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Act.20 氷窟(ひょうくつ)のトト・1

急勝(せっかち)な野郎たちだ」


勇み足に先を行くギルステンビュッテルと、波打つストーク(蔓茎)に四苦八苦しながら後を追うサンドラの2人に、アディは呆れた声を上げ、リサが同意するように肩を(すぼ)める。200メートル先、アーバン・ブラウンの厚い防寒着に下ろしたファー・フードの中に顔を半分埋(うず)めたトシュテ・トトは、アディたちが最後に別れた時のまま、壁のような幹に(もた)れ掛かり項垂(うなだ)れていた。


「──先生、生きておられるのよね・・・?」


心配そうな顔を見せるミルシュカに、とにかく会いに行こう、とアディが促す。


「俺たちが別れた時まではね」


足下のストーク(蔓茎)を乗り越えに掛かったミルシュカに、アディが手を伸ばす。


「7時間ほど前だけど、気力だけは恐ろしいほど充実していたよ」


左カフ(袖口)のディスプレイを確認したリサがミルシュカに声を掛けながら、同じようにストーク(蔓茎)に足を掛ける。


「──何せ散々、落第生だの、不純異性交遊の凡俗学生だのと、小言を浴びせられたからな」


(じゃ)れ付くように、態とらしく飛び込んで来るリサを、アディが抱き留める。


「ただ、自分の力では動けない。多分」


半歩ほど先行するアディが後ろを振り返っては、ミルシュカとリサに手を差し伸べる。


足下の枝茎は、何十本ものストーク(蔓茎)が複雑に(あざな)い合っている。直径が20メートルあるとは言え、足の置き場に難儀するほど入り組んだ表面をしている。特にミルシュカは一番小柄なので、凹凸を乗り越えるにしても、大股でひょいと言う訳には行かない。時にはリサもミルシュカを支えながら、出来るだけ歩調を合わせるように足を繰る。


その向こうでは、ひいこらと音を上げているモスバリーに、うんざり顔のペトロフスキーが追い立てていた。


「動けない?」アディの手を取り、また1つストーク(蔓茎)を乗り越えるミルシュカが、おずおずと尋ねた。「──怪我でもされているの?」


無言でアディが首を振った矢先、ギルステンビュッテルの少し取り乱す大声がした。


「──ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)・・・ッ!」


振り返るアディの30メートルほど先、トトの様子を覗き込んでいたヒゴ社のキュラソ人支社長が、声を震わせて叫んでいた。


「こ・・・これは、どう言う事だ・・・ッ!」


ギルステンビュッテルの反応に、アディとリサは目を合わせ、まあ、そうなるだろうな、と溜め息交じりに黙して頷き合う。何しろ、トトが結晶化している事実を伏せていたからだ。


「モスバリー、何をしているッ! 早く来い・・・ッ!」


覚束(おぼつか)ない足取りで、右に傾き左に倒れかけながら(ようや)くに歩を進めて来るゴース人科学者に、ギルステンビュッテルが苛立つように怒鳴った。


「せ、先生・・・ッ!」


トトの姿を目の当たりにしたミルシュカが狼狽した声を上げ、危なっかしい足取りで焦るように歩み寄る。思わず足を取られ転びかけたミルシュカを、アディが手を出して支えた。


ぐったりと幹茎にもたれ掛かっている初老のチルソニア人は、最後に見た時と変わらず、足を投げ出す下半身に細い根毛のような蔓茎が何本も絡まっていた。


ただギルステンビュッテルがそのフードを剥いだのか、顔を覆い隠すような乱れた白髪も露になって、髪の隙間から特徴的な鉤鼻だけが覗いていた。だがその白髪は右半分が結晶化し、鉤鼻も白く透け掛けており、アディたちが話をした時より、結晶化は明らかに進行していた。それに番犬のように脇に寝そべっていた、2頭のクローリング・エンジェル(這う天使)の姿もなかった。


「先生! トト先生・・・ッ!」


今にも泣き出しそうなミルシュカが、ギルステンビュッテルとは反対側、トトの左横に(ひざまず)き、その残った左半分の白髪をそっと掻き上げる。左目は閉じているものの辛うじて結晶化していないが、口元の右半分が既に結晶化しており、無精髭の生えている精悍な顎の方まで白くなり掛かっていた。


聞いてないぞ、とでも言いた気に、ギルステンビュッテルが、そっとミルシュカの背後に立ったアディを睨み返す。ギルステンビュッテルの横には、サンドラは硬い表情を貼り付けて、口を真一文字に結んでいた。


「──言っただろ、厄介な環境にいる、って」


黙っていた事に悪びれもせず、アディは肩を(すぼ)めて、しれっと言い放つ。


「私です! デルベッシです! ミルシュカ・デルベッシです! 遅くなりましたが、先生からのご依頼でここまで来ました!」


「デル・・・シデルベッシ・・・」


もぞもぞと篭ったような声が、漏れるように聞こえた。


「はい! ミルシュカ・デルベッシです、先生!」


ミルシュカが嬉しそうに、殊更に明るい声で返事する。


「おお、デルベッシ君、来てくれたか・・・」(やお)ら辛うじて薄く開くトトの瞼は、ネチャリと音がしそうだった。「私は今、真理からの問い掛けに耳を澄ませていたところだ・・・」


「はい! このボーディ・ニルヴァーナ・ヴリクシャ(菩提と涅槃の樹)の事ですね?」


「いや・・・このヴリクシャ(常世の樹)が、真理を司っている訳ではない・・・」


トトの声調に歯切れが出始め、明朗さが蘇って来る。


「──だが、デルベッシ君、君に態々助力を頼んだのは、このヴリクシャ(常世の樹)と、クローリング・エンジェル(這う天使)の、生物学的生態を記録して欲しかったからだ」


「やはり、そうでしたか」ミルシュカも応えるように、はっきりと力強く頷く。「しかし、このボーディ・ニルヴァーナ・ヴリクシャ(菩提と涅槃の樹)は、常識を凌駕しています。私の(つたな)い知識と経験では、ピュシス・プルシャの生態系は特殊すぎて、驚くばかりです」


「私が想像するに、このピュシス・プルシャは、深遠なる真理へのポスト(里程標)なのではないかと。ヴリクシャ(常世の樹)とエンジェル(天使)は、そのためだけに存在するのであり、生物学的存在に意味は無いのではないかとさえ疑っている」まるで教壇にでも立っているかのような、トトの言い草だった。「デルベッシ君には、是非ともその探求を担って貰いたかったのだ。本来の君の専門分野を、まるで否定するような取り組みだが、従来の学究の既成概念や短絡的先入観に囚われず、枠組みを越え、尚且つ探求を続けられそうな人材は、君しか知古を得ていないのだ」


「いえ、生態学上における固有種の存在意義については、形而上学的なマクロ視点において常に脳裏を(よぎ)る、懐疑的な省察です。自然の摂理とか、進化の偶然の一言で片付けてしまって良いものか、と」


「正しく、真のプロビデンス(創造の摂理)とは偶然の産物に過ぎないのか、だな」


「はい」ミルシュカが素直に頷く。「しかし先生、このお姿は・・・」


現世(うつよ)に固執する限り、手に入れ得る知識、持ち得る知見など、余りにも矮小すぎるものだと、気付かされてしまったのだ・・・」ミルシュカを見るトトの目付きは、どこか遠かった。「ならば、知り得る限りのものを、どこまでも知りたいのだ、私は」


「先生自ら望まれて、結晶化に身を(ゆだ)ねられたのですか・・・?」


ミルシュカは、畏怖と尊敬と驚愕が綯い交ぜになった、複雑な表情を浮かべた。


「究極の宇宙の(ことわり)に身を(ゆだ)ねる事は、すなわち現世(うつよ)における対称性の破綻を意味する。だから位相したことで顕現した離散的対称性こそが、結晶化現象なのだと考えられるな」


「先生、そこは私の専門外です」


「うむ、そうだな」


トトの表情が、一瞬緩んだように見えた。




「──何か、俺と話していた時と、内容も口調も酷く違うような気がするが」


2人のすぐ後ろで、腕を組んで黙って聞いているアディが、脇に立つリサに耳打ちした。


「話す相手のレベルに合わせたんじゃないの?」


小さな笑窪を(こさ)えて、リサが首を(すく)めた。


「リサ、お前ナチュラルに毒を吐くよな」


「そう?」にっこり笑うリサは、天使であり悪魔だった。「だってアディ、不純交遊の落第生だもん」


ちぇっと言う不満げな表情を作ったアディが、ギルステンビュッテルとサンドラの様子を気にしながら、リサにそれとなく頭を寄せ声を殺して(ささや)く。


「──ロケーター(位置特定発信器)は持ってるな?」


リサが黙って小さく頷く。ギルステンビュッテルとサンドラは、トトとミルシュカの会話に傍耳を立て、難解な遣り取りを必死に聞き取っている風だった。


「隙を見て、トトのポケットに」


「ウォーク・イン・パーク(朝飯前)ね。不純交遊のガールフレンドとしては」


簡潔なアディの言葉に、リサが笑窪を浮かべてニッと笑う。


「──せ、先生・・・ッ! トト先生」


息急き切る情けない声は、モスバリーだった。


文字通り這う這うの体で、覚束(おぼつか)ない足元をペトロフスキーに支えられながら、漸う漸うの事で辿り着く。まるでサンドラを押し退けるようにしてトトのすぐ脇に陣取るなり、遠慮会釈なくいきなりミルシュカとの話にに割り込んで来た。


「すると先生という存在自体に、対称性の破綻が生じているのですか・・・ッ?」


弾かれ転びかけたサンドラが、今にも殴りかからんばかりに目を剥いて睨むのだが、利己的興味を隠そうともせず一方的に前のめりになっているモスバリーは、全く気付いていない。


「──君は・・・?」


「モスバリーです、先生。一時、ゼミナール(研究室)で謦咳に触れさせていただいていた、モスバリーです。天体物性理論を中心に惑星物理を専門として、今は惑星鉱物学にも多少の学殖を広げています」


(たかぶ)り気を急かすモスバリーの頬は、心なしか紅潮していた。


「おお、覚えているよ、デスク・バイター(我利勉屋)のモスバリー君」


それでもトトは嫌な顔を見せず、懐かしそうに相好を崩した。


「君の惑星形成理論は、全く目の付け所が素晴らしかったな。あれから学識は広がったのかな?」


「はい、先生」モスバリーもすっかり、師父を前にした学徒の口調になっていた。「先生がこんなお姿だとは、夢にも思いませんでしたが・・・」


「そうだな」トトは朗々と威厳ある声調で言った。「だが忌むべき事ではない。嘆くとしたら、現世(うつよ)に存在する限り、本当の真理には辿り着けない、と言う事だろうな」


「実際に、その・・・」


一旦言葉を切ったモスバリーだったが、そこからは堰を切ったように早口で捲し立てた。


「結晶化することで離散的対称性が顕現するとおっしゃられましたが、それはエントロピーの視点から考察する事は、正しいアプローチなのでしょうか?」


「ほおお、さすがはモスバリー君だな。面白い着眼点だ」


結晶化で表情を読み取り辛くなっているトトだが、考え込むように遠くを見ていた。


「──んで、どうするんだい? ギルステンビュッテルの旦那」


トトとモスバリーの熱を帯び始めた会話を横目に、ペトロフスキーがギルステンビュッテルの背後から囁くように言った。脇に立つサンドラが、ちらりとギルステンビュッテルの横顔を(うかが)った。


「兎にも角にも、此処では埒が明かない」口を真一文字に結んだギルステンビュッテルが、小さく首を振る。「事前の想定通り、先ずドクターをここから搬出する」


「──救け出すのなら、ちょっと急いだ方が良いかも知れんぞ」


声を殺す2人の気配に、アディが腕を組んだまま、突き放すように口を挟む。


「どういう意味だ?」


ギルステンビュッテルが(いぶか)るように振り向いた。


「トトの結晶化は、最後に俺たちが見た時より、確実に進行している」アディは態とらしく難しい顔を作って見せた。「アールスフェポリット社の20数名の例だと、人種によって差はあるが、100時間も経てば完全に結晶化して──この先生曰くの、真理とやらに取り込まれて、この世から消え失せちまうぞ」


「ペトロフスキー・・・!」


ギルステンビュッテルがアディの言葉に、焦った表情でドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)崩れを振り返った。


「分かってますよ、旦那」


「ただし、あの本人に絡まっている蔓だか枝だかを断ち切る必要がある」


間髪入れず(しか)と返事するペトロフスキーに、アディが言葉を被せる。


「絡んでいるこの蔓は、手では引き千切れないほど、意外に強靱だった。刃物で断つより、レーザーの類いで焼き切る方が確実だ」


「──それで、俺にレイガン(光線拳銃)を持たせたのか」


ペトロフスキーは腰の下げた銃のホルスターに手を当てた。


「俺に銃を寄越せって言ったって、はい、と素直に渡してはくれまい?」


「隙あらば潰す、とほざく奴に、ほいほい銃を渡せるか?」


アディは肩を(すぼ)め、妙に溌剌としているトトに目を移すと、首を(すく)めた。


「──この結晶化は、単なる物質的な相変異ではない」


トトの力強い声に、モスバリーが思わず頷く。ミルシュカは不安そうな表情を浮かべていた。


「光は時間だが、その光が乾固(かんこ)する事で、時間は幾重にも折り合い、未来が無数に生成され、その具象が結晶化として認知されていると考えている」


「時間自体が結晶化している・・・と言う意味ですか?」


モスバリーが思わず眉根を寄せる。


「量子論的不確定世界、と称しても良いかも知れない。時間が止まった状態であり、時間が凍りついていると言っても良いだろう。オブザーバル(量子力学的な決定的観測可能状態)が不確定的になり、時間発展する量子力学的確率変数状態へ移行していく過程において、一種のエントロピー・デーモンが支配する状態とも言えるだろうな」


「──やはり結晶化現象には、エントロピー・デーモンが存在するのですね・・・ッ?」


固唾を呑んだモスバリーが、我が意を得たり、と喜色満面に声を張り上げる。


「エネルギー・ポテンシャルの観点から見れば、不可逆性と言う概念は意味を成さないからな。多少情趣的な気もするが、まあ学術的表現ではある」


トトの言葉に頷いたモスバリーは、ギルステンビュッテルを一見する。アイコンタクトの意味を解したのか、ヒゴ社支社長が小さく頷くと、モスバリーは意を決したように口を開いた。


「──トト先生・・・!」


モスバリーが熱の篭った口調で、トトに話し掛けた。


「なら結晶化した量子力学的確率変数状態から、ポテンシャルを選択的に引き出す事は可能なのでしょうか・・・?」


「不可能ではないと・・・思うが、ちと厄介なのは間違いないな・・・」既に動かなくなっているトトの左腕がぴくりと跳ねたのは、顎でも擦ろうとしたのかも知れなかった。「問題は観測者側の実在を、どう担保するか、だ」


「それは現状の物理的存在が、決定論的に量子的観測変数に組み込めない、と言う意味ですか?」


「時間のポテンシャル障壁をどう乗り越えるか、と言う事だ・・・」トトは、少しばかり嗄れた声を、絞り出すように言った。「──唯一、現在の工学技術で可能性があるのは、ノルン人の静動次元相補理論と虚空粒子理論だと、思う」


「シュレーディンガー航法技術、ですか・・・?」


「──後は、クローリング・エンジェル(這う天使)の存在だ」喘ぐように吸い込んだ息を、トトはゆっくり吐き出しながら声を出す。「私が知るかぎり、彼らは形而上の存在を感知し、形而下の存在に干渉できる唯一の生命体だ」


「あの白い巨獣が──」


モスバリーが思わずギルステンビュッテルを見遣る。ギルステンビュッテルは何とも言えない、苦虫を噛んだような顔をしていた。





★Act.20 氷窟(ひょうくつ)のトト・1/次Act.20 氷窟(ひょうくつ)のトト・2

 written by サザン 初人(ういど) plot featuring アキ・ミッドフォレスト

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