焦りと自覚
日常の中で考えることにフィクションも混ぜて構成した、言わば現代版『徒然草』をどうか最後まで見届けてください。
ただの高校生から選挙権を持った、少しだけ社会に認められたような高校生まであと半年。お酒が飲めるようになるまであと2年半。社会に出るまで順当に考えればあと5年。そのままこの世から消えるまであと………なんて考えてられない。
九九を習ってた頃なんて高校生はもっと先だと思ってた、その頃だけじゃない中学に上がっても遥か未来の話だと思ってた。でもあっという間に高校卒業の年。
勉強は良くて学年10位以内、悪くても25位以内、一度は学年1位を取ったことがあったけどそれも昔の話。それに、そこからは堕ちていくばかりで自分に嫌気がさしていた。
運動は器用貧乏なタイプで基礎基本は出来ても応用はできない。バレーなんてここでアタックしたら自分はかっこよく見えるだろう、と考えているだけで終わってしまった。足も早いけど陸上選手になるほどでもなく、泳げるけど水泳選手になれるほどでも無かった。
でも、この歳になっても、高校最後の夏になってもきっと何かになれると思っていた。
頭も良かったし器用貧乏になんでも出来たからきっと何かに、分からないけど何かにって、大学もいい所に行ってずっと座ってるようなつまんない仕事なんてしないと思ってた。
ただ、歳を重ねていく度に自分は何にもなれないって焦りに近い自覚を持っていた。でもきっときっと何かになれるって思っていた、思いたかった。
きっと誰かが私を見つけてくれて平凡な人生なんて程遠いような暮らしをするんだってずっと思ってた
でもそんなこと無かった。私は普通で平凡でつまらない、何にもなれない。誰かの人生のモブなんだ。
そんな人生で終わりたくない、変えたい。そう思っても、もう遅かった。人生は何回でもやり直せるなんてよく聞く言葉だったけど、そんなの嘘だ。やり直せても遅すぎるんだ。もっともっと、もっとずっと昔からスタートラインに立っているべきだったのに。
私は何にもなれない、何者でもないんだ。
私自身の経験から生まれたこの話が、何処かの誰かの役に立っている何かになれると願います。私が、この話があなたの何かでありますように。