Act.19 グリフィン・デュエット・2
「くは・・・ッ! 本当かよ・・・ッ?」
途端に目を丸くしたのは、ボリス・ペトロフスキーだった。
がっちりした骨太の両肩を覗かせた深紅のタンクトップに、黒の防寒アウターを肩に担ぎ、黒の防寒パンツに厳つい短ブーツを履いている。上背はアディと同じくらいか。
そのペトロフスキーの横を、見覚えのないキュラソ人が並んで入って来た。
ネルガレーテより濃い褐色の肌に、赤みがかった灰色の髪、顎周りの産毛がまばらで薄い。40手前の頃合いなのに、血のような瞳は柔和だが強い意志を感じさせる。開けさせたオフホワイトの防寒アウターの下に、濃紺のハイネック・セーターを着込み、ペールピンクのオーバーオール・パンツを穿いている。背丈はリサとそう変わらない。
その2人のすぐ後ろには、苦虫を噛んだような表情に驚きの眼を貼り付けた、何とも言えない表情をしたサンドラ・ベネスが、濃緑色の分厚い防寒具を着て立っていた。
「──貴様・・・ッ!」
アディが本能的に身構え睨み返した途端、聞きなれた声がした。
「リサッ! アディ!」
サンドラを押し退け、ボリスとキュラソ人の間から、薄汚れた蛍光オレンジのインシュレーション(断熱綿材)入り防寒着を着た小さな体が、ぐいっと競り出て来る。
「ルーシュ・・・?」
アディの気が、一遍に緩む。
「──ルーシュ?」
アディの脇から顔を覗かせるリサに、ミルシュカがセミロングの黒髪を振り乱し飛び付いた。
「無事で良かった・・・!」
「ルーシュ、どうして貴女が・・・?」
リサがミルシュカの小さな両肩に手を添える。ミルシュカの方が年上で賢姉気質なのだが、リサの方が10センチ以上背が高く、ミルシュカの方が幼い仕草を見せがちなので、どうしても逆に見えてしまう。
「ペトロフスキー、本当に死に掛けだったのか? 彼」
「つい3時間ほど前は、ね」
尊大にも見える大仰な態度で、キュラソ人の男が横に立つドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)崩れを見遣る。それにペトロフスキーが、俺にも解らない、と他人事のように首を竦め返した。まさかアディが治って、しかも何食わぬ顔で立っているとは、思いも寄らなかったのだ。
「ふうむ」一瞬考え込む風な素振りを見せたキュラソ人が、薄笑みを浮かべて当て付けるようにアディに言った。「──若く美しいご婦人と、お取り込み中だったかな?」
「あんた、誰だ?」
硬い表情のまま、アディはキュラソ人を睨み返した。
「俺専属の、健康管理ドクターには見えないな」
「ヒゴ・プロパティ・アンド・マテリアル社のヤルノ・ギルステンビュッテル」
冷たい小さな笑みを口元に浮かべたキュラソ人は、威圧的な紋切り型の口調で言った。
「天秤座宙域を担当する支社ステーション、ナースィラ・ハロゥ最高責任者で同時にブランチ・プレジデント(支社長)の任に就いている」
「つまりは、俺たちを襲った親分って事だな?」
「君がアディ・ソアラだな?」
挑発するようなアディの言い草に、ギルステンビュッテルは往なすように返す。
「そちらの麗しいご婦人が、リサ・テスタロッサ嬢かな」ギルステンビュッテルはリサを一瞥するとにやっと笑い、横のペトロフスキーを見遣る。「──そしてこの2人を含めた5人が、君を悩ませたグリフィンウッドマックと言う訳だ」
ペトロフスキーはただ、黙って肩を窄めて見せた。
「俺たちを知ってるのか?」
アディの黒鳶色の眉が、ぴくんと跳ねた。
「私たちヒゴ社も君たちのクライアント(発注元)同様、このカルダゴ──いや君たちは、ピュシス・プルシャと呼ぶんだっけな? に開発基地を持っていてね、そこで他の3人と会ったよ」
「──何が目的だ?」
本能的に身構えるアディの横で、リサもミルシュカを庇うように前に出る。
「企業としては、勿論この惑星に眠る鉱物資源だが、私はちょっと別のものを掘り当てようとしているんだよ」
「・・・・・・」
「──君たち、トシュテ・トトに会ったんだろ?」
真意を汲み取り兼ねて黙しているアディに、ギルステンビュッテルが容赦なく切り込んで来た。
「どこで会ったのかな? 是非とも私も会いたいのだ」
「──トトに何の用だ?」猜疑心に警戒心を添えて、アディが訝る。「そもそもトトは、アールスフェポリット社の客員スタッフだ。あんたたちには関係ない筈だ」
アディの萌葱の瞳を真正面から見詰め、ギルステンビュッテルが小さく首を振る。
「それにトトに用があるなら、直接アールスフェポリット社の方へ申し出ろ。何とかって指揮官なら、お安い手間賃で紹介してやっても良いぞ」
「それは結構だよ」
怜悧な目付きのキュラソ人が、クククと含み笑いしながら、後ろに控えるサンドラの方へ軽く首を倒して見せた。
「必要なら、アールス社によく精通する、我が社の優秀なスタッフにやって貰うさ」
「けっ・・・!」
アディは横目にサンドラを睨みながら鼻で笑い、吐き捨てるように言った。
「どういう成り行きかは知らないが、あんたも結構なピンプ(悪党)だな。ネルガレーテもびっくりだよ」
「何ですって!」
思わずサンドラが、アディの挑発に一歩足を踏み出す。それに身構えたアディだったが、直ぐさま怒らせた肩を落として息を吐く。何故なら、ペトロフスキーがいつの間にか抜いていたニードルガン(短針銃)の銃口を、リサの方へ向けていたからだった。
「よせ、3人とも」
ギルステンビュッテルが眉間に皺を寄せ、両の腕を開いて制止させる。
「──心配すんな」ペトロフスキーはリサにニヤッと笑うと、銃をホルスターに納めた。「撃つとしたら、足にしといてやるよ」
「本当にドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)と名のつく君たちには、ほとほと手を焼かされる」
ギルステンビュッテルが、困惑の表情を隠しもせず、2、3度首を振った。
「──きっとネルガレーテに、ダートシュート(尻穴)を蹴られ掛けたんだぜ」
アディがリサの耳元に口を寄せ、キュラソ人を横目に見ながら負け惜しみ宜しく、聞こえよがしに言った。
「端的に説明するわ、破落戸ドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)!」
蟀谷に青筋立てたサンドラが、ぐいっと1歩2歩と前に出る。
「残念だけど、アールスフェポリット・コスモス社の、このピュシス・プルシャにおける企業活動は、既にヒゴ・プロパティ・アンド・マテリアル社の統率下にある。地表の開発基地にはヒゴ社のセキュリティ部隊が駐屯し、低軌道ステーションはちょっとした事故で全員退去して無人になっているけど、高軌道ステーションの方は完全にヒゴ社の監視下に入っていて、プレジデント(支社長)・ギルステンビュッテルの指示なくては、何も動かない、動かせない」
「あんた、自分で何を言ってるのか、解っているのか・・・?」
さすがのアディも、サンドラの豹変ぶりに一驚する。
「勿論よ。このピュシス・プルシャは、ギルステンビュッテルの手の内に落ちてるの」
アディの言葉を一蹴したサンドラは、全く気にも掛けていない。
「良くもまあ、ぬけぬけと・・・!」堪り兼ねたリサも、目を吊り上げてサンドラを詰る。「それで、あんたの前の上司は?」
「今ごろきっと、自室に篭って酒を飲み、それでもただ手を拱いて、自分の不甲斐ない運命だけを呪っているでしょうよ。何時まで経っても、全く情けない・・・!」
「自分の上司を、最も簡単に見限ったのか・・・!」木で鼻を括るようなサンドラの言い草に、アディは腹立たしそうな慢侮の笑みで睨み返した。「──なんとまあ、ずる賢い女狐だ」
「何とでも詰れば良い」サンドラの態度は傍若無人だったが、衒いは無かった。「あんな無能なゴース人の巻き添えは、真っ平御免なだけよ」
「良いか、2人とも」アディが負け惜しみのように呟く。「どんなに男性を知っても、あんな女性にはなるなよ」
「ネバー・マインド(心配しないで)。あたしにはアディが居るもの」
「それ、ジィクにも言われた」
リサとミルシュカがそれぞれ、律義にもアディに応じる。
「どこまでも腹に据えかねる味噌っ滓が・・・ッ!」
「また言ったな! 味噌っ滓って!」
リサとサンドラが、お互いに1歩ずつ前のめりになった。
「サンドラ・ベネス・・・!」ギルステンビュッテルも堪り兼ねたように、声を荒げる。「君はなんでそう、ドラグゥン・ハスイ(傭われ宇宙艦乗りの蓮っ葉)と揉め事を起こすのだ!」
窘められたサンドラが、悔しそうに歯噛みして、それでも一歩引き下がった。
そんなサンドラを横目に見ながら、リサがアディに顔を寄せて、ぼそりと尋ねる。
「──ハスイってどういう意味?」
「特別に可愛い美少女、って事さ」
「アディの嘘つき・・・!」
明白に嘯くアディに、リサが少しばかり頬を膨らませる。
「──何で彼女が突っ掛かるのか、教えてやるよ」
臍を曲げるリサに小さく噴飯しながら、アディが肩を窄めてギルステンビュッテルに言った。
「簡単さ。その女だって、立派なディックフェイス(阿婆擦れ)だからさ」
「ディックフェイスって?」今度はそれを聞いたミルシュカが、リサを振り向く。「ジィクも使ってたけど」
「ほら、矢っ張りハスイだって、ロクでもない意味じゃないの・・・!」
リサが一層、ぶうと拗ねて見せた。
「ボス・・・!」皮肉ったのはアディなのだが、サンドラは何故かリサに噛み付いた。「この女性、裸にひん剥いて、寒中に放り出すわ・・・!」
「おう! 遣れるものなら遣ってみろ!」無論リサだって一歩も引かない。「その前に、そのふしだらなバドンカドンク(でか尻)を、腫れるほど蹴り上げてやる!」
「バドンカドンク?」
「バムバム(お尻)、ボトム(尻)、アス(糞っ尻)、ブーティ(桃尻)よッ!」
「ペトロフスキー・・・!」堪忍袋も限界のギルステンビュッテルが、癇癪を起こし掛ける。「彼女たちを黙らせてくれ・・・!」
参ったなと、どこまでも他人事のドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)崩れが、ぽりぽりと頬を掻いた矢庭。
「──やあ、プレジデント(支社長)、申し訳ない」
いきなり場にそぐわない、調子外れな大声がした。
「ドクター・モスバリー」一瞬煩わしそうに眉を顰めたギルステンビュッテルが、後ろを振り返った。「──探し物は見つかったのか?」
「鞄に入れた筈なんだが、なかなか見つからなくて」小型のカメラを弄りながら、脇にバインダー・ノートを抱えた、ひょろっとした猫背のゴース人が姿を見せた。「記録用のカメラなんだよ。是非ともビデオ(画像記録)は録っておかないとね」
モスバリーは妙なニット帽を被り、センスの欠片もない妙な柄のモスグリーンのニットセーターに、分厚いベージュの防寒パンツを着込んでいた。
「──言ってたテラン(地球人)とは、彼の事か?」
ペトロフスキーの横を擦り抜けながら、僅かばかり警戒するアディの前にモスバリーが立った。上背はアディの方があるが、リサよりは少し高い。顎先まであるモスグレイの髪はボサボサで、中で小鳥が巣を作っていても不思議ではなかった。
「あんた、誰だ?」
無遠慮に眺めましてくるゴース人に、アディが不愉快そうに睨み返す。
「ふうむ。とても死に掛けているようには見えないが・・・」
「何奴も此奴も、俺を臨終間際のように言いやがって」
酷く真面目腐って呟くモスバリーに、アディは横のリサに向かって口をヘの字に曲げた。
「──実際、臨終間際みたいなものだったのよ」リサは苦笑しながら、嫋やかな肩を窄めた。「あたしの心配、察してくれる?」
「人体の観察は専門外なので後回しにするとして──」
モスバリーは独り言ちると、アディとリサの間を割くようにして分け入った。
「後回しなんだとさ、人間は」
毒気を抜かれたアディが、リサに首を竦めて見せた。
「おお、こいつか・・・!」
アディの背後にあるアンビュランス・ポッド(可搬救急対処台機)を覗き込んだモスバリーが、素っ頓狂な声を上げた。その様子に振り向いたミルシュカが、改めて目を見張る。
「──リサ、あれって・・・!」
「そう、正真正銘の生きてるエンジェル」リサが少し複雑そうな面持ちで頷く。「ミルシュカは初めて見るんだっけ?」
「まさか・・・! 実物? 生きてるの? 生きてるのよね・・・!」
リサの言葉に一驚したミルシュカが、せっかちにモスバリーの脇へ早足に寄ると、食い入るように中を覗き込む。
「何て事! 生体を実際に間近に見られるなんて・・・!」
「デルベッシ君、これこそ君の専門分野だな」
クリア(透明)・ボンネット越しに覗き込んだまま、モスバリーがミルシュカに声を掛けた。
実は、エンジェルが生きたまま捕獲された事は、ギルステンビュッテルとモスバリーも、こちらの現地に着いてから報告を受けたのだ。
ヒゴ社の開発基地を飛び立った後、ギルステンビュッテルはその乗船からペトロフスキーの機艦サーペンスアルバスに何度か連絡を入れていた。だが同基地にいたネルガレーテたち同様に電波状態が悪かった上に、アディたちを追撃して負傷したセキュリティたちの救出と保護に、ペトロフスキーとサンドラが出ていたので、詳しい話が出来なかったのだ。
現地でのペトロフスキーたちからの報告は、エンジェル生体とアディの不思議な身体状態発現、そしてその生体捕獲と2人の収容、更にはその後の簡単な経過談もあったようだが、ミルシュカには知らされなかった。なのでミルシュカは今の今まで、アディとリサが捕まり、アディが瀕死の重傷を負っているとしか分かっておらず、アディの容体もエンジェルの生体が捕獲されている事も知らなかった。
「──しかしお前ェ、本当に身体、治ったのか・・・?」
アディを睨み付けるペトロフスキーが、半ば呆れたような表情に、化け狸の正体を暴くような目付きを乗せ、半信半疑の口調で言った。
「あの真っ赤なホィーラ・スクート(前輪操駆式雪氷橇車輛)かトラックド(履帯)・モーターサイクルを2台貸して貰えたら、今度は逃げ切って見せるよ」
不敵な笑みを浮かべ、アディが両肩を聳やかす。
「冗談でも止めてくれ」
ペトロフスキーは至極真剣な表情で首を振り、徐らアディの方へ大股を繰った。
「──ちょっと背中を見せろ」
「あんたに医術の心得があるとは、意外だよ」
無遠慮に手を出してくるペトロフスキーに、アディが反射的に肩を透かし厭った。
「吐かせ・・・!」
渋るアディに、往生際が悪いぞ、と言わんばかりにペトロフスキーが歯を剥き出しにする。それにリサが横合いからいきなり噛み付いた。
「ちょっとアンタ、まさか男色じゃないでしょうね・・・ッ?」
「──だとしたら、どうする?」
脅し付けるように嘲笑うペトロフスキーに、リサが本気で半身に構えた。
「アディに不埒な真似してみろ。その股座を蹴り上げてやる・・・!」
「おお、恐」ペトロフスキーは揶うように、態とらしく身を震わせる。「味噌っ滓でもドラグゥン(傭われ宇宙艦乗り)、ってか?」
妙な心配をするリサに、アディは苦笑しながら、腕を伸ばして落ち着かせる。ちょっと手伝ってくれ、と言われたリサが、アディに促されてボロボロになって羽織ってるだけのフィジカル・ガーメントのアッパートルソの裾を捲り上げた。
「──こいつは・・・!」
腰を屈め目を凝らしたペトロフスキーが、思わず息を呑む。横から覗き込むミルシュカも、心配半分好奇心半分で目を丸くしていた。
「ものの見事に治ってやがる・・・!」
らしくない大声を張り上げたペトロフスキーが、ギルステンビュッテルを振り返り、モスバリーを見やる。
「背中はボロボロで、血塗れだったんだぞ・・・」
「そうなったのは、一体誰の所為なんだよ・・・!」
もう良いだろ、とアディが手荒に裾を引き下ろす。
「他にも負傷してただろ? 全部治ってるのか? 輸血もしていないんだぞ・・・!」
ペトロフスキーは、アディの身に起きた驚異の現象に戸惑いの表情を隠しもせず、食って掛かるように声を荒げた。
「俺のプランセス・デ・ネージュ(雪子姫)に、隅々まで調べてもらったよ」
「──隅々まで?」
軽く往なすようなアディの言葉に、ペトロフスキーが目を剥いてリサを振り向く。
「隅々まで」
腰に手を当てたリサが、何故か自信たっぷりに頷く。
「それで、どんな具合だった?」
本気とも冗談とも着かない口調のペトロフスキーが、真面目な顔付きで問う。
「逞しくて素敵だったわよ。くだらない事を聞くのね、あんたって」
リサは腰に手を当て、はぐらかすような言い草で、自慢気に胸を張って答える。
「ほへーっ」簡単に尻尾を巻かないリサに、ペトロフスキーの方が舌を巻く。「近ごろのプッシー(小娘)は、慎み深さって言うのを知らないようだ」
「彼の怪我の回復具合は矢張り、君の言っていた、あの白い巨獣の幼体のせいなのか・・・?」
3人の遣り取りを無表情に見ていたギルステンビュッテルが、ポッドの中の幼体を横目に見ながら、サンドラにぼそりと漏らすように言った。
★Act.19 グリフィン・デュエット・2/次Act.19 グリフィン・デュエット・3
written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




