤバそうだ・・・!」
アディの緊迫した声に、ジィクは反射的に駆け出していた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




