Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・1
「タワー(管制塔)のクリアランス(離陸許可)を確認」
プロキシー(操艦副担当)ユニットから、アディが声を上げた。
「それじゃあリサ、離陸よ」
いつになく柔らかなネルガレーテの声が、ヘッドセットのインカム(艦内通話機)に響く。
「──離陸シークエンス、開始します」
それに反して、リサの声は途轍も無く硬かった。
惑星宙港からの離陸に過ぎない通常シークエンスだと言うのに、機艦アモンのブリッジ(艦橋)全体が、味わったことのない緊張に包まれていた。
席に着くドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)全員の視線が、ドライブ・スティック(操艦桿)を握るリサが収まっているパイロット(操艦担当)ユニットに集まる。
リサの左手が、コンソール(制御卓)のグラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)のボリューム・レバーを静かに押し込む。艦内に微かな浮揚感が漂い、リサの操るグリフィンウッドマックの機艦アモンが、天秤座宙域にある太陽系トレモイユの首星ホフラン、エドガール宇宙港のエプロン(駐機場)から離昇し始めた。
全長225メートル、ブレンディッド・ハル(翼胴連滑艦殻)のアモンは、全体の艦容がハーフコーン(半円錐)シルエットをしている。艦首部が喉袋を膨らませたペリカンの頭部のような形状をしており、エボニーブラック(黒檀色)の艦体全面には、シャンパンゴールド(亜麻色)のアクセント・ラインが入っている。
「アクシオン・アナイアレート(対粒子転換)エンジンのライブ(負荷稼動)・ステータスへの移行を確認、パワー・キャップを開放、通常空間航行モードへのチェックリスト(起動後確認)」
エンジニア(機関動力担当)ユニットからユーマが、横目にリサを見る。
「高度100メートルを通過、25番デパーチャ・ルート(離陸経路)にオンレーン、大気圏電波索探警戒システム起動」
ナビゲーター(航法担当)ユニットのジィクも、どことなく気遣う口調だった。
グリフィンウッドマックの機艦アモンのブリッジ(艦橋)は然程に大きくない。
中央を上下に走るインクライン・ビーム(斜行梁)を中心に、独立コックピット(操縦席)型のユニットが5つ、賽子のシンク(5の目)状に立体的に配置されてある。いずれも肩口までコンソール(制御卓)が取り囲む、卵の殻のようなシェル形状のユニット構造になっている。
最前列の左舷側がメインパイロット(操艦担当)席、ビーム上のラッタル(梁梯子)を挟んで右舷側がプロキシー(操艦副担当)席だ。その後方、中央にあるインクライン・ビーム(斜行梁)に設けられたユニットがキャプテン・シートで、本来はネルガレーテが着くのだが、今回に限ってネルガレーテは、リサに付き添うようにユニット脇のラッタル(梁梯子)に立っている。そして3列目、斜行ビームのいちばん高い位置に、キャプテン・ユニットを挟む形で、左右、外壁向きに設置されたユニットの、左舷側がナビゲーター(航法担当)席で右舷側がエンジニア(機関動力担当)席だ。
ブリッジ(艦橋)に共有の床面はなく、コンソール(制御卓)ユニット周囲にはスキャフォルディング(足場通路)が付随する。ブリッジ(艦橋)内壁は球面で、360度全方位ヴィジュアライズド・スクリーンになっており、外の風景をそのまま映し出す。ブリッジ(艦橋)前方には、申し訳程度のフロント・ウィンドウがあり、必要に応じて防護シャッターが降りる。ブリッジ(艦橋)自体は耐衝撃鋼材の独立した球状構造なので、残存性が極めて高い。
「ベアトリーチェ、問題はないわね?」
「はい」ネルガレーテの問いに、可愛らしいが抑揚のない少し無機質な声が上がる。「グラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)の作動に異状を認めません。アクシオン・アナイアレート(対粒子転換)エンジンの推力上昇中。大気圏外への艦内環境のキャリブレーション(基準修正)実行、火器管制パラメータは大気圏内データ適用中です」
ブリッジ(艦橋)の最前部、半円形に一段下がった中央に、どう見ても10歳前後のテラン(地球人)と思しき小さな女の子が1人、シートに座っている。瑠璃色の瞳に白磁色の肌、スキンヘッドも可愛らしく、ヘルメットこそ着けていないが一世代前の気密服ようなスーツ姿で、あれこれと手を動かすわけでもなく、ただじっと正面を見詰めている。
ベアトリーチェと呼ばれたクルー(乗艦員)は、生物学的カルボノ・キウィリズド・サピエンス(炭素系高度文明類人種)、俗に言うヒューマノイピクス(人間)ではない。機艦アモンを統括監理制御しているエグゼクティブ・オペレーティング・システムとのインターフェイス・デバイスで、システムの動き回るアバターだ。
勿論ベアトリーチェ自体は非生命体で、解剖学的な心臓や胃などの内臓器官や生物的脳髄組織を有している訳ではないが、ガイノイド(人型機工器)と違って代謝機能を持った皮膚に覆われ、運動器官が人工培養の生物的組織で構成されたオーガノイド(被生擬人義工体)だ。
「ギア・アップ(降着脚格納)、メインエンジン出力アップ」
リサは落ち着きなく手先を動かし、忙しなく計器に視線を走らせてはいるものの、操艦の手筈が後手に回っている。全てがおっかなびっくり、薄氷を踏むような感じなので、アモンの上昇率と上昇速度が、共にタワー(管制塔)の指示から算出される数値に追い付いていない。
機艦アモンは、重力大気圏内飛航に2種類のエンジンを同時に用いる。
1つはグラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)で、惑星重力圏においてグラヴィトン交換を阻害する場を形成することで揚力を得る。これによりアモンは垂直離陸が可能で、テイクオフ・ランやタキシングが不要なのでランディング・ギア(着陸脚)もホィール(装輪)式ではなくスキッド(橇)型だ。
但しこのグラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)はスラスター(推進器)ではないので、大気圏内を含む通常空間推進用にアクシオン・アナイアレート(対粒子転換)推進エンジンを艤装している。
ただこの両エンジンの出力バランスが意外と難しい。
グラヴィティ・ハイドランス(重力阻害)機構は重力場でしか作用しないシステムで、一般的な有翼航空機材と違って主翼による流体力学的な揚力を利用している訳ではないので、スタティックスタビリティ(静安定性)が非常に低い。通常宙空間用推進主機であるアナイアレート(対粒子転換)エンジンの推力で生じる大気抗力に対し、グラヴィティ・ハイドランス(重力阻害)の出力バランスを上手く取らないと、失速は起きないものの容易にピッチロールして艦体が傾転する。
「リサ、そう焦らなくても──」
心配そうに横目でリサを垣間見るアディが、気遣うように声を上げた矢先。
「早く行けッてんだよ・・・!」
突然、噛み付くような宙港オフィサー(管制官)の怒鳴り声が、インカム(艦内通話機)に入った。
「後ろが閊えているんだぞッ! スキャンプ(ならず者)ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)!」
その途端だった。極度に緊張していたリサが、強烈な怒鳴り声に脊髄反射的に反応した。ビクンとなったリサの右足が、咄嗟にブースト・ペダルを思い切り踏み込んでしまった。
グンッ、と一瞬潰されるような慣性モーメントが掛かり、艦首が上を向いて身体が後ろに圧し付けられる。
「リサ・・・ッ!」
大きな加速ガルではなかったが、不意を衝かれた格好のネルガレーテが、リサのユニットに肩からぶつかり、突き飛ばされたように後ろへ煽られ体勢を崩す。
「あ・・・ッ!」
しまったとばかり、顔を真っ青にしたリサが、震え上がるように驚愕した。
「警告! 11-10方向、距離1000メートル、上昇中の機影。コンフリクト(衝突可能性)・コースに乗っています。ベクトル変更を推奨します」
人形のようなベアトリーチェが、顔色も変えず感情も荒げず報告する。
「──衝突するぞ、ギャング(与太者)野郎!」
ブリッジ(艦橋)のスピーカからも喚き降って来るオフィサー(管制官)の怒声に、アモンの姿勢を立て直そうと焦っていたリサが、反射的に反応してしまった。
アティット・スティック(姿勢制御桿)を僅かに倒し、バーニア(姿勢制御推力器)を噴かせてメインエンジンをブーストさせ、加速しながら艦体を捻ると言う、かなり強引な退避行動に出た。本来ならグラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)のボリュームを絞れば良かったのだが、動転していたリサは文字通り小手先のベクトル制御を行った。
瞬間、加速モーメントが3ガルを超えた。突発的な慣性力に抗しきれなかったネルガレーテが、ビーム・ラッタル(梁梯子)に交差するスキャフォルド(足場通路)に飛ばされた。
1000メートルの距離など瞬く間だった。
アモンが、大気圏内飛航旅客機の上方50メートルを、文字通り掠めるように斜め上方へと飛び抜ける。アモンの乱した気流に煽りを喰らったオービター(軌道往還機)は、失速こそ免れたようだが機体は酷く揺すられたに違いない。
「無茶なッ! 他にもインシデント(相克対象)がいるんだぞ!」
「00-12方向、下降中のオービター(軌道往還機)。その500メートル先に旋回中の別の機影、国内航路の旅客機材と思われますが、半径3キロ空域にインシデント・オポネント(相克対象)が4機、それぞれ別の高度です」
がなり立てる宙港オフィサー(管制官)の怒声に、ベアトリーチェが捕捉情報を被せる。
このエドガール宙港は国内空港も兼ねている。
宙港離発着のオービター・シャトル(衛星軌道往還定期便)だけではなく、大気圏内飛航機材も離着陸するため、宙港上空は実は非常に込み合っていた。アモンのような小型の外宇宙航行艦船もアンカリング(寄港)が可能なため、アプローチ・ルートやデパーチャ・ルートは千差万別に、文字通り網の目のように設定される。このためイレギュラーな航路変更は、傍迷惑なだけではなく非常に危険だ。
強烈な慣性モーメントが、右から左から交互に伸し掛かる。まるで一流フットボール選手が見せる、敵ディフェンスを次々と躱すドリブル・ドライブ(切り込み)のようだった。ベアトリーチェの警告に、危険回避のためだけに、リサが逐一咄嗟に反応した結果だった。
リサにしてみれば、何とかリカバリーしようとしただけだった。極度の緊張のあまりすっかり余裕を失くしていたところに操作ミスをしでかしたものだから、今度はすっかり血の気が引いてしまい、平常心を全く失くしていた。
後のリサの反応は、もう闇雲の行き当たりばったり、勘所だけのドライブ(操艦)だった。
それでもアモンは、奇跡的と言っても良いくらいに、あっと言う間に成層圏を抜け出した。
「現在高度5万5000メートル、上昇率は毎秒44メートルです」
「──ネルガ・・・レーテ・・・!」
アディがふらつきながらも自ユニットから飛び降りると、床に転がって喘いでいるネルガレーテの傍に駆け寄った。
「ビーチェ・・・急いで・・・ブリッジ(艦橋)の酸素分圧を上げて・・・! それとリサに代わって・・・ドライブ(操艦)するの・・・上昇率を下げて・・・高度1000キロで・・・衛星軌道に乗せなさい・・・!」
大きな肩で息をするユーマが、嗄れた声で途切れがちに指示を出す。
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)たちが息を上げているのは、加速ガルのせいではない。急激な高度上昇に伴う艦内与圧が追いつかず、一時的な酸欠に陥ったためだ。大概のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)なら、瞬間10ガルを超えても気を失うことはまずない。
アモンにはグラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)を応用した、通常宙空間航行用主機であるアクシオン・アナイアレート(対粒子転換)推進の、噴射エネルギーに対する位置エネルギー緩衝システムが艤装されている。20ガル程度までなら緩衝相殺が可能だが、緩衝偏向は主機の噴射エネルギーに相反する推力軸上ベクトルに限定されるため、姿勢制御に伴うバーニア(姿勢制御推力器)の反作用ガルは緩衝不能だ。
それとは別にブリッジ(艦橋)を含む各デッキ(甲板層)には、複数の噴射ガルによる合力ガルにも対応している衝撃減免機構が備わっているものの、対応可能な加速ガル範囲が低く応答感度が鈍いため、姿勢制御に伴うバーニア(姿勢制御推力器)の急激で頻繁な噴射などは、反作用ガルを減免し切れない。
しかも残念ながら、物体の位置エネルギーの、運動エネルギーへの変化を完全にキャンセルするメカニズム(機序)は発明されていないため、加速に伴う慣性モーメントを打ち消す事が出来ない分は、弾かれ飛ばされて何かにぶつかると、普通に痛い。
「バイ・オール・ミーンズ(了解しました)。機艦の制御をエグゼクティブ・オペレーティング・システムの管轄下に入れます。艦内環境の再キャリブレート(基準修正)を開始、ブリッジ(艦橋)の酸素分圧を緊急上昇させます。グラヴィテーション・ハイドランス(重力阻害)のボリューム・ダウン」
「大丈夫か・・・ネルガレーテ・・・?」
深呼吸一つ、アディがネルガレーテを抱え起こす。
「酷い目に・・・遭った・・・わ・・・」アディに支えられたネルガレーテが、辛そうに顔を歪ませて上半身を起こした。「ア・・・アモンは・・・?」
「今はビーチェが管轄している・・・ユーマの指示で・・・高度1000キロの衛星軌道に進入する」
アディの答えに、ネルガレーテは、そう、と一言呟くと疲れ切ったように肩を落とし、乾き切った咽喉で喘ぐ息を嚥み込んだ。
「それで・・・艦へのダメージは・・・?」
「──ちょっと無茶をさせたみたいだが・・・損傷箇所も故障もない・・・機能損失やシステム・ダウンも・・・見当たらない」
ネルガレーテの問いに、ジィクの声が答えた。
いつの間にかプロキシー(操艦副担当)ユニットに上半身だけ突っ込んで、艦体ダメージをチェックしているジィクがいた。ダメージチェックは、ジィクのいたナビゲーター(航法担当)ユニットでは行えないので、ネルガレーテを助けるために抜け出したアディに代わって、覚束ない足取りながらもプロキシー(操艦副担当)ユニットに齧り付いたらしい。
「そうだろ、ベアトリーチェ・・・?」ジィクは深呼吸ひとつ大きな息を吐き出すと、至極真面目な顔付きで言った。「──どこか不具合あるか? 腹が痛いとか、調子が悪いから彼氏に慰めて欲しいとか」
勿論ジィクの戯れ言だが、システム・オペレーション全体を統括しているのはベアトリーチェなので、ソフトウエア的な不具合を生じさせていないかを尋ねたのだ。
「システムのチェックリスト(検証確認)を実施中です。現在まで、不具合を検知していません」さすがに冗談が通じないベアトリーチェは、ジィクの問いに面白くもない言葉で返した。「それと腹痛は起こりえませんし、彼氏が必要になる事態を想定できません」
気の利いた応答を端から期待していないので、ジィクは、おう、と軽い相槌で受け流す。
「──そこのバンビーナ(お転婆)でしょ」ネルガレーテが薄く微笑むと、アディに向かって、行ってあげなさい、と首を倒した。「彼氏が必要なのは」
ネルガレーテに釣られて、アディがパイロット(操艦担当)ユニットを振り返った。
リサはシートの中で、崩れるようにして気を失っていた。
アディは徐々に体の重みが薄れていくのを感じながら、パイロット(操艦担当)ユニットへスキップするようにして齧り付く。コンソール(制御卓)ユニットから抜け出したユーマが、キャプテン・ユニットを手で軽く押して、ネルガレーテの傍にふわりと降り立った。アモンの高度が上がったため、ブリッジ(艦橋)内は重力が殆ど失せていた。
「リサの具合はどう・・・?」
打ったと思われる脇腹を痛そうに押さえて、ネルガレーテは大きく息を吐き出した。
「大丈夫、気を失ってるだけだ」
アディがユニットに体を乗せ入れて手を伸ばし、リサのハーネスを外してやる。リサの体がふわりと浮いて、乱れた赤髪が嬌しく広がり漂う。
「──モーメントで気絶したと言うより、緊張が一遍に解けたんでしょうね・・・」
アディに抱き抱えられて、ユニットからそっと抜け出されるリサの姿を見て、ネルガレーテが優しい笑みにちょっぴり呆れ顔を混ぜて言った。
「思ってた以上に、大したニュージャック(新人)だ事」
ユーマが2度3度と首肯した。
「重力離脱速度に達しました、オービット(周回軌道)に乗ります。現在高度1000キロ、グラヴィテーション・ハイドランス・プレート(重力阻害器)稼動停止」
相変わらずベアトリーチェは、動くどころか瑠璃色の瞳に表情一つ変えない。
アモン艦内は、偏向作用による標準有重量環境を備えているウェイト・デッキ(有重量環境階層)とウェイトレス・デッキ(無重量環境階層)が混在する。ブリッジ(艦橋)や上部ペイロード(積載区画)はウェイト・デッキ(有重力環境区画)ではないため、惑星上などの重力圏ではその強い影響下に置かれるが、アモンが重力離脱速度に達したことで、ウェイトレス・ステート(無重量状態)となる。
「ホフランのオービター・コントロール(衛星軌道航路管制)から問い合わせが入ってます」
「もう一々面倒臭いわね」
ベアトリーチェの他人事のような口調に鼻白んだネルガレーテは、内懐からヒップフラスコ(携帯用酒容器)を取り出すと、キャップを捻って一口煽った。ブランダ・ワイン(蒸留果実酒)の香りが仄かに立った。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト