Act.5 白寒(びゃくかん)の大地へ・1
「──やあ、セニョーラ・シュペールサンク」
画面の中のヌヴゥの、問い掛ける語調は柔らかだが、顔付きは少し険しかった。
トレモイユ支社のヴァリモ・ヌヴゥからの復信だった。
そのヌヴゥからの通信を受信してから30分も経たない間に、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)たちは改めてサンドラ・ベネスからの呼び出しを受けた。
復信自体は太陽系トレモイユにあるタキオン・インクライン・ゲート(虚時空閘門)を通じての虚時空通信であり、送信先に対するプロトコルに従って実際に受けたのは機艦アモンだ。ただ宛先は、“ケア(気付)”が付帯されたアールスフェポリット社・ラッセ・コーニッグ宛てだったので、ベアトリーチェは従前のネルガレーテからの言い付け通りに、アールスフェポリット社のステーションへそのまま自動中継した。
受信はドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)側の想定より、5時間は早かった。サンドラの要請を受け、機艦アモンからアールスフェポリット・コスモス社のトレモイユ支社へ送信してから、23時間と10分後だった。ガバナー(堡所長)・コーニッグからの通信を受けた支社のヌヴゥの方でも、対応にはそれなりに苦慮するに違いない、と高を括っていた。なので寝耳に水のようなサンドラからの呼び出しに、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)連中は、一様に愚痴や悪態、呪いの言葉を吐き散らす始末だった。
当初の見立てでは、もう少し、ゆっくり出来る時間がある筈、だった──。
サンドラから紹介された、低軌道ステーションにあるロジスティクス(糧輸)部門で、降下する際に借用する機材を見繕っていたアディとユーマが、アモンに戻ってから3時間後。
全員揃ってジィクの組んだ降下プランと現地活動プランをブリーフィングで精査し、問題点を洗い出して修正、後は実際にカヴァナント(合意契約)が結ばれてから再検討する事で一旦終了した。そこから全艦のメンテナンス(点検整備)・タイムを挟んで、再びビストロ・グリフィンウッドマックが開店した。
今度はリサが、メインディッシュに存分に腕を振るった。
オリーブ油を使ったコートレットに、合わせたドミグラスソースはバジルも効いて、とろりチーズまで和えてあり、頬張る皆は見事なソースに舌鼓を打つ。それにはネルガレーテが赤ワイン(葡萄酒)を合わせ、今回はユーマがレモン・スフレを用意した。アディはブロッコリーのペンネをサイドディッシュに、ジィクはサーモンとクリームチーズのアペタイザーを添えた。
何時になく明るい、2度目のクックサーブによるミール(食事)タイムを充分に堪能した後は、ステーションにあったスカッシュ・コートを借りて汗を流した。
スカッシュが上手いのは意外とネルガレーテで、ドロップショットにレット(妨害)ぎりぎりの位置取りで翻弄して来る。ユーマはサイドウォールを使うボーストショットが得意で、さすがのアディやジィクも見事に抜かれてしまう。
30分もすると、何処から聞き付けたのか分からないが、貧窮して余裕がない筈のアールスフェポリット社の連中が、わらわらと10人以上集い来ていた。宇宙の破落戸と呼ばれるドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)に対しての、怖いもの見たさだと思われた。
ただ面白かったのは、見に来た連中の反応だった。
特にネルガレーテとリサを目の当たりにして、皆一様に目を丸くして、間違いなくぽかんと口を開け放つ。まさか女性の、しかもこんなに魅力あるドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)が居るとは、想像だにしていなかった、と言う胸の奥が明白に透けて見える。
特に愉快なのは、ネルガレーテかリサがコートに立つと、皆揃って偏光硝子になったフロント・ウォール側に集まる事だった。コート内のプレイヤー側からはギャラリー(観客)は見えないが、外からはプレイヤーが正面になってよく見える。妍を競うようにプレイする、実に健康的で見目も麗しい、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)に釘付けになる。
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)連中は、ボディ・ブリーファー(一体下着)にロワートルソとブーツと言う出で立ちなので、ネルガレーテとリサのボディラインが露だった。胡桃色の肌に豊艶な胸を揺らすキュラソ人と、桜色の頬を染めて鮮やかな赤髪を踊らせるテラン(地球人)の2人に、男性連中からの好奇と不埒な視線が集まる。反対に女性連中から注目を浴びていたのは矢張りジィクだった。アディもそれなりに目を引いていたのだが、それに渋い顔をしていたのがリサで、自分へ浴びる鼻の下が伸びた目線より、アディへの黄色い声に神経を尖らせていた。
3時間ほどスカッシュを楽しんだドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)は、リサが少しご機嫌斜めのままアモンに戻るとシャワーを浴び、そのままスピーク・イージー(歓談所)で寛いだ。アディとジィクはプレイ・コート(遊戯室)でゲームに興じ、リサがユーマ相手にスカッシュでのギャラリー(観客)の事でぼやいていたものの、お酒も入って睡魔に襲われ出して我慢し切れず、5人の中で最初にキャビン(自室)のベッドに倒れ込んだ。ユーマも早々に切り上げて、キャビン(自室)に引き上げ仮眠を取った。
そのユーマが目を覚まし、起き掛けの1杯を点てようとメスエリア(会食所)へ足を踏み入れると、独りネルガレーテだけがスピーク・イージー(歓談所)で酩酊していた。あられもない痴態のデューク(頭領)に溜め息を吐きながら、ユーマが1人で優雅なティータイムを取っていた最中に、サンドラ・ベネスからの呼び出しを受けた。
キャビン(自室)に居たアディとリサはベアトリーチェが起こし、ネルガレーテはユーマが起こしたが、厄介だったのがジィクだった。何時の間にやら、艦内から居なくなっていたのだ。ベアトリーチェの報告で、アモンを下艦し統轄ステーションに入ったところまで判明したため、直ぐさま通信機で呼び出した。
さすがジィクと言うべきか、スカッシュをしているドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)を興味半分に見物しに来ていた女性職員1人と、抜け目なく良い仲になっていて、ぬけぬけとその職員のプライベート・ルームに、俗に言う“時化込んで”いたのだ。
斯してサンドラ・ベネスの呼び出しを受けて20分後、前回案内された統轄ステーションの会議室に、グリフィンウッドマック一同は再び案内され──ジィクだけは直接に、集合した。
実際には返信自体は、アールスフェポリット社より先にグリフィンウッドマック側が受信してたのだが、実はドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)側では誰も中身に目を通していない。
地表基地の怪異な事態については興味をそそられるし、サンドラ・ベネスからの強っての依頼でもあったが、経緯から言えば半ば成り行きで頼まれたものだ。無理して請け負わなければならない義務はないし、必要もない。アールスフェポリット社側からの返信で折り合わなければ、早々にウェイ・アンカー(抜錨)するだけだ。
まあ、そもそもネルガレーテにしてみても、先に盗み見してまで交渉自体を有利に進めよう、などと狡っ辛い事を端から考えていなかった。
なので支社からの返事の内容は、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)も知らない。
* * *
そのヌヴゥからの復信の視聴は、サンドラの操作で始まった。
会議室正面の大きなディスプレイ・スクリーンに、ゆったりとした一人掛けソファに体を沈めたヴァリモ・ヌヴゥが映っていた。
「貴女からの、ゴーダム生存者保護の一報は先立って受けました。それについては、後ほど改めて言及しますが、当社のコーニッグから起草された許諾申請についてです」
ヌヴゥのその言葉にドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)の視線が、テーブル向かい席に座るゴース人へ一斉に注がれる。
言わずと知れたサテライト・ガバナー(堡所長)、ラッセ・コーニッグだ。
「結論から言えば、セニョーラ・シュペールサンク、貴女がたグリフィンウッドマックには、下へ降りて頂きたい」
ヌヴゥのその言葉に、何故かコーニッグが肩を震わせ一層俯く。それに何処となく顔色も冴えない。何かに怯えているようでもあった。
「地表基地の異様とも言える事態については、頗る芳しくないと判断している。まずは基地内のミステリアスな状況に対する正確な現状報告と、生存しているなら、スタッフ27名の保護と帰還」硬い表情のヌヴゥは、声の調子も語調も硬かった。「──そしてプロジェクト遂行を阻害する要因、これが解明された上に排除可能な事象なら、その排除を依頼する。加えて申し上げるなら、この要請は私の専権事案として確かに処理している」
画面のヌヴゥはそこまで喋ると、ふぅと長い息を吐き出した。上半身しか映ってないが、ダブルの前合わせが腰丈で、どうやら後ろ丈が長いコート風の、濃紺ベルベット・ジャケットを着て、首元にはクラバット・タイを締めていた。
「──セニョーラ・シュペールサンクの見立て通り、目的がゴーダムを始めとして当社の補給路を悉く潰す事なら、それは多分ヒゴ・プロパティ・アンド・マテリアル社か、その息の掛かった連中と見て間違いないだろう」
忌々しそうに顔を渋らせる画面の中のヌヴゥに、横合いから一冊のファイルが手渡された。渡したのは、あの優男風のクリフ・カノだったが、ヌヴゥはファイルを開きもせず、こっちをじっと凝視したまま言葉を続けていた。
「未確認だった事もあって、セニョーラたちには言う必要はないと判断していたのだが、このヒゴ社が2、3年前からピュシス・プルシャ開発に乗り出し始めている、との噂に近い話だけは少し前に接していたのだが、まったく・・・」
前回と同じ席に座り、一様に画面の中のヌヴゥの話をじっと聞いていたドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)連中は、その画面に映るヌヴゥと同様に渋面を作った。
「事態は私の想定以上に、退っ引きならない状況だと考えている。前にも言った通り我々にとって、ピュシス・プルシャ開発と採鉱計画は最重要プロジェクトであるばかりでなく、詳しくは言えないが、一太陽系国家の命運が掛かっていると言っても過言ではない」ヌヴゥはシニカルな笑みを浮かべた。「──だと言うのに、そちらのコーニッグときたら・・・」
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)連中が一斉に、横目遣いではあったが、向かいのコーニッグを見る。下を向くコーニッグは苦々しそうに顔を顰め、左手で顔を覆うように2度3度と揉み込んだ。
「まあ、セニョーラなら気付いているとは思うが、どうもコーニッグは現状認識が甘すぎるようだ」
その言葉を聞いた途端、コーニッグの肩がびくっと震えた。壁際のコンソール(制御卓)に着いていたサンドラが、そんな上司に突き放したような冷たい視線を送っていた。
「コーニッグには、地表基地に必要な補給品と一緒に降下し、その責務に準じて下の様子をその目で直接見て報告するように、と言ってあります」
これにはさすがのドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)も一驚し、一斉に今度は顔ごとコーニッグを見遣った。、
ゴース人ガバナー(堡所長)は両肘をテーブルに付け、組んだ手に額を押し付けうな垂れていた。見ている限り、彼は一度も顔を上げていない。
「セニョーラが無事に届けてくれた補給物資、地表基地への補充品目は最優先で割り当てられるべきなのに、送ってきた報告ではその手配も済んでいない様子だ。全く、どういう判断回路をしているのか理解不能だよ」
ソファの左肘掛けで頬杖を突き、ヌヴゥは募らせた不信感を隠そうともせず、右肘掛けの上で中指をとんとんと弾いていた。
「コーニッグ部長、どうせ君の事だ、グリフィンウッドマックと一緒にこの通信を見ている事だろうから言っておく。如何なる状況であっても上手く処理して、プロジェクトを滞りなく遂行する事、それが君自身のビジネスの才覚と見なされる。そしてそれが、君への評価だ」
なかなかに手厳しい言葉だった。
ビジネスの上では当たり前なのだが、同情も、憐憫も、頌徳も、使嗾も要らない。コーニッグは、自らのパフォーマンス(能力)を問われているのであり、それを証明しなければならないところまで追い込まれているのは明白だった。彼個人宛の通達通信では、もっと辛辣な言い方をされたに違いないであろう事は、想像に難くない。
「──そうそう、セニョーラに救けて頂いたデルベッシ女史ですが、一緒に連れて降りて下さい」画面の中のヌヴゥは、明らさまに表情を緩めた。「態々、トト特務技官主査が選任し招聘した人物だ。今回の不可解な地表基地の状態に対して、我々の気付かない素因がデルベッシ女史によって、見出せるかも知れない。乗船する前にお会いした印象だと、彼女なら事情を話せば拒否しないと思いますよ」
ネルガレーテとユーマは、成程、と小さく首肯し、ジィクは厄介そうに首を振り、そしてアディとリサはお互いに顔を見合わせた。
「そして遅ればせながら改めて、ここで礼を言わせて頂こう、セニョーラ。確かに貴女がたでなかったら、デルベッシ女史も救けられなかった。大変感謝している。矢張り私の人選に間違いは無かったよ」
リサの奮迅の賜物だ、とリサに首を巡らせるアディに、リサは恥ずかしそうに小さく肩を窄めて見せた。
「それにこれは私の勘だが、デルベッシ女史が救かったのは我々にとって、大変僥倖な事のような気がする。彼女が、今回のミステリアスな状況を解き明かしてくれる、キィパーソンになるやも知れない」
そのヌヴゥの言葉に、グリフィンウッドマック一同が刺すような鋭い視線を感じる。勿論、視線の主はサンドラ・ベネスだった。
「言い忘れていた訳ではないが、最後にコントラクト・フィー(契約報酬)の件を──」ヌヴゥは困惑したような、それでいて愉快そうな表情を見せた。「セニョーラ・シュペールサンク、貴女の事だ、出された条件はブラフ(虚仮威し)を上乗せされていると拝察するが、有り体に言えば航行用キュール(反応原燃材)の無償提供とメンテナンス受託の確約、それにキャッシュで50億とは、些か私を揺さぶり過ぎだよ」
ここまで話して、シビアな事を言い始めるのかと思いきや、ヌヴゥはいきなり噴飯し、何かを振り払うように一頻り首を振った。
「それに貴女の事だ、コーニッグを私に相談させようと嗾けた時点で、値切られる事を前提に合意可能な妥当条件を腹積もりしておられる筈だ」ヌヴゥは可笑しくて仕方がないと言う風情で、含み笑いの表情に肩を微かに震わせていた。「しかもコーニッグが私に掛け合いもせず、ただ泣き付くだけ、と読んだ上で出した条件だ。そして私が結局、全ての条件を呑んで来るだろう、事もね」
読まれてるわね、とユーマがネルガレーテを振り向けば、ネルガレーテは降参するように無言でただ首を竦めた。
「航行消費財の無償提供とメンテナンス受託の確約、これは私の権限が行使しえる限りにおいては確約しよう。それに加えて、私が納得できるような調査内容なり結果を齎して貰えるなら、キャッシュで200億。勿論ガウスで、だよ」
思わずドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)5人が一斉に、ほう、と感嘆の声を上げた。
てっきり値切って来ると踏んでいた。それがどうだ。まさか条件丸呑みの上に大幅増額だ。
ネルガレーテは、参った、と言わんばかりに呆れたように激しく首を振り、ジィクは背もたれに身を放り出して溜め息を漏らす。ユーマは苦笑しながらジャミラ人の首関節可動域一杯に首を捻り、アディとリサは目を丸くして顔を見合わせた。
「──我々には、このプロジェクトを頓挫させる事は許されないし、ましてやピュシス・プルシャから撤退するという選択肢は有り得ない。まあ、この事業背景に興味がお有りなら、詳細はコーニッグからでも聞いて貰いたい」
画面の中のヌヴゥは特に気負うことも衒う事もなく、ただ淡々と言葉を連ねていた。若くしてアールスフェポリット・コスモス社の役員に名を連ね、社運の懸かったプロジェクトを任され推進するだけの事はある。
「話が長くなったが、私からは以上だよ、セニョーラ」ここでヌヴゥは組んだ足を解き、居住まいを正すと初めて笑顔を見せた。「後は実際に現地に居る、君たちグリフィンウッドマックに期待する」
ヌヴゥを見縊っていた。舐めていた、と言っても良かった。
だが見事にヌヴゥの方が、一枚上手だった。ジィクとアディが、湧き上がる自嘲的な含み笑いを懸命に噛み殺す。それにリサが、きょとんとした顔付きでじっと見遣る。ネルガレーテも、やられた、と苦笑し、ユーマは感心頻りに頷いていた。
「──コーニッグ部長も、君の手腕を遺憾なく発揮してくれたまえ」
それだけ言うと、ヌヴゥのビデオ(画像記録)は唐突に切れた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




