Act.4 酔いどれドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)・4
「それで、支社のヌヴゥ役員は納得されると?」
無意識に眉根を寄せたサンドラが、アディを横目に睨みながらネルガレーテに言った。
「そうでしょうね」
ネルガレーテはメモリディスクだけ掴み取ると、契約草案の電磁媒体ドキュメント(文書)の方は電源を入れるどころか表紙さえ開きもせず、そのままサンドラの方へ押し滑らせた。
「私の言った通りの要項とギャランティー(契約報酬)さえ入っていれば、後は何でも結構よ。加筆修正版を貰い次第、それを添付させて送信するわ」
「──それでは時間の無駄ね」ドキュメント(文書)を鞄に仕舞いながら、サンドラが平然と言った。「契約書式のプロトコルは任せますから、そちらで起草したものを添付して下さい。こちらへの写しは後でも結構です。何かあれば、支社の方から修正が入るでしょうから」
「そんな勝手な真似をして良いの?」
ユーマが少しばかり驚いたように言った。
「改竄した内容であっても、それでヌヴゥ役員の決裁が下りたのなら、コーニッグが後から知ったところで、自分ならもっと交渉して上手く纏める自信でも無いかぎり、どうにもならないでしょうし」サンドラは苦り切った顔付きで首を振った。「──それにこの条件でも、役員の裁可は下りる、と踏んでいるのでしょう?」
「鼎の軽重を見切るなんて、肝が据わっているわね」ネルガレーテが含みのある薄い笑いで応えた。「ま、ゴース人の彼だって、仕切れる自信があるなら、端から支社にお伺いなんか立てないでしょうし、ね」
「取り敢えずは、基地施設の配置地図と内部見取り図、それに地表基地近辺におけるここ半年の気象データを先にお渡ししておきます。プリントしてあるのは主要そうな内容のみで、ピュシス・プルシャ自体の概要も含めて、詳細は付属のディスク・メディアに収録してあります」
サンドラが置いた山積みのファイルに、ジィクが手を伸ばす。
「この期に及んでは、個人用耐寒装備を貸与して貰うのは必須だが、そっちがどんな道具立てをしているのか不明だし、何が使えそうかはこっちで判断したい」
ファイルをぱらぱらと捲るジィクに、サンドラが首肯した。
「それについては、地上基地への支援に直接携わっているロジスティクス(糧輸)部門を紹介します。支援機材や物資は全てそちらで管理していますので、問い合わせや実見は直接した方が確実でしょう。部門マネージャには話を通しておきますが、ロジスティクス(糧輸)は低軌道にあるもう一つの、採鉱支援ステーションにあります」
「なら、そっちへ直接行って、必要装備品を見繕ったほうが早そうだ」
「低軌道ステーションへは、アディとユーマが行って頂戴。その間ジィクは添付する契約文書草案を作成して。後はステーションに降りたアディたちと連携して、プランニングね。降下計画と救出計画、同時に装備計画を組み立てて」
ネルガレーテの言葉に、アディ、ユーマ、ジィクの3人が同時に無言で頷く。
「直ぐにでも行かれますか?」
「ええ。そちらさえ良ければ」
訊ねるサンドラに、ネルガレーテが頷く。
「分かりました」サンドラは鞄から通信端末を取り出した。「テレコム(連絡通信)を2本入れますので少し待って下さい」
サンドラは立ち上がると、部屋の隅へ歩き出しながら、通信端末から伸びるリード線に繋がった直径1センチ程の薄い円板状パッドを、自らの後ろ首筋に貼り付けた。
ジィクもそうだが、ペロリンガ人には特異な有機的機序が備わっている。
通称、メタ認知機序──正確にはクォンタム・バイオロジカル・コンバーティブル・メタコグニッション(量子変位有機的変換認知機序)と言って、自らの意識下でプロセッサ(情報演算処理機器)・マシンに直接アクセス出来るのだ。
ペロリンガ人は、耳の後ろ部分に軸索神経繊維が集中している部位があり、その皮膚表面は電導性の高い有機被膜になっていて、イオンに対して選択的透過性を持ち、ペロリンガ人固有の羊角視床下部にニューロン軸索結節している。この耳の後ろ部分の皮膚の上に、クォンティゼーション・オペレーティング・デバイス(量子制御接続器)に付属するレセプター・パッド(生体接触用受容器)を貼付して接続することで、量子変量が有機的に認知可能になり、脳内での識化変換が行われることで結果、意識だけでプロセッサ(情報演算処理機器)を操作できる。
今サンドラが直接アクセスしているのは単なる通信端末だが、据え置き型のプロセッサ(情報演算処理機器)やスタンドアローンの自律マシンが相手でも、アナログ・コンバージョン・インターフェイスを備えていればリンクできる。
アナログ・コンバージョン・インターフェイスは、元々は違うオペレーティング・システムで稼働しているガイノイド(人型機工器)を双方向に連絡させるために開発された、クォンティゼーション・オペレーティング用のインターフェイスで、ガイノイド(人型機工器)と据置型プロセッサ(情報演算処理機器)とのミューチュアル・マネージメント・リンク(相互管理連携)に用いられているものの応用だ。
「──んじゃ俺は、先に契約書の雛形を拵えて、ベアトリーチェに電文を送らせよう」
腰を上げたジィクが、通信しながら部屋の隅へ歩みを進めるサンドラの背を一瞥し、差し出すネルガレーテからメモリディスクを受け取ると、同じメスエリア(会食所)にあるブリーフィング・コート(情報策戦所)へと移動する。
「なら俺は、ちょっくらジャック・アショア(酔いどれ)を寝かせてくるわ」
リサの背に腕を回したアディが、よっこらしょ、と威勢を洩らし、三度お姫さま抱っこで抱え上げる。アディの剥き出た肩口の、逞しい上腕二頭筋がぐいっと隆起する。
「リサを寝かし付けたら、そのままフライト・ペイロード(航宙機材積載庫)へ回って頂戴。バルンガの発艦準備をさせておくから」
ネルガレーテが、アディの腕の中で口を半開きにして寝息を立てるリサに苦笑した。
「お休みのキスを忘れちゃだめよ」振り返ったユーマは、勿論茶化すのを忘れない。「あ、行ってきます、だっけ?」
うるへー、勝手に言ってろ、と照れ隠しに言い捨てるアディは、明白に顔を赤らめ、放り出してあったリサと自分のアームトルソを引っ掴むと、足早にメスエリア(会食所)を後にした。そんな2人を目の端で追いながら、苦々しそうに睥んでいたのがサンドラで、そのサンドラを素知らぬ振りの横目で見ていたのが、ユーマとネルガレーテだった。
「今、ロジスティクス(糧輸)部門のマネージャに、概略と用件を伝えておきました」通信を終えたサンドラが、通信端末を握り締めながら振り返った。「それとコーニッグから、低軌道の支援ステーションに下りるのなら、私も同道するように、と指示されました」
「何でも貴女にさせるボスね」
ユーマが皮肉っぽい言い方で、ペロリンガ人秘書を見上げる。
「立場的には、体の良い使い走りです」
サンドラは何でもない、と言う風情で小さく首を竦めた。
「そのままで?」
言葉少なに問うネルガレーテに、サンドラが無言で頷く。それを確認したユーマが、あらぬ方を見上げて声を張り上げた。
「ビーチェ、バルンガのチェックリスト(発進準備)を。アールスフェポリット社の低軌道ステーションへ移動するわ」
「バイ・オール・ミーンズ(了解しました)」
ベアトリーチェの無機質で可愛い声が、メスエリア(会食所)に降って来た。
* * *
「──目が覚めたか? スリーピング・ビューティ」
下った先のブリーフィング・コート(情報策戦所)から聞こえたのは、ジィクの声だった。
「あたし、寝落ちした・・・? ひょっとして」
少しばかり寝乱れた赤髪のバングス(前髪)を掻き上げ、リサは大きな欠伸を噛み殺しながら、ブリーフィング・コート(情報策戦所)への段を下る。
「あと少なくとも5、6時間は帰ってないわよ、貴女の王子様は」
ノースリーブ剥き出しの上腕をもみもみ擦り、まだ寝惚け眼の危なっかしい足取りで下りてくるリサを、ネルガレーテが可笑しそうに振り向いた。ネルガレーテは相変わらず、胡桃色の素足にバルガ・モカシンを履いていた。
「アディ?」
瑞々躍々(ずいずいやくやく)としたヒップラインを描く、アイスシルバー(白銀)のロワートルソの上から、つんと突き出た可愛いお尻をモニョモニョと一掻きしたリサが、首を巡らせる。
ジィクとネルガレーテは右舷側、壁に大小数個のディスプレイ・スクリーンがびっしり嵌め込まれた、コンソール(制御卓)に向かっていた。
最初にリサが紹介された場所でもあるブリーフィング・コート(情報策戦所)は、文字通りレギオ(編団)として打ち合わせや事前説明に用いるコート(詰め所)だ。左舷側は、テーブルがコの字形に組まれたミーティング・スペースになっていて、リサが紹介された折りにアディが尻を乗せていたテーブルだ。通り抜けスペースを挟んで右舷側、ジィクとネルガレーテが居る所がプロセッサ(情報演算処理機器)端末のあるワークデスク・スペースで、航路などを算出するための3次元投影ディスプレイを備えた端末ブースも併置されてある。
ジィクはディスプレイと睨めっこしながら頻りにキィボードを扣き、その横に立つネルガレーテが覗き込むように腰を屈めていた。
「そう。今、アールスフェポリット社の、低軌道ステーションに行ってるのよ。ミッション(行動計画)の遂行に必要な機材を、ユーマと一緒に見繕いに行ってるわ」
「えーッ? 何それ。あたし、置いてけ堀?」
不満あり気に口を尖らせるリサが、蟀谷を掻いた。
「頭はすっきりした? 酔い気は抜けた?」
「だァァァァァい・・・りょうぶぅ・・・うぅぅぅ」リサが再び、涙目で欠伸を嚥み込む。「寝てたのって、30分くらい? 気持ち悪くなって、アディが助けてくれたところまでは覚えているんだけど、その先がどうも記憶に無くて・・・」
「そうねぇ、かれこれ1時間半くらいかしら」ネルガレーテが可笑しそうに肩を窄めて見せた。「それに、またアディが姫抱っこしてたから、夢見心地だったでしょ」
「えっ? 1時間半も・・・!」リサがばつ悪そうに下唇を突き出した。「参ったなあ・・・」
「──ネルガレーテ、こんな感じでどうだ?」背凭れに寄り掛かったジィクが振り返る。「くどくど中身を記す気はないんだろ?」
「ま、伊達面ヌヴゥの事だから、どこかしら値切ってくるか、もしくは修正して来るでしょうけど」
ネルガレーテがディスプレイに浮かぶ文字面をスクロールさせながら、ふむふむと目通しする。
「それで、あたし・・・その・・・」2人の後ろから、リサが消え入りそうな声を上げた。「──吐いた・・・?」
ネルガレーテとジィクが振り向くのが同時だった。2人とも無言で、ただ一度、大きく頷く。
「嘘ッ! うそッ! うそーッ!」リサの顔が忽ち真っ赤になった。「アディの前で醜態曝しちゃたのッ? あーもう最悪! ゲロ吐き女って軽蔑されるんだわ・・・!」
「何とも思ってないんじゃない? 背中擦って代謝剤まで飲ませてたから」
この期に及んで何を取り乱してるの? とばかりに、ネルガレーテが呆れ顔を見せる。
「きっと愛想を尽かされてるわ! 馬鹿な飲み方する節操のない女性だって!」すっかり周章狼狽のリサは、早口に畳み掛ける。「ネルガレーテみたいに、涎垂らして寝てる方が、まだ可愛げあるよね?」
「リサって顔に似合わず、ナチュラルに喧嘩を売って来るわね」
1人おろおろするリサに、ネルガレーテは口をヘの字に曲げた。
「あー、涎は垂らしてなかったが、口は半開きでしょっちゅうムニャムニャ寝言言ってたな、アディに凭れ掛かって寝てる時」
そしてジィクが当然のように、意地悪な持って回った突っ込みを入れる。
「嘘・・・!」勿論リサが、気にしない筈はない。「何々? 何言ってた? あたし」
「アディ、あたしを早くものにして、とか、あたし沢山腰振っちゃう、とか何とか」
「・・・・・・!」
ジィクの揶揄に、リサが素直に絶句する。
「──嘘よ」苦笑交じりに、ネルガレーテが首を振る。「大人しく寝てたわよ、最後はアディの膝枕で」
「げッ・・・!」唖然としたリサが、今度は泣き出しそうな顔をした。「──けどそれ、皆見てたのよね・・・?」
「良いんじゃない? 男に膝枕させるって、良い趣味してるわよ」
「うへぇぇ。何が良いのよ、醜態痴態晒しちゃった間抜けな女なのに・・・!」
泣面を掻きそうなリサに、ネルガレーテは黙ったまま柿色の瞳で優しげに一笑すると、声を張り上げて指示を出した。
「──ベアトリーチェ、虚時空通信の準備は出来てるわね?」
「大丈夫です。いつでも送信できます」
何時もの通り、可愛らしいベアトリーチェの乾いた声が降って来る。
「んじゃあ、今こっちでジィクが纏めた契約書の草案、さっき渡したビデオ(画像記録)の添付データとして、送信して頂戴」そしてネルガレーテがジィクの肩を扣く。「それからジィクは、サンドラに渡す草案の写しをプリントしておいて」
「アファマーティヴ(了解)。送信先を最終確認します。天秤座宙域、太陽系トレモイユ、アールスフェボリット・コスモス、トレモイユ支社、ヴァリモ・ヌヴゥ宛て」
ベアトリーチェの声に耳を澄ませていたリサが、表情を変えてネルガレーテを振り向く。
「──契約書って、音信不通になった開発基地の話? 纏まったの?」
「リサが夢路を辿っていた間に」ネルガレーテが肩を窄める。「覚えてない? サンドラが来たの」
「あー、何かうっすらと記憶の片隅に・・・」てへへ、とリサが照れ隠す。「それで、ネルガレーテの思惑通りに嵌まったの?」
ネルガレーテがにっこり笑いながら、無言で頷く。
「矢っ張り下に降りるのね」
リサが心なしか気を引き締めた。
「そうなるわ。けど、そのための耐寒装備を持ち合わせていないから、アールスフェポリット社から借り受けるのよ」
「矢っ張り、寒い?」
「ああ、ボロックス(金玉)も縮み上がって、豆粒になっちまう位だ」
一蓮の操作を終えて椅子ごと振り向き、大仰に首を竦めて見せるジィクに、リサが至極真面目な顔付きで言った。
「毛糸のブルマ、備品で置いてあるかしら?」
ピュシス・プルシャ──セザンヌ太陽系第7惑星。直径1万500キロ、自転周期38時間。ネーム・スター(主星)セザンヌに対して、軌道長半径28億7000万キロ、軌道短半径15億2000万キロ、円周距離約144億キロの楕円の公転軌道を描く。近日点距離は3億1000万キロで、公転周期は約47年。公転速度は平均時速3万5000キロ、近日点では時速10万5000キロ、遠日点では時速1万1700キロと約10倍の差がある。
平均重力は0.98アースガル、大気成分と分圧は炭素系生命体が活動可能な許容範囲内で、地表の平均気圧は平均880ヘクト。
このピュシス・プルシャで最大の特徴が、赤道傾斜角79度と言う自転軸だ。
自転軸が公転面に対して大きく横倒しなので、近日点と遠日点では主星に面する半球がほぼ逆転する。その意味では地球上の概念にあたる、陽が昇って陽が沈む一日が公転軌道を周回することで発生するので、一日は地球時間でいう80年周期。逆に1自転する間に太陽高度が変化するので、地球感覚で言う季節が1惑星日の38時間ごとに一周する。
この公転軌道により、ピュシス・プルシャの主星からの受熱量は大きく変動する。近日点での全球平均表面温度は零下45度、遠日点では零下180度まで下がる。この極端な環境変化は、惑星表面上におけるヒューマノイピクス(人間)の活動を大きく制限する。
非気密性の一般的な防寒レイヤー・ウエアで活動できるのは、公転軌道上の近日点近辺にあって、主星側を向く時期の北半球に限られ、しかも近日点付近では公転速度が上がるため、活動可能期間は実質2年数箇月ほどしかない。これはピュシス・プルシャ公転軌道円周距離の8パーセントほどにしか相当しない。遠日点近辺は言うに及ばず、残りの70年以上が全球ほぼ氷に閉ざされ、その環境下においては、宙空間作業時に着用するハビタブル・オーバーオール(気密与圧服)でなければ、人間の活動を許さない。ピュシス・プルシャはヒューマノイピクス(人間)にとって、植民移住に適したエンヴァイロメント(環境)とはとても言えない惑星だ。
環境も然る事ながら、発見された鉱脈の位置から、アールスフェボリット・コスモス社の地表開発基地は、北半球側の磁極の磁軸上に設けられている。
「ピュシス・プルシャは近日点を通過した直後だから、開発基地のある北半球は太陽は沈まない季節だ」
ジィクがコンソール(制御卓)を操作すると、頭上の大型ディスプレイにセザンヌ太陽系内の惑星公転軌道図が映り込む。そこからピュシス・プルシャの公転軌道へ移動し、現在のピュシス・プルシャの位置が点灯する。いずれもサンドラが渡してくれた資料に入っていたデータだ。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




