ct.21 フォッサ・マグナ(地殻裂溝)・5
「──何? ネルガレーテ」
ユーマの声が、ブリッジ(艦橋)のスピーカから降って来た。ユーマの方は、ミュニション・デポ(武装備品庫)内設備のインカム(艦内通話機)で話している。
「今、リサから通信が入ったわ。ミルシュカを連れ出すのにブリッジ(艦橋)へ上がるって」
「ブリッジ(艦橋)? 敵艦の? また、火中の栗を拾うつもりね」
呆れた口調のユーマだが、どこか愉快そうだった。
「脱出は艦最上層のフライト・デッキを想定しているらしいわ」
「フライト・デッキって、航空機材で脱出するつもり?」
「ミルシュカを連れ出す想定だからでしょうね」
ユーマの問いに、ネルガレーテも呆れ半分、納得半分の声音で答える。
「アディの事だ、5分もしないうちに脱出できると踏んでるな」
ジィクの、少し意気込むような声が、後ろから聞こえた。
「ちょっと無茶な算段だけど、行動を起こすなら離陸するまでの僅かな隙を突くしかない、と見切ったんでしょうね」ネルガレーテは至極冷静な口調で言った。「ヒゴ社の連中がエンジェル相手に、尻に帆掛けて逃げ出すしかないのは、アディも分かっている筈だから」
「──急いだほうが良いわね、ジィク」
「パワード・アーマー(筋力支援兜鎧)を装着して、バルンガに乗り込む時間的余裕は無さそうだ。タクティカル・エクイップメント(個人携行戦術装備)だけで対応するしかない」
「それで、サーペンスアルバスの動きは?」
「ハンガー(格納庫)へエンジェルたちに、ばかすか侵入されているわ」ユーマの問いに、ネルガレーテがメイン・ビジョンを見詰め上げた。「まだランプ・ドア(搬出入用斜路扉)が開いたままだけど、あれはとても閉められたものではないわ。そのまま離陸せざるを得ないでしょうね」
「ベアトリーチェ、バルンガのアンビリカブル・ケーブルをリリースしてくれ!」ジィクの怒鳴り声がブリッジ(艦橋)に轟く。「俺たちが乗機したら、直ぐにペイロード・ゲート(庫外扉)を開いて、リフト・オフ(離艦)のシークエンス開始だ!」
* * *
「ルーシュ! ミルシュカ!」
ブリッジ(艦橋)に飛び込んだアディが、目一杯の怒声で叫びながら銃を構え上げていた。
「誰1人、動くんじゃないぞ!」
勇ましくも陳腐な台詞を吐きながら、アディがブリッジ(艦橋)を見渡す。
「──然もないと、あたしのビッグ・マグナム(一物)が火を吹くわよ!」
さらに調子に乗ったリサが、パンツァシュレック(対装甲推進弾発射筒器)を担いで飛び込んで来た。
「アディ! リサ!」
中央のキャプテン・シート前の張り出しに居た、癖毛で豊かな薄桃色のセミロング・ヘアの小柄なバド人が振り向くと、一目散に駆け寄って来る。
「スタージャック(乗っ取り)もやるとは、手広い商売のレギオ(編団)だな」
一段高いキャプテン・シートの中から、身を乗り出すようにして上半身を捩り、振り向いた髭面のテラン(地球人)が呆れたような顔を見せる。
「気の利く台詞を思い付かなかったんだよ、ペトロフスキーの旦那」
口元を歪め薄い笑みを浮かべるアディに、リサは走り込んできたミルシュカを後ろ背に匿う。キャプテン・シート脇にいたサンドラが、憎々しげな表情で睨み返していた。ブリッジ(艦橋)に居合わせる他のクルー(乗艦員)は、一様に自席の中で固まっていた。
「だが、此処からどうやって逃げる? 孤立無援の助っ人無しで」
「デッキブラシでも探して、空を飛んで行くさ」
不敵な笑みで、そうアディが答えた矢庭。
「ボリスの兄貴・・・!」
スピーカからバァクリックの声が飛び込んで来た。
「ランプ・ドア(搬出入用斜路扉)を、とてもじゃないが閉められないッ! もう、このままで良いから、一刻も早く離陸してくれ!」
響く土間声に、ブリッジ(艦橋)に新たな緊張が逐る。
その刹那、アディが叫ぶ。
「出るんだ! リサ!」
その言葉に、リサ、ミルシュカが踵を返し、3人が一斉に飛び出す。
「奴らを逃がすなッ! 追い詰め──」
叫ぶペトロフスキーの指示が終わらないうちに、扉が閉まる。
「起爆だ!」
「──此処から上がれるわ!」
アディの合図に、リサは左袖のディスプレイで起爆プログラムを呼び出しながら、エアロック(気密隔室)区画内にあるエアプルーフ・ラッタル(気密裸階段)へ率先して駆け込む。
ブリッジ(艦橋)のバルクヘッド(隔壁扉)が開き、追え、と怒鳴り声がした刹那。
バルクヘッド(隔壁扉)前に停めてあった履帯モーターサイクルの、アディが仕掛けたテルミット・キャンドル(高燃焼練粘爆薬)が爆爍した。目を覆うような強烈な光が爆発して、強烈な炎が一瞬立ち上る。
飛び出し掛けたブリッジ(艦橋)のクルー(乗艦員)が、思わず辟易いだ。
さらに漏れ出したモーターサイクルの機械油が引火して炎を上げ、車体のポリマー(高分子有機樹脂)部分と高弾性重合素材の履帯が、鼻を摘みたくなる異臭を伴い黒煙を上げて燃え出した。目をも刺激する煙に、クルー(乗艦員)たちが一斉に、鼻を、口を、顔を押さえて咳き込む。
「消火しろ! 慌てるなッ!」
ペトロフスキーが青筋立ててシートから飛び降りる。入れ替わるようにしてサンドラが、口元を腕で押さえながらシート陰に逃げ込んだ。
焦るクルー(乗艦員)が、手に付かない仕草で消火器を抱え、四苦八苦しながら消火剤を噴霧する。今度は、勢いよく舞い上がる白い粉塵で、ブリッジ(艦橋)内が濛々(もうもう)と煙る。
「──兄貴、大変だッ!」
大声を上げたのは、ブリッジ(艦橋)最前列のパイロット(操艦担当)シートに座るウドムだった。
「上からも降って来たッ!」
ペトロフスキーが振り返ると、ウドムが溢れんばかりに目を見開いて、小さな舷窓越しを凝視していた。
「上からッ? 何がだッ!」
返すペトロフスキーも、釣られて声が尖っていた。
* * *
「消火しろ! 慌てるなッ!」
そう怒鳴るペトロフスキーの声が、遠くに聞こえた。
「リサ! ミルシュカを連れてブレーダー(回転翼機)に乗れ!」
エアプルーフ・ラッタル(気密裸階段)を殿で駆け上がるアディが、後ろから怒鳴る。
「俺は、上のベイ・ドア(庫外扉)を開く!」
フライト・デッキへ先頭切って飛び込んだリサが、素早く周囲を見渡した。
「──ルーシュッ、此方よッ! 急いでッ!」
他人の気配が途絶えた広いデッキを、濃緑色にオレンジのラインが入った機体向かって、リサが一目散に駆け出す。側面のスライド・ドアを開き、エンジェル幼体を入れたランセル(背鞄)を機内に押しやり、シュレック(対装甲推進弾発射筒器)とカートリッジ(弾装包)のロードキャリングを手荒に放り込む。リサはミルシュカに、乗って、と声を掛け、タイダウン・ブライダル(機材固縛鋼索)を外しに掛かった。ブライダルは合計4箇所、左右スキッド(降着脚)の最前支柱と最後支柱、その根元の機体側に掛かっている。
「私も手伝うわ!」ミルシュカがそのままリサの横に行き、手元を見詰める。「難しくないんでしょ?」
「ちょっと力が要るわよ!」
リサはミルシュカに少し驚きながらも、デッキ床面に埋め込まれた、固縛用フック・パッドに掛かるテンショナー(緊張金具)を手に取った。
「こうやって一旦ブライダル(鋼索)を締まる方に引っ張っりながら、このロック・レバーを外すの!」
「分かったわ!」
そう言うが早いか、ミルシュカが機体反対側のブライダル(鋼索)へと駆け出した。
「──外したら、ブライダル(鋼索)の機体側に掛かってるフックも忘れないで!」
リサの言葉に、ブライダル(鋼索)を目一杯引っ張るミルシュカが、唸りながら大きく頷く。
一方のアディは、上がってすぐ右に折れ、壁際にあるベイ・ドア(庫外扉)のコンソール・ボード(操作盤)に齧り付く。操作装置がここにあるのは、ギルステンビュッテルに伴ってここに上がった際に目にしていたので、直ぐに分かった。操作自体は難しくはない。安全装置のロックを解除して釦を押すだけだ。
唸りを上げて油圧装置が稼動を始め、天井部のベイ・ドア(庫外扉)が開き始めた。
* * *
「──当該艦の上部ベイ・ドア(庫外扉)が開き始めました」
バルンガのユーマとジィクに、ベアトリーチェの可愛らしい声が届く。
「早いな! アディの奴!」
バルンガのカーゴ(貨物室)で装備をチェックしていたジィクの、驚いたような声が入る。
「ビーチェ、離艦するわ! こっちのベイ・ドア(庫外扉)も開いてるわねッ?」
メイン・パイロット・シート(主操縦席)のユーマが、コンソール(制御卓)に忙しなく指を走らせる。
「はい。アビオニクス(飛航制御機能)、オールグリーン(異常なし)。リフト・オフ(離艦)のシークエンスを開始します」
ベッド(駐機台)を支えるX型フレームが起き上がりながら、バルンガを載せたエレベーティング・アレスト・ベッド(昇降繋留駐機台)が上昇を始める。フライト・ペイロード(航宙機材積載庫)の一段下がった前方はリトラ用のベッド(駐機台)だが、不時着させられて未回収のままなので機体は載っていない。
「現在高度、当該艦から5000メートル、フライト・ペイロード(航宙機材積載庫)上の対艦大気の最高速度は秒速22メートル」
フライト・ペイロード(航宙機材積載庫)からは垂直上昇して離艦しなければならないが、大気圏内飛行中のアモンから離艦するのは、言うほど簡単ではない。海洋船舶のフラット・フライト・デッキと違い、機体が離艦直後に母艦と接触するのを防ぐため、母艦側は離艦と同時に自由落下状態に入る必要がある。機体側も離艦との巡航速度を合わせせながらの上昇噴射しなければならず、さらに機体が大気流に晒されるため、ロックが外れると一瞬で投げ出された状態になる。そのため少しでも姿勢制御に失敗すれば、姿勢回復不能のまま墜落する危険があり、意外と高度な操縦技倆が必須になる。
「──タイダウン(機材拘束)ロック解除します」
ベアトリーチェの声と共に、ジィクがコ・パイ・シート(副操縦席)に飛び込む。
「離艦するわよ!」
スティック(操縦桿)を握るユーマが、スロットルを押し込む。いきなり上に放り投げられる加速ガルを感じ、さらに強烈な後ろ向きの慣性モーメントが掛かって、機体がバランスを失う。それでもユーマは慌てることなく、対反応プラズマ・エンジンを操り姿勢を押さえ込みに掛かる。
その矢庭、ベアトリーチェからの通信が、2人の耳朶を打った。
「スラッシュ・アヴァランチ(氷砕流)が発生しました」
* * *
「アヴァランチ(氷砕流)・・・ッ?」
アモンのブリッジ(艦橋)にいるネルガレーテが、柿色の瞳を剥いた。
「表氷滑落が起きた可能性があります」
「こっちにも映像を回して! ビーチェ!」
ベアトリーチェの報告に、ユーマの怒鳴り声がブリッジ(艦橋)に轟く。
「フォッサ・マグナ(地殻裂溝)の西側、崖淵より1500メートル近辺で発生、幅およそ1キロ、当該艦をポート・サイド(左舷側)から直撃すると推測します」
サーペンスアルバスの艦容が小さな滲みにしか見えないほどメイン・ビジョンの画像の画角が広がり、斜面の広範囲が捉えられる。サーペンスアルバスの穿った窪地の、フォッサ・マグナ(地殻裂溝)とは反対側の斜面上方から、緩やかな弓状のラインを描くスラッシュ・アヴァランチ(氷砕流)は、まるで綿菓子が粉を撒き散らしながら斜面を転がっているようだった。
「大きい・・・!」前のめりになったネルガレーテが、メイン・ビジョンを凝視する。「サーペンスアルバスまでの到達時間はッ?」
「約40秒と算出」
「アディたちはまだかッ?」
ベアトリーチェの言葉に、ジィクの焦る声が重なる。
「──リサ! 聞こえる? リサ!」ネルガレーテが通信チャンネルを切り替えて叫ぶ。「斜面の氷表が崩れたわ! アヴァランチ(氷砕流)がそっちに向かってる! 早く脱出しなさい!」
「──当該艦が、離陸を開始したと思われます」
ベアトリーチェの淡々とした声に、メイン・ビジョンの広範囲の映像はそのままに、サーペンスアルバスの俯瞰画像が新たに挿入される。
サーペンスアルバスは、まるで砂糖の塊に群がる蟻のようなエンジェルたちに、激しく寄せ集われていた。もう既に、ハンガー(格納庫)に何頭侵入されたのか分からない。
そのサーペンスアルバスの周囲は、先程見た二回り小さい金色の宇宙船の離陸と同じように、融氷の沼が沸騰したように泡立ち始めていた。離陸時の界面張力から生じる抵抗を失くすため、スキッド(降着脚)に装備している、音波振動発生装置を作動させているのだ。エンジェルたちも波打つ水面に翻弄はされて、泳ぐのに四苦八苦しているようだが、サーペンスアルバスへ押し寄せる気配を緩める様子は微塵もない。
アヴァランチ(氷砕流)が起きているのを知ってか知らずか、どの道このままでは間違いなく、あのエンジェルたちも一頭残らずアヴァランチ(氷砕流)に巻き込まれ、一巻の終わりだ。
「──あのグレイビーソース・ボート(食器)、離陸、間に合うの・・・?」
キャプテン・シートのネルガレーテが、険しい目付きでヒップフラスコを煽った。
* * *
「空飛ぶ魔法のデッキブラシは手に入ったかッ?」
リサが2本目のタイダウン・ブライダル(機材固縛鋼索)を外し終えた時、アディが機体に駆け寄って来た。
「ルーシュはッ?」
「タイイング(固縛)解除を手伝ってくれてる!」
リサの言葉に頷いたアディが、コックピット(操縦席)に飛び込む。リサが機体後部を回り込むと、ミルシュカが2本目のテンショナー(緊張金具)のロックを外した所だった。機体の方へ走り、ブライダル(鋼索)のフックを外すリサの耳に、ネルガレーテの尖り声が届く。
「──リサ! 聞こえる? リサ! 斜面の氷表が崩れたわ! アヴァランチ(氷砕流)がそっちに向かってる! 早く脱出しなさい!」
それを聞いて、思わず息を呑んだリサが叫ぶ。
「ルーシュ、乗って!」
スライド・ドアを開いたリサが、大きな手招きでミルシュカを急かす。黒髪を振り乱し、懸命に駆け込んで来たミルシュカが、ドア口のシルフレーム(敷居)に齧り付くと同時に、機材のブレード(回転翼)が唸りを上げて回り始める。リサはミルシュカの尻を突き飛ばすようにして、機内へ強引に押し上げる。ミルシュカが、うひゃ、と転がり込む横に飛び乗ったリサが、コックピット(操縦席)へ顔を突き出す。
「アディ! ネルガレーテからッ!」ブレード(回転翼)音に負けないほどの大声で、リサが怒鳴り上げる。「アヴァランチ(氷砕流)だってッ! 此方に向かってるって!」
「何だと・・・ッ!」
顔色を変えたアディが、ちらりと上のベイ・ドア(庫外扉)の開き具合を確認する。
変則の3分割で開くベイ・ドア(庫外扉)は、後ろへ擦り上がりスライドする後扉の開口が、まだ半分ほどだったが、両開きの前扉は既に開き切っていて、側方へ退避スライドし始めている。
「直ぐ離艦するッ!」
振り返るアディの怒声にリサが大きく頷き、ミルシュカを簡易シートに押し込む。
ブレード(回転翼)音が一層大きくなって、スキッド(降着脚)がデッキ(甲板)を離れた。前傾しながら離昇した機体が、僅かに前進しながら高度を上げる。ブレード(回転翼)が開口部を抜け、コックピット(操縦席)の真横にベイ(格納庫)開口部のシルフレーム(敷居)が見える高さまで機体が上昇し、離艦し切った、とアディが小さく安堵した矢先だった。
突然、サーペンスアルバスの艦体が大きく揺れた。
* * *
「粉だよッ、粉ッ! 氷の粉が押し寄せてる!」
混乱するサーペンスアルバスのブリッジ(艦橋)内に、ウドムの大声が拍車を掛ける。
「タクシン! 画像を入れろ! 左斜面の上だッ!」
ペトロフスキーが、ウドムが座る一段下がったデッキに飛び降りた。消火に当たっていたタクシンが消火器を放り出し、慌ててオペレーター(探測担当)のシートに飛び込む。
「離陸するぜッ! 兄貴!」早口に捲し立てるウドムが、横のエンジニア(機関動力担当)に怒鳴った。「プーンパット! ギア(降着装置)のミキサー(音波振動発生装置)の出力を上げろ! 離陸を急げッ!」
ブリッジ(艦橋)正面のメイン・ビジョン全体が一瞬真っ白にハレーションを起こし、それからフィルター補正が掛かって、白いふんわりとした、まるで雲か綿菓子のような情景が映り込む。それはモクモクと渦を巻きながらも、大きく波打ち、時折り畝るように跳ね上がって、細かい白い小さな粉がふわふわと舞い上がる。
★Act.21 フォッサ・マグナ(地殻裂溝)・5/次Act.21 フォッサ・マグナ(地殻裂溝)・6
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




