Act.4 酔いどれドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)・2
「何だか面白そうじゃない?」ネルガレーテはジャックダニエルの瓶を左小脇に挟むと、氷の入ったグラスを片手に2個ずつ掴みながら、カウンターの方へ歩み寄る。「何があったかは知らないけれど、20人以上が一斉に居なくなるなんて」
ギャレー(厨房)の中では、3人が片付けを一通り終わらせていた。
「──実は、すっごく変な伝染病が蔓延してるんじゃないの?」
「大丈夫だろ、ジィクはまだ下に降りてないし」
ハンドドライヤーで手を乾かしているリサが、エプロンを脱いでギャレー(厨房)を後にするアディに声を掛ける。
「こらこらこら」ジィクは一足早く、カウンター真ん中のスツールに腰を落ち着けた。「俺は健全にレディを愛せる清い体だ」
「そうよね、さっき聞いた話でも、下の人が鼻が捻折た、なんて言ってなかったものね」
「だから、俺は──」
「思考する下半身」
「どこでも女探知センサー下半身」
リサの言葉に、抗弁しかけたジィクの声を、ネルガレーテの声がぴしゃりと遮る。さらにユーマが、追い討ちの言葉を投げた。振り返るジィクの前に、ネルガレーテがジャックダニエルのグラスを3つ置く。ユーマは既にスピーク・イージー(歓談所)に陣取って、ティーサーバーからカップに気取った風情でオレンジペコ茶を注いでいた。
機艦アモンのメスエリア(会食所)にあるスピーク・イージー(歓談所)は、壁際からギャレー(厨房)向かって半径2メートル程の半円に掘り込まれている。右舷の内壁側に円弧を描いて掘り込まれた半円形の縁の部分が、階段状になったステップ・ベンチ(段座)で、半円形の床の中央にはフロア・テーブルが置かれている。
「ちょっと違うぞ。フォクシー(イケてる女)専用エクスタシー下半身だ」
ジィクはニヤッとすると、グラスの1つを掴み取る。その横から手を伸ばしたアディがグラス2つを引き寄せると、1つをリサに手渡した。アディがジィクの横でカウンターを背に凭れ掛かると、リサはアディの隣のスツールに座った。
「それじゃ、フォクシー(イケてる)・グリフィン・ワイルド・マドモアゼル(赤毛のお転婆お嬢さん)と、スキャンダル(罰当たり)な下半身に、乾杯──」
ジィクから1席空けて座ったネルガレーテが、軽くグラスを掲げる。
リサに向かって、アディとジィクは乾杯のグラスを突き出し、ユーマがカップをそっと持ち上げる。リサが気恥ずかしそうに小さく肩を窄め、嬉しそうに微笑む。
「──ねえ、ネルガレーテ、ちょっと聞いて良い?」
リサは左手をグラスの底に添えながら、一口傾けて言った。ネルガレーテが、どうぞ、と無言で首を竦め返した。
「サンドラの事を、渡りに船って言ってたけど、あれ、どういう意味?」
「此処のガバナー(堡所長)との遣り取り聞いていたでしょ?」ネルガレーテは早くも1杯目を飲み干した。「アンダーテイキング(仕事)を、良い形で発注させるために、もう一押し必要だと思ってたんだけど、その役目をあのペロリンガ秘書がやってくれそうなのよ」
「あのゴース人ガバナー(堡所長)、ギャランティー(契約報酬)が高いので、アサイメント(仕事)を提示するのを、土壇場で渋ったのは判ったけど・・・」
「ああ、あれはネルガレーテ独特のブラフ(引っ掛け)だよ」
「?」
アディの言葉に、リサが自然と小首を傾げる。赤い髪が小さく揺れ、リサの素直さがそのまま表れる、こう言う仕草はとても愛らしい。
「ネルガレーテは、奴に1回渋らせて、トレモイユ支社で会ったあの役員に相談させてから、請け負う形にしたかったのさ」
今度はジィクが、ひょいと口を挟む。
「それが、良い形での発注、って事になるの・・・?」
2口目を傾けたリサのグラスで、氷の軽やかな音が鳴る。
「リサも何となく感付いていたとは思うけど、彼、秘書曰くの“慎重過ぎる”ガバナー(堡所長)は、どうも信用に足りないのよね」そしてユーマが、見限ったような口振りで言った。「確かに、現場の長なんだけど」
「彼との単独での与信請負じゃあ、今いち不安なのよ」ネルガレーテは何時の間にか、2杯目を煽っていた。「踏み倒して来るとは思わないけど、このピュシス・プルシャ開発計画が失敗、もしくはリスクが過ぎると上から判断されたら、現場のコーニッグが失脚するのは必然。あの人となりじゃあ、社内で再度伸し上がって来るのって難しそうだし、そのとばっちりでアンダーテイキング(仕事)のコントラクト・フィー(契約報酬)の回収が焦げ付いちゃったら、それこそ良い迷惑だからね」
「骨折り損の草臥れ儲けになりかねない、って事だ」
「あ、それで・・・!」
肩を窄めるアディにリサが大きく頷くと、アディはさらに言葉を継いだ。
「今、請け負おうとしているオプス(仕事)への与信の補強に、トレモイユ支社のヌヴゥを何とか咬ませようと、コーニッグを追い込んでいたのが、奴とネルガレーテの先の遣り取りさ」
「ヌヴゥの方がコーニッグより遥かに辣腕家で、信用に足る人物と見込んだのよ」
ユーマが再び、今度は木で鼻を括ったような言い方をした。リサはすっかり得心が行ったように頷くと、3口目を今度は少し大きく煽った。
「ところが、そこへ追い込む役目を、さっきのサンドラって秘書が自ら買って出てくれたんで、ネルガレーテの方から次の罠を仕掛ける手間が省けたんだよ」
ジィクはボトルに手を伸ばすと、ちょうど飲み干したアディのグラスに酒を注ぎ、それから自分のグラスを満たした。
「あー、それで渡りに船なのね」リサは再び頷くと、今度はちょびっとグラスを傾けた。「でも、あのゴース人ガバナー(堡所長)に高過ぎるって断られたらどうするの?」
「心配ないわ」ネルガレーテが愉快そうに、ニッと歯を見せた。「そこはサンドラが、巧くコーニッグの背中を押してくれる筈。その意味では、彼女、こっちの役に立ってくれるわ」
「何せ、バストが84だからな」
「何でバストのサイズで判るの? まあ、あたしよりはちっちゃそうだけど」
リサが咄嗟に、何故かアディを顧みる。菖蒲色の視線に、アディが思わずどきっとした。
「いや、その反応ね」ユーマがアディの反応に、噴飯しかけた。「見た目以上に機を見るに長けた行動派よ、彼女」
「あの質問って、サンドラの人となりを計るために、態と・・・?」
感嘆禁じ得ないリサに、まあ、そんなところだ、とジィクが無言で肩を窄めた。
「サンドラに丸め込まれたコーニッグが、ヌヴゥにどう報告するかは知らないけれど、この事業の重要性を鑑みたら、ヌヴゥだって一刻も早く下の状況を把握したいでしょうね。だけど私たちをキャンセルして、今から別のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)を改めて雇い、ギャラ交渉して、ここまで派遣させる時間的余裕があるとは思えない──経営役員会も近いし、あの伊達面役員なら、そう判断するでしょうね」
ネルガレーテはグラスを大きく傾け、2杯目を空けた。
「役員会?」アディも2杯目を飲み干した。「よく、そんな情報を持っていたな」
「情報源はユーマ」ネルガレーテは大袈裟に首を竦めて見せてから、ユーマを見遣った。「請け負うちょっと前に、軽く調べてもらったのよ、あの企業」
「ジャミラのインターメンタリティ・ネットワークか」
アディのその言葉に、ユーマは黙って軽く口角を上げて応じた。
「やっぱり出たか、ジャミラ人の“噂の奥様真相ニュース”」
くくくと肩を震わせ飲み干すジィクに、今度はアディが酒を注ぐ。
「その教養のない言い方止めなさいよ、エロ・ペロリンガ」
ふん、と歯牙にも掛けない風情で、ユーマが優雅に茶を啜る。
インターメンタリティ・ネットワーク──正確にはインターメンタリティ・パンクオリア(種族連紮汎現象的意識)・ネットワークと言う。
ジャミラ人特有の、ジャミラ人だけが共有できる、一種の種族内共有記憶情報だ。
主観客観を問わずジャミラ人が咀嚼した情報が選択的、自動的に蓄積され、かつジャミラ人ならネットワーク内を自由に捜索できる。その機序は解明されておらず、蓄積される基準や量もはっきりしいない。隠された真実からゴシップ・ニュース、世俗的噂話まで、渾沌の極みにある情報の底なし坩堝とも言える。極めて形而上的であるため、形而下的な光速などの物理法則に基づく機序では、その蓄積や共有のメカニズム(機序)を解明できていない。
「んでもってヌヴゥとしても、選択の余地が無いにしろ条件そのまま鵜呑みじゃあ面子が立たなくて悔しいから、コーニッグに多少値切らせて来るが、結局俺たちに頼まざるを得ない」
態とらしく知った顔して、ジィクが大仰に頷く。
「そこまで読んで・・・?」にかっと笑うと、リサがちょびりと5口目を付ける。「悪徳ォーい」
リサの桜色の頬が、微かに赤みを増したように見えた。
「ま、ヌヴゥにしたら、50を30にぐらいに負けろ、って所が精々でしょ」
ネルガレーテの3杯目のグラスで、氷が軽やかな音を立てる。
「けど矢っ張り、クリーム(報酬)の基本は現金じゃないんだ、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)って」
そう言うと、リサは6口目でやっとこさ1杯目を空にした。
「リサ、クリーム(報酬)って言葉、何で知ってる?」
アディがリサにボトルを振って、まだ飲むか? と尋ねる。
「ネルガレーテ」そう答えながら、リサが小さく頷く。「アルケラオスでの別れ際に。あの時は、トッポい言葉だから使うな、って言われたけど」
リサのグラスに気持ち少なめにジャックダニエルを注ぎながら、アディが下唇を突き出してネルガレーテを見ると、ネルガレーテは素知らぬ振りしてグラスを傾けた。
アールスフェボリット・コスモス社のグループ企業からの燃料の無料提供と、子会社から年1回の艦船への無償メンテナンス提供──これが今回のグリフィンウッドマックとしての要求したコントラクト・フィー(契約報酬)だ。勿論グリフィンウッドマックとして、請け負い報酬による他企業との様々な契約や約款を得ているので、補給にしてもメンテナンスにしてもアールスフェポリット1社に頼り切る訳ではないが、この手の内容が現金受託を基本としないドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)本来の要求だ。
但し──。
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)との契約を破ったり、勝手に反故にしたりすると、強烈な竹篦返しを食らう羽目になる。実際、過去にドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)との契約を軽んじたり反故にして、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)からの暴力的な遺恨晴らしに遭い、保有施設や資産が軒並み壊滅的な被害を被って、結果的に組織的生命を絶たれた企業は、直近100年間においても枚挙に暇が無い。
相手が国家でも、ドラグゥン・エトランジェ(傭われ宇宙艦乗り)は容赦しない。
アイドル・ディメンション(虚時空)ドライブを駆使し、その機艦で縦横無尽に宇宙を渡る歴戦のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)相手に、仮え宇宙軍を保持していたとしても、宇宙を庭のように扱う彼らには到底敵わない。
嘗て、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)の複数レギオ(編団)との契約を踏み倒して反故にした、傍若無人な国があった。普段は身勝手極まりなく、滅多に徒党を組まないドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)だが、この時ばかりは違った。
どれだけのドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)・レギオ(編団)が加わったか不明だが、徒党を組んだドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)連中の報復を受け、結果的に国家太陽系自体が宇宙の経済的交易疎外地と化し、当時の政体が瓦解した事で内戦状態に陥った。たった10日の間にその宇宙軍の主力半分以上を損耗させ、外洋に出るためのオンレーン・ブイ(航路浮標)やトランスポンダ(航行自動識別)など、航路システムが悉く潰され、しかもタキオン・インクライン・ゲート(虚時空閘門)まで木っ端微塵にされてしまい、70年近く経った今でも内戦状態が続いていて、宇宙艦船が自太陽系外に出ることすら儘ならい。
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)を利用するだけ利用しておいて、最後は国家権力による犯罪者扱いで最後は殲滅させてしまった身勝手極まる太陽系国家もあったが、この国は現在国家として存在していない。突如、プライマリ・アース(首星)の地磁気が乱れ、その影響で環状荷電粒子帯の保持エネルギーが緩み、有害宇宙線が惑星地表に止めようもなく降り注ぎ始めたのだ。乱れた地磁気は今も戻っておらず、大気圏高層では電磁嵐が吹き荒れオーロラが乱れ降り、いかなる有機生命も存続不可能な死の惑星と化してしまったのだ。これもレギオ(編団)たった2団で、惑星自体の地磁気を一時的に変動させた、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)からの報復の結果だと言われている。
「まあ、クロスボーダー・カレンシー(流通貨幣)って、とどのつまり単なる交換媒体で、それ自体に価値がないからね」
ユーマは足を組み替えると、ほうと溜め息を漏らした。
「とってもユニークな価値観。惑星の上に住んでると、どうしてもお金に目が行っちゃうのに」清佳な頬を染め、リサが2杯目に口を付ける。「ううん、そんな価値観だから、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)をやれるのかな?」
「そうそう。男はすぐ女性の顔や胸に目が行くが、本当の女性のチャーミングさは、後ろ姿と脚線美だ」
「うむ。それは同意しよう」
ジィクの混ぜ返しに、アディが素直に頷く。それを聞いたリサが、ふむ、と首を捻ってスツールに座る自らの腰下に視線を落とした。
「大丈夫よ、リサ」ユーマが可笑しそうに言った。「貴女の脚線美は、アディのハートをがっちり掴んでるから」
「きゃは・・・!」
リサが耳まで真っ赤にしたのは、酒に酔っただけではなかった。
「大体、実力のある生意気な伊達面って、ネルガレーテの好みだものね。あのヌヴゥを巻き込もうと考え付いたのだって、半分は個人的嗜好でしょ?」
「なんか無性に苛めたくならない? 縄で縛ってスパンク・ティーズ(射精管理)して、イく寸前まで追い込んでやるの。生足でぐいぐい踏み付けて」
何食わぬ顔付きで、ネルガレーテが3杯目を空にした。
「ほら見ろ、案の定、伊達面を罠に嵌める、見事に狡猾なヴァンプ(毒婦)だ」
ジィクは、くははは、と笑いながらグラスをアディに掲げた。
「──スパンク・ティーズって、何?」
小さな噫気を押し殺し、リサが無邪気にジィクに小首を傾げて見せた。
「おお、貞淑たる天使。汝の名はリサ」ジィクが酷く真面目な顔付きで、口だけをヘの字に曲げる。「誰の言葉にも耳を貸すな。口は誰のためにも開くのだ」
「ジィクの意地悪」リサは小さく舌を出したと思ったら、ぐいっとグラスを煽り咽喉を鳴らす。「良いわよ、後でビーチェに訊ねるから」
「と言う事は、狙っていた落とし所は、最後にサンドラに提示した条件、だな?」
感心に少しばかりの一驚を混ぜた表情で、アディが上目遣いにネルガレーテを端倪した。
「そ。足元見ながらたっぷり恩に着せて、ちゃんと顔が立つようにお膳立てしてやるのよ。それなら文句はないでしょ」
「あの食えなさそうな秘書まで唆されて、揚げ句に片棒を担がされるんだ。ネルガレーテに掛かったら、どいつもこいつも鵜飼いの鵜だな」
「このデッド・ドランカー(呑んだくれ)のカティ・サーク(毒婦)、交渉にかけちゃあ悪知恵働くからな・・・」
呆れたようにジィクがグラスを飲み干すと、アディもリサを見遣りながら3杯目を空ける。
「うん」頷きながらグラスを傾けるリサは、少し呂律が怪しくなっていた。「けろ、とってもワクワクする! あたひ、狡猾って言葉、嫌いじゃない!」
「まあ、ヴァンプ(毒婦)は狡猾、と相場は決まってる」ジィクが肩を窄めて見せた。「所詮、騙される奴が阿呆なのさ」
「カティ・サーク(毒婦)って・・・ヒック・・・何回も聞いてると、なんだか・・・天のひゃくな褒め言葉にぃ・・・聞こえて来ない・・・?」
「貴女まで、カティ・サーク(毒婦)って言わないの」
渋い顔を見せるネルガレーテに、リサがアディを振り返り、にへらと笑った。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




