Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・2
「──ジィク、イレギュラー・インシデント(不測事案)発生事由で、リフュージ・オービット(退避周回軌道)を申請して。それから改めて、アールスフェボリット・コスモス社のステーションへの航行プランを再申請して頂戴」
テンフォー(了解)、と応じたジィクが、長い紺青色の髪をソフト・ヘアカフ(帯髪留め)で手早く纏め、プロキシー(操艦副担当)ユニットへ潜り込んだ。
「それからベアトリーチェ、ステーションに着くまでは、あなたが航行管理するのよ」
「アイアイマァム(了解しました)」
ネルガレーテの指示に、ベアトリーチェは振り向きもしない。
「それとビーチェ──」
ブリッジ(艦橋)後方のバルクヘッド・パス(隔壁通口)へ、リサを抱えたアディがウェイトレスネス(無重量環境)を宙漾って行くのを目で追いながら、ユーマが言った。
「メディカル・ステーション(救護医療処置室)のウォームアップ(準備)をして。リサとネルガレーテを診るから」
「あら、私なら大丈夫よ」
「脇腹を強く打ったんでしょ? スキャンしときなさいよ」ユーマが底意地悪そうに北叟笑む。「万が一、自慢のバストが潰れて拉げて、中身が出てたらどうするの?」
「中身って、カスタード・フィリング(クリームパン)じゃあるまいし・・・!」
ユーマの毒舌に、思わずネルガレーテが色をなす。
「なあに、ヴァンプ(毒婦)の色香なんぞ、少しくらい減ったほうが、世の中のためだ」はっきりとした大声で、きっぱりと言い切ったのはジィクだった。「それにネルガレーテなら、酒でも吹きかけときゃあ、自然と治るって」
「失礼ね!」さすがのネルガレーテも目を三角にして、ジィクを睨め付けた。「あんたが怪我したら、ラブドール(自慰人形)を添い寝させてあげるからね!」
「何か勘違いしているぞ、ネルガレーテ」ふふん、とジィクが鼻で笑った。「俺は女性に不自由はしていない」
「そうね。だったらおっぱい丸出しの、エロ・グラフを100枚も枕元に貼ってあげるわ。あんたなら早くやりたくなって、治りも早まるでしょうよ・・・!」
「あなたが、“やる”って口にしないの、ネルガレーテ!」
横に立つユーマが床を蹴りながら、ネルガレーテの肩を抱えて引っ張った。
「あのひん曲がった口が悪いのよ・・・!」
ユーマに引き摺られるように宙を流れるネルガレーテが、悪態を吐く。
「リフュージ・オービット(退避周回軌道)の認可が出ました」
会話の成り行きも雰囲気も一切考慮しないベアトリーチェの声が、割って入る。
「はいはい、行くわよ、ネルガレーテ」そう言うが早いかユーマは、アディたちが出ていったバルクヘッド・パス(隔壁通口)の方へ、腕を引っ張りながらネルガレーテを急き立てていた。「んじゃあ、ジィク、後をお願いね」
ジィクは無言で、挙げた左手をひらひらと振った。
ユーマに押し出されたネルガレーテが、バルクヘッド・パス(隔壁通口)の上部にあるハンドレール(手摺り)を掴むと、体全体を振り子のように振って、その先のトランジット・デッキ(中継ぎ区画)へと飛び降りた。トランジット・デッキ(中継ぎ区画)から先はアコモディション・デッキ(乗居区画)で、標準人工重力環境が維持されたウェイトデッキ(有重力環境階層)になっている。
普段は何ともない床に足を着けた衝撃に、ネルガレーテが一瞬顔を歪めて脇腹を押さえる。
2つ目のバルクヘッド・パス(隔壁通口)の向こうが、アモンのメスエリア(会食所)だ。
反対の艦首側から入ると、直ぐがリサを皆に紹介していたブリーフィング・コート(情報策戦所)で、そこから半階層上がった先がメスエリア(会食所)になる。キャンティーン(食堂)とギャレー(厨房)、それにスピーク・イージー(歓談場)を兼ねたスペースで、ブリーフィング・コート(情報策戦所)の上はロフト風のプレイ・コート(遊戯場)になっている。
ネルガレーテに続いてユーマが、キャンティーン(食堂)を抜け、もう一度バルクヘッド・パス(隔壁通口)を潜るとステア・デッキ(移層区画)に出た。右手にグラウンド・ペイロード(陸上機材積載庫)に降りるためのリフト、左手にはプライベート・キャビン(個室区画)へ下りるラッタル(梯子階段)と、その奥のバルクヘッド・シャッター(隔壁扉)がある壁の向こう側が、フライト・ペイロード(航宙機材積載庫)へ上がるラッタル(梯子階段)だ。真正面突き当たりに位置するのがメディカル・トリートメント・ステーション(救護医療処置室)だが、入り口自体は奥まった突き当たりの左側にある。
ネルガレーテとユーマがメディカル・ステーション(救護医療処置室)に入ると、ちょうどアディが、一番奥にあるバイタル・トリートメント(集中処置)モジュールにリサを寝かせているところだった。
* * *
“・・・人の・・・声・・・?”
リサの意識が微かに戻ってくる。
花弁のような意匠の導光パネル照明。ニュートリノ画像診断用センシング(走査)ユニットに超音波検査用プローブ(探触子)の付いたアーム、ポラリトン励起撮像処理ユニット、天井に走るレールには蜘蛛の脚のような外科処置用アーム・ユニットが下がる。初めて見る景色だ。
“ここ、何処よ・・・”
リサは茫洋とした感覚で、現実を把握しようとした。
「──痛い、そこ痛いのよ、ユーマ・・・!」
聞き覚えのある声だ──リサが、まだ少し霞む目で声の方に首を巡らせる。それでリサは初めて、ベッドに寝かされ酸素マスクを掛けられている事に気が付いた。
「ほら見なさい。酷く打って内出血してるじゃない。これ、当分青痣になるわよ」
銅色のアクセント・カラーが入った白銀のアッパートルソの大きな背中、その向こうには何も映っていない大きなディスプレイ・スクリーンを背景に、胡桃色した素肌に白橡色のふんわりヘアが垣間見える。
“あ・・・ユーマ・・・それにネルガレーテ・・・?”
リサが意識して目を凝らす。リサはまだ全身が虚脱感に捕らわれ、どことなくぼんやりして記憶が巧く繋がらない。
“ここ・・・メディカル・ステーション(救護医療処置室)・・・アモン・・・?”
横目に見える少し離れた壁にも、コンソール(制御卓)とディスプレイ・スクリーンが並ぶ。
ユーマの陰から見えたネルガレーテは、ドレッシング(創傷処置)用ストレッチャーに腰を落とし、アッパートルソを脱いで下に着ているファウンデーション・ウェアをバストの上にまでたくし上げ、右の脇腹をユーマの方に見せていた。
ファウンデーション・ウェアはノースリーブのボディ・ブリーファー(一体下着)だ。微細メッシュ素材に発汗透湿呼気調節機能があり、肌にぴちっと密着するのでボディラインがそのまま浮き出る。クロッチ(股座)がスナップ留めなので、外して下から捲り上げられるのだが、これ自体が一枚物なので、捲り上げれば下半身が丸裸になる。
ただネルガレーテは杓文字が反っくり返ったような形の、股間を下からクリップのように挟み込む、ストラップレスのタック・パンティ(女性用股下着)を履いている。胡桃色の肌にタック・パンティ(女性用股下着)の白いレースが映えて、とても婀娜っぽい。
「いやーん、こんなところが青痣になるなんて、ドジッ子丸出しじゃない」
「そのマル・マル・クチン(ぶりっ子)口調、癇に障るから、あたしの前では止してよ」ユーマがネルガレーテの脇腹に、鎮痛消炎剤をスプレーする。「大体、酒に酔って口開けて、涎垂らせの寝顔見せるよりマシでしょ」
「何よそれ・・・! 私、そんな馬鹿みたいな酔い潰れ方した?」
“あ・・・ネルガレーテって・・・やっぱり・・・素敵・・・”
自然と目に入って来る情景への取り留めのない思いが、リサの脳裏にぼんやり浮かぶ。まだ夢見心地のような感覚の中で、初めて見るネルガレーテの半裸身に目を釘付けにしていた。
事実、キュラソ人デューク(頭領)の曲線は素晴らしい。バスト97ウエスト59ヒップ90だが、背丈が165センチと小柄なのでブービー(巨乳)・グラマーに見える上に、バストの形も豊艶で、きゅっとくびれた腰付きがとても官能的だ。キュラソ人は言うに及ばずテラン(地球人)でも、ここまで素晴らしいプロポーションの持ち主は、滅多にお目に掛かれない。
それに加えてネルガレーテは、ぷっくら紅唇の口元にある白母斑が、とても妖しく悩ましい。同性のリサから見ても、ネルガレーテは憧れるほど魅惑的だった。
「呆れた。生娘みたいに、可愛い寝顔を見せてると思ってたの・・・?」
「ユーマ、絶対に喋っちゃだめよ・・・! 永久に口を噤んでいるの!」
大きな肩を窄めて見せたユーマが、大きな冷湿布をネルガレーテの腰に貼り付ける。ネルガレーテが、ヒヤッ、と小さな悲鳴を上げた。
「へべれけに泥酔してたから仕方ないでしょうけど、ワッチ(看視)の交代に上がって来たジィクに起こされたのよ、あなた」
「ひん曲がった性根の悪い目で見るから、清澄な寝姿もそう見えるのよ」
冷たさを堪えるネルガレーテが小さく震え上がり、背を丸めて歯を食い縛る。反射的に力を込めた事で、逐る打ち身の痛みに、ネルガレーテは顔をさらに顰めた。
「目を覆いたくなる寝姿でしょ。清澄って言って退けられるその口も、そのうちひん曲がるわよ」
「──必ずあのエロ・ペロリンガの、ぐうの音も出ない、ブロード(女)とのだらしない格好を押さえて、見返してやるのよ。ばっさり寝首を掻いてやるわ」
立ち上がったネルガレーテが背を向けると、ファウンデーション・ウェアを整えてクロッチ(股座)を留め始めた。
ファウンデーション・ウェアは機能性だけの下着なので、客観的に見ると脱ぎ着る仕草に色気も何もあったものではない。ただ男性用レングス(裾丈)は3分丈だが、女性用はレッグカットされていているので、ネルガレーテのブリーファー(一体下着)姿は、柔らかそうな筋肉のすらりとした脚線美が殊更に強調され、その燕婉とした丸いヒップが、惜しげもなく剥き出しに見えていた。
そんなネルガレーテの姿態を、リサがどこか憧れるように無言で見詰める。
“胡桃色の肌も艶っぽくて奇麗だし、大人の魅力・・・。スキャンプ(ならず者)なんて揶揄される、レギオ・デューク(編団頭領)になんて、とても見えない”
そこまで思い至って、突然リサの裡で総てが繋がった。
“──レギオ(編団)・・・グリフィンウッドマック・・・!”
自分はドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)・レギオ(編団)の、アディのいるグリフィンウッドマックの一員になったのだ。そして機艦アモンを離昇させたものの、緊張しすぎてニアミスを起こした──。
「酔い潰れるといつも大の字になる、あられもない蠎蛇のくせに」
ユーマが呆れ返った顔を見せていた。
「いつもじゃないわよ! いつも、は嗜む程度なの!」
「蠎蛇は否定しないのね」
それを聞いていたリサが、思わずぷっと噴飯した。
「──あら、リサ」
ネルガレーテが首を巡らし、ユーマが振り返った。
「目が覚めた? グリフィン・ワイルド・マドモワゼル(赤毛のお転婆お嬢さん)」
ユーマのその言葉に、反射的に反応したリサが、酸素マスクを外して弾けるように上半身を起こした。
「──アモン・・・!」
菖蒲色の瞳を見開くリサが、急き込むように声を上げる。
「アモンはどうなってるのッ・・・?」
「大丈夫よ」白磁に鬱金のアッパートルソを着込みながら、レギオ・デューク(編団頭領)が柔らかな視線を向ける。「アモンはホフランの衛星軌道上にいるわ。リサがちゃんと押し上げわよ」
「あ・・・ああ・・・」
極度の緊張のあまり、せっつくオフィサー(管制官)の怒鳴り声に、目茶苦茶な反応をしてしまったのだ。しかも罰の悪い事に、何をどうしたのか、よく覚えていない。
「あ・・・あたし・・・気を失って・・・何て間抜け・・・」
白い喉元を見せて天を仰ぎ、解れて掛かった茜髪を掻き上げて、静かに息を吐いた。
「最初からこんな体たらくじゃあ、パイロット(操艦担当)失格よね・・・」
「あらあら、随分と自分に厳しいのね、リサ──」
気を落とすリサに声を掛けながら、ユーマは室内に据えられているドリンク・サーバマシンの前で背中を見せて立つと、ディスポーザ(使い捨て)カップにクラッシュアイスをたっぷりと落とし、アイソトニック(等浸透圧)水を注ぐ。
「ニアミスは単なるミスで、衝突した訳じゃないわ。逆に、それでも回避して退けた、見事なテクニック(技量)を誇りなさいな」
「70メートル級の系内宇宙船の操艦ドリル(実地演習)なら、イシュカージ・マハリマ造船工廠で200時間ぐらいやったんだんだけど・・・実際は・・・ダメね・・・」
「大体、ネルガレーテが意地悪なのよ。このアモンをいきなりマニュアルで、しかも地上宇宙港から大気圏飛航させて衛星軌道に乗せるなんてプログラム。平時ならエグゼクティブ・システムのビーチェに丸投げしたって良いシークエンスだもの、初めてであれなら上出来よ」
笑みを浮かべてリサにカップを差し出すと、ネルガレーテをちらりと横目で見た。
「けど、惑星重力圏でのグラヴィティ・ハイドランス(重力阻害)飛航の難しさ、良い経験になったでしょ?」アッパートルソを着込んだ豊かな胸を張りながら、ネルガレーテが着心地を改めた。「──これからリサが、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)で生きていく上での、大きなアドバンテージ(強み)になる筈よ」
故にドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)は、疎まれながらも重用され生きて行けるのよ──リサを見詰めるネルガレーテの柿色の瞳が、そう言っていた。
確かにその通りだった。
実は恒星間航行を主とする外洋型の宙航船舶は、基本的に標準型惑星の重力圏内に降下できる能力を持っていない。アモンが艤装しているようなグラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)を装備していなくとも重力圏内飛航は可能だが、経済的に見合わないという理由が一番大きい。特に宇宙外洋商用巨大船舶を地上に降ろすとなると、船舶側のスペックだけではなく、それに応じた受け入れる地上設備が必要になるからだ。
実際、船会社も、宙港運営会社も、そして船員側も、船舶を、特にフレーター(貨物船)のような大型船舶を惑星上に直接降ろすことには積極的ではない。それにリサが経験したように、グラヴィティ・ハイドランス(重力阻害)飛航に限らず、重力圏内飛航は技術的に難しいため事故が発生し易く、一旦起きたら小さな事故では済まなくなる。
なのでジャック・アフロート(現役宇宙艦乗り)と一括りに言っても、外洋宇宙艦船をそのまま重力圏内飛航させた経験があるとは限らず、知識だけしか持っていない者も多い。なのでなのでリサも実は、アモンのような外洋艦での標準型惑星内飛航を想定したチュートリアル(個別指導)は、20時間ぽっきり、しかも操艦シュミレーションをやっただけだった。
だからこそ、外洋宇宙艦の惑星重力圏における飛航、それもグラヴィティ・ハイドランス(重力阻害)飛航と操艦テクニック(技量)は、誰でも経験できるものではないし、おいそれと身に付けられるものでもなく、それこそが他の追随を許さない個人の賦才となる、とネルガレーテは言いたかったのだ。
「──それに、粗っぽいが勘所は冴えてる、ニアミスの処理は天才的だ、って言ってたわよ、アディも」
「え? アディが・・・?」
白橡色の後ろ髪を撥ね上げながら言ったネルガレーテの言葉に、リサの表情が一遍に明るくなる。
「本当に・・・?」
明白に、アディ、と言う名に素直に反応したリサに、ネルガレーテもユーマもつい微笑ましくも顔を綻ばせてしまう。リサって本当にアディのことが好きなのね、と同じ思いを抱いた2人が、無言で顔を見合わせた。
「その上、ここまで運んでくれたのもアディ。しかもお姫さま抱っこの役得付き」
可笑しそうに頷くユーマが、にやっと笑う。それを聞いたリサがたちまち耳まで真っ赤にして顔を伏せ、束の間沈黙したかと思うと、自分の寝姿を見ていきなり思い立ったように顔を上げた。
「あ、ひょっとして・・・!」
「──安心して。脱がせたのはユーマだから」
思わず胸を両腕で隠したリサに、ネルガレーテが両手を開いて、落ち着いて、と仕草した。
リサは自らもボディ・ブリーファー(一体下着)1枚で、バイタル・トリートメント(集中処置)ユニット寝かされていた事に、今気が付いた。着ていた筈の躑躅色のアクセントカラーが入ったフィジカル・ガーメントは、壁際のハンガーに掛かっていて、ブーツはその下に揃えて置いてあった。
「暫く休んで、まずは落ち着きなさいな」ネルガレーテが静かに微笑む。「やって貰わないといけない事は、これから先もずっと続くんだから」
「あ・・・」
話し掛けてくれる言い草から何となくは感付いてはいたが、ネルガレーテはこの先もちゃんと自分を任用する気でいてくれている。リサの裡で、改めて喜びが湧き上がる。
「誰だって最初はやらかす失敗よ。リサのはちょっと度が過ぎただけ」
「あたし、あのオフィサー(管制官)の怒鳴り声で焦って、そこからは、もう頭の中が真っ白になっちゃって・・・」
俯き加減のリサが、ぼやくように言った。
★Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・2/次Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・3
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト