Act.2 救難の宇宙・2
「積荷満載の貨物船を相手に、ゼリービーンズ・バリアは、さすがに役に立たないわよね・・・」
「多分、暖簾に腕押し、糠に釘ってところでしょうね」
嘆息にも似たネルガレーテの言葉に、ユーマが他人事のように言った。
「──ゼリービーンズ・バリアって?」
ヘッドセットのマイク(無線送話器)が拾わないように手で覆い、リサがユニットから身を乗り出すようにして、生の声でアディに尋ねた。
「ああ、制御不能に陥ったイナーシャル・アドリフト(慣性漂流物)を、特殊な緩衝厚で絡め取る救難装具だよ。小さな宇宙艇や流されたクルー(乗組員)なんかに使うんだ」
ぎこちない手振りを交えて、アディがリサに説明する。
ゼリービーンズ・バリアは俗称で、正確にはセーヴィング・バリアと言う。
蜘蛛の巣状に展張する六角形の高弾性ハーネスと、その前方に展開する緩衝厚素材から構成される。緩衝厚素材は嫌気性のリキッド(液体)で常態保存されているが、特殊な発破方式で拡散させると、空隙を保持したステープル・ファイバー(不織性短繊維)の緩衝厚を、一定範囲に拡散形成する。形成された緩衝厚はダイラタンタル弾塑性体であり、急激な外圧を受けると動的高粘弾性のあるレオロジック・フルード(流体)に変質し、対象物を受け止めた瞬間に絡み付くように粘着して衝撃を吸収、さらに対象物の持つモーメント(慣性力)を感知してハーネス端角に付属したバーニア(姿勢制御推力器)が作動し、反作用効果のブーストで運動エネルギーを殺ぐ。
「へー、そんなお助けアイテムがあるんだ」
身を捩ってアディの声に耳を傾けるリサが、目を丸くしながら時折り頷く。
「けど対象が中型船舶ともなると、質量が大きすぎるんだよ」
アディの言葉に答えるように、ネルガレーテがぼそりと声を上げた。
「やはりベクトルを合わせて、ツイズルを踊るしかないわね」
リサがアディに向かって、ツイズル?、と無声で口を動かした。
「ランデブー(軌道会合)して移乗するために、ベクトルを合わせながら自転慣性運動を同期させることだよ。アボルダージュ(強行乗船)の常套手段だ」
今度はアディが手でマイク(無線送話器)を隠し、生の声で答える。
「──リサ、ここからはベアトリーチェにドライブ(操艦)を移管して。距離を詰めながらのスタビライズ(挙動同期)は、システムにやらせるわ」
アディの説明が終わるのを見計らったかのように、ネルガレーテの指示がリサのヘッドセットに届く。
「テンフォー(了解)」
慌てて返事をしたリサが、居住まいを正してコンソール(制御卓)に指を走らせる。
「ベアトリーチェ、ゴーダムの自転ベクトルを正確に計測して頂戴。1500メートルの距離を置いて静止位置を確保しながら、アボルダージュ(強行移乗)のためのスタビライズ(挙動同期)を実行して頂戴」
「アイアイマァム(了解しました)。ドライブ(操艦)をシステム管理下で制御します」
ベアトリーチェの乾いた声に呼応するように、アモンの艦体が微かに揺れる。
「ゴーダムの自転ベクトルを解析します」ベアトリーチェの言葉が続く。「推力軸に対して、ヨーイング(左右偏揺)とピッチング(機首俯仰)が認められます。ローリング(前後軸自転)については計測中です」
ヨーイング(左右偏揺)、ピッチング(機首俯仰)、ロール(前後軸自転)を合わせた複雑な3軸方向の自転慣性運動を起こしている船舶に対して、ツイズルするための自艦のスタビライズ(挙動同期)姿勢制御は、パイロット(操艦担当)の手動で行うより、完全なシステム管理下で機械的に姿勢制御を行うほうが正確で、フィードバックによる微妙な修正も迅速で容易い。システム制御が最も得意とするトランザクションだ。
ベアトリーチェの操艦で、アモンのバーニア(姿勢制御推力器)が、時折り大きく吹き上がる。何度かの姿勢制御で、ゴーダムとの距離が徐々に詰まって行く。
「現在、相対速度マイナス55パーセント、ピッチング(機首俯仰)同期率78パーセント、ヨーイング(左右偏揺)同期率64パーセント」
「船体の損傷度合いは確認できた?」
「はい、おおよそ判定が付きました。内洋航行用主機を完全に損失していると思われます。船体の中ほどが大きく損壊、推力軸に対して船殻が拉げています」
「何だか酷い有り様ね」ネルガレーテが溜め息にも似た息を吐く。「メテオダスト(宇宙塵)かデタッチ(氷結体)にでも衝突したのかしら」
「ブリッジ(船橋)と思しき構造物を確認しましたが、かなり損壊しています。ペイロード(積載区画)も40パーセントは損壊していると推測します」
「アールスフェポリット社から貰った、ゴーダムのデータを出して」
ネルガレーテの指示に、併航して来たバラタックとは船体構造が全く異なる、立体モデリングのグラフィック船体図が前方のスクリーン・ビジョンに映り込む。
全長500メートル、六角形断面のフレート・コンテナ(個別式貨物庫)を4列縦束配置し、内洋航行用主機であるフェルミオン・アナイアレート(対消滅)推進エンジンを艤装している。モノコック構造のアコモディション・デッキ(乗居区画)とブリッジ(船橋楼)は、船倉と主機の間に配置されていた。船殻中央部の上下左右には、フジツボのような円錐形をした、超光速航行エンジンである超対称性場推進機構のフィールド・ジェネレータ(励起誘導器)を、1基づつ支柱に支えられて突き出すように装備している。
「損壊と思しき箇所を明示して、スチル画像を添えて頂戴」
モデリング船体図がたちまち真っ赤に染まる。
添えられた画像でも、アコモディション・デッキ(乗居区画)から船尾の内洋航行用主機であるフェルミオン・アナイアレート(対消滅)推進エンジンまで、何かに食い千切られたように船体後部がごっそりと消失していて、文字通り跡形もない。鳥頭ような外観のブリッジ(船橋楼)が途中から千切れ折れ、うな垂れるようにフレート・コンテナ(個別式貨物庫)側に傾いでいて、それこそ首の皮一枚で繋がったかのように、エンジン主機を支えていたクロスメンバー・フレーム(横架梁材)上に残っているのが奇跡的だった。
「──しかしこれ、本当に事故か・・・?」
「何だか、少しキナ臭いわね」
無意識に発したアディの言葉に、ユーマが肯う声を上げた。
「キナ臭い、って・・・?」
リサがインカム(艦内通話機)のマイク(無線送話器)を手で覆い、横のアディに身を乗り出してそれとなく尋ねた。
「損壊の仕方が気になるんだよ。事故った船舶は幾つも見てきたが、どうも、な・・・」
アディは横目でリサを見て、眼前の輸送船の損壊モデリング画像に顎を抉った。
船橋楼外鈑には数箇所、何やら不可解な貫徹痕があり、穴が空いているようにも見える。これだけ甚大な被害を受けていると、居住区画が残存していても生命維持環境が温存されているかは甚だ疑問で、補機が損失していれば生存者がいる可能性は絶望的だ。
さらに30分ほど、アモンが幾度となく細かい姿勢制御を繰り返して、唐突にベアトリーチェの乾いた声がブリッジ(艦橋)に響いた。
「ゴーダムへのアボルダージュ(強行移乗)のためのベクトル同期を完了、静止位置を確保しました。相対速度0、ピッチング(機首俯仰)同期率100パーセント、ヨーイング(左右偏揺)同期率100パーセント、ローリング(前後軸自転)同期率は0パーセントです」
アモンのブリッジ(艦橋)内のメイン・スクリーンには、まるでロースター(燻製器)の中で串刺し回転しているソーセージのように、ゆっくりロール(前後軸自転)しているゴーダムの姿が映っていた。
アモンはベアトリーチェの操艦によって、ゴーダムの慣性運動移動速度を合わせて相対的静止位置を確保し、さらにそのピッチング(機首俯仰)とヨーイング(左右偏揺)の傾転を同期させている。
本当なら背景の星々の巡る向きが、アモン自体のヨー・ピッチ挙動に合わせて画面の中で徐々に変化している筈なのだが、長時間眺めているとさすがのドラグゥンでも目を回して酔ってくるので、背景処理を施した上で輸送船ゴーダムの姿だけを映している。
通常、緊急救助行動でアボルダージュ(強行乗船)する場合、小型艇などを使って移乗するのが一般的だ。メイティング・ブリッジ(密接乗船廊橋)を使わないのは、ブリッジ(廊橋)による移乗が現実的でないからだ。
なぜ現実的ではないかと言うと、ブリッジ(密接乗船廊橋)による直接接舷にはロールの同期が必須だが、対象に対して自艦を公転させてロールを同期させるには、小さな公転半径でバーニア(姿勢制御推力器)を噴射し続けなければならない。然もなければメイティング・ブリッジ(密接乗船廊橋)の強度だけでは、船舶のような大きな質量物による遠心力には耐えられないからだ。ところが艦船艤装のバーニア(姿勢制御推力器)は元来、長時間の噴射継続に耐えられる設計になっていないため、小半径の公転による救難船とのロール同期は実質不可能なのだ。
従って、複雑な3軸方向の自転慣性運動を起こしている船舶に対してのアボルダージュ(強行乗船)は、必然的に小型艇などを使って移乗せざるを得ない。なので無理してロールを同期させる必要はなく、相対的静止位置を確保した上でヨーとピッチだけをスタビライズ(挙動同期)させるのだ。
尤もグリフィンウッドマックの機艦アモンには、メイティング・ブリッジ(密接乗船廊橋)などと言う洒落た機構自体を備えていないので、アボルダージュ(強行移乗)には搭載機材を用いる以外に方法がない。
「さてと、お仕事だ──」
ジィクが待ち兼ねたように、両手をアームレストに突き、折り曲げた両足を撥ね上げるようにユニットを抜け出すと、腕をばねにそのまま宙に浮き上がった。
「ビーチェ、バルンガのチェックリスト(発進準備)を開始して」
とユーマも声を掛けながら、卒のない挙措でその巨躯をユニットから離席させた。
「単純な宙難事故じゃないかも知れないからね」
「オゥキー・ドゥキー(合点承知の助)」
念を押すネルガレーテの声と同時にユニットを抜け出したアディが、リサに目配せしながら返事する。
「気を付けてね」
「オールファイン・ノーケア(大丈夫、心配いらない)」
声を投げて来たリサに、アディは軽く手で答えると、ジィクとユーマの後を追う。
3人のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)が移動した先は、アモン艦体中央上部にあるフライト・ペイロード(航宙機材積載庫)だ。輸送船ゴーダムの船内捜索活動を行うに当たって、グリフィンウッドマックが保有している航宙機材のバルンガで、アボルダージュ(強行移乗)する。
ブリッジ(艦橋)からトランジット・デッキ(中継ぎ区画)を抜け、メスエリア(会食所)を通ってステア・デッキ(移層区画)に出る。左のプライベート・キャビン(個室区画)へ下りるラッタル(梯子階段)の奥にあるのが、フライト・ペイロード(航宙機材積載庫)へ上がるためのバルクヘッド・シャッター(隔壁扉)だ。気密シャッターの向こう側が、フライト・ペイロード(航宙機材積載庫)へ直通している折り返しのラッタル(梯子階段)だ。
ラッタル(梯子階段)を上がり切った先は、バルクヘッド・シャッター(隔壁扉)が設けられた、エアプルーフ・ボックス(気密区画)の床面への出入口だ。床面と言っても、ここから先のデッキ(区画)はウェイトレスネス(無重量環境)なので、あまり意味がない。
ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)3人は、勢い良くラッタル(梯子階段)を蹴り飛ばして、次々とエアプルーフ・ボックス(気密区画)へと飛び上がる。横手の壁はエクイップメント・ロッカー(装備保管庫)になっていて、ハビタブル・オーバーオール(空間作業用気密与圧服)や大気圏フライト用パイロット携行装備などが保管されている。
3人は銘々にロッカーから掴み出した圧縮空気スラスターを背負うと、壁を突き飛ばしてペイロード(積載区画)へ出るバルクヘッド・パス(隔壁通口)へと宙を抜ける。バルクヘッド(隔壁)を抜ければ、アモン最上部にあるフライト・ペイロード(航宙機材積載庫)だ。ペイロード(積載区画)内は、バッファ(緊急補填用)エアとして通常的に標準大気が充填されている。
グリフィンウッドマックの機艦アモンは、主要フライト機材を2種類1機ずつ積載している。
フライト・ペイロード(航宙機材積載庫)内、艦首側のベッド(駐機台)に載っているのが要撃用機材リトラで、その後方のベッド(駐機台)にタイダウン(機材固縛)されている銀色の機体が、このアボルダージュ(強行移乗)に用いるバルンガだ。
バルンガは全長28.8メートル、鯨に羽根を付けたような姿容の汎用トランスポート機材だ。スターレス・アンド・バイブル社の宙空間用大型輸送機のパワートレインをベースに小型軽量化し、主機はベクター・スラスト(推力偏向)機能を持つ、スタブ・ウィング(短翼)先端の対反応プラズマ・エンジンで、大気圏内でも長時間のホバリングが可能だ。エアロック(気密隔室)を装備し、与圧機能を備えたカーゴ(貨物室)は積載可能質量51トン。アモンのメディカル(救護医療処置)システムと連携する、アンビュランス(救急救護)ユニットも備えている。
「ビーチェ、バルンガのチェックリスト(発進準備)は済んでるわよね?」
コックピット(操縦室)に飛び込んだユーマが、ヘッドセットのマイク(無線送話器)に声を上げる。
「オールグリーン(異常なし)を確認。メインエンジンは現在アイドル・ステータスです」
「──んじゃ、アンビリカブル・ケーブルをリリースだ、ベアトリーチェ」
コ・パイ・シート(副操縦席)のジィクが、ハーネスを締めながら計器に目を走らせる。
「チェック(了解)。リフト・オフ(離艦)のシークエンスを開始します。周囲500キロの宙空間に、インシデント・オポネント(相克対象)を認めません」
ベアトリーチェの声と共に、ペイロード(積載区画)上部が開き始め、X字型のフレームに支えられた、バルンガが載るシザー・エレベーティング・アレスト・ベッド(鋏状交差式昇降駐機台)が上昇する。
「タイダウン(機材拘束)ロック解除」
ベアトリーチェからの声に、ユーマがブースト・ノブを押し込む。と同時に、バルンガのスキッド(橇)型ランディング・ギア(降着装置)が、ふわりとベッド(駐機台)を離れた。
「離艦したわ。アボルダージュ(強行移乗)対象まで移動するわよ」
ユーマの言葉に、バルンガのメイン・エンジンが咆哮し、加速ガルが掛かると同時に機体が猛然と加速した。
「バルンガの離艦を確認しました。引き続き本艦はこのまま、ゴーダムと1500メートルの距離で静止位置を確保します」
“串刺しソーセージ”ゴーダムの画面に、バルンガの姿を捕らえた映像が割り込む。奥へと飛び去る銀のバルンガの後ろ姿は、主星の陽を受けて反射して明影がはっきりしすぎているため、機影が判別し辛い。
「──アディ・・・」
スクリーン・ビジョンに映る、残り火のように小さくなっていく、バルンガのプラズマ・エンジン光をじっと見詰めるリサが、無意識にその名を口にした。
捜索シークエンス自体は、危険を伴った緊急性のあるものではない。
口端から漏れた声は、リサにしてみれば、自分が残されたままアディを見送るのは初めての事ゆえの心細さなのか、ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)全員がゴーダムの破損具合に疑問を抱いた事で、一抹の不安を感じた事ゆえなのか。その小さな呟きがヘッドセットのインカム(艦内通話機)に拾われて、ぼそりと漏れ伝わってしまっている事にリサは気付いてもいない。
“リサにとって、本当にアディは大切な男性なのね”
ネルガレーテが思わず目を細め、リサの秘めやかな心の声に小さく微笑む。
リサは、視野の狭い、恋愛感情だけで先走る、分別を持てない浅慮ではない。
むしろ正反対と言って良い、良かった。
何しろ、今ではアルケラオス女皇に即位したメルツェーデス姫の、皇女時代の専属女御官だった才媛だ。頭の回転は早いし、言葉遣いも秀逸で、他人を不愉快にさせない会話のセンスも抜群で、リサ本人も名高い武家の血を引く身だ。燃えるような紅い髪も妍しい、リサの容貌良しは、ネルガレーテは言うに及ばず万人の認めるところだ。
そんなリサが、アディを、アディだけを追ってここまで来たのだ。
“男冥利に尽きる、って解ってるのかしらねぇ、あの朴念仁──”
とは言え、かく言う件のアディ自身も、歴とした現アルケラオス皇室の血を引く皇子──メルツェーデス女皇の実兄であり、本来なら国皇を担う身の上なのだ。
「まあ確かに、これ以上ないほどお似合いのカップルなんだけどねぇ・・・」
「え・・・?」
嘆くようなネルガレーテの独り言に、今度はリサの方が咄嗟に問い返した。
「何でもないわよ、グリフィン・ワイルド・マドモワゼル(赤毛のお転婆お嬢さん)」
右前に見えるパイロット(操艦担当)ユニットの背を見詰め、ネルガレーテが呆れたような困惑気味の、それでいて愉快そうな溜め息を小さく吐いた。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




