Act.22 天使たちの清幽・2
「全土を覆うヴリクシャ(常世の樹)──ピュシス・プルシャの意思・・・」
眉間に皺を寄せたミルシュカが、遠い目付きで考え込む。
「だが、ヒゴ社の開発基地の方には、ヴリクシャ(常世の樹)は無かったんだろ?」
「少なくとも彼らからの話には出て来なかったし、此処のヴリクシャ(常世の樹)を見て驚いていた位だから、ヒゴ社の開発基地内では見つかっていないと思う」
アディの問い掛けに、ミルシュカは僅かに口をヘの字に曲げた。
「ヴリクシャ(常世の樹)だってさすがに、惑星ピュシスをびっしり覆い尽くしている訳じゃ無いと思う。かと言って先生がおっしゃった通り、此処で見たあれ1本とも思えない」
ミルシュカはアディの問いに首を振りながら、アディとリサを交互に見遣った。
「だからヴリクシャ(常世の樹)は、受け取った情報をお互いに交換しあい、コミュニケーションを経て1つの判断を下しているんじゃないか、と思うの」
「──それが、ヴリクシャ(常世の樹)の、ピュシス・プルシャの意思、と言う訳?」
リサもただ驚くばかりで、菖蒲色の瞳をくるっと回した。
「けど、ヴリクシャ(常世の樹)同士が、直接蔓枝を伸ばし合い絡め合っていたとしても、動物のような電気的神経伝達組織を以てしても、全土に伝えるには時間が掛かりすぎて、効率が悪すぎるように思う」
「大男、総身に知恵が回りかね──てやつか?」
アディの妙な喩えに、ミルシュカがクスリと笑う。
「だから、もっと違う方法で、もっと効率的な手段を、このヴリクシャ(常世の樹)は獲得している、持っているんじゃないか、と」
「──それってひょっとして、さっきルーシュが言っていた、形而上とか形而下とかに関係ある、って事?」
リサが素直な表情で小首を傾げる。
「それとは別だと思う」ミルシュカは硬い表情で小さく首を振った。「──気になるのは、ジィクの頭痛なの」
「あ、3人で試掘坑に降りた時ね?」リサが察し良く声を上げた。「ルーシュがジィクにキスしたって、あれ?」
「ルーシュ、遂にエロ・ペロリンガの魔の手に落ちたのかあ。ご愁傷様」
アディがぼそりと、皮肉交じりの口調で言った。
「何よ、ご愁傷様って・・・!」ミルシュカは顔を仄かに赤らめ、少し向になった。「ジィクが辛そうにしてたから、少しでも元気付けようとしただけなのに」
「──それ、気になるって言ってたわよね、アディ」
振り返るリサにアディが相槌を打つと、リサは改めてミルシュカを見返した。
「あ、ルーシュのキスの具合じゃなくて、ジィクの事よ」
分かっているわよ、そんな事、とぼやくミルシュカに、でもちょっと心踊ったでしょ、とリサが突っ込みを入れた。
「同じペロリンガのサンドラも、トト大先生が居たアイス・ケイヴ(氷窟)に潜った後、確か気分を悪くしてたよな」
頬を膨らませるミルシュカに、ははは、と含み笑いを混ぜながら、アディがリサに言った。
「ええ、あのヴリクシャ(常世の樹)が、妙に燿った後ね」
「確かジィクが頭痛を起こすちょっと前も、あの試掘坑のヴリクシャ(常世の樹)によく似た蔓茎が、瞬いていたのよ」
ちょっとばかり気を取り直したミルシュカが、小さく頷きながら話を戻す。
「トト先生の消息を確認しようとして、ジィクが花火みたいな筒を、ヴリクシャ(常世の樹)の蔓枝が絡み合ってる底に投げ入れた後」
「コンパウンド・トーチ(化合物着火発炎筒)か・・・」アディの炯眼が、徐らミルシュカとリサを見遣った。「ヴリクシャ(常世の樹)、刺激に反応したのか・・・?」
「あ、トト先生を救け出した時・・・!」
はたと気付いたように、リサが指をスナップさせた。素手だとパチンと鳴ったところだが、分厚い防寒手袋をしていては、そうは行かない。
「確か、蔓枝を切ったわよね?」
「周囲の環境の情報を拾い上げ、その変化に注意を──か?」
リサに頷くアディが、慎重ながらも懐疑的に言葉を返しながら、ミルシュカを振り向く。
「ボーディ・ニルヴァーナ・ヴリクシャ(常世の樹)が、反応しているのは間違いないわ」
2人から見詰められたミルシュカが、連鎖的に頷いた。
「これは私の当て推量に近い推測だけど、ヴリクシャ(常世の樹)同士が受けた刺激を交感し合うコミュニケーションを、ペロリンガ人のクォンタム・バイオロジカル・コンバーティブル・メタコグニッション(量子変位有機的認知変換機序)が共鳴して感受したんじゃないかと思うの」
「ペロリンガ人種独特の、メタ認知機序の琴線に触れたって事・・・?」
「琴線──良い比喩よ、リサ」笑みを湛えたミルシュカが、うんと頷く。「先生が合格点を出されるだけはあるわ」
「ホワイト・サファイア(白い宝石)──」
思わずアディが、憮然とした表情で下唇を突き出す。
「あの一言でリサは及第で、俺なんか最後まで、落第生のままなのに」
「“不純異性交友”ばっかりしてるからじゃない?」
「それを言ったら、あたしだってギャング(与太者)のダッチ(場下)だから」
トトとの会話を知っているミルシュカが、言葉尻を取って茶化すのだが、アディが口をヘの字に曲げたのに、リサは何故か自慢気に胸を張る。
「ダッチ(場下)?」そんなリサにミルシュカが、素直に首を傾げる。「何それ?」
「知らない」ケロッと言って退けたリサが、チラッとアディを見遣る。「けど、どうせ陸でもない言葉だと思う。ネルガレーテに、そう罵られたから」
「ギャング(与太者)って、俺の事か?」
渋い顔を返すアディが自らを指差すと、リサが可笑しそうに無言で頷く。
「ネルガレーテに? 何時だ?」
「ルーシュを救けに、アディと一緒に突撃する前」呆れたように問い返すアディに、リサが大仰に首を竦めて見せた。「アディの事、滅法駻馬の鉄砲玉、とも言ってた」
仏頂面で溜め息を吐くアディに、ここぞとばかりにリサが屈託なく訊ねる。
「──んで、ダッチ(場下)って何?」
「あ、いや、その、だな・・・」そっぽを向いたアディが、露骨に誤魔化す。「とっても可愛い美少女って言う意味だよ」
「何よ、その、雨が降る日は天気が悪い、みたいな嘘」
「あ、それ──」
小さく頬を膨らませるリサに、はたと思い付いたミルシュカが声を上げる。
「言い回しから推察するに、ギャングの愛人とか、情婦って言う意味じゃない?」
でしょ? と少し意地悪そうな目付きで見遣って来るミルシュカに、思わずアディが、うーん、まあ、それに近いかも、などと歯切れも悪く言葉を濁す。
「えっ? そうなの? 本当にそうなの?」えつ、えっ、と2人を交互に見遣るリサが、何故かてへへと照れ笑いを浮かべ頬を押さえる。「──きゃあ、恥ずかしい・・・!」
「恥ずかしい・・・? しかも嬉しそうだけど」青林檎色のぱっちり眼をジト眼にして、ミルシュカは鰾膠もなく言った。「意味解ってる?」
「愛人でしょ? ガン・モール(情婦)」だらしなく相好を崩したリサが、呆れるほど明るく言った。「ピンプ(悪党)のガン・モール(情婦)よ!」
「燥いでるけど、恋人とか、想い人じゃないのよ? 情婦よ、情婦」
「えっ? 恋人よりランク上じゃないの? 愛人って?」
その妙竹林なリサの思考に、アディは思わずぶっと吹き出し、ミルシュカもさすがに返す言葉に詰まる。
「ルーシュだって、もうジィクの愛人じゃないの?」
「あのねえ・・・!」
「ならスウィーティ(恋人)? ベイビィドール(彼女)?」
「いえ、そう言う訳では・・・」
「なら愛人じゃん」
「そんな身も蓋もない」呆れるミルシュカが、大きな溜め息を吐いた。「キスしただけで、愛人認定されても」
「何で? ジィク、好い男性よ」至極真面目な顔付きで、リサがミルシュカに小首を傾げて見せた。「──アディの次に」
「あはは、アディの次なのね」
苦笑いで応えたミルシュカが、アディを見遣る。
女学生みたいな2人のお喋りに閉口していたアディが、首を竦めて口を開いた。
「──ヴリクシャ(常世の樹)の反応に、ペロリンガのメタ認知機序の琴線とやらが刺激されたとして、だ」アディの口調は、まだ呆れ半分だったが、中身はてんで真っ当だった。「その反応が、ピュシスの頂点に立つ存在の、この惑星の意思だとするなら──」
その言葉に顔を引き締めるミルシュカに、アディは探るような目付きで言葉を継ぐ。
「そして、エンジェルの行動が自発的な意思では無いとしたら──」
「可能性だけを積み重ねる、根拠も何もない推測だけど──」
アディに小さく頭を振って応えたミルシュカが、痴話はこれきり、とリサには目で釘を刺す。リサは態とらしく、下品な笑みを浮かべながら頷き返した。
「私たちを、いえアールスフェポリット社やヒゴ社を、追い出そうとしているのは、このピュシス・プルシャ自身、と言う事になるわね」
「追い出す・・・」ミルシュカの言葉にアディは唸りながら、俄には信じられない、と言った風情で腕を組んだ。「惑星が・・・本当にそんな事が──」
「だからヒゴ社への襲撃は、ピュシス・プルシャからの、エンジェルを使った直接的な警告じゃないかと思うの。そしてここで起きたスライダ(氷表崩滑)も、偶然じゃない気がするのよ」
「また決めつけるな、と言われそうだが、それでも植物だろ? スラッシュ・アヴァランチ(氷砕流)なんて起こす力を秘めているのか?」
「地下にあれだけ幹茎を食い込ませている大樹よ。斜面を構成している地層を刺激して、氷表を崩す事ぐらい可能かも知れない」
「ヴリクシャ(常世の樹)の、ピュシスからの、拒絶反応って訳? あたしたちへの・・・?」
「この惑星に集る害虫を、駆除しているんじゃないか、と・・・」
「駆除・・・!」
ミルシュカの辛辣な比喩にリサは絶句し、色をなしてアディを見遣った。
「しかし、結局、襲って来たエンジェルたちだって、アヴァランチ(氷砕流)に呑み込まれて、全滅だ。エンジェル(使徒)だとしても、そんな事が・・・」
突飛とも言えるミルシュカの推測に、アディは言葉を詰まらせ首を振った。
「神が存在するとしても、そこには真理があるのみで情愛は存在しない──昔、トト先生がおっしゃってたわ」
「神は情状を酌量しない、か・・・?」
絞り出したようなアディの声に、ミルシュカは無言でただ小さく頷いた。
「──すべての偶然は必然、偶然こそが全世界の意思・・・」
リサがぼそりと、トトの言葉を口にした。
「我々にとって偶然の出会いや出来事でも、それは理の意思であり、それは宇宙全体のみが持ち得る全知全能」
ミルシュカも誰にとは無しに、独り言ちるように言った。
「俺たちの取るに足らない知識では、深遠なる意思など計れる訳は無い──か」
アディは、半分結晶化してなお熱弁を振るっていた、初老のチルソニア人科学者を思い浮かべていた。
「ここは不可侵な聖域、なのかも知れない」ミルシュカは然も苦しそうな表情で、言葉を紡いだ。「いえ、ピュシス・プルシャ自体は、不可侵の真理に至る道程の道標、ポスト(里程標)、関所、なのかも」
「不可侵の真理って、あの何とかって言うゴース人の先生が、エネルギー・ポテンシャルがどうとか言っていたやつ?」
困惑頻りのリサが、頭をすっきりさせようとでもしたのか、2度3度と首を振る。
「モスバリー先生ね」ミルシュカが苦笑いにも似た表情を見せた。「決して悪い人じゃないわ。先生もトト先生の謦咳に触れられていた先達で、惑星物理学の泰斗なの」
「ネルガレーテの見立てじゃあ、ヒゴ社の連中、何かとんでもない、この世に一大変革を齎す切っ掛けをこのピュシスで見付けた、みたいな事を言っていたらしいが」
「エントロピー・デーモン(平衡の悪魔)ね」
アディの言葉に、ミルシュカが改めて頷く。
「先生たちは、あの結晶化現象を引き起こしている正体に、そう目星を付けておられるみたいだけれど・・・」
「それで、宇宙帝王にでもなれるの?」リサが不細工に下唇を突き出す。「ネルガレーテ曰く、だけど」
「さあ、それは何とも・・・」眉を顰めるミルシュカが、ゆっくりと首を振った。「けど本当に解明できて、理論を工学に応用できるのなら、確かにこの世全ての先進文明規模で産業革命くらいは起こるでしょうね。解明できたら、だけど」
「それが、トト先生の言う、“宇宙の真理”ってやつ?」
「見方を変えるなら、確かにリサの言う通りかも」
ミルシュカは強ばった笑みを浮かべ、大きな溜め息を吐き出した。
「辺鄙な宙域にある、ただの凍てついた惑星じゃないのか・・・?」
アディの質しに対する答えを持たないのか、ミルシュカは当惑した表情で首を振る。
「とんでもない惑星ね、ここピュシス・プルシャは」
「文字通り、人知を超えている・・・」
リサとアディは複雑な表情で、顔を見合わせた。
「その意味では、最初の目の付け所が違うだけで、トト先生もギルステンビュッテルも、同じものを求めていたのかも」
「いいや、違うよ」
少し寂しそうに憐憫を垂れるミルシュカに、アディはきっぱりと言い切った。
「このピュシスはトト先生には応えたが、ギルステンビュッテルには竹篦返しだ」
「ああ、そう言う見方が出来るのね、アディって──」
少し気が晴れたように表情を明るくさせたミルシュカが、小さく微笑んでリサを見遣る。
「リサ、貴女がアディに魅かれる訳、ちょっと解った気がする」
「今の一言で?」不思議そうな顔をしたリサが、すぐジト眼で返した。「──でもアディは駄目よ。ジィクで我慢して」
「そう言うリサの、アディを想う一途さが、ウーニーに通じたのかもね」
そのリサの反応に、ミルシュカは楽しそうに顔を綻ばせた。
「ウーニーに・・・?」
きょとんとするリサが、アディの顔を見た。アディは無言で、ただ肩を窄め返した。
「けど、神に情や愛は無いんじゃないの?」
「先生が看破されてた通り、ウーニーは、エンジェルたちは神じゃないのよ」
リサの問いに、ミルシュカは静かに首を振った。
「けど、ウーニーに、いえエンジェルたちに、そんな“力”があるなんて」改めて見返してくるリサに、アディは再び首を竦めて見せた。「──目の前のアディを見ても、まだ信じられない」
「それこそエンジェルたちは、神と──真理と繋がり、形而上世界に通じ、だからこそ其所から生まれる、引き出される未知の力を操る、操れる神の代行者、なのかも」
「じゃあ、その力を、ウーニーは自分の意思で? 自らの思いで?」
「絆される程、強かったんじゃない? リサの想いとアディの想いが」
「えへへ」
だらしなく顔を緩めるリサに、ミルシュカの湛える笑みは優しかった。
「──あたしの想いに応えてくれた、ウーニー、ありがとう」
リサが憂いた表情で、足元に目を伏せた。
「すべては、ウーニーのお陰よ」
深く顱を垂れるリサが、一掻きした氷表の氷粉を、ウーニーの埋まった氷の盛り墓の上に一寄せし、上からそっと一撫でした。
「さようなら、ウーニー・オラフ。忘れないわ」
「──お休み、マーヴェル・フローズン・ヘア(奇跡の氷兎)」
アディの優しい声が、リサのすぐ横で聞こえた。
「さあ、行こうか──」
アディは立ち上がると、リサとミルシュカに手を差し出す。
2人はアディを見上げ、差し出す手を取った矢庭。
いきなり周囲が騒がしくなった。
音が立った訳ではない。取り巻く小山のようなエンジェルたちの巨体が燿きを放ち、白い靄のようなものが、滲み出るように湧き出していた。
「──アディ・・・!」
リサが殺気立つように辺りを見回す。アディが咄嗟にミルシュカを後ろ手で背後に庇った。
「これって・・・」
身を固くするミルシュカが、息を呑むように声を漏らす。
「ルーシュ! 戻るぞッ! リサ! スクートまで走れ!」
立ち竦むミルシュカの手を取り、アディが半ば強引に引っ張る。
周りの白い巨体は、どれも怪しい爍きを放ち、白く染み出した靄は伸びたり縮んだりしながら激しく脈動している。それも1頭や2頭ではない。見渡すかぎり、いや、ここに横たわり骸を晒している、30頭を超えるエンジェル個体の全てが、だった。
「ルーシュは俺の後ろだッ! リサッ、ここから逃げるぞ!」
怒鳴るアディが、2人を履帯スクートの方へ追い立てる。
「これって、ネルガレーテたちがヒゴ社の基地で襲われたって言うやつ・・・?」
アディの背を掴みながら、シートの後ろ端に腰を落とすミルシュカが、驚きの眼差しで周囲を見渡す。湧き出した白い靄は、見る見る間にはっきりとした一つの形を成していく。
アディもリサも、今は武装らしい武装をしていない。チェスト・リグにホット・ドリンクを詰めたキャンティーン(水筒)とサバイバル・ナイフ、それにハンドガン(拳銃)しか携行していない。
「行くぞッ! ルーシュ!」
齧り付くようにアディの腰に手を回すミルシュカが、アディの背にぴったり頬を付けて、大きく頷く。それを合図にアディがボリューム・ノブを煽る。リアの履帯が氷粉を舞い上げて、スクートが氷表を蹴る。それに添うようにして、リサの履帯スクートが後を追う。
★Act.22 天使たちの清幽・2/次Act.22 天使たちの清幽・3
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




